6-2 客観的観測に基づいて考察を重ねた結果、導き出される最終結論
思えば俺も、高校生にもなればいずれなり経験しなければいけないと安易に考えていた。あるいは十代のうちに経験せねばならないのではないか、と。
高校生といえば、夏休みに友人らと連れ立って海にゆき、地元で知り合った女の子と懇意になり、そんなに好みではなかったが、夜の浜辺で押し倒しそのまま――、などというシチュエーションがまかり通る年齢ではある。
だがそれは俺の人生において、あまりに遠隔地にある桃源郷であった。あり得ない妄想だと気づくのに、そう長い時間は必要がなかった。
本物の勇者とは、やはり選ばれし者だけにしか与えられない称号なのだ。そうして力なき若き冒険者が膝を折り、荒野に背を向けた時、眼前に巨大な城塞都市が佇んでいる事に気づくのだ。
年齢制限という壁に阻まれた『特殊浴場』は今の小山田のように通関証さえあれば、高校生でDT捨てた、という既成事実が作れる。
金銭で“DT”という忌まわしき称号から逃れられるという誘惑もなくはなかった。
しかしそれは違うのだ。俺は知っている。
苦しみのあまり、やや汗ばみ、しわくちゃになった二万五千円を握りしめて、ゴールデンゲートをくぐった者たちの末路を。
一週間自慰を制限し、その来るべき瞬間のために賭けた一撃必殺を見舞おうとする、哀れなる若者たちの末路を。
勇者になれば楽になれるのだ、この試練を超えれば俺は自由になれる、すべてのコンプレックスから解き放たれるのだ、そう無邪気に信じた若者たちの末路を。
そう。彼らに待っていた称号は――新たなる称号は勇者などではない。
本物の勇者がいないため、儀礼的に勇者として称えられるに過ぎない、仮初めの勇者、それは『素人童貞』という、更なる苦難の道を行く賊民の地位を自ら築きあげてしまうこととなるのだ。
俺たちのようなDTからすれば、まさしく悪魔に魂を売り払い、魔道に堕ちた者たちである。SDTはもはやDTには戻れない、罪深き者たちなのだ。俺はその忌まわしき称号を心の底から憎む。
「そ……そんなものは、実績を積んで上書きすれば消える蔑称だ……」
「解っていないな……小山田。そもそもが無理なんだよ」
「また、俺を馬鹿にするのか!」
「そうではない。そうではないが、客観的観測に基づいて考察を重ねた結果、導き出される最終結論だ」
小山田はびくりとして身体の動きを止めた。
「小山田、貴様が認めなくとも、覆らないのだ、そういうものだ!」
「――――やめろ……」
小山田は脇腹の横で拳を絞った。
「小山田、お前は」
「――――言うな! それ以上……」
小山田は腰をやや落とし、姿勢を前傾させた。
「お前は」
「言うな言うな言うな! うあああああああああああああああ!」
小山田は俺の鳩尾にむけて一閃の突きを放った。
奴の大質量によるドリルのような鋭いパンチは、もしも中れば俺の背骨までをも貫いただろう。中れば、だ。
しかし悲しいかな、小山田のドリルはその短躯故に、対象物には届かぬのだ。
代わりに俺のカウンターパンチが小山田の顔面をとらえていた。
五百円玉が詰まった貯金箱が、虚しい音を立てて転がった。
そしてぼてぼてと地面でもんどりをうった小山田の肉体が転げ、アーチの支柱にあたって止まった。
「すまん……小山田。これが事実だ。お前には貫けない……」
こんな痛みを感じたのは初めてだった。殴った拳が痛いのではない。殴らざるを得なかった俺の宿命が心をちくちくと苛んでいるのだ。
「小山田ぁあああ! あちらの世界にはッ! このゲートの向こう側には! いもうとはいない! いるのは、おねえさんだけだ! 敗北はゆるさんッ!」
小山田はいもうとではなく、おねえさんに自らの救いを求めようとしていたのだ。
「くっ、くにしげぇえええ! それでも、それでも俺は――俺は――――」
「それでもいいなどとは言わさん! 貴様は“いもうと”という贄によって原罪的中二病罹患者となったのだろう! ……おねえさん達は優しい人々だ。きっとお前の身を癒やしてくれる。経験豊富故、コンドームの代わりに指サックを使わねばならない貴様の超短小ドリチンをも看過し、やさしく受け入れてくれるだろう! だが、だが! それでお前の心が癒やされるものか! このゲートをくぐるまでもなく、お前はもう自由にラノベを読めるのだ! 書けるのだ! この意味が解るだろう、小山田!」
地面を這いずり、ゲートの向こうに転がった貯金箱に手を伸ばす小山田を、俺はただ見守った。
「掴むのだ、お前の現実を……変態でもいい……変態でもいいんだよ、小山田! お前にはそれしかないのだからな! お前に必要なのは成熟しきった女性の心身にリードされることではなく、何も知らずにお前の言いなりになる純真無垢な少女を、お遊戯などという甘言で拐かし、その心身を略取し陵辱することだ! 他者比較の経験もない少女にとってお前の存在は肯定せざるを得ない現実たり得るだろう! お前に必要なのはいもうとだ! いもうとだけなんだ! おにいちゃーーーーん!」
ゴールデンゲートに向かって俺は涙の中で叫んだ。小山田の姿がピンクのネオンに滲んでで見えなくなるまで、幾度も幾度も、奴が立ち上がるまで阿呆の限りを尽くしエールを送った。
「ちょっとキミ――」
手にゲライモを掲げ、風俗街の入り口で学生服を着て「いもうと、へんたい、おにいちゃん」と連呼する俺の両脇には、能面のように無表情の男が、いい歳こいて二人お揃いの水色の制服を着て立っていた。
このスマホが完全普及した世の中で、時代錯誤な彼らの持つ無線器のツピー、という発信音が、まさに俺を現実世界へと引き戻そうとしていた。