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5 憎き文芸王を打倒するために悪魔と契約をし、力を手に入れる! さあ、国重よ、行け!

 三条は坂の途中で靴底を滑らせながら突然立ち止まり、くるりと追っ手の方へ首をひねった。ざっと生ぬるい風が吹き抜ける。


 右手を水平に伸ばし、掌を向け、俺を制するかのような格好をとった。


 同時に左手首の時計で時刻を読んだのか「そろそろ時間だ起動おきてくれ」と呟く。それが誰に向かって放たれたものか判らないまま、俺は三条の背中に駆け寄った。「三条! なにしてるんだ! 逃げるぞ!」


 ところが三条はその場から動こうとせず「国重、お前……ラノベが好きか?」と振り向かず背中で俺に問いかけてきた。


「こんな時に、なにを……」


「国重、答えろ。お前はラノベを、SFを愛しているか!」


「……三条」


「返答次第で、俺はお前を殴らねばならん」


「ぐ……、ああ。俺はラノベがすきだ……SFも愛している!」


 言った瞬間、振り返りざまからくり出した三条の拳が俺の顔面を打った。


 なんでだ! 俺は勢いで二転三転して坂を転げ落ちた。殴られた頬も痛かったが、転げて全身が痛い。やっぱりあいつ頭おかしい! 


「その痛み、覚えておけ……俺の全てを込めた攻撃だ。もう、貴様に教えることはない!  先に地獄で待ってるぜ……ベイビー!」


 そう叫んで三条は科学部の追っ手が迫る丘を駆け上がり、闇に溶けていった。


「三条……」


 意味が解らない。だが、丘のふもとに大の字になって倒れていた俺の傍らには、さっきの茶色い小瓶が転げていた。もしや三条はこれを俺に託すために……というか信じるのか、俺。


 しかしいつまでもぶっ倒れている訳にはいかなかった。


 この闇夜の公園を徘徊する追っ手は、もはや科学部に留まっていない。


「各々方、謀反者を必ずや捕らえ、御前の前に引きずり出すのだ! きやつを捕らえた暁には、褒美は思いのままぞ!」遠くで桐生とおぼしき雄々しい声が聞こえた。その後に、あれは一年生部員達だろう、「鋭、鋭、応!」と呼応して、大量の人が移動する気配が近づいていた。まるで合戦場さながらの迫力である。いつの間にあんなに部員が集まっているのか。いや、あるいは各学校の文芸部たちによる連合軍が出来上がったのかもしれない。俺という無法者を追うために。


 逃げなければ。


 痛む身体を起こし、俺は駆けた。とにかく人の居る場所に出なければいけない。俺は公園の出口を探してひたすら駆け回った。


 ここが市内にある広大な緑地公園であることは解っていたが、暗闇の上、三条に連れてこられるまではほとんど周囲を見られなかったから、どこからどこに向かっているのか、まるで解らなかったのだ。


 と、そこへ突然たき火を焚いている人物が現れた。いや、正確に言うならば、俺が焚き火の光を目指したため遭遇してしまっただけなのだが。


 場所は雑木林の中に空いた、直径十メートルほどのちょっとした広場だ。こんな公共の施設内で焚き火をするなど言語道断だ、という思いも湧いたが、追われ闇の中を駆けてきた今は、人と出会えたことが嬉しい。


 男なのか女なのか、ホームレスの類かもしれない。頭まですっぽりとローブのようなものをかぶって背中をこちらに向けているため、その人となりはまるで解らない。もしかしたら俺が背後にいることも気づいていないかもしれない。


 よく見てみればその人物が焚き火の燃料としているのは、なんと本だ。本を燃やしている。ページを一枚ずつ破りながら、執拗に。


 やめろ、と制止しかけた俺は、先のゲライモ騒動を思い出し、直前で踏みとどまった。


 よく聞くとローブの人物は、燃えろ、燃えろ、と不気味に呟やいている。


 そしておもむろに立ち上がり、茂みの陰からライン引きを引っ張り出してきた。


 俺は身を潜め、息を潜めた。


 木ノ下……。


 噂では聞いていたが本当にそうだったか。


 校庭では大規模になりすぎ、他者暴露の危険性が高く、起動式が暴走する恐れがあるとして、あれ以来小規模陣を試しているといっていた。


 正直なところ、興味があった。


 あれだけ魔術に関して熱心に勉強している木ノ下だ。広辞苑の内容を暗記して現代知識も取り入れているであろう、その現代魔法が今度こそ発動してしまうかもしれないという、中二的な希望がわずかながら俺の胸の内にあった。


 ごろごろとライン引きを押し、焚き火を中心とした同心円を何重にも描いてゆく。俺のことにはまだ気づいていないようだ。


 相変わらずブツブツと呟きながら、あっちをうろうろ、こっちをうろうろしながら、陣に文様を書き加えていっている。陣の中心に対象物を置くということは転移か変位、もしくは転換か変換魔法か。木ノ下はさらにページを破り火にくべ、炎を大きくした。そしてその中心へと、懐より取り出した一冊の本を置いた。


 あれは……ゲライモ!


「やっ、やめろぉおおお!」飛び出すより仕方がなかった。判断を誤ったとは思わなかった。


「くっ、国重!」


 焚き火の炎の中に手を突っ込み、ゲライモを奪い取ると、前回り受け身で魔法陣の上を転がった。


「熱ッ!」


 一瞬ではあったが、赤く焼けただれた灰と一緒にかっさらったせいで、掌を火傷したようだ。


 熱さは徐々に強い痛みとなって湧き上がってくる。


 右手を押さえてうずくまった俺を、今木ノ下はどんな顔をしてみているだろうか。やはり、ゲライモを燃やすようにまでなってしまったお前は、もはや狂信者集団の一員なのか。


「くにしげ……貴様」


 木ノ下の憎々しげな声を背中に、俺は膝立ち、ゲライモを抱えて覚悟した。お前達にとってやはり俺は敵だろう。身を挺してまでラノベを守った大馬鹿者だと罵るがいい。さあ仲間を呼ぶがいい。


 だが、俺はやはり許せないんだ。本を焼くなんてのは。


「木ノ下……現実を飲み下し、ファンタジーの全てを諦めてしまったとしても、こんな現実がまかり通っていることがお前には許されるのか。本には、ラノベには罪はない!」


「国重……僕は確かに、ゲライモを愛していた。だが、僕はあの時……」


「木ノ下……」


 振り返ったそこには、ローブを脱ぎ捨て、よろよろと跪く木ノ下の姿があった。


「あの時、お前が拾い上げていなければ、きっと僕はゲライモを踏んでしまっただろう……これは、僕のけじめだ。僕の罪を確かなものとするための儀式だ……だから、だから! それを渡してくれ!」言葉尻は激しかったが、その声は虫の鳴くようなかすかな叫びだ。両手を地面について、肩をふるわせていた。


 とはいえ今の木ノ下には、俺から腕力をもってゲライモを奪おうとする気概すらないように思えた。

「断る」俺は立ち上がり、毅然と応えた。そして木ノ下へと歩み寄ると、たき火の燃料となってしまった方の本の残骸をとりあげる。


 燃やしていたのは広辞苑だ。無残にもページの半分以上が破りとられて、もはや本としての体裁を保っていなかった。広辞苑に恨みがあった訳ではないだろう。広辞苑がこの世界を作り上げた全てが記された書物であっても、木ノ下は憎悪の炎をたぎらせ、復讐を誓うような愚かな男ではない。本を粗末に扱うことを是としない男だ。


 俺はくすぶる火を踏み消そうと、足を伸ばしかけたその時、


「やめろ! その陣の中心を踏むな、術式が起動する!」


 木ノ下は俺のズボンの裾を掴んで叫んだ。


「神によって生み出された人が意志を持つのと同じく、人によって生み出されたモノには意志が込められる。それは意識的でも無意識的でも、もれなくついて回る理。まして魂を込めて描かれた絵や詩、唄や物語は、制作者によって増幅された意明示いめいじが線や形、音や記号となって、保存されたモノだ。それらが破壊され分解される時、内包された指向性魔素が散逸し、人の魂の根源たる世界へと吸収される……ほんらいならば、だ。だが、この法陣は、分解し魔素となった世界の意明示を封じ込めるものだ。その中に対象物、すなわち俺が愛したゲライモを置くことで、ゲライモは広辞苑の意明示を纏い、取り入れながら分解、再構成する。術者は渾然一体となった魔素のるつぼに身を捧げることで、己が穢れた魂を滅却し、内的世界を再構築する事が出来るのだ。それは、過去の魔術師達が術式のテーマとしてきた“死と再生”だ」


 おおかた広辞苑による炎でゲライモを焼くことで、木ノ下が自身で作ってしまい自身を閉じ込めてしまった“限界領域”を印で結び、自らの意志を閉じ込めてしまおうと考えたのだろう。そうすれば何もかも忘れられると。永劫回帰の円環の理の中で転生を拒否し、固化することで、ただ時を刻むだけの存在たろうしたのだろう。


「そんなことをすれば……お前は」


「ああ、そうなれば僕はもう、元の僕ではいられなくなるだろう。だが国重、この世界で古の民が生きてゆくのは困難だ。僕はもう耐えられそうにない」


 木ノ下は絞るように俺の脚にしがみついた。


 俺はかがみ込み、木ノ下の背中をそっと撫でる。火傷をした手がわずかに疼いたが、些末なことだった。それよりも冷え切った身体を震わせる彼の心のほうがよほど痛いだろう。


「木ノ下、顔を上げろ」


 木ノ下は震えを止め、ゆっくりと涙に濡れた眼鏡面を俺に向けた。


「木ノ下。大丈夫だ……ゲライモは焼けずにここにある。よかったな……。焚書などで俺達の思いは消えん。何度文書が失われたとて、俺達の意明示はここにあるのだからな」俺はこめかみに人差し指を当てて、にやりと嗤ってやる。


「くっ……くっ……くに、し、げ……」


 華奢でひょろ長い腕が俺の首に絡みついてきた。俺は木ノ下の肩越しから、深遠なる夜空の闇を見つめていた。静かな夜だ。こんな闇の中で一つの魂が誰にも知られずに消えようとしていたのに、ただ星は瞬くだけで何も語ろうとはしない。神は人の行いを逐一気にかけるほど悠長ではないのだろう。


「よく頑張った……よくがんばったな、木ノ下」俺の胸のなかで泣きじゃくる男の頭を優しくなでた。「ここには俺がいる。俺は帰ってきた。だからもう心配するな」


 木ノ下は俺の肩でむせび泣いた。


 しかし俺達の熱い抱擁は、闇の向こう側から現れた声によって引き裂かれた。


「おいこら! お前らこんなとこで何してるんだ! 焚き火なんてしちゃいかんだろ!」


 小太りの作業衣を着た中年男。どうやら公園の管理人らしい。がさがさと茂みをかき分けてこちらに向かってくる。


 俺は木ノ下に微笑みかけ「さ、にげるぞ。立てるか木ノ下」手を取った。


 だが木ノ下は俺の手を振り払い「国重! ここは僕が食い止める。先に行け!」いきなり立ち上がって叫んだ。


「何を言っているんだ! 一緒に来るんだ!」


「ダメだ! 僕はお前と一緒には行けない! 国重! 文芸部を追放されても尚、この世界を救おうとするお前は勇者だ! 勇者国重だ!」


「っ……木ノ下」


 言いかけた俺を制するかのように、木ノ下は大きく息を吸うと、静かに淡々と呪文のように唱えだした。


「――ほんの、ほんのちょっとしたボタンの掛け違いから文芸部を追放され、罵られ虐げられ、蔑まれ、そして愛を失い自暴自棄になった国重はあの日、俺の手を振り切って激走してくるトラックの前に飛び出した。そしてこの世界に転生し、なんの不自由もない貴族の子息として晴れがましい人生をやり直すはずだった。だが、前世での国重の因果律は維持されたままだったのだ。あらゆる災厄はこの異世界で形を変え、国重を付け狙っていたのだ。そうとは知らず日々ハーレムに酔いしれる国重青年。ある日、そんな浮かれた国重の前に、賢者を名乗る眼鏡をかけた男が現れる。国重さん、そこにある魔法陣の中心に立ってみなされ。国重は言った。俺を誰だと思っている、俺は国重だ。これは転移魔法陣ではないか、まさか俺を拐かそうとしているのか! と国重は激昂し、貧弱な眼鏡をかけた賢者を殴り倒し、その魔法陣に火をつけて燃やしてしまったのだ!」


「木ノ下ぁあっ……だぁからっ!」


 だから、お前も俺の名を連呼するんじゃねぇよ。


 ちょっと続きが気になる展開ではあるが、そうも言っていられない。公園の管理人は今にも木ノ下の腕につかみかかろうとしていた。


「木ノ下!」


「国重! 行け! 火をつけたお前は、その後この世界で災厄の咎人として追われることになるんだ! お前の心中には再び黒い霧が立ちこめる。文芸部を追放されたあの時と同じように! 憎き文芸王を打倒するために悪魔と契約をし、力を手に入れる! さあ、国重よ、行け! そこの茂みに隠している木靴を持っていけ! それを使えば意志が示すままにお前をどこにでも運ぶだろう!」


 もちろん、茂みを探すなどということはせず、一目散にその場を離れた。


「うわーうわー」と背後で木ノ下の悲鳴が上がった。だがもう振り向くまい。友よ、さらばだ。お前が託したこのゲライモを俺は必ず守りきってみせるぞ。



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[一言] お久しぶりです。 私はまだまだ書けそうにないですけど…。 読むのは好きなので、また見に来ます。 この作品も切り口が斬新。 桐生先輩のグラスの表現なんかもグッと来ました。
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