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4-1 我が文芸部員たる者がラノベを本であるなどと認識していたことが問題なのだ

 涙と唾液でベタベタにした十万円相当の厚みの封筒を口にくわえ、ロープで拘束された俺は、カウンターから閉店した店内に引きずり出された。


 まるで紙くずが詰まったゴミ袋のように軽々と投げられた俺は、リノリウムの床に頬をこすりつけながら滑り、店内の入り口付近で止まった。


 次いで、どかどかと足音を立て、数人が店内に入り込んでくる様子が感じ取れた。


 満足に確保できていない視界の中で、蛍光灯の明かりを背に、シルエットのみとなった店主は仁王立ちをしたまま、


「オウ、こっちの用は済んだぜ。後は好きにしな。あんたらから聴かされなきゃ、俺はこのクソ野郎を神輿に担いだ笑い者になるところだったぜ。やれやれ――――ま、嬢ちゃんの役に立てたのなら、文芸を愛する者としては本望ってとこだな」


 そして、お馴染みのがははと、満悦したかのような書店店主の笑い声が響く中、俺の意識は疼痛と混乱で思考停止に陥りかける。


 だが――、


「かたじけない店主殿。こたびはお手を煩わせてしまいましたな」


 女の声だ。もうろうとする意識の中で確かに聴いた。


 ああ、忘れるはずがないこの声。


 桐生幸子!


 カッと目を開き首を持ち上げかけた俺だったが、即座にこめかみを靴裏で押さえつけられた。


 じりと踏みしめられ、ソールについていたわずかな砂粒が目尻に転がり込んできて、すぐに視界を確保できなくなった。


「国重先輩……いや、国重。貴様ごときが単騎で我らの追躡ついじょうから逃げおおせるとでも思ったか。貴様がここへ俸禄ほうろくを受け取りに来る事は予測できていた。我らはあらかじめ店主殿と連絡を密にし、網を張っていたのだ」


 なんということだ。文芸部が俺を追っていることを店主は知って、報酬を餌に連絡を入れてきたのか。つまり、目の前の大金に目がくらんだ俺はのこのこと誘い出されてしまったということか。


 それにしてもこの執念深さと組織力は一体何だ。それに俺をどうするつもりなのか。


「貴様は罪を贖わねばならん」


 罪だと……俺が犯した罪などない。ゲライモを所持していたという事実が証明できない限り疑惑でしかない。それに法律上は未成年である限り、直接的に裁かれるような罪には相当しない。


「ほう? 出るところに出てもよい、とでも言いたげだな?」


 さすがの観察力だ桐生幸子。床に伏せた俺の横顔から思惑を読み取るか。


「ああ、所持していただけでは司法が俺を裁くに至らん。そもそも所持していた証拠すらないのだからな。それよりお前達のしていることは私刑だ。自力救済は現代の法律では固く禁じられている。そんなものが認められているのは、お前の大好きな時代劇の日本か、秩序が崩壊した世紀末世界くらいだっ!」


 桐生の靴が離れた。どうだ、ビビったか。お前らが法を盾にするなら、こちらとて抗する材料はいくらでもある。店主に至っては傷害罪で訴えることだって出来る。


「フッ……ははは。面白いことを言う。面白いことを言うな……面白い、実に面白いぞ……くぅうううううううううにしげぇええええええええええええ!」


 桐生はかがみ込んで俺の横顔を睨み付けているのだろう。


 その息や唾が頬にかかるほど近くで、地獄の鬼の如き醜悪な罵言が俺の鼓膜を震わせる。


 正直ビビったのは俺だ。そして考えを改めた。この狂信者集団に法など通用するものかと。


「何か勘違いしているようだな――貴様が犯した罪はそんなものではない。ラノベを持っていたかどうかなど問題ではない。貴様は文学賞受賞作家でありながら、ラノベを本と認め救済したのだ。我が文芸部員たる者がラノベを本であるなどと認識していたことが問題なのだ。その思想を貴様は隠匿し、あまつさえ私までをも欺いた。そして純粋に文学を愛して止まぬ店主殿の主催する賞を穢したのだ。その裏切り――法で裁くには有り余る罪行よ。よってここに我らの手により天誅を下す!」


 俺は逃げられない。


 そして殺される。


 相変わらず目を開けることが出来ないが、周囲を取り巻いている数人の人の気配は、おそらく一年生部員だろう。隙をついて店外に飛び出すことも出来ない。それにいざとなれば、筋骨隆々の武器屋のおっさんが俺を取り押さえる準備だってしているだろう。


 万事休すだ。


 ファンタジー規制法が敷かれた先が、こんな世界になってしまうなど誰が想像できただろうか。いま、青少年の読者層はラノベの一群を本としては認めていない――いや、認めることが出来ない。


 ファンタジー規制前にラノベ作家であった者は、規制を逃れるために無理矢理執筆スタイルを変え、正統派文学路線へと変更。しかし、それが徒となって自滅した。


 最初の一年はまだ抵抗するラノベ作家も多くいたが、売り上げ不振に陥れば、並のラノベ作家など即座に打ち切られる。出版社もいらぬリスクは背負いたくないからだ。


 そうして残ったラノベ作家は執筆スタイルを選ばない大御所か、あるいはゲライモの作者のような多数の熱烈なファンに支えられた作家だけだった。それがどれだけコアなことか解るだろうか。


 実質ラノベは文壇から追放を申し渡されたのと同義であり、ラノベを書く、読む、という行為は、本を読む、書く、という行為とは一線を画されたのである。


 このわずか二年の間で、ファンタジー規制に絡め取られた高校一年生の俺が抱いていた、十八歳からのラノベ界への復活という淡い思いは、あまりにか細い蜘蛛の糸のような希望となっていたのだ。


 絶望だ。もはや何もかもが絶望だ。


 部室で小山田や木ノ下、三条らとふざけ合っていた日々が懐かしい。


 そして桐生先輩に叱咤激励御指導御鞭撻をうけた日々が懐かしい。


 あの類い希なる知性と実力をその変態性に注ぎ込んだ天才。


 経験はなくとも泡のように沸き立つ想像力で現実をひらりと躱す超々腐人。文壇のお偉方も唸らせる確かな筆致は、人を狂わせ、永劫不治の中二病へと罹患させてしまう。


 胸はなくとも、強力な統率力と包容力で俺達部員を導いてくれた原罪の担い手、原罪的オリジン・オブ中二病罹患者純血種・ファンタスティック・ピュアブラッド、桐生洋子先輩。

 とめどなく涙がこぼれてゆく。


 今この絶望の世界に目を開くことが幸か不幸か、もはやわからない。だが、涙のおかげで目に入った砂粒が流れ、ぼやけた視界が開きかけていた。


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