16-2 きさまきさまきさまきさまきさまきさまきさまきさまきさま
ま、なんだ。
今俺は、向かいからテーブルを飛び越えてきたハゲオヤジに、襟首を締め上げられている最中なんだけども。
「きさま、きさまきさまきさまきさまきさまきさまきさまきさまきさま、暗黒センセイに失礼が過ぎるぞ! きさまはファン暦何年だ、ええ? 私はな、小説サイトの時からの読者だぞ、それを気安く……貴様、ここにきて暗黒センセイと肩を並べたつもりでいるのかもしれんが、思い上がりだ! 貴様にはそんな実力はない、たまたまだ! 往年のラノベ読者を舐めるなよ……! ワナビ歴五十年の私からみれば、お前などひよっこ。私は日本でオタク文化が萌芽したその時の、生き証人たる男だっ!」
と、まあ、こんな感じで、痛々しい脂ぎったオタク第一世代のおっさんに詰られてるのだ。
しかしまぁ、オタクというのはどこにでもいるのは、今や公然の事実であるけども、オタクと親和性の高いラノベ愛好者、とりわけワナビと呼ばれる、“諸般の事情から小説家になりたいけどもなれないでいる、(実力はある)作家を自称する人々”の多さには、今更ながら驚かされる。
まあ、それにはある程度想像がつく。
同じクリエイター系のオタクにしても、モデラーや漫画家、イラストレーターや楽器演奏は、技術や才能がまず突出した者が開眼するカテゴリーであり、凡人は触れようともしない。
ところが、小説となれば、想像したことを文章化できればいいだけではないか、等と安易に考えてしまうところに、自称小説家予備軍補欠候補見込、みたいな輩を量産する素地がある。
無論だ、想像したことを文章化できればいい。小説家がやっていることはそのくらいのことだ。
だが、問題は、そのお前が想像したことが本当に面白いのか、そして想像したことを本当に表現できるのか、ということであり、小説作品はまるで面白くないけどもイメージの着想にだけ利用されて、アニメが大ヒットしたケースもあれば、小説は素晴らしいけども世界観だけを利用されて改編された結果、映画が大ヒットしたなんてケースもある。
ラノベ作家にとって最も幸運なケースは、小説作品に上手くメディアミックスしてくれるプロデューサーがついたときだろう。それは結局のところ歌の上手い歌手が、業界で力のあるプロデューサ-の目に留まるようなもので、望んで得られるものではなく、やはり作品を見極める慧眼を持つ者は、人気が上がるであろう作品を、ちゃんと売れるように導く能力を有している。
でなければ、プロデューサーなど詐欺師だ。
賞を取らない者、評価されない者、箸にも棒にも引っかからない者、小説サイトでうじうじと燻っている者、どこにも出さないままひたすら原稿用紙を書き溜めている者、全員、自分は小説は書けている、人並み以上に文章は書けている、と考えているあろう。
そのとおりだ。
だが君たちは所詮小説家ではない。
ただの、小説執筆愛好者なのである。
「ふふ、長官……よいのですか、そんな暴虐を私にはたらいても?」
金津園官房長官はピタリと手を止めた。
「今この国にとって私が必要なのではないのですかな? ふむ――金津園君はことの重大性がいまいちお判りでないようだ。次期首相の椅子……欲しくはないのかね?」
俺は金津園が掴む手を払いのける。
「わ、私は……私欲を棄てて国益……いや、国民の幸福のために、この天命を全うすることこそが、私がこの世に生まれ生きる第一義と考えているのであり、首相の椅子などと……」
「ほう、金津園氏は名声になど興味はないと? 一介の政治家として名をあげることなどなくともよいと? 国家の危機を救った名君の陰の立て役者として、ひっそり静かに、このまま政界を去って行ける程、殊勝な器であると? いやはや、全く恐れ入る。私は崇敬の念で胸が満たされるよ」
「い、っや……私とて政治家の端くれ、夢がないなどと言えば嘘になる。今は薄野総理と橋頭堡を共に築いているとはいえ、それは国策を優先してのことであり、実際は、私と総理のお考えには、わずかながら擦り合わせられない齟齬はある。私は無論自身の理想とする治世があり、その夢を実現し、民草を幸福へと導きたいと常々かんがえておるのであり……」
「私なら、出来るんだよ……カナちゃん」
何が出来るのか解らんが、とにかく今は俺が必要とされているらしい。国家レベルで。
「は……」
金津園を遠ざけるようと、組んだ足先をふらふらと振った。
「ところでカナちゃん――――私の靴を舐めたいだろう?」
金津園は慌てて跪き、俺の言う通りに靴を舐め始めた。
本当は吉原女史にさせたかったが、致し方あるまい。彼女からは事情を聴かねばならん。
「よく聞いて、国重君。事は君が思っているよりも随分大きな問題なの―― 」
彼女の言った“政略兵器”、政府内でも便宜上そのように呼んでいる。大陸間弾道弾や戦略爆撃機に代表される戦略兵器、銃砲や刀剣、地雷などの戦術兵器とも違う、政略という字面から政治的な策略的外交施策とも考えられそうなものだが、それも違う。それは外攻性の兵器なのだという。
そして吉原美奈子こそがその、政略兵器のオペレーターであったのだという。
「この国がまだファンタジーへの規制を敷いていない時期のこと、憶えているかしら」
「もちろんです。テレビでは四季を通じて何十本もの新作アニメが制作され、週間単位で漫画単行本は出版され、昼夜を問わずあらゆるサイトであらゆる創作者が、玉石混淆とはいえ、日々物語やイラストを量産していました。僕らがそれらを消費するスピードよりも、早く、多く。そうして物語たちは飽和して、創作世界はデフレーションを起こしていたと言ってもいいでしょう」
「そうね、そのため個々の物語の価値が下がった。一つに深く真摯に向き合うよりも、複数を並列処理して取捨選択をしてゆく。その結果最終話まで視聴、あるいは最終ページまでを読み終え、消費された物語だけが及第とされ、あるいは称賛された」
「完結させられたら、それでよいのかって話になっていましたよね。最後まで読むに耐えるだけの整合性をとれている物語は自動的に評価された。当たり前のことなのに」
異世界転生もののラノベが増えすぎ、供給過多になった結果、原作未完が多くなった傾向だ。初速のインパクトだけで数話を乗りきる物語は珍しくない。だがそれは初期段階で読者の心を掴むためであったとしても、後に初期設定が生かされなければ、単なる客寄せパンダでしかなかった、という事実を露呈する。まさにパッケージ詐欺である。
物語のテーマは、初期段階で語られねばならないし、序章が掴みであるなら、それは揺らぐことのない物語のメインフレームなのである。
それが、いつ終わるともしれぬストーリー展開、創造性のないお仕着せエピソードの羅列、マンネリ化のたびに新しいキャラクターの追加。そのうち最初に決められたはずのテーマらしきものだった設定がなおざりにされ、キャラクターが人格をもち、ただひたすら好き勝手に日常をこなしてゆく大家族ドキュメントに成り下がる。
そうしていつしか物語は求心力を失って忘れ去られ、霧散していった。
「それでも俺たちは、物語デフレの荒波を越えて、宝島を目指そうと思ってたんですよ。それはいけない事だったのですか?」
「いいえ、あなたたちは何も悪くはないの。ただ、生み出された物語を無下に価値なき物としてゆく社会に問題があったの。政府はその流れを断つために、ファンタジー規制法を敷いたのよ。
ファンタジー創作物は無限の可能性を秘めるからこそ、無限に話が生み出される。それは必然的に、物語のアイデンティティ軽視に繋がり、作家リソースを無駄に消費し、滅殺してしまうことになると考えた。同時にそれらのリソースが国外に流出することを恐れた」
「……つまり、作家と物語を守る為に?」
「ええ、ブレーキをかけた、といってもいいわね。元々は時限法だったのよ。加熱しすぎた業界を冷ます為にと考えられた」
金津園は、美奈子と俺の会話に一切口を挟むことなく、ただひたすら俺の靴を舐め続けていた。スニーカーの布部分から染みこんだ奴の唾液で、すでに俺の靴下がびしょ濡れだったが、そのくらい金津園が総理大臣になりたいということは判ったし、美奈子の言っていることは嘘でも何でもないという証といえた。
「その流れで、純文学礼賛となったのはわかるわよね」
「ええ。でも、それでも、ラノベにまつわる事柄を軒並み軽犯罪並みに取り締まったり、それで生活や人生を破綻させた人も多かったはず。やはりどうかしていますよ」
「いきすぎた感はあったわね。それは今までラノベブーム、メディアミックスに押されていた本来の文壇勢力の恨みつらみも有り、カウンター的に過激化していった経緯があるのよ。政府与党内でもそもそも二次元のオタクメディアに対して否定的な態度が多かったし、本当に青少年の健全育成に害悪であると主張する派閥や、そっち系の市民団体の後押しもあったのよ。
なによりオタクなど一人二人殺したところでその十倍はいるのもので、レッドリストを危惧するまでもないという楽観論が、全体の空気に流れていたわ」
向かいのソファに深く腰掛けた美奈子は、四つん這いで俺の靴を舐める金津園の背中に、まるでオットマンのように、ピンヒールのままの足を預けた。
幾分、長官の表情に悦びが増したような気がする。よかったな、カナちゃん。
「なるほど、意趣返しだった、というわけですか」
「そういう側面もあった、ということよ。かといって単なる政治でもない。本質はそこじゃないわ」
「せいりゃく、へいき……ですか」
「ええ」




