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15 ありがとうございました、おせわになりました

 白鳥が部室であの告白をしたことにより、部員達への求心力は急激に白鳥から失われ、後輩部員達は言葉なく呆然と立ち尽くしていた。


 当然だろう、白鳥茜のやったことはゴーストライティングどころではない、作家生命を無に帰してしまう最大タブーといってもいい、盗作である。


 それが、当の本人が、すなわち生前に白鳥晃の許可を得たものであったとしても、自身の作品として発表するのは反則だ。


 もはや部が存続できる気もしなかった。部室の中心で泣き崩れる白鳥を慮る者もいない。あの桐生幸子ですら、苦虫をかみつぶしたような顔で立ち尽くすのみだった。


 そこへ、ザ・レジェンド・オブ・OG、桐生先輩が割り入り、大人なりの先輩作家らしい見解で場を収めかけたとき、突然開いた部室のドアが、その長すぎる痛切な情況を破った。


 部室内にいた皆が、その全く空気を読まないドアの勢いに目を向けた。


「へいへいへい、なんだよ、しみったれた空気してるじゃネェの。相変わらず文芸部は暗いねぇ!」

 テンション高めで部室に入り込んできた金髪グラサン、アロハシャツの闖入者。肌は小麦色で健康的な白い歯を見せる笑顔は、俺達文学青少年少女とは最も縁遠い人種に思えた。なんなら隣の“ナンパ同好会”と部室間違っちゃいないかと。


 だが、その思い込みは桐生先輩の一言「おう、アキラではないか」で覆され、俺達は膝の関節を砕かれたようにずっこけた。


「ちぃっす、桐生パイセン、お久しっス! 白鳥っす! まだ文芸部にいたんすか、ひょっとして留年んんん~? なんちって! てへぺろ!」


 察しのいい人間ならこれがなんなのかは判ったかもしれないが、こと純朴な文学好青年の我々は、こういうストーリーラインを望んではいなかったのだ。そして認めたくもなかった。


「お、お兄さんは、死ん……!」と言おうとした桐生幸子を掌で制したのは、洋子先輩だった。


「いやあ、遠征でね、暫く日本に帰ってこれてなくてですねぇ。で、どーも日本じゃ茜が随分有名になってるって噂聞いて、ビックリしちゃいましてね、で、かつての古巣の様子を覗きに来たわけ、あっはっは――っておろ? 茜なんで泣いてんの?」と、男はサングラスをずらして、部の中心でへたり込む白鳥茜を指さした。


 そう、この脳天気な男こそ、白鳥茜の兄、白鳥晃その人である。


 純文学に情熱を燃やした当時の理知性の片鱗を一片も残さず、世界を股にかける波乗り男となった、元文学青年。ペンを棄て海へダイブした早熟の天才作家、そいつは諦めるのも早すぎた。


「いやいや、 ホラ、俺ってさ、ご存じのように波待ちするくらいならパドリングして波を捕まえにいくほうがいいってゆーかぁ、待つってのが苦手なもので! 文学って来る波に乗ってナンボ、っての? 自分の意思で狙うのは難しいじゃん? あ、そうそうこの前沖に行きすぎて漁船に漂流者と間違われたよ! あっはっは!」


 ここに居る誰もがあなたのことなどご存じでも何でもないのだけども。


 才能はあっても向いてなかった、という典型的な例と言える。人格これにして、あの作品だ。人とはよくよくわからないものである。確かに白鳥茜が言ったように、晃は筆を折り、海へと向かって――プロサーファーになった。


 非合法であったとしても、この兄の才能を世に出したい、と考えた妹の気持ちも分からなくはない。桐生先輩が考え、咄嗟に制したように、ギリギリのところで真実を告白しなければよかったのかもしれなかった。


「ええ? オレの小説ッすか? 茜が欲しいって言うからあげましたよ、茜の名前、ペンネームとして使ってましたし。なんとなくホラ、中性的っつーの、そういうの好きじゃん、オタクはさ――え、マジッすか? 本がバカ売れ? 賞まで取って? あっはっは、そりゃよかったちゃんじゃね? 俺達きょうだい、波に乗っちゃってるんじゃん? いえい!」


 そう言って晃さんが掌をオレに向けるもんだから、よく判らないまま、真似て右手を挙げたらハイタッチされた。


「あ、オタクもしかして茜のカレシ?」


 ――ちがいます。オタクって指さすな。


 ま、そんなわけで、白鳥晃のおかげで一連の騒動が鎮まり、それぞれが元の軌道上に戻ろうと、溜息と共に複雑な笑みを漏らしつつ、三々五々散っていこうとしていた時だ。


「ところで廊下のいかつい人達は誰ちゃん? 出版社の人かい?」


 よくよくこの白鳥兄は頭が沸いていると思った。


 わざわざ制服の警察官を従えて俺を迎えに来る出版社の人達がいるわけなかろう。


 いかめしい顔した、刑事とおぼしき中年男性が、警察手帳をさっと取り出して掲げる。


 銃こそ向けられなかったが、この時ばかりは覚悟をした。俺は逃走中ファンタジー規制法下の世界を散々荒らした咎人なのだ。ついにお縄となってももはや仕方がない。過失も誤解も一つたりとして無く、全ては事実、企図的に全て俺が一人でやったことだった。


 俺の手元に作品はなく、もはや部に戻ることもゆるされず、もはや天才作家白鳥の庇護も受けることは出来ない。そもそも、学校側が俺を守る理由もない。


 俺はすがすがしい気持ちで両手を頭の後ろにやった。


 散々俺のことを逆賊として追ってきていた後輩部員達は、少々呆気にとられていたように見えた。まさか本当に逮捕されるなどと、考えもしなかったという風に。


 木ノ下は狼狽え、突然外したメガネを拭きだし、小山田は自身の股間を懸命に押さえていた。三条は背を壁に預けると、何も言わず野球帽のつばをおろしながら俯いた。


 そして桐生先輩は長い髪をかき上げながら、俺を見て微笑んだ。それはこれまでにないほどの慈愛に満ちた微笑みだった。俺はそこで涙が溢れそうになって顔を背けた。すみません洋子先輩。俺、あなたの元に居られたこと誇りに思います。


 俺は彼らを見届けて、三年間を過ごした文芸部に背を向けた。


 ありがとうございました、おせわになりました。


 閉じられる扉の向こうで「国重先輩!」と叫ぶ悲痛な声がしたが、たぶんそれは俺の願望が作り出した幻聴だろう。


 最後の最後まで未練たらしい男だな、俺は。


 そうして、地元警察に連行された末、校門の外で内閣特務室とやらのシークレットサービスに引き渡され、仲良く腕を組みながら最寄りのヘリポートへ。


 そして今別室にて、頭頂部の禿げ上がった内閣官房長官と膝をつき合わせるようなことになっている。


 今まで座ったことのないような豪奢なソファに促され、ガラステーブルを挟んだその向こうに、吉原美奈子、そして官房長官の金津園が座っている。


「ところで君は先生・・とはどのようなご関係なのだろうか」


 妙なことを訊くものだ。吉原美奈子が先生なら、そりゃあ俺は生徒だろうよ、何いってんだこの石鹸の香りがしてきそうなオヤジは。


 官房長官まで務めるということは、おそらくは優秀な人物なのだろうが、こうして近くでみてみれば、背も俺とさほど変わらないしょぼくれた初老のハゲオヤジにしかみえない。ただ、首相をはじめとした周辺の閣僚どもとは違って、俺のことを訝るような視線を向けていなかった。唯一そこだけは親近感を覚える。


「ここだけの話、私はね、先生の大ファンなんだ。ここじゃ大きな声では言えないけどもね」金津園は小声で俺にそう告げる。


 現内閣官房長官のおっさんが一地方都市の元マドンナ高校教師の大ファンである――そんな事、週刊誌にでも話してみろ一撃で失脚するだろう。

 

 俺はそこで得心する。


 フッ……なるほど。先生とは、そちらのセンセイか。

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