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11 俺はっ、十八になったんだ! エロ本もエロビデオも自由に見られる年齢なんだぞ!

 くっくっく、と桐生先輩は笑いながら三階への階段を昇っていた。


「傑作だ。貴様らはやはり逸材だな。私が見込んだだけのことはある。――当然小山田の出番もあるのだろうな?」


 一段上るごとにひらひらふわふわしたワンピースの裾が揺れる様を見つめながら、「ウチは隠し芸同好会じゃありませんよ」と、苦言は呈しておいた。


 だが、さすがに、俺も笑いをこらえることが出来なかった。


 あまりに愉快で、あまりに痛快で、俺の心はあのバカどもに対する誇らしさで一杯だった。

 

 文芸部室のある四階への階段途中の踊り場まできた時、俺達は制止させられざるを得なかった。予想に違わず、桐生幸子の配下の者だろう、一年生部員が階段室と廊下の間にバリケードを組んで、待ち構えていたのだ。


「国重某! ここから先には一歩たりとも進ませぬ!」


 一年生部員の代表なのだろう。顎まで伸ばした前髪で、顔の半分が隠れるという陰気ななりの男子生徒が声を張り上げる。名は覚えていない。


 まあ、俺もなにがしなどと呼ばれているようだが。


 椅子と机を組み合わせた簡素なバリケードであったが、その隙間からは幾本もの竹槍が突き出ていて物々しさは半端ない。その上何のおまじないなのか、椅子や机にはかつての巨匠、文豪達の純文学作品がずらりと敷き詰められている。


「なんのつもりだ……」


 まさかドラキュラに十字架よろしく、俺達が純文学作品そのものに、物理的に触れられない体質だとでも思っているのだろうか。


「ほう、攻城戦だな」桐生先輩はニヤニヤと嗤っている。


「東側の階段に回りますか?」


「同じ事だろうな」


 桐生先輩は一歩ずつ、ゆっくり階段を昇りながら、張りのある声で告げる。


「我が名は桐生洋子。貴君らの主である桐生幸子の姉である。こたび訪れたるは我が妹へ当家より預かりし信書を届けに参った次第。矛を収めその門を開き、我らをお通し願いたい」


 要するに郵便物が届いていたので届けに来た、という感じだ。理由は何でもよかったのだろうが、桐生先輩は楽しんでいるのか、彼らのノリに合わせているようだった。


 階段室を通り抜ける清涼な風が、ワンピースの裾を持ち上げ、はためかせる。踊り場に立っていた俺は思わず、そのベールの奥にある艶めかしい大腿に目を向けてしまう。


 その瞬間、まさか俺の思惟を読み取ったのか、先輩がちらと振り返り、俺のことを俯瞰した。


 先輩、俺は見てません。そして見えてません。


 さて、熱心な貴兄諸氏に至ってはご存じのことだと思うが、改めて説明しよう。


――――階段が設置される建築物において、下階床面から踊り場、踊り場から上階床面までの角度と高低差は厳密に建築基準法で定められており、特に学校などの公共施設においては、多くの人々が安全かつ快適に使用出来ることを求めた結果、一般住宅よりも緩やかな三十度前後が採用されている。しかし、この角度が採用されるにはもう一つの理由がある。階段の最下段から最上段を仰視したとしても、あらゆるスカートの中、すなわち下着暴露の絶対防衛ラインは越えないよう考慮されているのだ。たとえば、丈の長さが三十二センチのミニスカートをはいた女性がいたとする。それはウェストラインから股までを二十五センチと想定し、差し引き股下七センチまでのスカート、すなわち世間一般に流通しているミニスカートの範疇である限り、――ボディコンシャスなバブルのお姉さんや露出狂が愛用する特殊超ミニスカートでもない限り、――そしてエッチで悪戯な風が吹かない限り、――けしてその中身を露呈させることはないということが幾何学的に証明されているのである。


 無論、最下段にいる者が一般的な視野と視点を持っているという前提ではある。


 従って、


「小山田……なにをしている……この、ド変態め」


 背後の踊り場でトドのように寝転がって、最上段域に足をかけようとしているスカートの女子を仰視すれば、簡単に“下着防衛ライン”を突破する事が出来る。


「クッ、失敬な! 国重、そこをどけ! みえんじゃないか!」トド小山田は今にも噛みつかんとするかのように、腹ばいになったまま不自然に首を起こして叫んだ。


「見せもんじゃねぇンだよっ」俺は小山田の頭を踏みつけた。


「おっおっ、俺はっ、十八になったんだ! エロ本もエロビデオも自由に見られる年齢なんだぞ! パンツぐらいどうだっていうんだ! 今までは年齢制限の壁に阻まれて出来なかったが、もう言わせないぞ!」


 マジかこいつ……かつてパンチラの偶発性を求めたエロチシズムは時限性のものであり、これからは堂々と覗き見るというのか。やはり恐ろしい男だ。


 勇者になれずダークサイドに墜ちた冒険者とは彼のような男を指すのだろう。


「ところで小山田。折り入って頼みがある」


「フン、俺が素直にお前の頼みをきくと思うのか。かの一件で貴様との確執が精算されたとでも思っているのではないだろうな?」


「いや、思っていないし精算する気もない。おまえとは一生軋轢を残し続けてもいいと、俺は心から強く、そして激しく思っているッ!」


 その時の俺は、燃えるような目で小山田を見下ろしていただろう。


 だが奴は身を起こすとフッと鼻で嗤い、「そうか、永遠のライバルという訳だな」と、下段から俺を見据える。


「フッ、小山田よ。そういう言い方もやめてくれ、誤解を生む」


 

 俺達は竜虎のにらみ合いのような構図で対峙していた。互いの鋭い視線は電極のごとし、二人の間にプラズマがはじけるような錯覚を覚える。


 しばしの間、緊張を伴った沈黙が流れた。一触即発、じとりと汗ばんだ視線は絡み合い、互いがいつ動くのか、瞬き一つで勝敗が決すかのように牽制を続けた。


 俺は今まで小山田との数々の衝突を思い出していた。


 時には手が、足が出てしまうことだってあった。


 小山田は自他共に認める変態だ。しかしそんな男に、何故わざわざ俺が食ってかかっていたのか――いや、俺は変態的発言が過ぎる小山田という男を窘めていた。


 それは文芸部が変態の集合体である、などと吹聴されてはたまらないから――俺にはその義務が、責務が、役儀があると信じていた――いや……しかし……本当にそうなのか?

 

 俺は想像上にでも妹を作ったりはしないし、ましてそれらと性的な関係を結ぼうなどとは思わないし、そのあまりに切実なプライヴァシーを臆面もなく公言したりもしない。


 俺はしない――断じて。俺は、しない――俺は、でき、な……かった。

 

 やがて、緊張は極限に達し、臨界を迎えるかに思われた。


 しかし、俺達はどちらからともなく微笑みを漏らした。


 なぜだかホッとした。


 にらみ合い、反発しあうよりも、それは自然に感じられた。


 俺は、どこかで奴のことを羨んでいたのかもしれない。なんの躊躇もなく自身の恥部を晒す気骨に、どこかで惚れていたのかもしれない。それが嫉妬という醜い激情となって、さらにそれを包み隠すために、正義の面を被り対峙していただけなのかもしれない。


「――では同じ罪を背負い、共に歩むか」そう言って小山田は立ちあがり、一年生部員が陣取る階上のバリゲードを見上げた。


「――ふッ、もとより俺達は罪人だろうが」応えるように俺も首を持ち上げて嗤った。


 そんな俺達のことを、桐生先輩は階段の最上段から仁王立ちで見守っていた。


「貴様ら、はらは決まったか」


 俺達は無言で頷き、一段、そしてまた一段と階段を昇り、文芸部一年生の固める砦へと近づいてゆく。


「ふっ、副部長! いままでどちら……いや、違……あなたは、もはや部長により除名されたダークサイダー! 原罪的中二病罹患者オリジンオブファンタスティツクめ! この期に及んで神聖なる部室になんの用か!」代表の一年生部員が小山田の姿を見つけて、バリケードに駆け寄ってきた。


 小山田はそれに介せず、ゆっくりと階段を昇ってゆく。


「そっ、それ以上近づく事は許されません! たとえ一度は純文学に関わった身とて、白鳥様のご加護から外れたあなたに、このバリゲードを越えることは出来ません! 触れた瞬間浄化されてしまいます!」


 いくら小山田でも、その警告を本気にしたわけではあるまいが、彼は立ち止まった。そして制服のズボンに手を突っ込み股間をまさぐると、ふやけて元の二倍くらいの厚みになっているであろう文庫本を取り出した。


 それはラノベ――、しかも特級禁書イモダイ


「小山田……貴様、そんなところに……」


 かつて法規制の際、没収を逃れようと部室の整理をし、桐生先輩の部屋へと備品の蔵書を移したのだが、どうしても小山田の愛読書「イモダイ」だけが見つからなかった。


「そう、あの時から俺はこの本を肌身離さず持っていた。時に女子から繰り出される金的攻撃から命を守ってくれた頼もしい相棒だ」


 まさかだった。


 所持が許されない本をこの二年間ずっとパンツの中に隠していたなどと誰が想像するだろうか、いや誰もしまい。


 いやいやそれより、女子から受けた金的攻撃って、小山田一体何処で何をした!


 しかし俺の思惟を余所に目の前には修羅場が展開していた。


「そっ、それはぁあああ!」と、一年生部員は驚愕の叫び声と共に表情を凍りつかせていた。ほかの部員三人も鉢巻きをした顔で戦慄わななきながら、バリケードを離れ後ずさりを始める。


 まるで十字架を恐れる吸血鬼の如く、か細い悲鳴を上げながら次々とその場を引いてゆく。


「ふ、ふくぶちょお! やはりあなたは! ――――は! そうか、あなたは既にそちら側にいってしまった……過ちを犯してしまったのですね! あ、悪魔ぁあああああああああぁめぇええええ!」


 小山田はその問いに応えない。そりゃあそうだろう、元からこうだったんだから。


 小山田は全く動じることなく、ラノベのページを開き、音読しはじめた。


「突然『きゃぁああああ』と、女の子の悲鳴が聞こえた。大変だ、何が起きたのか。


 俺は辺りを見回した。どうやら事故のようだ。道路の真ん中で停止している大きなトラックの周りに人垣が出来ている」


「ふ、副部長! な、なにを……」


 真剣な声色で読み進める小山田に対して、部員はだらしなく口を開いたまま硬直している。


「――『ドガシャーン、ガラガラ』『うわー』人々は叫んで絶叫し、逃げ惑った。空が落ちてくるような音の響きが空に響き渡った」


「――俺はこの非常識事態に、昨日食べたオムレツの、ことをなつかしく思い出していた。なんてことだ俺としたことがそんな重要なことに、気をとられている間に、逃げ遅れてしまったんだ。そこに現れたのは緑の髪に紺碧の白い肌をした美少女であった」


「――非常にもったいないことに目見・・麗しい僕の妹はフルフェイスヘルメットを被るといって憚らない。なぜならば『顔さえ隠れていれば何をされても平気だから、きゃぴるん!』と無邪気に笑うのだが、俺としてはハアハアした白い息でヘルメットシールドが曇る様が耐えがたくけしからんのである」


 文芸部の一年坊は息を荒げ、顔面蒼白になり指でこめかみを押さえだした。また一方の部員は目を見開き、「きゃ、きゃぴるん……! ふっあぁあ……」と呟くと、冷や汗を流し出した。その背後では既に倒れて動けない女子部員もいる。


 小山田が朗読するラノベは、八年前にアニメ化し、大ヒットを飛ばしたイモダイこと、『妹の私が言うんだから大丈夫っ!?』というタイトルからしてどのような発音で読むべきか迷う、文体崩壊ローファンタジー小説。小山田の創作原点であり、小山田の特殊性癖の源泉であり、元ネタであり、小山田のバイブルとでもいうべき作品である。


 無論文壇からは相手にされず、成功者を妬むワナビ達からは、中学生以下の語彙力と、外国人旅行者以下の文章力だと罵られた。


 ただ、斬新な発想と展開は当時話題になったし、ラストに向けた怒濤の伏線回収には誰もが舌を巻き、謎を残した破廉恥なラストは様々な憶測を呼び、二十一世紀最初の社会問題とまで言われ、教育委員会でも相当問題になった。


 結果、非難囂々のさなか、テレビアニメ、劇場版共に大ヒットして、キャラクターグッズの売れ行きは過去最高記録を更新し、特にフィギュア関係は未だに新規モデルが造作され続けている。


 この分野だけで比べれば発表された時代が早すぎ、アニメ化、メディアミックスの波に乗れなかったゲライモは完敗している。もちろんこれだけの成功を収めた作者は、ちょっとした番付長者となった。


 これをして“ラノベに文章力などいらない、面白ければいいのだ”という風潮が流れ、“これなら俺でもいけるかも”と、皮肉なことに有象無象の小説執筆者が一気に増えるきっかけとなった。無論、小山田もその一人だ。


 言わずもがな、当時出版氷河期に陥っていた各出版社もこぞってこの波に乗り、作家達の手により類似する構造を持った作品が次々と量産コピーされていった。プライドもポリシーもあったものではなかったが、出版社は話題にさえなれば良いという姿勢なのだから、何を失おうが、何を落とそうが、何処が燃えようが、それはそれで売り上げに繋がったのだ。


 実際この時に誕生したのが「少女フルヘルもの」という、少女にフルフェイスヘルメットを被せる変態カテゴリーが生まれた。


 そう、今まで小山田はこのカテゴリーだけを書き続けてきた作家だった。


 そして小山田の朗読は、もうクライマックスを迎えようとしていた。


「――そして俺の妹は最後にこういった! 『本当は私、おにいちゃんの妹じゃないの』衝撃の告白であった。『おにいちゃんがあまりにも寂しそうだから私が慰めてあげればいいかなっておもったのだけど……』なんと俺の妹は、顔バレを恐れるあまりにフルフェイスヘルメットを被り続けたのだという。息も絶え絶えの妹を抱きしめ俺は神を呪った。だが妹は俺の手を取り言った『もうおにいちゃんは、私が居なくても大丈夫だよ』『だめだよ、俺はお前がいないとダメだよ、大丈夫なんかじゃないよ』『もう……だいじょうぶだよ!』つづけて妹はこう言ったのだ『妹の私が言うんだから大丈夫!?』…………了」



 小山田は階段の中段に立ったまま、ラノベ一冊を丸々読み上げてしまった。いや、読み上げたというよりも、本をその手には携えてはいたが、一度もページに視線を落とすことなく完璧な暗記による朗読が行われた、しかも声色まで完璧に使い分けた一人芝居だった。


 しかも俺は隣で、無意識にSEとBGMを担当していた。


 それ相応に時間はかかったのだが、元々五万文字ちょっとの行間がら空きの薄い小説で、内容も著しく薄い。これが深夜アニメになり劇場アニメ化したのは、アニメ制作会社の努力の賜でしかないが、原作こそ神であるというのは間違いだという、裏付けにもなった。


 じわじわと襲いかかる文体崩壊精神攻撃は、さぞ生粋の純文学を嗜む文芸部員にとって苦痛であったのだろう。皆、ぐったりと項垂れて座り込んでしまっている。


 激情に駆られた小山田は掌で顔を拭い、洟をすすった。


「貴様ら……貴様らにも解るか……この悲哀、この理不尽。俺がこうして立っていられるのは、悲しみを乗り越えてきたからだ。何度も何度も何度も何度も文字を追い、心を砕き、涙を流し跪いてきたからだ!」


 見れば小山田の膝は微妙に震えている。それでも立っているのがやっとなのだろう。


 一年生部員らに俺達を制止する気力は残っていないとみえた。


「今は……今はそれでもよい。今は悲しみを胸に抱いて眠るがよいよ。マイハニー……俺は、もう……疲れた、よ……」小山田の膝が大きくガクガクと震えだし、どすんとその密度の高い体躯を冷たい踊り場の床に投げ出すかのように、背中から落下していった。まるで、ドラム缶が転げるように階段をバウンドしながら、やがて踊り場に激しく打ち付けられ、ひれ伏すような形で倒れた。


 禁酒を続けた酒豪が解禁後、ほんのわずかなアルコールで酩酊するという話はよく聞く。小山田も、自身が聖典と奉じる『妹の私が言うんだから大丈夫!?』を、あまりに久しぶりに読んだせいだろう。しかも感情を乗せた朗読とくれば、血管にアルコールを直接注射したようなものだ、倒れ伏すのも無理はない。


「すみません、先輩。この三年間でなんとか小山田に文章力をつけさせようと、俺達なりに頑張ってはいたのですが……」


「国重、文章に正解などないよ。受け入れられるかどうか、それだけのことだ」と呟く桐生先輩は目を細めて階上を見つめていた。


 俺は、階段の踊り場でおびただしい量の鼻血を流して倒れ伏す小山田を顧みることなく、先輩の背を追う。


 意味を成さなくなったバリケードを避け、俺達はただひたすらに文芸部部室という本丸に続く廊下を歩き始めた。

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