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10-2 それこそがもう、壊れちまってるってことなんじゃないのか?

「国重、いい友をもったな」


「エエ、木ノ下の奴……漢ですよ。ああみえてあいつは、勇者になる資格のある奴です……いや、あいつだけじゃ……」いいながら、目頭が熱くなった。


「――私には、いなかったよ……妬かせてもらおう」階段を駆け上がる桐生先輩は振り向かずに呟いた。

 何を言っているんですか、先輩には僕がいるじゃないですか、とはとても、おこがましくて言えなかった。


 むっとする夏の廊下を駆け、二階の渡り廊下に達した時、俺達の前に白い障壁が現れた。


 それはまさしく壁だった。白いユニフォームを纏った集団……野球部。


「おや、これはこれは国重君。奇遇ですなぁ」と、一歩前に出たのは、同じくユニフォームを着ているが、周囲の部員より体が一回り小さい男だ。


 彼は帽子を脱いで、その丸刈りの頭をさすりながら俺の前に立ち、顔を上げた。


「三条……何をしている……」


「何を? とは、まあ見ての通りさ」


 三条は状況がどうあれ、とりあえずおどける。こいつはいつでもこうだ。


「はン、遂に文化系マイナークラブを裏切り、野球部などという運動部部員メジャーリーガーになったのか?」


「ふ、ふふ……世を忍ぶ仮の姿、といっても君はもはや信用すまいがな。そろそろ、君が奪った例の薬を渡してもらおうと思っているのだが、どうかね、その気はあるかね? ――――いや、たとえなくとも……」


 貴様は、俺を文芸部の追躡ついじょうから救い出してくれはしたが、同時に科学部に追われていた一件に俺まで巻き込んで、挙げ句俺に媚薬を託して、今しれっと罪を被せてきている。


 三条の今の立ち位置を推察すると、おおよそこんなところだろう。


 学園内で第一級の権限を誇る運動部の雄、野球部に三条が入ったことで、文化系クラブの科学部はおいそれと手出しが出来なくなり、追求を諦めざるを得なくなったのだろう。


 ただし、そうして野球部の威を借りるにあたり、三条は策を講じたに違いない。


 甲子園にも行けず、まして県大会も突破できず、その情熱を向ける矛先を見失い、流れる汗と涙に変換される事のなかったテストステロンを持て余す彼らに向け、“俺と一緒に発散しようぜ。なあに、策はある”的に、鍛えた身体に徒労感を覚えだしていた野球部員リビドーを懐柔したのだろう。


 従って、彼らの最後の夏を果たさせるため、かの媚薬はどうしても俺から取り戻さねばならなくなった――という寸法だ。


 相変わらず姑息な手を使う奴だ。


 生涯で一瞬でも、お前のことを信頼足る友だと認めたことを恥じたい。


「どういう、つもりだ。あの媚薬は俺が奪った訳でも何でもないだろう――なんなら」


 無論、三条は俺が言わんとしていることを理解している。


「戦場に謀りごとはつきものだよ――いや、これは戦略というべきかな」


 奴の言質に惑わされてはならん。だが、背後に控える屈強な野球部員達ナインは、どんな打球も通すまいとする盤石の守りに徹して廊下を塞ぎ、俺達の行く手を阻んでいる。


 だからこそここで言ってやる、


「貴様、プライドはないのか……そもそもお前は甲子園にNTRされた男だろう!」


 俺は三条にとって最もきつい言葉を投げかけた。


 ショック療法だ、この際やむを得まい。目を覚ませ三条。


 しかしだ、


「っおっとっと、そいつぁ何時いつの話だ? 君は文芸という森に迷い込んだリップ・ヴァン・ウィンクルか?」両手を天井に向けて首をかしげ、欧米人みたいな苛つくオーバージェスチャーで三条はおどける。そして大して着こなしてもいない野球部の白いユニフォームが、余計にムカつく。


 俺の後ろには、壁にもたれ黙って腕組みしている桐生先輩がいる。この問題には関与しないという姿勢らしい。


 幸いなことに小瓶はまだ俺のポケットの中にあった。


 はっきり言うと効果に関しては懐疑的だ。吉原美奈子の態度は演技であったし、桐生先輩においてはそもそも変化が分からないほど普段から言動がおかしい。こんなもん何の役に立つのか?


 というか、媚薬を試す対象がマニアックすぎる俺の境遇を恨む。


 まあ、せいぜい期待に胸膨らませて、皆で小瓶を崇めるがよかろう。俺はポケットから件の小瓶を取り出した。


「ほらよ、こいつだろ。いくらでもくれてやるさ。効果があるとは到底思えんが――――ただし、こいつを受け取る前に部員こいつらを下がらせろ、下手な動きを見せればソッコーで床に叩きつけるからな?」


 小瓶を見た野球部の連中からは唸るようなどよめきが上がった。


「我々は薬さえ手元に戻れば、君らを足止めしておく理由がないんだぜ? そうだろう諸君?」三条の呼びかけに対し、野球部員達は無言で頷く。


 三年もの間、白球しか追ってこなかった彼らの瞳は、まだ輝きを失ってはいなかった。だが、もはやその視線の先にあるのは、いずこかにあるはずの、まだ見ぬ二つの白丘でしかないだろう。


「いいから下がりやがれ。お前はとことん信用できん……」


「フッ……やれやれ。国重センセイは心配性だな……。まあ、いいだろう」


 三条の合図で渡り廊下の脇に野球部員の両翼が割れ、道を開く。


 奇妙な構図だ。直立不動のユニフォームを着た、丸刈りのコピー人間みたいな奴らの間を、俺と桐生先輩は歩いてゆく。


 古代の賢人が割れた海を歩いて渡ったというが、この媚薬はそれに相当する奇蹟なのだろうか。目の前には三条が手をさしだして立っている。


 この媚薬があれば幸子との仲を修復できるかもしれない、などと一瞬考え、やや躊躇する気持ちと、淡い回想が鼻先をかすめる。


 もともと軽薄な奴だったし、気まぐれでころころ言動を変えるいい加減な奴だ。


 しかしそうは言っても、実は俺は奴に誘われて文芸部に入った。


 元々本は好きだったが、まさか自分が書く側になるなんて考えもしなかった。


 そもそも、三条と懇意になったきっかけはゲライモの話題からだった。


「ゲライモは暗黒便所が学生の時に書いたって話だ。俺達はゲライモを超える作品を書こうぜ」


 奴は、そういった。


 ただ単に暗黒便所が“当時学生だった”というキーフレーズだけで、自分たちにも書ける、才能はある、可能性はある――そんな風に無邪気に思えたのだ。


 三条の軽い言質は人を惑わす。そして人生を狂わせる。


 それはあまりに軽すぎるが故、誰も本気で、そんな軽々しく口を開く人物がいるなどと思わないからだ。たぶん本人だって信じていないだろう。


 俺はそんな三条の言にアテられた。


 文芸部の部室の扉をノックした時、既に“百歩譲って、敏腕編集者の慧眼に叶い、たまたま拾われる”なんて愚にもつかないことを考えてた。


 桐生先輩の指導の下、小説作法と小説技法を徹底的に学び、賞があれば片っ端から応募した。応募要項なんてろくに見ずに。


 そうして、半年後にファンタジー規制法が施行された。


 そうして、俺達の希望と世界は壊れていった。


 そうしたなかで、自分だけが正気を保っている、足掻きながらも正しく進んでいるなどと信じていた。


 けど、それこそがもう、壊れちまってるってことなんじゃないのか?


 俺は三条の掌へと茶色い小瓶をそっと載せた。


 白いユニフォームの連中がずらりと並ぶ壁はそこで途切れた。


「――ゲームセットだ――」


 通り過ぎる瞬間、三条はそう呟いた。いや、音として聞こえたかどうかも分からないほど密やかで、俺が意識的に読唇しただけかもしれなかった。


 次の瞬間、けたたましい空圧音とともに、ピンク色の煙が渡り廊下中に立ちこめた。


「往け! 国重! ここは俺がぁあああああああ!」


 反射的に桐生先輩は俺の手を掴み、煙に巻かれるより先に渡り廊下を駆け抜けた。


 ああ三条、一体お前は何がしたかったのか。


 ああ三条、素直に小瓶を返してくれといったなら、それでよかったのに。


 ああ三条、ひょっとして、裏切ったふりして仲間を助ける役がしたかっただけなのか。


 俺達が走る南棟の廊下に面した窓から、北棟の廊下をひた走る三条が見えた。もちろん背後にはピンク色の消化剤をかぶった野球部員が、烈火の如く怒り狂って三条を追いかけていた。


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