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8-1 エロ小説ではない、テロ小説だ

 電話ボックスをあとにした俺は、目抜き通りを朝日とは逆の方角に向かって歩いていた。


 咎人が咎人を告発するなど、まるで空腹に苛まれたタコが、自らの足を食うようなものではないかと、歩きながら苦笑いをする。


 しかし、この狂った世界でタコの足が一本や二本減ったり増えたりしたところで何が変わるというのだろうか――いや変わらない。


 そもそも、タコの足は十本あったのではないか? そういう説を聞いた記憶がある。


 欧米圏で十月を示すオクトーバーの語源は、ラテン語のOCTだ、つまりそこからタコを示すオクトパスという名が生み出された。


 タコは頭のいい動物として知られているが。彼らはストレスを溜めると自らの足を喰ってしまうという行為に出るらしい。人間が爪を嚙む行動に似ていると言える。


 すなわち推察するに、多くのタコは元々十本の足を携えながらも、二本くらいは常に自らストレスを抱えることで、食して喪失してしまうのではなかろうか。それも含めてタコという種が存続したと考えるなら、これは進化と言える。


 かつて十本の足を持っていたタコは、人が規定した“十”という枠組みを逸脱し、タコの八ちゃん、などという愛称で親しまれるほど、八と強く結びついたのだ。


 ふッ、人の生み出した言葉など無力なものだな。


 そう、俺の行いが咎であるかどうかなど、それはまさしく言葉に規定されたものでしかないのだ。


 なればこそ、そんな世界に、このまま翼をもがれる訳にはいかない。


 目に見えているものにとらわれていた日々から、今こそ抜け出すのだ。


 そうだ、本当に日本一周。いや、世界一周してやろうじゃないか。


 世界をこの手中に。世界を、恐怖と驚愕のどん底に叩き落としてやろうではないか。


 八月某日、俺はそう決意した。

 

 かつてゲライモの暗黒便所がそうしたように、俺は朝から晩まで、場合によっては三日三晩、ネットカフェから一歩も出ず小説を書いた。


 電脳世界へと俺の小説を流すために。


 とはいえ、もうこの頃では、どこのウェブ小説投稿サイトも閉鎖していた。アマチュア規制法が敷かれたせいで、投稿する者がいなくなったからだ。


 プロ作家は本を出す。だからウェブなどに依存しなくてもよかった。


 仮にウェブ公開するとしても、一定の資格を有するプロ作家が、公認された出版社の公式サイト経由でなければ公開してはいけない、という決まりになっている。


 しかし本を出せないプロはどうなるのか。企画が通らずに執筆すら始められないプロはどうするのか。


 それはプロとは認められないのである。彼らは、“ただの人”に戻った『元プロ』だ。


 だから彼らが勝手にウェブ上で自作を公開することも出来ないのだ。


 従って、本を執筆できるプロ作家は限られたごくわずかとなった。現在文壇は昭和期までの文豪を頂点とし、その息吹を受けた巨匠を絶対とし、そこへ連なる選ばれし作家達は純度を増し先鋭化し、それを支える読者層もまた純信化、あるいは狂信化していった。


 ほんの、わずかな時間で。


 たった数年でそんなことが起こり得るのかと、世の中の常識が変わってしまうことなどあるのか、誰もが右へ倣えと方向を変えるのか。経験した者でなければ信じられないだろう。まず一割から二割の、我こそは正義であると声を上げる者の多くは、一部のメディアに扇動された善良な市民で、次に、人口の大部分を占める、常にあらゆる事に関して中道を行く者達は、同調圧力というストレスに苛まれ思考停止をして、やり過ごそうとする。


 その結果一割から二割の、問題に対して無関心か、あるいは頑強に異を唱える連中が、残りかすのように社会に残存する。


 社会というものは意外に単純なもので、“二:六:二”、の割合で常に動いている。要するに多数決社会なのだから、どちらの“二”が“六”を味方につけるか、そこだけが争点なのだ。


 いま、俺達反対派は限りなく分が悪い。


 今年度に入ってから、創作物を取り巻く環境は一層厳しさを増した。


 もはや小説と呼ばれるものは、本屋に本としての形でしか存在しなかった。紙媒体の文学小説本はいかなる古本であっても高騰した。無論、想像創作媒体規制法に抵触するSFやファンタジー作品は、本屋はもちろん古本市からも駆逐された。だが、焚書を免れた一部は闇市へと流れ、これも小金を持て余した好事家達の間で、あり得ないほどの高値を更新し続け、一部は投機対象として扱われているという。


 おそらく、その事をM氏は知らないだろう。


 まだ、法定年齢以上の人間がヴィンテージのファンタジー作品を所持する事は許されていたものの、戯れであっても、素人はファンタジー小説というものを執筆し、世の中に発表することが出来なくなってしまっていた。


 こんな世界で作品を世に流す。そう決意したものの、どうすればいいのか。


 一計を案じた俺は『処女貫徹』というペンネームを使い、あらゆるネット掲示板を皮切りに、ぶつ切りにした小説を投稿するという方法を思いついた。


 それぞれの文末には、続きを投稿した先のリンクを貼り付けるという古典的な方法で十万文字、二十万文字、とゲリラ的に物語を綴った。この二年、溜めに溜め込んだ物語を、ファンタジーを、SFを、コメディを、フィクション満載、エンターテイメント山盛りのストーリーにエロまでも混ぜ込んで。


 荒唐無稽のそしりを受けるは承知の上。


 社会通念の倒錯を煽る違法行為は承知の上。


 なにより小規模であってもプロ作家として公に出た俺ではあったが、十八歳未満であり、不特定多数の人間に対して規制対象作品を公開することは、この世界において犯罪だった。


 警告を受け、通報され、IPアドレスを辿られてアシがつく前にネカフェを引き払い、追っ手を警戒しながら、また次のネカフェに移動して、原稿を書き投稿を繰り返す。


 その傍らで、“逆賊国重”こと、俺を包囲する有象無象の情報は、ネット掲示板で得ていた。


 どうやら北海道にいるらしい。今は沖縄だ、五島列島だ、いや対馬から朝鮮半島に逃げようとしている。はたまた東北の温泉宿で見た、大阪で串カツ屋に入っていった。いやいや、名古屋でひつまぶしを食べていた――どこそこに潜伏している、あるいはすでにエージェントの手引きにより合衆国に保護されている。


 おれの財布事情や人脈をどう解釈しているのか、と思ったが、これは俺が受賞作の印税の全てを、書店主から言葉巧みにくすねたという裏が囁かれているからだそうだ。


 ネットの民どもは俺の才能に嫉妬しているのか、どうしても俺のことを極悪で狡猾な犯罪者に仕立て上げたいらしい。


 どちらにしても、そのどれもがガセか憶測で、完全な的外れである。俺はこの地元の街から一歩も外に出ていないのだから。


 そう、夏の間中、この街にある十数件のネカフェを渡り歩いているだけなのだ。


 だが、彼らが想像力をたくましくして、俺の幻影を追っている間に、着実に俺の作品はネットの世界を駆け巡っていた。もはや舞台は世界だ。


 そしてついに、謎のゲリラ作家『処女貫徹』として各種のワイドショーで取り上げられるようになった。先鋭化した世論というものは、異物に対して敏感なのである。その中で、警視庁にサイバーテロ小説対策本部が設置されるという話を聴いた。


 エロ小説ではない、テロ小説だ。


 一年ほど前から隣国のならず者国家からは、頻繁に威嚇的なミサイルが飛んできているし、外国人テロリストによる政府要人の暗殺が企てられたり、出版社では爆弾騒ぎ、日本のマスメディアは何故か世界中で冷遇を受けていて、日本からの輸入品に限り尋常ではない関税を課す国がちらほらと出てきた。


 それについて政府は「真摯に向き合い、互いの国益について話し合いたい」といった文言でお茶を濁し続けているという、けして明るい未来が描けるような一年ではなかった。


 由紀夫ですら、自らが没した世界の先で、まさか文芸がテロリズムとジョイントするなどとは思い及ばなかっただろう。


 そんななかで俺は文芸部、すなわち白鳥、桐生のシンパだけでなく、文壇、文芸界、教育委員会、マスコミ、文科省、はては国家までをも敵に回していた。いよいよもって不穏な世の中になりつつあった。


 そうして投稿から半月もすれば、俺の小説を載せたスレッドが、管理人の手により強制的に削除されたりしだし、リンク切れを起こすようになっていた。


 無論、予測の範疇だ。


 程なくしてそれとは真逆の動きが起こり始める。


 俺の行為に賛同する、名も知らぬ有志達の手によって、掲示板まとめサイトが立ち上がり、俺の小説をまとめてアップしてくれだしたのだ。


 ちなみにこれが法に抵触するのかというと、微妙なところなのだとワイドショーでも報じられていた。


 基本的に匿名を含む無記名の掲示板投稿は著作物ではない。従って、そこに書き記された文書をまとめたものも著作物にはあたらない、というのがサイト運営者の言い分だ。従って、当該物に著作に対する権利、責任如何を問うことは出来ない、という。


 ならば俺の場合もその免罪体質が該当するのではないかと思うのだが、残念ながら俺は処女貫徹を名乗った最初の記名者かつ、文書の連続性と作為性、目的意図を持った、不法行為を行う個人あるいはグループであると断定されている。


 そんなわけで、ネットの社会上では一進一退の攻防、というか毎度の如く法と詭弁のイタチごっこを続けているといった体だ。


 ただこの有志らが、俺の才能を認め応援してくれるファンである、などとぬか喜びするものではない。


 バネは縮めれば縮めるほど、その分反発力を増す。彼らはその反作用を行っているだけだ。反作用には人を魅了する求心力がある。それが反駁する体制に対してであればなおのことだ。


 ゲライモを書いた暗黒便所を熱心に応援し続ける者があるように。


 BL作品の大家、海原桐子の虜になる者がいるように。


 小説界の超新星だと、白鳥に心酔し称賛の嵐を贈る者がいるように。


 そして内実をなにも知らず、桐生を美少女高校生作家アイドルのように崇め、自分の彼女のように自慢する者がいるように。


 彼らそれぞれが、それぞれの作家単体を奉賛したのではなく、純文学に対してのラノベの存在のように、あくまで“仮装敵”とされる相対性をもって、それに抗うがごとき作家達を投射行為として崇め奉っているというのが本音だろう。


 多くの読書家が持つその捻くれ根性は、間違いなく彼らの原動力だった。


 そう、例に漏れず、ネットの海では俺、『処女貫徹』を神輿にかつぎ、ゲリラ的にアップロードされる小説片を拾い集める悪魔崇拝者の一群が醸成しつつあったのだ。

 

“がんばってください、応援しています”なんて心にもない書き込みをしてくる奴がいる。


“いつも楽しみにしています”なんて嘘を垂れる奴らの多いこと。


 中には感想なんて恥ずかしいものを平気で公に晒し、物語展開への考察なんて偉そうなことをしやがり、作者心理を勝手に解釈し『処女貫徹』の人物像を洞察するなんて手前勝手なことをして悦に入っている、けしからん奴までいる。


 評価などいらん。


 貴様らは俺の作品に驚愕し、畏怖の念をもって刮目し、眼が潰れるまで読み耽るがよい。俺を追い落とした奴らは、世界が侵食される様を見て脅威に恐れおののくがよい。今の俺は何者をも恐れない無限の翼を持つ覇者である。


 俺は逃亡しながら、この国へ攻撃を繰り返していた。


 この『処女貫徹』の活動が社会問題に発展してゆくのにさほどの時間は要しなかった。


 俺の目論み通りだった。


 稚拙ではあるが、俺と同じ手法で禁止されている小説の個人アップロードを行う者や、過去のラノベ作品のテキストをそのまま転載したり、動画で朗読するという者が現れだした。


 時はラノベ大反抗時代へと突入した。

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