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7-2 ラノベやアニメなんかに触れると、ああいう大人になってしまうのだ

 一瞬何が何だか解らなかった。ホームレスに知り合いなどいない。それとも彼ですら文芸界の敵としての『国重』を知っているということなのか。


「俺だ」よく見てくれとばかりに、男は四つん這いになり、俺に近寄る。咳払いをしてまた声を整える。


「誰……ですか」


 臭くて後ずさりしてしまった。


「随分痩せちまったから、わからねぇか……。俺だ、松田だ」


 本当に臭かった。特に地の底にたまったドブ水を思わせるような口臭は耐えがたい。


「マツダ……? まさか、松田……せ……んせい?」


 俺はやや顔を背けつつ思案する。


「あっはっは、先生はやめろよ! 驚いたか?」


 驚いた、というより彼の人生はやはりこういう帰結を迎えたのかと、妙な整合感を得てむしろ安心した。



 サブスクではなく、サブカルでとことん人生をダメにした大人、松田・アンタッチャブル・ホームレス。


 一年ほど前から消息が不明になっている、という噂は三条から聞いていた。


 ファンタジー規制法から始まり、各種の規制下で松田氏のような人種は、特に罪を犯している訳でなくとも、見た目や言動や思想から、人として敬遠された。


 それはファンタジーが若者をダメにすると政府が喧伝するに従い、民草もそれを信じ、ダメになった大人のような見本として扱われたからだ。


 方々から人ならざる扱いを受け、迫害され、指を指されて「ラノベやアニメなんかに触れると、ああいう大人になってしまうのだ」とあからさまに差別された。


 そう、それは、言われなき差別だろう――松田氏の容姿は後天的に獲得したものではなく、生まれながらのものである――と、そんな声も聞こえそうな昨今ではあるが、少なくとも業界サイドからみれば、かつての松田少年というホープがその世界に魅せられ、参入してきたことにより、世間から向けられる不当なバイアスを、より補強する役目を果たしてしまったといえよう。


 そんなキモオタ界の功労者松田氏は、この時代においては結果的に職を失い、住処を追われたのだそうだ。


「オタク仲間の半分は似たような境遇だ。結婚してる奴もいたけど離縁を言い渡されたりな、ひどいもんだ。おかげでこの二年ほどの間にすっかりオタクの地位は没落し、オタク業界は衰退した。ここにあるラノベも全部棄てられていたものだ」


 そう、あのショッピングモールの書店で目にした処遇のように、ラノベは一般人からはマニア向けエロ本並に忌避される書物となっていた。


 子供向けのゴールデンタイムのアニメ放送はごく一部の、文部科学省が許可し、放送局が放映権を法廷で勝ち取った作品だけが流れていた。言うまでもなくもともと深夜枠に流れていたラノベ原作のアニメは、すべて放送禁止となった。


 当然ながら、ファンタジー要素を含む漫画本も八割方書店から消え、十八禁コーナーへと移されたのだが、それでは風紀的に問題ありとみて、書店側はそもそも漫画もラノベも置かないという流れを選択しはじめている。


 いまやそれらを手に入れるには、地方都市では難しく、中核の大規模書店にまで足を運んで、身分証明書を提示して、店奥の垂れ幕で仕切られたコーナーに入場、購入限度冊数のなかで吟味し、それらを人目を忍んで携え、俯き加減にレジに並んで購入しなければいけないという始末である。


 であるからして、規制当初は所持規制対象年齢者が所持していた既得書物も相応にあったのだが、いざ法施行され、所持閲覧に関わる違反においては、その監督者たる者が罰則を受けるという事になれば、所持事実は隠蔽せねばなるまいと、一律に投棄された。


「先生は、それらを回収して……その、オタクの矜持を貫いたんですか。こんなになってまで……」


「褒めるなよ……そんな強い信念があった訳じゃない。積極的に変わろうとしないまま気づいたら、自分が生きられない世界になっていたってだけさ。賢い奴は、埋没したんだよ」


「まいぼつ?」


「自分の中のオタク要素を心の奥底に沈めたんだ。表向きはまともな大人として見えるように、元オタクだと悟られないようにな。常人並の対人スキルに会話術、ぼて腹を引き締めダイエットに励み、シックスパックを獲得した者すらいた。月一の散髪を欠かさず――ああ、美容院だぞ、散髪屋じゃない。スタイリングも一新して、本来ならお宝グッズを買う資金を切り崩して何万円もする洋服を着用した。そうまでしてもオタクを辞められない奴は、オタクグッズを目の前から遠ざけるため、地下の貸倉庫を借り、文字通りアンダーグラウンドでひっそりと週一のオタクライフを嗜むような生き方を選択した」


 だが、松田氏にはそれらが出来なかったという。プライドと経済力、その他諸々が許さなかったのだと。


「まあ、俺からすりゃあ前時代に逆戻りしただけ、ともいえるがな」


 そもそもオタクは拒絶され差別される対象だったし、以前のようにオタクを公言して笑っていられるほど平和でもなかった。地に這いつくばり影を歩く――古今東西アングラな存在の代表格だったんだよ、オタクって奴ぁな。と卑下た笑い声を立てた。


 今の松田氏は文句なく教科書に載せてもいいくらいのダメ人間である。人生のアンダーグラウンドどころか、社会のマリアナ海溝に転落してしまったのだから、逆戻りではない。「ところで国重は何してるんだ。こんな所で」


「さっきも言った通りですよ。家出みたいなものです。家に帰られなくなったっていうか……」


「ふうん、なんか複雑な事情がありそうだが……ま、俺がしてやれることはないか」


 正直言ってそうだと思います、とは追い打ちをかけなかった。無言が肯定の意を示していることくらい判るだろう。


「……いま、文芸部は完全に純文学路線に乗っ取られました。三条、木ノ下、小山田、そして俺も。もう、あそこに居場所はなくなりました。追放されたんですよ」


「なんだと……? 新しい顧問の先生は?」


「辞めましたよ。そもそもは彼女が僕らを追放したようなものですよ」


「なに……? どういうことだ、俺の聴いた話では大層文学に造詣の深い人物で、ファンタジー作品にも一定以上の理解をもっていると……」


「どうもこうもありませんよ。真逆ですよ。あの人はファンタジー規制を推進する強硬派路線じゃないですか。ただの古典文学趣味者ですよ」


 俺は今まで部内抗争で味わってきた苦悩と地元書店賞での受賞、そして文芸部を追われ、ここにたどり着いたのだと、やや興奮気味かつドラマティックに演出を盛って語った。


 今、世間は俺を、文芸界の仇敵であるかのように追い回し付け狙っている。けして栄誉な事ではないが、うだつの上がらなかった自分が世界から注目されている現実を、目の前の元顧問でなくとも、誰かに示しておきたい、という慢心がそうさせた。


「ま、そんな感じで、今ここに居るって訳です。ひどいはなしでしょう……」


「そうか……」


 松田氏は虚空に視線を向け、瞳を潤わせた。


 しばしそのまま時間が過ぎた。雨は止み、あたりで虫が鳴き始めていた。


「国重……先生な」


 松田氏は自らの一人称を先生と言った。


「先生、実はな――意外に思うだろうが、学生の時な――全然モテなかったんだよ」


 松田氏、それは大喜利かなにかか、壮大な謎かけだろうか。


「でもな、片思いの人が居たんだよ。名前知らなかったけど。というか顔も知らなかったんだけど」

 松田氏、全然恋愛に踏み込めてないどころか、それで片思いが成立するのはあなたの妄想力の賜だ。


「その人のこと、遠くでずっと追いかけていた。きっと向こうは気づいていなかっただろうけど――ま、俺の手には届かなかったなぁ」


 松田氏、それは単なるストーカーなのではないか。


「前に言ったことあるだろう? 俺はウェブ小説サイトでラノベ作家を目指してたって」


 ああ、それでゲライモの作者、暗黒便所の才能におののいて筆を折った、こんな奴が隣にいて、俺が敵う訳がない、って。早々に諦めて教師になったって話だ。


「その、話の流れからすると片思いの相手ってのが、あれですか、暗黒便所なんですか? 男とも女とも判らないのに? それとも作家として才能に片思いしてたって事ですか?」


「どちらもだ! そして暗黒便所は女性だ!」


「……っ、なんで、判るんですか」


「俺はウェブ小説サイトにクラッキングをかけ、彼女の情報を引き出し、IPアドレスを突き止めた。彼女はネカフェから小説を投稿していたんだ」


 どうやって当該IPアドレスのネカフェを特定したのかは判らないが、そこから毎日のようにネカフェに通い張り込んだのだそうだ。


 当時、二十年も前のネットワークセキュリティというものがいかに脆弱で、世間のネットリテラシーがいかに低いものであったか、とも言える逸話であるが、なによりこれは過去存在した数多の第一世代から第二世代を中心としたオタク達が、実質犯罪者予備軍であったことの証左と言えよう。


「彼女、暗黒便所らしき複数の常連客女性の後をつけ、家も数件にまで絞った。どうしても突き止めたかったんだ」


 すごい情熱だが、ストーカー犯罪臭プンプンである。よく教師になれたものだ。


「なに、教師なんて、変人かロリコンしかいない業界だからな」


 松田氏、あなたは犯罪者ですけどね。


「で? そこまでやっても彼女には会えなかった……ってことですよね、文脈的に」


「ああ、その通りだ。俺はその彼女のファン故に、ファンたる熱情の迸りに逆らえず、彼女らのベランダから下着を盗んでしまい、逮捕された」


 しっかり前科者だったってことか。しかも彼女を見失った辺りのお宅に干している女性もの下着をくまなく押さえたって事だな。


「国重、覚えておけ。前科とは禁固、罰金刑以上の刑を受けるに相当する罪であり、逮捕勾留、不起訴で済んだ俺は前科者ではない。故、教師にもなれたのだ。ちなみに教師になってからこっちの分はバレていない」


 松田氏、このまま橋の下で朽ちてしまえばいいのにと思った。マジで。


 あとはこの犯罪者のゲライモに対する情熱が滔々と語られ、それに付随してあらゆる変態行為、犯罪行為が暴露された。


 久しぶりに人と話をして心のタガ外れてしまったのであろう。


 眠い目をこすり欠伸がでる頃には、周囲が明るくなり始めていた。俺はやや松田氏から距離を置きながら、昇ってくる朝日に感謝し思わず手を合わせて拝んだ。


 草木に昨夜の雨粒が光って美しく輝いていた。


 立ち上がり伸びをした。状況が好転しているとは思えないが、この魑魅魍魎の巣窟である橋の下から解放される喜びを、全身で受け止めていた。


朝日が差し込む橋の下から、汚れた服に身を包んだ“罪人M氏”が元気に手を振っていた。それはなんだかとても幸せそうに見えた。一宿一飯というほど恩義は全く受けていないが、せめてもの手向けだと、俺も大きく手を振りかえした。そしてそのまま振り返ることなく陽の当たる堤防の法面を駆けあがった。


 余りに清々しい朝だった。


 人はこの様な気持ちで朝を迎える事が出来るのかと、驚きと共に知った十七歳の夏だった。


 咎人となった俺はすでに穢れきり、正義感の欠片も残っていないと思っていた。いや、正義など信じるまい、正義など欺瞞であると、そう思っていた。


 ところがどうだ、俺は余りに自然な所作で通りがかりの公衆電話の扉を開くと、軽やかに三桁の番号をプッシュし、匿名の通報をしていたのだった。

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