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1 グラスなどというものは積み上げるための資材であり、頂点から注がれる麗しき液体が滔々と流れ落ちる様を眺めるレクリエーションツールであろう

約10万文字の作品です。

ファンタジー死すべし、続・ファンタジー死すべし、続々・ファンタジー死すべし、3部作の完結編です。全部読んでないとほぼ意味わかりませんので、興味のある方はどうぞ。

 勢いよく扉を開いて、室に飛び込んだ俺はもつれる脚に歯噛みながら、躓くような格好で、どんと片手を床についた。それはこれまで息を潜め、忸怩たる思いを胸に秘め、冷静沈着たらんと、高校最後の夏を密やかに過ごし、熱中症気味の怠惰な日々を過ごしてきた身体からは想像もできない慌てようだっただろう。


「どうした国重、久しぶりだというのに、相変わらず暑苦しい奴だな。朝食は買ってきたのだろうな?」


 俺は桐生先輩が座る六畳間に跪いた。意識的に力を緩める事が出来なくなった掌が、畳にめり込んでゆくような錯覚を覚えるほど興奮し、自身を見失っていた。


 目の前で汗をかいたアイスコーヒーのペットボトルがゆっくりと畳の上を転がってゆく。 まるで俺の狼狽をそのまま具現化したかのように、買い出してきたコンビニ袋の中身を床にぶちまけてしまっていた。

 


「どうしたっていうんですか……先輩、警察に拘留されていただなんて……、連絡が、とれないから……」


 息を荒げ身体を折り曲げた姿勢から、顔を上げて彼女を捉えようとした。しかし突然前髪を掴まれ、勢いのまま床に頬を押しつけられ、俺はねじ伏せられた。


 先輩の推定体重は四十五キロ、俺よりはるかに小柄で、体力的に抵抗できないわけではなかったが、彼女の落とし込むような眼差しに圧倒されて声を出すことも出来なかった。


「馬鹿者……国重、君は何も知らんのか? 新聞くらい読まんか! 地元ローカル新聞でも構わん! 日々自身の周囲の日常の動向を察しておけと、あれほど言った! 私は言った!」


「せっ、せんぱい! 離してください」


 俺は文字通り頭を押さえられて、身動きがとれないまま情けない声を上げた。


「――――ふッ、連絡を取ろうとなどしなかったのは貴様の方ではないのか? おおかた私からの連絡が来るのを待っていたのであろう。ウケ専門のお前としてはその行動が相応しい」


 そう言って先輩は立ち上がり、手刀で袈裟切りにするかのように、ひれ伏す俺の目の前に新聞を投げた。


 一つの記事が赤いインクで縁取られていた。


「まさか……あのことが……馬鹿な……」薄暗い部屋の片隅で、新聞を掴んだまま憮然としている俺の姿が、スタンドミラーに映っている。


「そう、残念ながらそのまさかなんだよ、国重」


 やがて消沈する。


 その記事がどういうことなのか、何が起きていたのか俺には容易に想像がついたためだ。


 ただ必死になって逃げ回り一人で焦って大騒ぎしていた俺は、まるでこちら側に気が向いてなかったのだ。





 最後に訪れたあの梅雨の日から約二ヶ月が経っていた。久しぶりの桐生先輩の部屋は、あまりにあっさりしていた。


 俺の文芸部追放から桐生幸子の告発で、芋蔓式に桐生先輩の部屋がGメンに嗅ぎつけられたのだった。


『女子大学生、規制書物を大量に所持。私設ヤミ閲覧所か?』地方欄の隅の方に書かれた小さな記事だった。このマンションの一室が規制書物の閲覧所になっていると、強制捜査をくらい、作り付けの書架にあった全てのラノベが没収されたのだそうだ。


 現行法下における、十八歳未満の規制書物の所持閲覧は、飲酒や喫煙に比肩する微罪で、当事者が補導され、当該書物を取り上げられる程度のレベルである。ほとんどの場合保護者たる者が迎えに来た時点で解放される。


 だがこの法律の本来の目的は、十八歳未満の青少年に規制書物の所持閲覧を許可、その行為抑止義務の不履行、あるいは販売、提供などを行った大人を規制する為のものである。


 一人暮らしの女性宅に、制服姿の俺が頻繁に出入りしている様子を近隣の住民から証言されたこともあり、大量のラノベを蔵書していた桐生先輩は、、この法律に抵触している恐れがあると疑いをかけられ、逮捕勾留されたのである。


 ずっと音信不通だったのはそのせいだった。


 不幸中の幸いだったのは、学園の文芸部がらみの案件のため、俺の存在が隠されていたことだ。白鳥の統べる文芸部員の一人がラノベを所持していた、もしくはその疑いがある、などという事実憶測は学園側としても、白鳥を擁する出版関係者としても厳に秘匿したかったのだ。


 そのため桐生先輩は証拠不十分として二週間で釈放された。ただ、それでも身の潔白を証明できた訳ではなく、ラノベはまだ没収されたままだそうだ。


 買ってきたアイスコーヒーをそれぞれのマグカップに注いだ。


 桐生先輩の部屋では飲み物という液体を入れる器は総じてマグカップであり、ガラスコップやお椀、スープ皿もなければ、当然ワイングラスもない。


 ひょっとしてガラス食器という文明を知らないのですかと、おどけ気味に問うたところ、


「グラスなどというものは積み上げるための資材であり、頂点から注がれる麗しき液体が滔々と流れ落ちる様を眺めるレクリエーションツールであろう。ふむ、あれらが器だと認識したことなど、私にはないのだが?」と首をかしげる。


 さすが先輩、その感性は天を衝く神に背きしタワーのようであり、凡俗の俺には、彼女の暗喩が何を指しているのか全く解らなかった。


「国重。我が妹にずいぶんな仕打ちを受けたそうだな」空っぽの書架を背にした桐生先輩がマグカップのコーヒーに口をつけ、視線でそこに座れと促している。


「先輩はいつ戻ってこられたのですか?」


「一週間前だ」


「すみません……俺が不甲斐ないばかりに」がらんどうになった書架に目を向けられず、ただ項垂れるしかない。


「フッ、今に始まったことではなかろう。貴様は以前から不甲斐ない男だ」


「先輩……桐生は……いえ、幸子嬢は何故あそこまでかたくなに、先輩のことを避けるのですか。まさか先輩が海原桐子であるという事実が漏れた訳ではないでしょう? それにあの強烈なまでのラノベへの攻撃性はなんなのですか」


 再び先輩を責め立ててしまうかもしれないという恐れは感じていた。だがもう背を向けてはいけないと念じた。俺は先輩の、桐生洋子の双眸をじっと捉えて離さないつもりで、身を乗り出していた。


 その態度に、幾分か気圧されたのだろうか、先輩はちらと俺を見つめたあとで、目を逸らし言った。


「……幸子には不憫な思いをさせて済まないと思っている」


三日に一度のペースくらいであげられたら良いんですが、仕事の都合上遅くなるやもしれません。

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