第64話 前線復帰
世界を刻む時計は、ゆっくりと流れている。
変わらないものなど一切ない。
茫然と空を睨む。
視界一面を隙間なく埋め合わせ広がる空は、まるで箱庭のように変哲なく同じ色だけで彩られている。
躊躇いなく肌の表面を焦がす太陽光は、この鋼鉄のような無駄に綺麗な雲の裏に、逃げ込むかのように隠れている。
「……本当に、成功するとは思わんかった」
要因もなく声を溢した。
此奴から抵抗する術を破壊したのはもう受け入れきっている、しかしまだ何か何かが違う気がする。
あまりにも、簡単すぎる。
言葉を終わらせると同時に、小さい息を幾度に渡って繰り返す。
数百……いや、百数年分の間、全くと言っていいほど抱えていなかった戦慄を、身体の内側から錆をとるように落とす。
循環する血液に乗り掛かるように堂々と駆け巡っていた緊張を、一滴も見逃すことなく払拭する。
戦闘の最中、全身の筋繊維を着実に濡らしていった疲労が、迅雷のような速度で体外へと消えていった。
「それでも……お前は、いつもみたいに当然のように生きているんだろ? 化け物め」
目線は青のない空へと固定しながらも、地面に横伏す敵対者へと嫌味を口ずさむ。
しかし私の聴覚へと返ってくるのは、予想の範疇に入れた通り身のない無音だった。
予測を上回らない状況に見抜いたという小規模の喜びを感じたものの、腹の内側では自分の考えが間違っているのではないかと疑問を抱く。
「まぁ……いいさ。それがそうなら、変えることなくそのままで」
自身に向けて嘲笑いの言葉を吐く。
先程の戦乱の中で荒んだ両腕は地面に向けて垂らし、微痛を発する瞼を震わせ、音の無い風を浴び続ける。
全身が尋常を捨ててしまっていることは理解できる。
でも、そんな状況に対して口から不安を溢し、頬を生暖かい涙で濡らすことなどはない。
ただそれがあるということだけを、魔術を纏っていない肉体で赤裸々に受け入れる。
気が付けば浅くも深くもなくなっていた、呼吸を決して閉ざさぬようガラス細工でも扱うように紡ぐ。
「ま───私も簡単に、やられるとは思わなかったよ。面白かったなぁ」
首の後ろ側から声が聞こえた。
その声は、まるで真後ろから聞こえているかのようだった。
「……!」
繰り返していた息が、時が止まったかのように瞬く間に詰まる。
声を出す間も無く咄嗟に背後へと身体を半周させ、その声から遠ざかることに全てを費やす。
伸びる尾を踏み抜かれた猫のように、筋肉の制限を優に超えた速度で逃げる。
体内を血液とは違う法則で歩む魔力を捏ね、通常の人間では出力することのできない速度で駆けた。
ただ走り、時には野原を走りぬける土色の体毛を無数に伸ばす野兎のように、飛び跳ね今出せる最速を引き出す。
「はぁ……はぁ。クソ」
挫けそうになる程酷使した足を止め、反射的に真正面へと目線を向ける。
目辺りも含み全身に力を込めていたことにより、目の前は霧が佇んでいるかのように霞んでいる。
この状況で視覚がほぼ完全に塞がれるのは、致死的と言っても過言ではない。
此処で身体が何の保証も無しに攻撃を受けつければ、通常よりも拡張した血管から大量の血液が溢れ出る。
その後の身体の状態は熟考しなくとも、最悪を想定できてしまうもの。
"早く解けろ。一刻も何よりも早く……!"
心臓の守衛たる胸骨を切り裂いてしまうほど強く、心の内側で叫びのような声を垂らす。
段々と上を目指すかのように強くなっていく脈拍に対して、固唾を喉に流してしまうような風味の悪い恐怖感を覚える。
体は一変することもなく、ただ全身を走り巡る筆舌し難い硬直感に打ち付けられている。
歯車が深い樹木色に錆びつき衰え、役目を失った壁掛け時計のように全く動かない。
小指を動かすという簡単以下の動作すら、まるで銀雪の降り積もった山脈を越えるほど、困難なモノになっている。
"早く、早く、早く!"
心の内側で何度も同じ言葉を、叩きつけるように振りかざす。
しかしその想いの裏を笑いながら駆けるかのように自身を縛り付ける、解くことのできない硬直は効力を増していく。
先ほどまで難なく繰り出していた肺の存在意義である呼吸すらも、衰退した老人のように浅くおおよそ酸素供給とは言えないモノになっている。
無理をしてでも息を吸おうと、弱々しく震える喉に神経と精神を集中させる。
だが、酷く痩せ細った呼吸器官は私の懇願に、脳裏で思い描いた答えを返すことはなかった。
鎖の拘束とは比べものにならない硬直感に襲われた臓腑は、まるで拒否を突きつけるかのように指示を無視する。
「うっ…………ごけ。早く、解けろ」
最後の抵抗として声帯に、湯水が如く全力を注ぎ込み言霊を放つ。
思考回路は『無理だろう』という推測が大半を占めていたが……。
それに反撥を示唆するかのように、小さな躓きがありながらも声が出る。
それでも思いに従って動いたのは所詮、四肢との関連性もほぼ皆無と言ってもいい口だけ。
手足が釘を打たれた木板のように全くも動かないのならば、この成果は状況打開の糧にもならない。
「ちがう。これじゃない、これでは指先すら触れることができない」
何かに対して主張を叩きつけるかのように、一切も留めることなく声を出す。
自身の耳にすら聞こえるかも怪しい、鳥の囀りにすら掻き消されてしまうほどに小さい声。
「欲しいのはこれじゃない……。今は、不必要だ」
ただの憤り任せたものとは違う声を、舌で弾き口から吐き出す。
だが想いを声にして空間の上に記しても、それが四肢の機能を蘇生させることはなかった。
手足は佇む墓石のように、全く動くことはない。
「動け、動け。私のモノのクセに、抗うなんて……!」
先ほどよりも強い焦燥を、纏った言葉を新たに零す。
それでも私との接続を微塵も残さず切り裂いた肉体は、それを戯言というかのように耳を貸さない。
腹の底から溢れ出る考えるだけですら精神が磨耗していくような焦りは、未だ残る冷静さを容赦なく壊していく。
攻撃手段の一つすら運用することのできない現況では、ただただ本のページを何度も見返すように最悪の末路だけを考え続けることしかできない。
「地獄だ。早く、早く、切り落とさないと……」
同様の単語を二度も口走ってしまうほどに、精神は耐用の限界を迎えつつある。
何かの策を打とうにも脈をも置き去りにするほどに速く、霧散する理性ではまともに過らない。
手足を使えないという巨大な足枷が、次々と脳内で生成される案を焼き払ってゆく。
「こうなったら……」
小さな声で言葉を流した。
今まで正面だけに向けていた視線を、数秒もかけずに足裏に冷たさを伝える地面へと堕とす。
変わらず細かなコンクリートのカケラたちが、無造作に地面を覆う形で散らばっている。
「こういう時は、眠気を起こしてしまうくらい冷静になって……」
周囲に静かに広がる毛穴から血が溢れ出てしまうほどの、気配全てに対して目を閉じる。
雲の間を縫うように降りしきった小規模な太陽光が、私の意思を聞いてくれる瞼の裏を少しずつ白色に染めていく。
閉ざされた視界の中心から全方位にかけて、小走りに白色が拡散される。
秋の寒い日の朝に草や土の表面に張り詰めた、寒空を伝える霜よりも白い。
しかしそれで白色の拡散が律儀よく止まる事はなく、景色全てがそれに刻々と侵される。
全面が白へと変じていく、一秒と足を合わせて視界を埋め尽くす。
ただ全身の爪先や指先などの末端の末端までが、死したかのように停止していることが理解できる。
「今、だ」
一言、まるで使い物にならなくなった散り紙を、投げ捨てるかのように言葉を発す。
瞬間、息を吹き返したと言わんばかりに腕が少しずつ、大気が飛び交う宙へと浮き上がる。
宙へと浮かばせているのは物体を浮かばせる等の魔術ではなく、他でもない自身そのもの。
「やった。予想通り成功……した」
喜びを言葉に加工して、少し重い口から漏らす。
漏れた言葉は生暖かい風に乗り、私に何かを遺すことなく場所もわからない、どこかへと飛んでいった。
「でもまだだ、こんな小柄なことで浮かれてる場合じゃない」
以前の言葉をまるで忘れたかのように、妙に冷静な言葉を刷る。
何度もの難航を乗り越えて動くようになった四肢を、丁重に扱うことはない。
「役に立ってくれよ。私の思うように……なぁ!」
腕と足をまるで地面に落ちていた枝を、振り回すかのように大きく動かす。
意識を向けてしまうほどに風切りの肌の中にまで染み渡る、冷たい感覚が両者を平等に貫く。
ただ無心に腕を振るっているだけというのに、なぜか記憶に刻まれるほど心地よく感じる。
「使える、使える……」
何も無い空中を掻きむしるように、両腕を交互に振り回す。
腕の中の隅々にまで宿る肉や骨による重さすらも、今であれば何よりも美しく恋しく思えてしまう。
だが、本来の目的を忘れきったわけでは無い。
腕が際限なく動く喜びの余韻を声にして感じながらも、自身が抱いた目的に目を向ける。
動かした両腕を下ろしまるでゴミを拭き取るかのように、瞼を動かし瞬きをする。
「さて……」
睨みつけるように、正面を見つめた。
変わらず灰と白だけで彩られた壊れた都市街の風景が、自身の目の奥の方にまで飛び込む。
「逃げも隠れることもできない……か」
包み込むかのように、上前歯で唇を噛む。
軽快に動くようになった右腕を空に向けて伸ばし、手の指を全て折り畳み拳を形成する。
「出てこい、優雅に寝てる暇はないみたいだぞ」
まるで誰かに語りかけるかのように、空間に向けて言葉を流す。
短くも長くも無い言葉の終わりと同時に、拳の内側にかつての懐かしい感覚を覚える。
「疲労を噛み砕きれていないかもしれんが、気分を害す事なく役に立ってくれよ」
上空に高々と掲げた拳を固めたまま、ゆっくりと下ろす。
まるで黙想をするかのように目を瞑り、外界と視界を遮断する。
だが完全に下ろす事はなく、自身の目の前で献上するかのように動かした拳を止めた。
「綺麗じゃないか、速達の割には……」
手中に居座る、自身の分身と言ってもいいモノに対し言葉を掛ける。
方向感覚すら狂わすほどの白色を身に纏い、この世界を包むもう一つの世界の常識を呼び出す線状の端末。
一度、能力を行使してしまえば所有者の気心に従がって動き続けるのみ。
まさに至高の剣とも言っていい、万能な攻撃力を秘めた武具。
「お前が居れば落ち着くよ。なんだか、恋人と時間を共有してるみたいに……」
言葉も喋らない、無機質なものに対し声を漏らす。
もちろん此方が言葉を掛けたところで、目で理解できるような反応を見せることなど全くない。
それでも私にとっては、何故か必要性があるようなものに思えてしまう。
「……」
台詞の代わりに呼吸を立たせながら、丸い穴が開くほどに白い杖を見つめる。
杖が支配する数メートルにも満たない狭いとも言えない空間は、まるで時間が止まっているかのように見える。
そんな想いを心の奥底にまで抱きながら、杖から目を返し背後へと目線を送った。
「そこにいるのか────カンザキ」
自身の目の前には一人の青年が、荒廃した世界を背景にこちらを漠然と見つめ立っていた。
まるで草木のように地面を細い両足で踏み締め、何も言わずただただ私に対し孔のような黒い眼を向けている。
彼の目を見ていると何故か指先が、小刻みな痙攣を起こす。
「何か言ったらどうだ、私を相当に憎んでいるんじゃないのか?」
煽るかのような言葉を、詰まらせることなく掛ける。
だが相手を見下すような想いは全く無く、どちらかといえば相手に対し恩義を込めたもの。
とは言え当人が理解しているかは、未知の領域と言わざるおえない。
「それとも私の言葉に、文言でも付けたいのか?」
言葉の終わりと同時に、自身の右腕と指を真っ直ぐと突き出す。
まるで相手に対し早くに解答を求めるかのように、引き伸ばされた筋繊維の痛みを感じながらも全くも緩ませることなく。
だがそれでも相手から、返答を得ることはできない。
得られたのは本当に意味のない時間から捨てられたような、長いか短いか忘れてしまうほどの静寂だけ。
「───抗いたいんじゃないのか?」
何もかもを否定するような静けさを、切り落とすような声が耳に響く。
それは理解するのに、全く時間を要さないモノ。
目の前にて一人の青年が発した、低く膜が張りつつつも鮮明に耳の中に捩じ込まれる声。
「アレを殺すとでも、言っているのか?」
青年の赤灯のように赤い唇を見つめながら、言葉を発した。
我ながら構成する単語のうちには覚悟のようなものが、宿っていたようにも思える。
「殺すわけじゃない、機能不全に持ち込むんだよ」
青年は軍師かの如きゆっくりとした口調で、言葉を並べていく。
確かにあの化け物を殺すことは難しい、青年が語る機能不全に陥れるというのは、今出来る中で最もな得策。
「いいだろう、その言葉に乗ってやる」
私は心の中で微笑を浮かべながら、少年へと返答した。
第64話 終
はいどうも、出雲・ツキです。
三ヶ月ぶりの投稿でしたが、ブックマークが一つも減っておらず、皆さまが待機していただいた事誠に感謝いたします。
今年も間も無く終わりを迎えます、来年もアナザーマジック・リベリオンを宜しくお願いします。




