5歩目
夜が明けた。
軽い食事をとり、水を飲み、焚き火を消して背負われた。
あの夜から一切の会話はない。
ただお互いに無言で、お互いにやるべきをやる。
ロキは私を運び、私はロキに運ばれる。
そして一度も話すことはないなまま、着いてしまった。
私の敵国、ロキの故郷……『破壊の国』に。
「じゃあはいこれ、一時的に瞳の色を変える目薬とお金、あとは入国証ですよ〜。入るときはこの中にあるもので変装してください 」
人の目がない岩陰。
そこでぽいぽいと色んなものを渡されると、ロキはふいっと後ろを向いた。
「なにか聞かれたときのために、その紙を読んどいてください。あと袋の中に拡音機がありますから、それで歌えば戦争は終わりますよ 」
「………… 」
「では、自分は逃げま〜す。この足は目立ちますからねぇ 」
「あの……最後に、私の歌を聞いてくれませんか? 」
別れるギリギリに……やっと言葉が出た。
けれどロキは振り向いてくれなかった。
「嫌ですねぇ、あなたの歌声は……自分には眩しすぎますから。それではお達者で〜 」
「まっ」
呼び止めようとしたけど、そこにはもうロキの姿はなかった。
袋の中にある灰色のコートを身にまとい、赤いスカーフを首に巻いて、頭頂部がふくらんだ茶色の帽子をかぶる。
目薬をさすと、瞳の色は彼と同じような……黒い色になった。
入り口のような場所の列にならぶ。
ただゆっくりと、人が進むスピードに合わせて足を動かす。
すると二人の武装した男が私の前に立った。
「入国書は? 」
無言で紙を差しだす。
それを一方が確認し、もう一方は私のことを凝視してきた。
「入国理由は? 」
「家族に会いに。戦争がもう終わるとのことで、母から…………一緒に暮らさないかと 」
「娘一人で外国にいたのか? 」
「えぇ、そうですけど? 」
「……失礼だが、そのスカーフをとって頂けないか? 」
男からそう聞かれ、スカーフの結び目をほどく。
当然そこは……普通の人のような肌が見えているはずだ。
ロキから渡された袋の中には、喉をかくす肌色の繊維があったから。
「……失礼した。ようこそ『破壊の国』へ 」
男から入国書を返してもらい、国の中にはいる。
そこには活気のない人たちと、荒れた路地がたくさんあった。
空気は火薬と煙に満ちている。
「これください 」
「あいよ 」
なにか胃に入れようと、ロキからもらったお金でスープを買った。
それをもって路地裏に座り込むけれど……食欲が湧かなくて、スープを置いていく。
フラフラと歩いてる途中、色んなことを思った。
死にたい気持ちになっていたから、ロキの気持ちは分かる。
だからなにも言えなかった。
けれど私を守ってくれて、母の思いを継いでくれた彼になにも言えなかった。
それが辛くて、ムカデのような後悔が胸の中を暴れ回っている。
止めればよかった。
心を操ってでも。
いっそ死ねと言えばよかった。
楽にしてあげるために。
生きろと言えばよかった。
無責任だけど……死んで欲しくなかったから。
そばに居てと言えばよかった。
今度は……私が守りたかったから。
「あっ…… 」
足元に、猫の死骸があった。
誰にも埋葬されることも無い、ただの痩せこけた死骸。
彼もいずれこうなるんじゃないかと……そう思った。
「……ごめんなさい 」
ギュッとその死骸を抱きしめる。
けれどその冷たさが、後悔を鮮明にしていく。
「ごめんなさい……ごめんなさい! ごめんなさい!! 」
ぽろぽろと涙が。
ぐしゃぐしゃと心が。
ズキズキと後悔が。
もう考えても仕方がないものが、ずっとずっと胸の内をえぐりつづける。
去った彼へ、居なくなった命の恩人へ。
どうかあなたが……死から逃げられますように。
ーーーーー
「いや〜……ここなら死に場所には困りませんねぇ 」
荒廃したビル。
生気のない風。
危険地帯として『破壊の国』から放棄された自分の故郷。
ただそこを歩いてると、ポタリと頬に雫が落ちた。
「雨ですか……嫌ですねぇ 」
「俺は好きだがな、スナイパーとしては位置がバレにくい 」
聞き馴染みのある声。
とっさに空を見上げると、ビルの上にラクが立っていた。
「……前線から来ないと思ったんですけどねぇ 」
「無茶やって、無理やり帰ってきたんだよ。てかその左腕どうした? 」
「『人刈』にもっていかれましたよ 」
「……俺の部下は強かっただろ? 」
「えぇ。というかその敵討ちだとしたら無駄足ですね、自分は今から死にますから。あぁ、殺さないで下さいね。ラクの……親友の手を汚すわけにはいきませんから 」
「……そうか 」
ラクは胸元のポケットから何かを取りだした。
赤いボタンだけが取りつけられた、簡易な四角い機械。
「それは? 」
「このボタンは作戦実行の合図だ。これが押されて10分後くらいに、お前が助けた女はライフルでズドンだ 」
「っ!! ……なんの冗談ですか? 」
「冗談じゃねぇよ……『灰かぶり姫』の声は鼓膜を破ろうが、骨伝導で相手の心を操れる。だから暗殺を警戒してなかったみたいだが、アイツ……歌ってねぇんだ。ずっと路地裏で泣いてんだとよ 」
「……マジっすか。じゃあラクは自分の足止め役と? 」
「あぁ、お前を倒せるのは俺くらいしか居ねぇからな 」
ピリッと空気が乾いた。
「……ラクは戦争を終わらせたくないんですか? 戦いがつづけば人は死にますよ 」
「人が……というか部下には死んで欲しくねぇよ。けど、戦争は終わらせねぇ。どんなに犠牲を出そうと、この戦争は俺たちの勝利で終わらせる 」
「……なんで? これは上が勝手に始めた戦争ですよ? 」
「たしかにこれは正当性の欠けらも無い戦争だ。でもよ、今終わらせたら、死んでいった仲間はなんのために死んだんだ? 無意味のために戦って、無意味のせいで死にましたじゃ……アイツらが不憫すぎるだろ。お前なら、この気持ちが分かるんじゃねぇのか? 」
「……しょ〜じき、分かりますねぇ 」
無意味に死んだ仲間を知ってるから、ラクの気持ちは理解できる。
「けど自分は……そんな大義よりも、大事なものがあるんですよ。自分を命懸けで救ってくれた人がいて、その娘が戦争から逃げたいって言ってた……だから自分は! 僕は!! 彼女を守って!! この戦争を終わらせる!!! 」
「それは死んでいった仲間よりも大事か? 」
「……えぇ 」
「この戦争が終わった世界で、自分が生きていなくても……か? 」
「えぇ 」
そこまで言うと、ラクは乾いた笑みを浮かべた。
「お互い、ワガママだな 」
「ですねぇ 」
互いの本音をぶつけ合ったから、お互いに笑いあった。
そこには殺意も大義もない、本心のぶつかり合いだけ。
そしてあのボタンが押された瞬間、お互いに口がさけるほどの笑みを浮かべた。
「「ぶっ殺す!!! 」」
降りそそぐライフル弾をバク宙で躱し、すぐさまビルの影に隠れる。
瞬間、三発の銃声がひびいた。
建物を避けるように曲がる弾。
二発は躱し、三発目は左足で踏みつける。
だが躱した弾はさらに曲がり、左足の義足に直撃した。
「っ……なるほど 」
『人刈』から付けられたヒビ。
それがさらに深くなっている。
(義足の破壊……それがラクの目的ですかぁ )
「なら」
壁を蹴り壊し、ビルの中へ避難する。
が、義足に何かが引っかかる。
それは赤いワイヤーと手榴弾だった。
(ブービートラップ!? )
後ろに飛びながらマントで体を守り、爆風を緩和する。
けれど休む暇もなく、両端の窓からライフル弾が入ってきた。
単調なライフル弾は簡単に躱せる。
だが避けた二つの弾は、張られたワイヤーを切断した。
「っ!! 」
すぐさまマントで体を守る。
だがなにかはマントを貫き、腹と背にそれは突き刺さった。
「……ハハッ、ご丁寧にボウガンまで 」
背中の矢を抜き、それを投げてトラップを誘爆させる。
その煙を目くらましにし、すぐに空いた穴を焼きふさぐ。
(さーて、どうしましょうかねぇ )
これだけ用意周到なら、すべての建物にトラップが仕掛けられてると思っていい。
しかもこっちの武器は、閃光手榴弾一個と手榴弾三個。
あとはナイフとワイヤー、腹に刺さっているこの矢と足のみ。
どれもラクの射程には勝てないし、向こうにはあの義眼がある。
『空の瞳』。
その名の通り、空があれば義眼を通してすべてを見通せる。
建物外にでれば簡単に見つかるし、建物内はトラップと狙撃のコンビネーションで殺られる。
(そういえば、ラクには一度も勝てたことはなかったなぁ )
ふと……そんなことを思い出した。
訓練も人間性はもちろん、戦場でもラクに勝てたことはない。
ラクはいつも誰かを助けていた。
敵を殺すより、戦果をあげるより、味方が死なないようにと頭をまわし、仲間を殺した捕虜でさえも丁重に扱っていた。
そして仲間が死ねば、必ず悲しみ、未だにその名や思い出を覚えている。
だから隊長に選ばれた。
死の感覚がマヒする戦場で、善人の心を持ち続けていたから。
(でも……今は負ける訳にはいかないんですよねぇ )
時間はない。
不出来だけれど勝利のイメージは頭に描けた。
あとは持ち手とアドリブと……いかに本命を隠せるか。
(さぁて、無茶しますか )
ーーーー
「見失ったな 」
あいつが隠れたビルの向かい側。
その屋上からスコープや義眼で索敵するが、ロキの姿は見えない。
(トラップに引っかかってねぇし、室内にいるがじっとしてる? いや……あいつはそんなんじゃねぇな )
どうせアイツのことだ。
今もモクモクと持ち手を増やしてる。
だがあっちは時間がなく、限界まで接近した俺の位置を把握できてねぇ。
(曲射をつかえば位置は誤魔化せる……けど )
『モード変更 【落星】 』
(お前はこれで仕留める )
曲射は撹乱や暗殺に使えるが、その分に威力と速度をもってかれる。
だから一撃。
装甲車十台をまるまる貫くこの直射、この至近距離で……ロキの命を狩る。
(んでま……ダメ押しだ )
『リミッター解除を確認、62秒後にオーバーヒートします 』
ライフルのリミッターを外し、さらに威力と速度を高める。
その直後、義眼にはアイツの姿が映った。
ロキの右手には赤いワイヤーがあり、それを引っ張りながら路地を走っている。
すぐさま手元のスイッチを押し、その周辺に仕掛けてた爆弾をいっせいに爆破させる。
すると当然……ロキの足は止まった。
(……じゃあな )
その一瞬でライフルを放つ。
だがロキは不自然にワイヤーから引っ張られ、それは頬肉をえぐっただけで済まされた。
(っ!! 誘われたか……ハハッ、ふつうワイヤーの伸縮で躱すなんて、思いつかねぇだろ!! )
義眼に写るロキはこっちのビルを向いている。
すぐに場所を変えようとした瞬間、空からなにかが降ってきた。
それは閃光手榴弾が巻つけられた、一本の矢。
「っ!! 腕一本で器用なこった…… 」
雨で、そこまでの音と発光はでない。
けれど足は止まった一瞬、ビルの下から窓ガラスが割れる音がし、巨大な爆発が起こった。
足元はくずれ、ビルが倒壊をはじめる。
(どっからこんな爆薬を!? )
ビルに仕掛けたトラップがすべて誘爆したとしても、ビルが壊れるほどの威力は出ない。
いや……そもそもアイツ、なんで俺が仕掛けた赤いワイヤーを持っていた?
(そういう事か!! ビルのトラップ、全部解除してこっちに寄越しやがったな!!! )
「っ!! 」
赤いマントが空中に迫ってくる。
すぐさまライフルを放つと、弾はマントを貫通した。
瞬間、二個の手榴弾がごろりと顔を出し、巨大な爆発を起こした。
(囮かよ!! )
その爆発に怯んだ瞬間、後ろに人の気配を感じた。
向かいのビルの窓ガラス。
そこにはロキが写っている。
(あーなるほど、ワイヤー使ってパチンコみたいに飛んできたわけか )
そのロキへ向かって、さっきのライフル弾がせまる。
だがそれも身をひねるように躱された。
近距離の一撃も、居場所も、ぜんぶ読まれていた。
けれど……心のどこかで分かっていた。
こいつなら絶対、ここまで来ることを。
『モード変更、【死の針】』
「っ!? 」
変形したライフルは剣となり、溢れでた紫の炎で足を狙う。
ロキは瓦礫を蹴って逃げようとする。
けれど間に合うことはなく、剣はその右足にヒビを入れ、壊れかけていた左足を完全に破壊した。
「ラクっ!!!! 」
それでもロキは赤いナイフを抜き、瓦礫を蹴って接近してくる。
(まぁ……そう来るよな )
剣を捨ててナイフをつかみ、ベルトに忍ばせたただの銃を取りだす。
「っう!!!? 」
「わりぃな……普通の武器くらい、兵士なら携帯してる 」
脇下に押しつけた銃口。
それから三度、重い音がひびいた。
「あと一歩……足りなかったな 」
血を吐き、糸が切れたように頭から落ちるロキ。
けれどその顔は……笑っていた。
「その一歩で十分ですよぉ 」
なぜか生きているロキは、右足の裏からピンを抜いた。
あれは……
(手榴弾!? )
「っ!? 」
すぐさまロキに銃口を向けようとする。
けれど右腕になにかが絡まり動かせない。
(ワイヤー!? あの一瞬で絡めたのか!! )
負けを察知し、体に仕込んだ爆弾を起動させようとする。
けれどふいに……死んでいった仲間たちのことを思い出した。
『自分は……なんのために死ぬんですかね? こんな無意味な死があるなんて……クソっ……死にたく、ありません!! 』
『戦争なんて……来たくなかった。でも家族を守りたかった……なぁラク、家族にこれを…… 』
『たい……ちょぉ……ハハッ、泣かないでくださいよ……最期にわがままですけど……てを……にぎってて 』
アイツらのために、この戦争を無意味なものにしたくなかった。
だが唯一生き残ってくれた同期の言葉も……否定したくなかった。
(…………あーぁ、負けちまったな )
負けを認めた瞬間、手榴弾は爆ぜ、その爆風にのったロキの蹴りが体をえぐった。
「……いってぇ 」
吹き飛んだ体はビルを二つくらい貫通した。
受け身や着地を工夫してなんとか生きてるが、両足は折れてもう歩けない。
「アレで生きてるんですねぇ 」
「よぉロキ、良い蹴りだったな 」
軽口を叩きながらロキを見る。
すると破れた服の隙間から、黒いワイヤーが見えた。
(なるほど、ワイヤーを巻いて防弾チョッキの代わりに。あれも読まれてた訳か……完敗だな )
ため息を吐きながら瓦礫を枕にし、壊れたビルを遠目に見あげる。
「ロキ、南第四倉庫に旧式の大砲がある。射程は2キロ、国までは3キロあるが……お前ならなんとかできんだろ 」
「……なんで今になって協力するんですか? 戦争を終わらせたくないんじゃ」
「たしかに終わらせたくねぇ。でも……俺は喧嘩で負けたんだ。だったら相手の意見を通すのが親友ってもんだろ? だからさっさと行け、俺はこのままでいい 」
そこまで言うと、ロキは赤いナイフを俺の頭横に投げてきた。
「…………ありがとう、さようなら 」
「あぁ、気を使わせてわりぃな 」
ロキはワイヤーをつかって雨の中を飛んでいく。
その後ろ姿を見送り、ゆっくりと寝そべる。
瞬間、義眼からあの声がした。
『足止めご苦労だったな、【空の瞳】 』
「今になってお出ましかよ、覗き見趣味のクソ上司 」
『ほう……気付いていたのか 』
義眼の向こうにある男の声。
それに向かって中指を立てる。
「あぁ、『義欠の体』をつける時は手術するからな。お前ら上からしたら、盗聴器やら発信機、あとは自殺装置くらい付けれるだろ 」
『そこまで分かってるのか。なら話は速い 』
「っ!!! 」
義眼から奇妙な起動音がなった。
瞬間、右目をスプーンでえぐり取られるような痛みが暴れまわる。
「ぐっ!! っ゛!!!! 」
『残念だよ【空の瞳】。貴様の頭脳、狙撃術を失うのは軍としてはかなりの損害だ。なぜあんなもののために裏切ったのか、私には理解しかねる 』
「ハッ……っ、安全な場所で指示しか出さねぇやつ゛……と、一緒に戦場を駆け回ったやつ……そのどっちをとるかなんて……分かりぎっで!! 」
『ならば『逃がし屋』も後を追わせてやろう。いかに優れた兵士であろうと、ただの15歳の子供だ。心を折るくらい容易かろう 』
「……ハハッ、それは……どうかな? 」
『……? 』
たしかにあいつは脆い。
簡単に傷つき、けれどその傷を隠そうと無理をして、心を腐らせていく。
けど……その無理で救われた奴らもいるんだ。
その無理を支えたい奴もいるんだ。
だからあいつは……大丈夫だ。