4歩目
「じゃあ話してくれませんか? 私の故郷のことを……私の家族だった人たちのことを。そしてあなたの事を 」
「ん? 」
私の問いに、ロキはピシリと固まった。
「な〜んでそんな悠長なんですか? 仇ですよ? かーたーき。ぶっ殺すなり罵倒するなり、好きにすればいいじゃないですか 」
「しませんよそんなこと。別にあいつらが死のうが気にしませんから……でも、私の家族が……お母さんがどうやって死んだのか。それは聞いておきたいんです 」
そのお願いに、ロキにしては珍しく眉間にシワを寄せた。
どこまでも嫌そうに、悲しそうに。
「…………はぁ、黙っててもその喉を使われたら言わされますものね〜 」
「最悪そうします 」
「でもまぁ、ここではドンパチやったので場所は変えますよ。話すのはそこで 」
「はい 」
ロキの背にしっかりと掴まると、異様な速さで景色は動いていく。
耳の中で風がゴウゴウと渦巻く。
そんな中で少し……ロキのことを考える。
(この人の目的って……なんなんだろ? )
私を助けた理由は依頼だから。
でも依頼だからって、かつての仲間と敵対したり、自分の腕を犠牲にしたりするものなのか。
それにさっきの話もなんだか変だと思う。
防衛ラインを突破するときも、素人目線ですら人を殺せる場面はたくさんあったのに、ロキは誰も殺さなかった。
けれど『人刈』と呼ばれてた女の人は、ロキが辺境で虐殺を起こしたと言っていたし、本人はそれを否定しなかった。
私の目で見たロキと、周りが言うロキ。
それにはたくさんの食い違いがある。
そして一番変だと思ったのが、私を命懸けで守ってくれること。
この声を売りたかったり利用したかったりすれば、私を殺して声帯だけをえぐり取ればいいだけの話。
命懸けで守られるほど、ロキと私は深い関係じゃない。
でも守られたという事実が、さらにロキの真意を分からなくしていく。
(ほんとこの人って……分かんないな )
ギュッとロキの背中に抱きつく。
しばらく風の音を聞いていると、夕方頃にようやく、その足が止まった。
「着きましたよ〜、ここなら早々見つからないでしょう 」
そこは森の見える、とても高い崖だった。
ヒューヒューと吹く風は気持ちがいいけど、日が傾いているせいか少し寒い。
「これどうぞ〜、少し寒いでしょうから 」
「あっ……すみません 」
マントの下から取りだされた毛布。
それを受けとり、体を布の中へとしまい込む。
するとロキは夕日を眺めながら、静かに口を開いた。
「じゃあ話しますか。あなたの家族だった人たちのことを、愚かでクソ野郎どものことを。そして……自分だけ助かり続けた、卑怯者のことを 」
ーーーー
「あー……しくりましたねぇ 」
冷たい雨から逃げるために、崖下にある洞窟にもぐり込む。
濡れた体は氷のように冷たい。
だというのに、貫かれた左の腹は燃えているように熱い。
「ラク……じゃないなぁ。アイツなら頭狙うでしょうしね〜 」
持ち出した赤いナイフで腹の穴を焼き塞ぐ。
けれど内臓は傷ついたままだ。
低体温で死ぬか、失血で死ぬか。
この状況下だとそれくらいしかやることが無い。
「…………帰りたいなぁ 」
疲れに負けて目を閉じると、無数の腕が体に絡みつき、あの幻聴が聞こえはじめた。
『どうして助けてくれなかった』
『どうして』
『自分だけ逃げた』
『私も帰りたい』
『お前だけいつも』
『『『『どうして助かる』』』』
「……ごめんなさい 」
『逃がし屋』は依頼主を背負い、前線から逃げるのが仕事。
だから見捨てるんだ、他の仲間を……帰りたいと願う仲間たちの声を。
何人も見捨てた、何人も見殺しにした、何人も何人も……
見捨てる度に声が増えた、見殺しにする度に手が増えた。
逃げるたびに……心がもげていく。
「ごめんなさい……ごめんなさい! ごめんなさい!! あぁそうですよね! 自分が死ねばよかった!! あぁごめんなさいごめんなさい許して………………もう、ぁああぁあぁああ!!!!!! 」
頭を岩に打ちつけ、左手で地面をかぎる。
べろりと爪が剥げた。
でも痛くない。
昔っから……痛みを感じないから。
だから罰が足りない。
「あはは!! もういいや!! 何もない!!! 仲間は死んだ!!! 家族も!!!! もうヤダ!! 辛い……つらい……ツラいよ……………… 」
血だらけの左手でナイフをつかむ。
一瞬の迷い……それを振り切って首元にナイフを振るう。
瞬間、その腕を誰かから掴まれた。
「…………あ? 」
「何してるの、少しは落ち着きな 」
涙でゆがむ視界には、白い髪の痩せた女が映っている。
その空のように青い目は暗闇の中でもハッキリ見え、妙に不気味だった。
「離して…… 」
「傷を塞いだのは英断だね。とりあえず内蔵を縫うから、傷を開くよ 」
ナイフを奪い取られると、女は左手の赤いブレスレットを分解し、そこから小さなメスを取りだした。
あの鉱石は……『星屑の国』でしか造られない特別なもの。
「それ……は? 」
「これかい? この中に再生用の縫合繊維やら輸血チューブが入ってるんだ。というかこれはライフルかい? 内蔵がめちゃくちゃじゃないか 」
「やめて…… 」
「まぁ運がいいね。これくらいの損傷ならこの糸でなんとでもなる 」
「自分は……あなたの国と戦争してる兵士ですよ? ならさっさと……殺せよ!!!! 」
「殺すわけないだろ!! 君は助かる! 助けられる!! そんな人を見殺しにするなんて、私にはできない!!!! 」
喉を裂くような声。
その気迫になにも言えなくなり、ただ大人しくすることしかできない。
「もっと運がいいね、君と私の血液型はおなじみたいだ 」
そう言うと女は、赤い管に自分の血を通しはじめ、それを自分の血管に刺した。
「痛かったら気絶してくれ、でも舌は噛み切らないでね 」
「……自分は痛みを感じないので……別に平気です 」
「それは都合がいい、聞きたいこともあるしね。なんでこんな所で死にかけてるんだい? 逃げてきたのかな? 」
「まぁ……気に入らない上官をぶっ殺したら、上から情報操作されて、みーーんな敵になった、感じです 」
「なんで殺したんだい? 」
「……一人しか助けられない状況で、アイツと上官の二択になって……上官がアイツを……殺して!!! 殺してぇ!!! 」
「それで? 」
「……覚えてない。頭を踏み潰した気もするし、内蔵をミンチにした気もするし、手足をもいだ気がするし……そのあと、他の上官も……生きたまま焼いた。あいつら……仲間を殺して……自分だけが助かるように……それを僕が逃がしてて……あぁそうだ……死ぬべきは……ァァ……ァアアア!!!! 」
「っ……大丈夫だから。落ち着きたまえ 」
手足をばたつかせ、なんとか死のうとする。
けれど抱きしめられてるせいで死ねない。
動けない。
失血で頭がフラフラする。
暖かい。
涙がボロボロ。
死にたい。
もう……生きていたくなんかない。
「死なせて……お願いだから。もう辛い、死なせて。もうヤダ。死なせて……もう聞きたくない……いつも悪夢ばっかり……もうゆっくり眠りたい……みんなに会いたい 」
「……うん、私も同じ気持ちだよ 」
首に何かを打たれた。
すると意識がふっと落ちた。
「…………んっ 」
喉の乾きで目が覚めた。
まだ雨は降っているが、焚かれた火のおかげで寒くない。
腹の傷は、赤い糸で縫われている。
マントも干されている。
武器もこの義足もそのまま……なのに女性の姿がない。
「どこに……? 」
ナイフと銃を持ち、マントを羽織って起き上がる。
頭がフラフラするが、義足だから歩くのには問題なかった。
(……? )
洞窟の外が騒がしかった。
……嫌な予感がした。
義足を加速させて外に出る。
そこには下半身を串刺しにされたあの女性と、それを囲む無数の人間がいた。
誰も彼女を助けようとしていない。
むしろその表情は……笑い、満たされ、達成感を得たような、彼女の死を喜んでいるものだった。
「やっぱりだ! こいつは自分だけ%∓⊂√∦」
「私は前から*。#´ ゜;゜」
「アイツを殺して♯¿∝∓∔ 」
そこから先は人の言葉に聞こえなかった。
「おい! 聞いて」
肩を掴んできた男。
そいつは突然、血が吹きでる首を抑えてもがき苦しんでいる。
……手にもったナイフは人の血で濡れていた。
「いや」
悲鳴をあげた女の頭を蹴りつぶし、ピンの抜いた手榴弾をその隣にいたやつの口に押しこむ。
「……ぁああ!!? 」
そいつを蹴り飛ばすと、爆音とともにたくさんの人がバラバラになった。
腹を蹴り潰す。
頭蓋を蹴り壊す。
銃弾で腹を撃ち抜き、たれ下がった頭にかかとを落とす。
(何してるんだろ? )
分からなかった。
たった一度助けられた女性が殺されてただけで、なんでこんなにも怒ってるのか。
分からない、なにも分からない。
けれどそんな事を考えてるうちに……生きてるものはいなくなった。
「…………おや、生きてたんだね。よかったよ 」
いや一人……あの女性だけは生きていた。
けれどその声は、小さな雨音よりもか細い。
「……助かります? 」
「絶対助からない。内臓は原型をとどめてないし、麻薬で無理やり生きてるだけだよ 」
「……自分を助けたせい、ですよね? 」
「大丈夫、こんな悪人の死を悲しまなくていいさ 」
「……悪人? 」
「うん、私は敵国に自分の娘を売ったから。たった数日の……食料のためにね。だからほんとうに気にしなくていい 」
途切れてしまいそうな小さな言葉。
その空のような目からは、透明な雫が流れている。
「……違うでしょ? 」
「……何を」
「食料のためならなんで周りは肥えて、あなただけは痩せてた……娘さんを助けるために売ったんでしょ? 国は辺境までに手は回らない、だから食料と取引っていう名目で外へ逃がした 」
泥だらけで冷たい手をとり、骨を折るほどの力でそれを握る。
「あなたが敵国と通じて美味しい思いをしてる……それだけの妄想で人を殺す奴らだ、逃がして正解ですよ。だからあなたは悪人じゃない……悪人なんかじゃない!!! あなたは娘思いな!! 僕の!! …………命の恩人だ。だから……死なないで…… 」
「……ふふ。あれだけ死にたいって叫んでたのに、他人には死なないでって言えるんだ……キミは優しいね 」
「そんな……」
それを否定しようとした。
けれど指先で口をふさがれ、女性は静かに微笑んだ。
「遺言は静かに聞くものだよ……ねぇ、私の娘を助けてやってくれないかい? 」
「……助ける? 」
「うん、あの子はただ歌が好きなだけなんだ。でも歌うたびに人の心を操ってしまうから……たくさん嫌な目を向けられてきた。これからもきっと向けられる 」
たえだえな声で女性はつづける。
「娘が死ねば効力は失われるって嘘を伝えてある。だから殺されはしないけど……そのしがらみからは絶対に逃げられない。だから逃がしてあげて……その歌で人を救えるんだって……教えて……あげて 」
逃がして……ただその言葉に頷き、握りしめる手をグッと胸元に引きよせる。
「任せてくださいよ!! 自分は『逃がし屋』!!! 誰でも逃がします!!! だからあとは……任せて…………… 」
顔をあげれば、女性の暗い目が見えた。
握る手には力がなくて、その口は何も発さない。
「………………… 」
軽い女性を抱きあげ、内蔵を引きずりながら森の中にはいる。
そして人の目がない場所に……女性を埋めた。
「…………さぁて、行きましょうか〜 」
泥と血だらけの指を口に入れ、そのまま口角をあげる。
「報酬は気にしないでくださいよ〜、あなたには恩がありますから!! 命をかけて娘さんをお守りします!!! 」
盛り上がった土に声をかける。
「だからですねぇ〜、だからですね、だから!!!! ……もうゆっくり、眠ってください 」
彼女に背を向け、ゆっくりと来た道を辿っていく。
「おやすみなさい……名の知らない、僕の……命の恩人さん 」
ーーーーー
「とまぁこんな感じですね!! あなたは家族に売られていなかった〜、嫌いな奴は全員死んだ〜、めでたしめでたし 」
ロキはケラケラと笑いながら、話を終えた。
たしかに……お母さんが私を思ってくれていたこと。
お母さんを殺したアイツらが死んでくれたこと。
それを聞けてとても嬉しかったし、重くて硬い胸のしがらみがポロリと落ちた気さえする。
でも……
「あの、もしこの依頼を終えたら……あなたはどうするつもりなんですか? 」
「死にますけど? だってもう生きるのが辛いですからね……救われたのに、昨日までは生きようとしてたのに。数日もすればまた死にたくなるなんてほ〜んと、笑えませんね 」
声が出なかった。
さっきの話を聞いたから……死なないでという、簡単な言葉すら出ない。
「まぁ黙ってたことは謝りますよ。もしこれを知ったら自分だけが助かって……みたいな余計な罪悪感を持たせると思ってたので。まぁ! 杞憂みたいでしたけどね!! いや〜あなたはお強い!! アッハハハハ!!! 」
ロキはどんどんと声を明るくしていく。
逆にそれが不気味で、鼓動で体は揺れるほど心配でたまらない。
「まぁ明日には『破壊の国』に着きますから、歌う準備でもしといてくださいねぇ〜。それで『逃がし屋』最後の仕事は終わりますから…… 」
そう言うと、ロキは静かに立ち上がった。
「さて、夜の準備でもしましょうかね 」
「……あの!! 」
森の中へ向かう背を呼び止めてしまう。
なのに……やっぱり言葉が出ない。
涙が溢れて、作りものの喉すら震えているのに、なにも……
「何もないなら行きますねぇ、風邪でもひいたら大変ですから〜 」
「…………はい 」
伸ばした手を落とし、小さなロキの背を見送る。
私を救ってくれた恩人。
その彼になにも言えない。
それがどこまでも辛くて……どこまでも不甲斐なかった。