1
「それじゃまたね」
そう言って実家の寺を出たのはもう20時間ほど前か。アメリカ国内戦を乗り継ぎ目的地の空港に到着した祥雲は、くわっと大きく欠伸をすると手荷物のバックパックとカメラ機材バッグを背負い直し、チャックアウトカウンターへと向かう。現在ニューヨーク時刻は午後10時40分。今日はそのままホテルへ入り、明日朝イチからの仕事に備える。
2年ぶりの実家は相変わらず観光客で賑わい、みな慌ただしくしていた様子を思い出して頬を緩ませつつ、着いた大都会の景色との差にまたくすりと笑った。
明日から2ヶ月にわたり、この仕事を紹介してくれた友人ヒトミさんと現地スタッフとともに、アメリカトップを誇る金融機関を訪れマガジン丸々一冊特集を組むことになっている。
今回は今までにないほど大きいオフィシャルな仕事なため祥雲も気合いが入る。
ホテルの部屋へ入り早々にシャワーを済ませると、機材の確認をしてすぐベッドへ潜り込んだ。
「ヒトミさん久しぶり!今回はありがとう」
「久しぶり。ショウは相変わらずね。おかげでこっちも助かったけど」
祥雲の立てたオリジナルHPをきっかけに過去何度か共に仕事をしている仲だ。かなり不定期な頻度ではあるが、たしかに彼らは同僚、同期とも言える気さくな関係である。
「今日はまずマガジン編集部スタッフと合流して、あとは先方との細部打ち合わせね。時間があればそのまま撮影しちゃうからそのつもりで」
「オーケイ。先方さんはお堅い人じゃないといいけど」
「噂によるとかなりの大物らしいわよ。一般社員ではあるけどバックグラウンドが凄いんだとか」
「興味あるなあ。期待できそう」
軽口を叩きながら編集部スタッフと合流し、本命の元へと向かう。
着いた所は観光客がまばらに、首を限界までそらしスマートフォンのカメラを構えるほど大きなビル。
ここが金融街で朝のフレックスタイムということもあり、スーツで賑わう街並みに観光客のラフな私服姿はなかなかに目立つ。かくいう祥雲もTシャツに前開きボタンのセーター、スラックスとシューズというかなり動きやすい格好だ。ヒトミさんや編集部はカジュアルフォーマルといった格好なので、やはりこのビルに入るには祥雲の顔と格好は少し目立つようだった。
案内された階に到着すると目の前は一面ガラス張りで、空が近く眼下に広がる風景と距離感の錯覚に陥るようだった。
---この自然光で、あそこからこの角度で撮れたら好い画になりそう。
そんな事を考えながら指定の会議室まで一向は進む。
コンコン
ヒトミさんが先導して中へ入っていく。それに続いて編集部、祥雲と続く。
すでに会議室で待機していた社員と思われる人は4人。皆いきいきとした表情だが、とくに長机の向かい席に立った男女はとてつもない美形であった。どちらも背が高く、自身に満ち溢れた表情からはモデル顔負けのオーラを感じる。バースデーシートに控えているのは若く見えるがこの部署の上司だろうか男と、事務員で今回この会社で案内役を務める男だ。
「お待たせしたようで申し訳ありません、今回はお受けいただいてありがとうございます」
「いやいや。こちらこそマガジン丸々一冊で特集なんて中々ないからね。よろしく」
ヒトミさんが上司の男と会話を始めると、そのまま席について今後のスケジュールを確認し始めた。
今日からマガジン発行まで2ヶ月の間に、取材、編集、入稿を終える。それまでに必要な素材をこれから週3回この本社へ訪れ集めていく。その間同時進行でページの作成を行い、ギリギリの時間で入稿となる予定だ。
マガジンの発行は大体が詰まったスケジュール管理になっているが、大手金融会社相手だと余計に苦しいタイムスケジュールになってしまう。
祥雲が担当するのは主に写真撮影と写真編集。撮った写真を綺麗に整えるまでが仕事だ。必要な写真の要素はすでに共有済みなので、あとはそれらしいものを撮るだけだ。優先順位はまず人物。今日ここに見目麗しい男女が揃っているのはそのためだ。この2人は会社の広告塔のなるのだろう。彼らはモデルではなく、この会社で働いているい一般社員のため時間を多く取れるわけではない。効率よく、質良く、仕事をこなさなければならないのだ。
全体でスケジュールの確認が取れたので、そのまま撮影にうつる。
「僕はカメラマンのショウ。よろしくね。早速だけどここに立って。マリーは両手を前で軽く握って、そう、腰の位置でキープ。ゼインはジャケット右手で軽く引っ張って、そう上手」
祥雲は手短に自己紹介を済ませると早速仕事に取り掛かった。
マリーもゼインもたしかに美しく誰もが振り返って目で追うような顔立ちをしているが、外見にまったく頓着せず、自身の家系がそもそも美形揃いのこともあり、祥雲が2人に見惚れる事など一時としてなかった。
祥雲は日本人らしい黒髪に前髪をつくり襟足が首元でゆるく外にはねる癖毛のショートヘアだが、その髪型も相まって見た目だけでは女の子にしか見えない容姿をしている。まつ毛は長くぱっちり二重のアーモンド型をした瞳、身長は170cmほどと日本人男性ではなかなか高い方ではあるが、モデル並みのスタイルを持ったマリーとゼインにしてみたら可愛らしい子どものようにみえた。実際ニューヨーク州では22歳から飲酒が可能になるため、22歳になったばかりの祥雲はまだ子どもであることに間違いなかった。
そんな可愛らしい日本人がちょこちょこ動き周り、テキパキと仕事をこなす姿は誰の目にも好ましく映った。
ゼインとて例外ではない。むしろここにいる誰よりも祥雲に惹かれていた。
「お疲れ様。2人とも撮られることに慣れてるのかな?とてもやり易くて助かったよ」
「お疲れ様。そんな事ないわ。ショウの指示が的確で分かりやすくて、それにあっという間に撮ってしまうんだもの」
「あはは、ありがとう。2人の写真はこのペースでいくとあと2日で撮り終えそうだよ」
「そんなに早く終わってしまうのか。寂しいな」
「貴重な時間を割いてもらってるしね。はやく終わるに越したことはないよ」
祥雲の言ったことは正論だ。が、ゼインのこの蕩けたような顔に微笑まれながら誘い文句とも取れるセリフにーー実際口説こうという意思を持って放たれた言葉ーーひとつも反応することなくビジネスとしてのやりとりを返されるのは、ゼインにとって初めての経験であった。
もちろん撮影の間彼らの後ろに控えていた編集部の女性スタッフたちはゼインの顔とセリフに顔を赤くし目を潤ませている。ゼインの期待した反応である。
「…このあとはランチタイムなんだが、ショウも一緒にどうかな?」
「お誘いありがとう。でも僕はこのあとも作業があるから、また今度!」
「そうか」と大きく肩を落とす様子に目もくれず、祥雲はそのまま機材を軽くまとめて荷物を引っ掴みヒトミさんと事務員に付いてビル内の休憩エリアへと移動して行った。
「あははは、ゼインでも振られることがあるのね。あー面白い、初めての反応でいつものペースが崩れてるわよ?」
「いや、今のはきっとたまたまだ。彼は仕事とプライベートは完璧に分けたいタイプなんだろう」
「そうだといいわね」
マリーの勘は鋭かったようで、その後も何度ランチやディナーに誘おうと、ちょっとしたコーヒーブレイクに誘おうと、祥雲がゼインの誘いに乗ることは決してなかった。
「もしかして嫌われているのか、もしくはパートナーが既にいるのか、話しかければそんなことはないようだし、本当に彼はなぜあんなに頑なに誘いを断るのか訳がわからない!」
マリーと彼女のパートナー、リザに加えゼインと同期のハンスとともにゼインは通い慣れたバーでウィスキーを煽りながら人生において初めて経験する苦悩をぶちまけていた。
「典型的な”日本人”なのかもしれないねえ」
リゼの言葉にハンスは同意する。
「そうだね。仕事と関わりのある人と仲良くなろうって気がないのかも」
「でも彼そういうタイプに見えないのよね。とても気さくで人懐こい感じ。それこそ話しかけられれば誰にでも快く会話をしてくれるわ」
2日で終わるはずだった二人の撮影は、編集部の希望もあり数日間引き延ばされていた。祥雲と接する機会が増えたマリーももちろん彼をよく知る人物の一人であった。
マリーの言うとおり、祥雲は人好きのする性格で笑顔の絶えない人だった。コーヒーブレイク中にたまたま祥雲と編集部の男性スタッフが話しているのを見かけたマリーはその時のことを思い返しながら話した。
「それに昨日、ショウは編集部の男性スタッフとパブに行く約束しているの見かけたわよ」
「…ゼイン、なんて顔してるの」
「なぜだ…俺の何がいけなかったんだ?何か気に触るようなことをしたのだろうか。いや、もしそうだとしたら彼はきっと直接話してくれるはずだ。ならば何が理由で永遠に誘いを断られているんだ?」
「たまたま予定が合わないだけかもよ」
「単純にゼインが好みではない可能性もあるな」
しばらくの沈黙の後、信じられない。そんな表情でハンスに目を向ける3人。
「だってそうだろう?仕事もできて顔もスタイルもいいのになびかないなんて、ただショウのタイプの人間じゃなかったってだけだろう」
「全く盲点だった!」
マリーとリザは声を揃えてそう叫んだ。彼女らとゼインは学生時代からの悪友で、ゼインの色恋沙汰には慣れたものだった。逆に言えば完全に彼らは完全に麻痺していたのである。ゼインのモテすぎるその容姿が万人を虜にすると錯覚していたのだった。事実、祥雲以外の例外は男女含め過去に一人もいなかった。
ゼインはいまだに理解不能と言う顔のまま固まっている。
「まあ確かにゼインの側にいるとチヤホヤされてるのがあたり前の光景に感じるよな」
「まったくよ。嫌だな知らない間に私たちまで毒されちゃった」
「ふふ、確かにね。リザですらそうなんだもの。私たちではいいアドバイスはできなかったわね」
ハンスはゼインの肩を叩きながら、「まあ仕方ないさ」といって慰め始める。
そうしてこの日はゼインが一言も口を開くことなく、そのままお開きになった。