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ウエノの憂鬱

作者: anco.

ある日曜日、友人2人と上野の東京都美術館へ行ってきた。

友人の内一人が、会社で招待券をもらったらしく三枚あるので行こうと誘ってくれたのだ。

展覧会好きの私ともう一人の友人はありがたくご相伴にあずかることにした。


その日は朝から、抜けるようなスコンと高く雲ひとつない青い空が広がり、秋晴れを代表するような天気だった。

日向は少し暑く、風が吹くと少しだけ寒い、混ぜるとぬるま湯みたいなちょうど良い気温だった。


常人ならば、絶好のお出かけ日和を喜び、ウキウキしながら秋を謳歌するのだろうけど、

私はこの季節が昔からダメだった。

苦手などという生易しい感覚ではない。


空が高ければ高いほど、青ければ青いほど、風が爽やかであればあるほど、

枯葉が吹かれて踊るほど、鋭気が削げて気持ちが落ち込み苦しいほど切ない気分になるのだ。


できれば秋雨のような、誰もが憂鬱になる天気の中出かけたかったな、

と叶いもしない望みを心で思いながら上野へと向かった。


地下鉄銀座線、上野駅から地上へのスロープを歩く。

スロープは緩やかにJR上野駅方面へ上っていく。

足元のタイルは何かで黒く汚れ、何となくベタベタしていて歩くたびに靴底が張り付く。

周りの空気は重くて埃っぽく、スロープの左右にある側溝は鉄製なのに、

腐食しひどく錆びて使い古されたぼろ雑巾のように穴が開いている。


どこから流れてきているのか分からない得体の知れない液体が、

細い管を通してその側溝にゆるゆると垂れている。


そのすぐ横で、ぼろ布を巻いているような裸足の老齢の男性が力なく横たわっている。

足元にはワンカップの空き瓶。競馬新聞。

中身は確認できなかったが確かに何かが入っているくしゃくしゃのビニール袋。


上野の景色は灰色だ。

私はモノクロの映像を見ているような錯覚に襲われる。

上野は古くからターミナル駅として、大勢の人たちの希望や喜び、悲哀、絶望などを飲み込んできた場所。

涙、汗、血液などと一緒に地面に染み込んだ人々の想いや業が、

時間が経つと蒸発し(もや)のように立ち上って景色をモノクロにするのだろうか。


集団就職で東北や甲信越などの田舎から夢と不安を半分ずつ心に抱きながらやってきた若者たちの、

終着地点そして出発の地。

行き場をなくした農家の次男坊たち、子だくさんの貧しい家の女の子たち、

間違いなく高度経済成長の日本を支えた縁の下の力持ちだ。


挫折して故郷へ帰った人も少なくないだろう。

帰るあてもなく、彷徨い、やがて諦め上野駅に辿り着いて住処にした人もいるに違いない。

故郷からの、そして人生の終着地点。


未だ地面から立ち上る当時の人たちの思念は、モノクロのコントラストをもっと濃くしている気がする。


駅舎の周辺は開発が進んでいるようで、オシャレなカフェや飲食店が入る複合商業施設が建っている。

しかしあちらこちらに昭和の時代からその場所にあるであろう、

経年劣化で壁がひび割れた居酒屋や喫茶店、店先にいつから並んでいるのか分からない年代モノの

サンダルを置いた履物屋なども見られ、近代的な建物に混じって奇妙に共生している。


上野に居る人々は、そんな新旧混在の街並みやモノクロの景色など

全く意に介さない様子で各々の目的地へ急いでいる。


そこで一人、私は、陰鬱な空気に加えて、べったりと上野に張り付いている

粘着質な思念を振り払うように足早に待ち合わせ場所に向かった。


美術館の近くまで来ると先ほどまでの不遇な空気は薄れて、近代的な雰囲気に包まれる。

初秋の穏やかな日差しの下、カップルや家族連れが、それぞれ休日を目いっぱい楽しもうとしている。

友人と合流したら、私の意識に働きかけていた暗鬱な意識が少しだけ薄れた。

美術館の中は、完全に外の世界と隔絶されていて、さっきまでの憂鬱が更に薄くなる。

絵画の為に一定の湿度と温度が保たれている展示室内は、人間には少し寒い。けれど少し高めの湿度と薄暗い照明は、外の埃っぽさでがさがさした私の喉と心に潤いを与えてくれるような気がして心地良かった。


展覧会は素晴らしかった。

大好きな画家の、かねてから見たかった絵を見ることができた。

女子三人で行ったにもかかわらず観る順番も速さもバラバラなので、

三人三様好きなように楽しんで出口のショップで合流した。


外に出るとさっきより西に傾いた太陽が鋭角に私たちに光を注ぐ。

枯葉の匂いのする乾燥した風が吹き、二人はまぶしい顔をしながら気持ち良さそうに公園内を歩いて行く。

きゃあきゃあ言う二人の後姿を追いすがら、また暗鬱の欠片が、

どろっとした液体のように私の胸の奥底に一雫垂れた。


二人は集中して絵画鑑賞をしたせいで小腹が減ったと言い、駅前で甘いものを食べることになった。

風に力なく舞う落ち葉を踏みながら、紅葉の始まった桜並木を駅方面へ歩いていくと

サイドの空き地にビニールハウスが立ち並び、ベンチにはそこの住人であろう男性が寝ているのだろうか、

目を閉じてじっとしている。

暗鬱の雫が、今度はぼたぼたと止め処なく落ちてきて胸の中がどろどろでいっぱいになってしまいそうだった。

友人たちにはベンチの男性など見えないのか相変わらず楽しそうにおしゃべりに没頭している。


西郷隆盛像の横を過ぎ、駅への階段を下りる。

階段の端っこには似顔絵書きが数人、画材を広げている。

サンプル画として展示している芸能人の似顔絵は、

日焼けで少し色あせていて全体的に茶色くなってしまっている。


先ほどの展覧会でみた絵画よりも、ずっと後に描かれているのに、

絵を取り巻く環境によってその絵の運命は全く変わってくるのだなと思った。


油彩と水彩など画材の違いはもちろんあるのだろうけど、

どちらも素材としての弱点はあるから「何で描くか」ではなく

仕上がった作品を「どう扱うか」が重要なのではないかと思った。


それにしても、中と外では大違いだ。展示室の絵画と階段の似顔絵、

両方とも同じように絵を描くことを生業とした、画家の手によるれっきとした芸術作品なのに。


私がモノクロの中でモヤモヤしていると、一人の絵描きの前に、子供連れの家族が座った。

小さな女の子と若い両親。

絵描きは優しい笑顔を浮かべ女の子と何か話している。緊張をほぐす為か。

年季の入った木製のパレットの上におもむろに絵の具を落とした。

鮮やかな色が広がり、熟練の手つきで筆を色紙の上に走らせ三人を描いていく。

踊るような筆運びに思わず足が止まった。


女の子を真ん中にして三人で、キラキラ光る太陽に負けないくらい幸せそうな表情を浮かべる家族。

それをまぶしそうな目で見ながら筆を動かす絵描き。


モノクロの世界で、そこだけ綺麗な色が付いている気がした。


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