ぐ~たらの神子・そのいち
聖王国シブヤ。三柱教の総本山メイジ大聖堂を中心として千二百年前に建国された国である。街と呼べる場所は聖都一つだけで、あとは周囲に小さな農村、もとい、食糧生産を目的とした農場とそこで働く労働者達のための設備が点在するのみ。
聖都そのものの面積は大国の首都に匹敵しており、三柱教の僧侶のみならず様々な人間が集い生活している。建国当時に築かれた都市全体を囲む壁の中のみが聖都と定められており、一度も外に向かっての拡張工事は行われず、人口が増えるにつれて中の密度は増し住宅は高く積み重なる集合住宅ばかりになっていった。
街を歩けば大陸でも有数の混み合う雑踏を目にすることができる。現地住民だけでなく、ここには観光客や聖地巡礼の旅人達も数多く訪れるため。
そんな賑やかな聖地において、唯一常に静寂に支配された空間がある。
大陸全土で発行された書物が集まる場所、シブヤ大図書館だ。
ここで騒ぎ立てようとする命知らずはいない。いたとしても、すぐに口を閉ざすことになる。何故ならこの図書館の主は──
「眠い……すごく眠い……」
ご覧の通り、知神ケナセネリカの神子シクラメンだからである。
腰まで伸ばした長い髪。紫などという奇抜な色をしているが、別に染めたわけではない。契約した神の影響で変色した。瞳の色が白色なのも同じ理由。ちなみにこの瞳、よくよく見れば虹彩、瞳孔と中心へ近付くに従いわずかながら濃淡が濃くなっている。だから正確に言えば薄い水色の瞳と称するべきだろう。
そんな彼女は現在、最上階に設けられた彼女専用の部屋でベッドに寝転がり、うず高く積まれた小説をひたすら読み続けている。時折眠そうに目を擦るのは無理も無い話、昨日の朝からずっと寝ていない。
「もう、いい加減に眠られたらどうです?」
苦言を呈す桜色の髪で長身のメイド。名はコデマリ。三柱教が派遣しているシクラメン専属メイド隊の一員である。
もっとも彼女の場合、若干事情が異なる。本職はこの図書館の司書。一年前、あまりにシクラメンの生活態度がぐーたらすぎて見るに見かねて世話を焼き続けていたら、いつの間にかメイド隊に加えられてしまっていた。
生まれは東北のガンテ。有力議員の娘で地盤を盤石なものにしようとした父に政略結婚を強いられてしまい、恋人と二人、身分を捨てて駆け落ちしたという根性の据わった娘である。歳は二十二。
だが、その恋人はシブヤに来た直後あっさり他の女を作って金と一緒に逃げてしまった。そのせいで女色に走ったなどと噂されてもいる。たしかにシクラメンの周囲は女の園だが、とんでもないことだと本人は憤慨していた。彼女は敬虔な異性愛教徒なのだ。今は相手がいないだけ。
一方、シクラメンはコデマリがお気に入り。彼女が同性愛者という意味ではなく、こう見えて二百歳間近なため利発で誠実で優しい若者を年配者として好意的に見ているという話。なのでいつもならその進言を受け入れただろう。けれども今日は却下する。
「駄目……これを全部読み終わるまでは」
「そんなことを仰っても、まだ半分も残っているじゃありませんか」
「だって面白い。この傑作はきちんと後世に遺すべき」
「ならばなおさら眠りましょう。寝ぼけ眼で読み続けるなど名作に対し失礼では?」
「……一理ある」
よかった、わかってもらえたようだ。ホッとするコデマリ。自分達メイドの監督不行き届きで神子が体調を崩したなどと言われてはたまったものではない。彼女はこの国、いや、人類の宝なのだ。
ところがシクラメンはわかってなどいなかった。彼女はさらに困ったことを言い出してしまう。
「禁術を使う」
「え?」
「百二十年前、当時のメイド長に禁止された。だから禁術」
「いえ、そういうことを聞きたくて聞き返したわけではなく、何の術です?」
「眠気が飛ぶ」
「そんな便利な術が?」
本当にあるなら教えてもらいたい。一応、自分も多少は魔力を持つ魔女なのだ。
「ある。でも、この術はリスクが高い」
「リスク……ですか」
「一度使うと一週間は寝られない。そして術の効果が切れたら一ヶ月は目を覚まさない」
「禁止! やっぱり禁止です!」
呪文を唱え始めた主の口を慌てて塞ぐ。不敬だと思われるかもしれないが、このくらい遠慮を捨てないとシクラメンの従者など務まらない。
「ちゃんと、普通に、寝て下さい!!」
「しかたない……じゃあ、その間、その本達が崩れないよう見張っておいて」
「三百年も無事だったんです、今さら二日三日放置したって変わりませんよ……」
「そう願う」
言うなりシクラメンはベッドの上をゴロゴロ転がって端から外へ飛び出した。普通なら「危ない!」とでも叫んで駆け寄るところだろうが、当然コデマリは何が起きるか知っているし、すでに見慣れていている。
転落寸前、小さな身体は自ら展開した魔力障壁によりやんわり受け止められた。彼女は極端にぐーたらもので移動の際にも自分の足で歩かず障壁に乗って移動する。そんなことは膨大な魔力量と精緻な制御技術が無ければできない。素直に羨ましいし同じ魔女として尊敬させられる。使い方はともかくとして。
「それじゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
挨拶を済ませるとシクラメンは瞼を閉じた。すぐに寝息を立て始めた彼女を乗せ、魔力障壁はスーッとどこかへ移動していく。この時間帯なら多分三階の歴史書コーナーあたりが目的地。
(眠っているのに、どうやって魔力障壁を維持してるのかしら……?)
いつ見ても不思議だ。シクラメンは睡眠中必ずあの障壁に乗って館内を巡る。時間帯によって人の多い場所というものがあり、それを熟知している彼女は微睡みながら自動的にそれらを渡り歩いて行く。しかも、普通ならより静かな場所を目指すだろうに、主の場合はページをめくる音が聴こえていた方がよく眠れるらしい。
神子がすぐ傍で就寝中とあっては利用者達も騒ぐわけにいかない。だからこの図書館は喧騒に包まれたシブヤの中にあって常に、そして最も静かな空間なのである。
やれやれ、やっとベッドのシーツが変えられるわと仕事に取り掛かるコデマリ。これは就寝用の寝床ではない。読書中のくつろぎの場。だからベッドなのに主が眠っている間にしか寝具を交換できない。
「そろそろお風呂にも入れてさしあげないとね……起きたら次はそれかしら」
シクラメンは風呂もあまり入りたがらない。聖なる神子でもう二百歳に近いというのに、中身は見た目と同じ十二歳の子供のままだ。少しはアカンサス様やアイビー様を見習ってほしいものである。同じ神子でもあの二人はしっかりしていると聞く。
「まあ、アカンサス様は一旦物作りを始めると夢中になってしまうそうだし、アイビー様も意外と悪戯好きなところがあると聞くけれど……っと、あぶないあぶない」
危うく積み上げられている本にぶつかりそうになった。これを崩してしまったら大目玉を食らう。
晴嵐の騎士エーデルワイスの物語──シクラメンが生まれるよりさらに百年も前に刊行され人気のあった小説だ。題名だけは現代にも伝わっていたものの、現物は一冊たりとも残っておらず、その詳しい内容を覚えている者もいない。ゆえに幻の名著と呼ばれていた。
だがつい先日、北はアモーリの地下遺跡から完全に近い状態で全巻まとめて発見された。ただ、保管方法が良く虫食いやカビの被害こそ免れていたものの、紙の状態は経年劣化によって相応に悪化しており、このままでは再び名作が失われてしまうということですぐにこの大図書館へと持ち込まれた。理由はもちろん、ここにシクラメンがいるからである。
彼女の主はたしかにぐーたらものだが、それが許されるのは彼女が神子であり、責務をきちんと果たしているからである。さっきのようなワガママを言うのも、ああ見えて責任感が強いからなのだ。
「とはいえ、いくらあの方でも今回は時間がかかるでしょうね」
起きて来た時のために甘いものでも用意しておこう。一仕事終えたコデマリもまた早速次の仕事へとりかかることにした。
──三日後、エーデルワイスの物語全二十巻を読み終え、さらにもう一度十分な休息を取ったシクラメンは珍しく椅子に座り大図書館一階の机に向かった。一階から三階までは吹き抜けになっており、いつもは静かな利用者達がこの時ばかりは集まって来てこれから始まる作業に注目している。
もちろん声は出さない。それがこの場に留まることを許されるための唯一のルール。
「紙の用意ができました」
「インクとペンはこちらに」
「うん」
頷いてペンを手に取り、その先端をインクに浸した瞬間、シクラメンの全身から瑠璃色の光輝が放たれた。そして白い瞳の中央にジワジワと墨を垂らしたような黒色が広がって行く。
やがてそれが真円を描いた時、普段の彼女からは想像もつかない機敏な手さばきで目の前の紙に文章を綴り始めた。内容は数日かけて読破したエーデルワイスの物語、一巻目の序文。
あっという間に一枚二枚と書き上げられた写しが大きな机の上に並べられ数を増やしていく。エーデルワイスの物語には挿絵もあったが、やはりオリジナルと寸分違わぬ精細な描写で新しい紙に描き写された。
これが知神ケナセネリカと契約して賜った加護。あらゆる情報を一目で完全に記憶する力と、それを正確に書き写す力。経年劣化、紙魚、カビなどの被害によって貴重な書物が失われることを恐れる者達は彼女のこの力を頼り復元ならぬ再現を依頼して来る。不思議なもので、たとえば魔導書などに簡単には気付かれないよう透明なインクで書き記された隠し文字があったとしても、彼女の能力はそれすら看破し再現してしまえるらしい。
シクラメンは数時間かけてエーデルワイスの物語全二十巻を書き写した。そしてホッと息をつく。
「よかった、間に合った」
「むしろ急ぎ過ぎですよ」
メイドと司書達はインクが乾くのを待って一冊分ずつ“原稿”をまとめていく。行き先は印刷所だ。昔と違って今は活版印刷を使った本の大量生産が可能になっている。三百年前の名著が今の時代にどれだけ売れるかはわからないが、とりあえず百部ほど刷って街の書店に並べる予定だ。
売り上げの二割はシクラメンのものになり、もう二割は三柱教の収入になる。残り六割は原作者の子孫に配当されるルールだが、もし見つからなかった場合は貧乏な創作者達を支援する基金へと充てられる。本の虫の彼女にとって新しい本を生み出してくれる作家や研究者は食糧を生産する農民や漁民に等しい存在なのだ。当然大切に扱う。
「じゃあ、もう寝る」
ぽつりと呟くシクラメン。その眠たげな目はすでに元の色に戻っている。
「駄目ですよ、今回は先にお風呂に入ってしまいましょう」
「昨日も入った」
「人前で作業するのだから当然です。そして、その作業のおかげでインクだらけになっておられます。だから寝る前に身を清めてしまいましょう」
「めんどくさい……全部コデマリ達がやってくれるなら、いい」
「いつもそうですよ。では、お風呂に行きましょう。それと、お疲れさまでした」
「ありがと」
またスイーッと魔力障壁で滑って行く主。コデマリは小さく嘆息し微笑む。久方ぶりの仕事を終えた。これでまた当面は食べて寝て本を読んでを繰り返すだけのぐーたら生活に逆戻り。時折知恵を借りに来る人間もいるが、そういった頼みを聞くかどうかは気まぐれな主人の気分次第。
それでも彼女は貴い御方。いまだ机の上に並べられたままの原稿用紙の海を眺め、コデマリは知恵の神ケナセネリカの神子を今後も大切にお守りしようと改めて誓う。
あの小さな身体には人類がこれまでに綴ってきた全ての文章の、その大半が記憶という名の本になって収められている。つまり、この大図書館より大きな図書館なのだ。それがシクラメンの頭脳。司書でありメイドの自分にとって、そんな彼女の世話はこれ以上無い大役だろう。
自分は男に捨てられたショックで女色になど走っていない。むしろ今ではあの馬鹿男に感謝している。
おかげでこうして天職と、仕えるべき主に巡り合えたのだから。
「痛くしないでね?」
「髪を洗っている最中、目を開けなければ大丈夫です」
……まあ、心配だから風呂にくらい一人で入れるようになって欲しいが。本当の十二歳だってもっとしっかりしているはず。
独身で子もいないのに母親気分を味わうコデマリだった。
つい最近息抜きをしたばかりなのですが、現在執筆中の「最悪の魔女4」でシクラメンの登場シーンを書いていたらふと思いついたのでまた脇道に逸れて書いてみました。今までのをココノ村編、今回を大図書館編としたのは、多分またシクラメンの、というか彼女の周囲の人間の視点で続きを書くからです。本人は基本的にめんどくさがりなので主役はやりたがらないと思います。
本当は一回目は百年くらい前の物語にして、後々時間を経過させてコデマリさんの子孫が新たなメイドとしてやってくるという展開も考えていたのですが、書いてるうちにコデマリさんも思いの外に気に入ったので現代ということにしてこのシリーズのレギュラーキャラをやってもらうことにしました。でも前にいたメイドの子孫ネタはそのうちやると思います。せっかくの二百歳児ですし。
本編でも知恵の神の神子らしい活躍をさせてあげたいのですが、4ではまだそこまで目立たない予定なので代わりにこちらで頑張ってもらいます。まあ作者の頭が悪いので推理小説みたいな話とかは書けないと思いますけども。なので基本的にはぐーたらな神子の日常の物語になるはずです。もし本編での活躍も気になる場合は、3が初登場ですので読んでやってください。出番は最後の方だけですけど。
次回はネタを思いついた時にでも。それでは、また。