弟に似ている人
(塔子)
わたしには弟がいました。司といいました。わたしは弟が大好きだった。
「姉ちゃんはいいよね。」
「なにが?」
「父さんと母さんのきれいなとこ、全部持ってっちゃって。」
「え?」
「俺らの学年でも、姉ちゃん有名だよ。女優さんみたいだって。」
つまらない話をする。司。うるさい子だね。
「そんで、俺、ほんとに兄弟なの?って言われるんだよ。」
すねた顔でこっちみている。この子、ほんとにかわいいね。
「その代わり、父さんと母さんの心のきれいなとこは全部あんたにいったじゃない。」
そう言うと怒って、
「心なんてね!目に見えないの!」
何をあの時、あんなに怒ってたのかわからないけど、笑った。しばらく笑いが止まらなかった。
でも、わたしが言った言葉にウソはない。司はほんとうに優しいいい子だった。わたしも父さんも母さんも司が大好きだった。
「高校はね。県外に行くから。」
ある時にやにやしながら学校のパンフレット持ってきて。
「え~。寂しくなるじゃない。」
「いやだ。この思春期の敏感な時期にこれ以上ね、姉さんと比べられたくない。周りの人が姉さんのこと知らないとこで勉強するから。」
「なにそれ。住むとこどうすんのよ。」
「寮があんの。この高校。」
「へ~。」
ぺらぺらめくる。
「じゃ、あんたがそこにいる間に、お姉ちゃん遊びに行ってあげるね。」
顔真っ赤にして怒った。
「意味ないじゃん。姉ちゃん来ちゃったら。」
からかうと面白いの。この子。
「ねえ、肉親のことそこまで毛嫌いするのよしな。血をわけた兄弟じゃない。」
それなのにみんなでいなくなってしまった。
受験の前に一度下見をするといって三人で出かけて、交通事故にあって。
あっけなくいってしまった。三人仲良く。わたしだけ残して。
司の笑顔を見ることができなくなる日が来るなんて思ってなかった。何も悪いことしていないあの子を、あの子の命を奪って、神様には良心の呵責はないんでしょうか。
二台の車が衝突して、検証の結果、こちら側の父さんの方に非があると判断されて、お父さんとお母さんのお金は相手側の運転手、男の人だった。あちらの方もお父さん。そちらの家族への賠償のためにほとんど消えてしまい。わたしにはほとんど何も残らなかった。
お父さんも、お母さんも、弟も、そしてお金も失った。
たった17歳だった。すべてを失ったとき。
ああ、でも、間違えた。
わたしは生きていた。
「自分の家みたいに思ってくれてかまわないのよ。塔子ちゃん。おばちゃん、娘ができたみたいで本当にうれしい。」
お母さんのお姉さん。おばさんの一家にひきとられた。
「祐介、ほら、部屋にばっかりいないで、塔子ちゃんに挨拶なさい。今日から兄弟になるのよ。」
従妹の祐介君。昔はよく司と三人で遊んだ。しばらく顔合わせてなかった。同い年。ぎしぎし階段がなって、上から降りてきた。階段の途中から首をのばしてこっち見た。背、伸びたなと思った。
「久しぶり。」
「久しぶり。裕君。」
一階の階段のすぐ脇に部屋があって、隣は車庫と壁伝い。入って前方の窓を開けると後ろの家の壁がすぐ迫る。日当たりの悪い部屋で、そのせいもあって物置みたいに使ってたみたい。そこがわたしの部屋になった。
「あ、裕君。お風呂あいたよ。お先にいただきました。」
おばさんの家に住み始めて、どのぐらいのときだったろう?お風呂終わった後に廊下で裕君とすれ違って、声をかけた後に自分の部屋に入った。
この日、近所の商店街の集まりかなんかで、おじさんとおばさん二人とも出かけていた。
「塔子」
部屋のドアがあいて、裕君が入ってきた。
「なに?」
「大丈夫?」
「なにが?」
「みんないなくなっちゃって、平気?」
「あ、うん……。」
口下手な人なのでこんな風に声かけてくるのは珍しかった。
「全然、平気じゃない……。」
笑えなかった。泣きはしなかったけど。うつむいた。
すると、裕君が近づいてきて……。
「元気じゃないのに元気なふりするの、やめたら?親父やお袋の前でさ。」
「でも、心配かけるし。暗い顔してたら。」
急に指が、男の子の指がわたしの洗って乾かしたばかりの髪に触れて、驚いて目をあげると、裕君の目がおかしかった。
「いい香りする。」
それで抱きしめられた。
「俺に頼っていいよ。」
精一杯暴れて、腕の中から自由になった。いつもは感情を見せない従妹が、従妹の裕君が傷つけられた目でわたしを見た。
「俺、ずっとお前のこと、従妹として見たことないから。女としてしか。」
それだけ言って、部屋を出て行った。
そのわたしにあてがわれた部屋には、内鍵なんてついていなくて……。つけてほしいというわけにもいかず。でも、その日からわたしは、びくびくと過ごさなければならないことになった。
ある日、いつものように図書館に行くと、同じ高校の制服の子がいて、男の子。無邪気な顔で寝ていた。桐原君だった。
相手が寝ていたので、遠慮せずにしばらく寝顔を観察した。
どうしだろう?本当に不思議だったんだけど、あの時、桐原君ってなんか司に似ていると思ったんだ。そんなに話したことなかったんだけど。
それで、興味がわいた。
本当に似ているのかどうか。
「桐原君?」
呼んだら目を開けた。
「藤田さん。」
起き上がった。でも、ちょっと寝ぼけてるみたい。
「どうしたの?偶然だね。」
「桐原君もここ来るの?」
「ええっと……。うん。」
やっぱりどこがどうとかうまく言えないんだけど、この人の雰囲気、司に似ている。
「わたし、毎日のように来てるけど初めて見た。」
「ああ、最近はちょっと来てなかったけど、前はよくここで勉強してて、藤田さんは?勉強しに来てるんでしょ?」
「ああ、いや、別に。暇つぶし。わたし、だってね。進学しないから。」
「え?」
彼は少しショックを受けた。感情が顔に出る。素直。やっぱり似ている。
「もったいない。成績いいのに。」
「お金がね、ないんです。大学に行く。」
「……」
もう少しショックを受けた。桐原君。
「わたし、ほら、両親事故で亡くしたの。弟も一緒に。だから、大学に行くお金がないんです。」
「……。なんか、ごめん。」
驚いた。この人本当に似てるじゃない。こういうときに、謝る子だった。あの子。
「なんで?別に謝るようなことじゃないでしょ?」
「うん、でも……」
「桐原君って……。」
「なに?」
「なんでもない。でも、そんな悲しい顔しないでいい。あなたが悪いんじゃないんだから。平気だから。」
「高校卒業したらどうするの?」
「働くよ。」
ふと、気づく。珍しく人と話し込んだ。それも男の子。
「あ、ごめん。邪魔して。じゃあ。」
司、あんた間違ってたよ。心の中で弟に話しかける。
心がきれいなのは見える。
それからも、桐原君とはよく図書館であった。ときどき話すようになった。彼と話すと安心した。神様はきっと反省したんだと思った。わたしもわたしの家族も何も悪いことをしていないのに、ばらばらにしてしまって。悪いことをしたと。だから、きっと弟に似た人と出会わせてくれた。
ある日、彼に大学で何を勉強するのと聞いてみたら、建築と言われて驚いた。
なんでって、桐原君ってもっと平凡な子で。みんなと同じような目立たない子で、だから、そういう人とは違う目標とか目的とか持ってなさそうに見えた。
なんて言うのかな?
わたしの中で、しっかりした目標とか目的を持っている人って、もっと普段から目立つというか、大きい声でいろいろ言って、みんなをひきつけるリーダーシップがあって、そして、もっと強い。こんな、優しい男の子ではないと思ってたから。
だけど、その後、彼が彼の夢を語ったときに、わたしは泣いた。
この人が目指していたのは、大きなことではなかった。家を作りたい。地味なことだと思う。小さな。だけど、深かった。
大きくて派手で遠くから見えるものではなかった。その目標は。
でも、わたしのように傷ついてしまった人には見える。
動かずに待っていてくれる。一つのところでずっと深いところまで人を支えて励ましてくれる。自分から周りに声をかけることはなく、だから、彼を必要だと思うことがなければ、彼の前をきっとたくさんの人が通り過ぎていく。だけど、彼を必要な人がいたら、必ず彼は両腕を開いて受け止めてくれる。そして支えて励ましてくれる。きっと、彼はそういう仕事をして、生き方をする。たくさんの人を愛し、たくさんの人に愛される。
彼はきっとみんなにすごいと認められることがしたいんじゃない。ただ、自分が必要なときに必要なことを周りにしてあげたいだけなんだ。
きっと彼が設計する家は、温かい。
それに、きっと彼の隣は温かい。彼の隣にいるのは。
わたしもあかりが欲しい。寒い白い冬の夜にたどりつけるあかりが。
わたしにもあった。あるときには気づかなかった。
大切なあかり、家族が。
簡単に奪われてしまった。
今までも一人でこっそり夜に泣いていたけれど、初めて人前で、誰かの前で泣いた。桐原君の前で。
一人で泣いたときは、泣く前と泣いた後、あまり変わらなかった。疲れて、眠りにつく。重く暗い海の底をただ歩き続けるような苦しさ。
桐原君の前で泣いて、泣き終えて顔をあげたときに、世界に色が戻ってきた。家族を失って、ずっと色あせていた世界に色が戻ってきた。
様々な音が耳に流れ込み、香りがした。おいしそうな香り。
きっとどこかの家で、お母さんが帰ってくる子供たちのために料理をしている。
困っている桐原君の顔は、温かかった。
わたしにはわかった。生きていけば、また、会える。
桐原君と会ったように、これからも毎日会いたいと思える人がゆっくり少しずつ増えていく。
一人ではなくなっていく。
わたしは、高校を卒業して、百貨店に就職した。制服を着て、婦人服売り場に立って、来るお客さんに商品説明をする。いろいろなお客さんが来る。その人たちの生活や家庭を想像しながら、買い物の手伝いをするのは楽しかった。
前のわたしなら選ばなかったと思う。接客業なんて。不愛想な人間だから。
接客が上手なのはきっと司とか柊二君とかのほう。でも、不思議なもので、真似してみたくなった。二人の。自分にはできないからすごいと思うことを、近くでいながら学んで真似をしてみる。すると、今まで見えなかったようなことに気が付き、知らなかったことを知る。それに、自分が変わった。悪いほうではもちろんなくて、いい方に。
毎日が楽しかった。
彼はきっと、あの泣いてしまった日から、わたしのことが心配なのだと思う。ときどき閉店間際にちょこっと来る。そっと。こっそりときているつもりなんだろうけど、堂々と買い物をしているお客さんの中でこっそりとしている人というのはかえって目立つもので、彼が知らないだけでわたしのフロアの女子社員の間では有名だった。柊二君。
「いつもの彼、来てるわよ。」
「あ、はい。すみません。」
わたしが目を合わせて、手を振ると、ぱあっと笑う。その笑顔を見て、周りの人が見て見ぬふりをしながら笑いをこらえていることを知らない、彼。
ときどき会って食事する。休みの日に映画見たりする。そんな関係が結構長く続いて、でも、彼は何も具体的なことを口にしなかった。
彼みたいに並外れて優しい人は、もしかしたら、ただ親切な気持ちからわたしをほっておけないんじゃないかと思う。それを恋心と勘違いしてるんじゃないかしら。
そんなこと考えるようになったときに、わたしに柊二君みたいな子がいるのを知らない上司のおじさんが、見合い話を持ってきた。
「会うだけあってみたら?悪い人じゃないよ。」
おじさんに言われた。
写真を受け取ったら、周りの同僚のおばさんたちに反対された。
「あの子がかわいそうよ。」
いつのまにか、味方ができていて。
「でも、別にそういう約束をしているわけじゃ。」
「藤田さんはどうなの?」
はて?どうなんだろう?あまり深く考えたことなかった。
「結婚ってしなくてはだめですか?」
「なに言ってるの?あなた。じゃあ、一人で何かしたいこととかあるの?」
何もない。
「でも、まだ若いですし。」
「そんなふうにのんびりしているうちにすぐ年取るわよ。」
それで、つくづく考える。柊二君のこと。結婚?柊二君と結婚?なんか違う気がします。そういう好きなんだろうか。わたしのこの好き。よくわからない。大体、向こうはどうだろうか?弱っている人をほっておけない同情心なのでは?ありえる。
お見合い写真を見る。よく知らない男の人。年上だった。
柊二君とこの名前も知らない男の人とどっちって言われたら、どっち?
やっぱりよくわからない。でも、ひとつわかったことがあった。もし、この名前も知らない、上司のおじさんによるといい人らしい人と婚約とかしたとする。そうすると、柊二君には会えなくなるだろう。
それが嫌だった。
今のわたしの生活で、彼といるときほど安心できるときはない。会えなくなるなんて考えられない。
結局、好きとかそういうのってそんなに難しいことじゃないのかもしれない。
でも、そうはいっても肝心の彼の気持ちがよくわからない。
だから言ってみた。次会ったときに。
「お見合いすることになっちゃって。」
これでもかと動揺して、彼、グラスを倒してしまった。
「すみません。ごめんなさい。」
お店の人に謝ってる。テーブルの上と床、お店の人が慣れた調子で片付けてくれる。
「濡れなかった?」
「あ、いや……」
「わたし、どうしたらいいと思う?お見合いしたほうがいいのかな?」
そんなのやめとけと普段と違って男らしく言うだろうか?じっと見る。
「塔子さんは、どうしたいの?結婚したいの?」
そう言われてちょっとがっかりした。
「会ってみるだけ会ってみようかな。」
そう言うと、柊二君がもう少し動揺するのが見て取れた。
「すぐに結婚したいの?もうちょっと先とかではだめなんですか?」
また、曖昧な言い方……。
「柊二君はいつもわたしに親切だけど、それはどうして?」
「……」
「わたしはっきりあなたに言われたことがない。不安です。」
「不安?」
「うん。不安。」
ちょっと黙ってそれから続ける。
「わたしがしたいのは結婚じゃないよ。わたしは安心したいの。」
「僕はまだ学生で……」
「そんなのはわかってるよ。」
「……」
困った人だと思う。女のわたしにここまで言わせて、それで今日も結局何も言ってくれなかったら、わたし面子ないなぁ。
「わたしが他の人とお見合いして結婚しても、柊二君はそれでいいの?」
「よくないよ。」
自分の大好物のおかずを誰かに取られそうな子供みたいな顔した。
「ちゃんと働けるようになるまで時間をください。」
黙って彼の顔を見る。
「結婚しないで待っててください。」
言った。あの柊二君が。今までずっと親切な男の子の顔を保ち続けていた柊二君が、今日はちょっと男の人みたい。
「はい。」
わたしがそう言うと、びっくりした顔した。
「本当に?」
断られると思っていたのかとその顔見て思う。
「はい。」
彼はやっぱり素直に喜んだ。かわいい顔で笑った。