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ゆきの中のあかり①  作者: 汪海妹
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白い暗い夜に浮かぶあかり

本作品は、私の処女作、僕の幸せな結末までで登場した清一君のお父さんとお母さんの出会いから始まる物語で、前作を補完する形で書かれた物です。

時代設定としては今から約40年前から始まり、10代後半から40代前半までを追っています。

夫婦の物語と親子の物語が主軸となっています。

物語後半に処女作 僕の幸せな結末と全く同じシーンを母親の立場から書いた部分が出てきます。処女作では語られることのなかったお父さんとお母さんの話を書きました。

それぞれの立場から見た一つの出来事を通して作品を味わっていただければと思います。


僕の幸せな結末までを読まずにこの作品からお読みいただいても問題ないと思いますが、先にお読みいただいてから読まれたほうが、より内容を味わえるかと思います。

また、この作品は処女作の別バージョンであるAnother Storyとはつながっていません。

私のほかの作品と比べると、重い部分が多いかもしれませんが、後半に向けて明るさというか軽さが出てきます。最後までお読みいただけたら幸いです。


本作品の主な登場人物

メイン

柊二君(せいちゃんの血縁上の父親)

拓也さん(せいちゃんの育ての親)

塔子さん(せいちゃんのお母さん)


サブ

せいちゃん

なっちゃん(せいちゃんの幼馴染の女の子)

清澄真登香さん(拓也さんの会社の部下)

水原祐介君(塔子さんの従妹)

雪子さん(拓也さんのお母さん)

高遠君(塔子さんのバイト先のオーナー)

タケコさん(塔子さんの仕事仲間)


決して満ちることのない月のようだと思う。2人の関係は。

それでも、どこか欠けたままであっても、触れていたかった。掬いあげても掬いあげてもこぼれる水が、それでもいつかこぼれずに、そしていつか月が満ちると信じたかったんだと思う。この時は、まだ、自分は若かった。

柊二の物を初めてあいつから奪いたいと思っていた。

柊二は何も言わない。

あいつ、死んでからもっと澄んだ目になって、ほほえみながら俺を見ている。その目はやっぱりあの朝と同じ。あの結婚式の日の朝と同じ目をしていた。

心のずっと奥のほうに、友人の面影はやはりたたずんでいた。今も。

…本文より抜粋 by中條拓也 32歳


(柊二)

彼女が僕たちの高校に編入学で入ってきたのは、三学期だった。雪ばかり降る寒い季節。白くて白くて、寒くて、そして苦しい季節。

彼女は、僕たちのクラスの黒板の前に立った。

みんな息をのんだ。男も女も。

とても、きれいな人だった。

「藤田塔子です。よろしくお願いします。」

にこりとも笑わない。不愛想。教師に教わった席にすたすたストンと座った。

塔子さんは、華やかな外見のわりに大人しい人だった。でもほどなく近くにいる女子とそれなりに仲良くなったみたい。そして幸運ながらも同じクラスになった男どもはこっそりと暇を見つけては、彼女を盗み見て、みとれた。

残念ながら、三年生では別のクラスになってしまった。


桜の淡いピンク。僕たちは受験生でした。

同じクラスのやつと帰り道を途中で分かれて、てくてく歩く。前方に彼女の後姿を見つけた。一人。よく似た別の人かと最初は思った。

だって、方向が違ったから。

塔子さんは、親戚の家に住んでいた。同じ学年の水原の家。

水原の家、あっち。こっちじゃない。なんだ?どっか用事でもあるのかな?


水原が塔子さんと親戚で、しかも同じ家に住んでいるという事実は、多くの男子高校生をうちのめした。普通の地味な男なんです。水原。塔子さんと親戚って、血の関係ほんとあんの?って感じ。

ま、でも、僕もそんな威張れるような外見してないけどね。


そして、奇しくも僕は僕の意思ではなかったのだけれど、彼女の後をつけるように歩く羽目になり。そして、僕の家の近くで彼女が道を曲がり去っていくのを見て、すみません。あと、こっそりつけた。

そして、分かった。彼女は僕の家の近くの公立の図書館へ入っていった。

あそこで、勉強してるのかな?ちょっとした発見だった。僕の家の近くの図書館に塔子さんがいたのは。

次の日、僕は帰り道に図書館によって見た。僕もここで偶然勉強をすることにしました。何か言われたらそう答えようと思いながら。でも、いなかった。なんだがっかり。折角来たから、勉強ほんとしてくかと思って、教科書とノートを広げて、図書館の机座って、そんで、難しすぎる数学の問題の上で寝た。

「桐原君?」

女の人に呼ばれた。目を開けたら、

「藤田さん。」

寝ぼけつつ、大いに動揺しつつ言った。

「どうしたの?偶然だね。」

ええっと、奇遇だね、というべきだったかもと後から思った。

「桐原君もここ来るの?」

「ええっと……、うん。」

「わたし、毎日のように来てるけど初めて見た。」

「ああ、最近はちょっと来てなかったけど、前はよくここで勉強してて。藤田さんは?勉強しに来てるんでしょ?」

「ああ、いや、別に。暇つぶし。わたし、だってね。進学しないから。」

彼女は笑った。

「え?」

意外だった。

「もったいない。成績いいのに。」

「お金がね、ないんです。大学に行く。」

「……」

彼女は、親戚の家にいる。

「わたし、ほら、両親事故で亡くしたの。弟も一緒に。だから、大学に行くお金がないんです。」

「……。なんか、ごめん。」

彼女は目を丸くした。

「なんで?別に謝るようなことしてないでしょ?」

「うん。でも……」

「桐原君って……。」

「なに?」

「なんでもない。でも、そんな悲しい顔しないでいい。あなたが悪いんじゃないんだから。平気だから。」

「高校卒業したらどうするの?」

「働くよ。」

そっと笑った。

「あ、ごめん。邪魔して。じゃあ。」

それで、向こうへ行っちゃった。

僕、今日、塔子さんと出会ってから初めてこんなにたくさん話した。挨拶とか用事とかじゃなくて、会話らしい会話をした。

僕は頭の中でさっきした会話を最初から何度も繰り返した。全部で何語話したんだろう?ええっと、数えられないな。勉強しているふりしながら、ちらちら彼女のことを見る。何回目だったろう。彼女が読んでいた本を戸棚に戻して、荷物を片付けているのが見えた。慌てて自分も荷物を片付ける。先に階段をおりていく彼女に追いつく。

「あ」

階段の上と下で見つめあった。そこで、ふと思う。あまりにもあからさまだよな、と。わかりやすすぎる。俺。でも、彼女は少しだけ微笑むとまた前を見て歩き出す。

勇気を出してもう一度足を動かして、階段をおりる。あほくさい。階段をおりるなんてこんな低レベルなことに勇気を出すなんて。でも、さっき見すくめられた。きれいすぎるんです。この人。見すくめられたら、一歩前に足を出すことすら、魔法にかけられたみたいにできなくなるくらい。

声をかけることだって、挨拶だって、手を伸ばせば触れられるくらいの位置に近寄ることだって、勇気がいる。

外へ出て、道を後ろからついていく。曲がり角のところで、彼女、後ろからついてきている僕のほう振り向いて言った。

「ばいばい。桐原君。また、明日ね。」

僕は彼女の後姿をしばらく見ていた。塔子さんはこの頃、髪の毛をおろしているかときどきおさげにしていて、この日はおさげにしていた。ゆっくりと遠ざかっていく様子をばかみたいに見ていた。


そんなふうにときどき、暇さえあれば僕は学校帰りに塔子さんの姿を求めて、図書館へ寄った。冷静に考えれば僕たちは感じやすい年頃だったし、気持ち悪がられてもおかしくなかったんだよね。もし、あの時、彼女が一回でも僕を気持ち悪がるそぶりを見せたら、きっと僕はもう立ち直れないくらい落ち込んだと思う。それで、女の人が怖くなったんじゃないかな。でも、彼女は僕を嫌がらなかった。

そして、しばらくたつと、放課後、その図書館にいる間にときどき彼女のほうから話しかけてくる。

「桐原君って、大学で何勉強するの?」

「ああ、建築。」

「へぇ~。」

彼女の目が輝いた。

「なんか、ちょっとびっくりした。」

「なんで?」

「どうして建築なの?」

「子供の頃からの夢で。」

僕は笑った。家族なら知ってる僕の夢。友達だとね、ほんと仲のいいやつにしか言ってなかったな。この時。

「家が作りたいんだ。人ってさ、毎日どこかにでかけるじゃない?会社とか学校とか、ときどきは旅行とか出張とかでちょっと長くさ。で、夜になって帰ってきたりするとさ、ほら、俺らのとこは特に冬とか寒くってさ、暗くってさ、すっごいくらーい気分にならない?世の中で見捨てられて、独りぼっちみたいなさ。」

塔子さんはじっと僕の話を聞いていた。この時、きれいな透明な目で。

「僕、この土地の冬の夜が子供の頃からすごい苦手で……。ずっと住んでるのに変な物だよね。怖い。おばけみたいな怖さもあるし、子供のときは。それで、ただひたすら独りぼっちみたいな気分になるこわさもあるし。自然がきれいなだけにここの冬が苦手で。だけどそんなときにね、ある夜、ふとぱっと帰り道に顔をあげたときに、いろいろな家のいろいろな灯が見えた。白い暗い夜にね。浮かぶあかりがほんとうにきれいで、温かくて。そのあかりが僕の怖い気持ちも孤独な気持ちもね、全部消していったんだ。それで、自分の家にたどり着いて家のドアをあけてさ。家の中はもっときらきらしていて、できかけの夕飯の香りがして……。あの安心。あの安心をね、そういう人を安心させるものを、家を、自分の手でつくりたいんだ。自分もほしいし、他の人にもわけてあげたい。あかりの温かいすてきな家を作りたい。」

そういう家は、人を抱きしめて人を守る。家族を守り包んでくれる。僕はそういうものを作りたい。

夢中に話してふと見ると、図書館の片隅で塔子さんが泣いていた。静かに。

「どうしたの?えっと?」

何も話せずに塔子さん。僕、はんかちとか持っている用意のいい人じゃなくて、慌てていると彼女そっと自分のカバンからハンカチを出して目元にあててしばらくじっとしていた。ちょっと時間が経って、やっとぽつりと言った。

「ごめん。」

「あ、いや、大丈夫です。というか、大丈夫?どうしたの?」

「わたし、家族一気になくしちゃって一人だから……。」

そこで、また少し黙った。

「わたし、ひとりぼっちなの。」

しまったと思った。僕は知っていたのに、デリカシーのかけらもない。

「ごめんなさい。」

「ううん。いい。聞けてよかった。すてきな夢だね。がんばってね。」

まだハンカチをはずせなくて彼女。しばらくまだだまっていて、僕は彼女がもう一度言葉を発するのを待っていた。

「わたしもそんな家がほしい。」

静かにぽつりと言ったのを聞いたとき、僕は、彼女がどれだけ傷ついていて、どれだけ疲れていて、どれだけ孤独なのかを知った。彼女の悲しみに触れた。普段周りの人に見せることはない深い彼女の悲しみに。

そして僕の胸の中にあった彼女に対する憧れは、憧れではないなにか別のものに変わった。願いのようなものに。まっすぐで透明な願い、彼女がこの悲しみから逃れて、笑ってほしいという願い。

僕の中にはもともと周りの人に笑ってほしいという気持ちがあって、それはもちろんまず、お母さん、そして、お父さん。お兄ちゃん。友達、先生、近所の人たち、それより先の人たち。知らないけれどこの世界に生きている人たち。そういうみんなを笑顔にできることがしたいって思っていて、そのための手段が、それが家をつくることだった。

でも、その中でひときわ強く、この人の笑顔が欲しくなった。

僕は本当の意味でこの日、塔子さんに恋をした。


そんなことがあってからも、僕たちは前よりちょっと仲のいい友達みたいに図書館で会って時々話す関係だった。ある日行ってみると、入り口のところに張り紙が貼ってあって、書庫の整理のために一週間閉館するって。

その張り紙を見て彼女が立ち尽くしている様子を見て思った。前からなんとなく思っていた。塔子さんは図書館にいたいんじゃない。

この人、たぶん、家にまっすぐ帰りたくない。だから、毎日ここにいる。

何かあるんだと思う。背中が、結構困っている。

「あの……」

彼女がこっち見た。

「俺、英語が苦手で……」

「うん。」

「藤田さん、得意じゃない。」

「うん。」

「教えてくれない?」

「いいけど……」

彼女はまたガラス扉の方を見る。

「どこで?」

「おれんち、母さんが自宅の横で洋食屋さんやってるの。ちっちゃな。すぐ近く。」

「うん。」

「そこは?」

彼女はじっと見つめた。青白い顔してた。暗い顔。このとき。

「迷惑じゃないの?」

「全然」

首振った。彼女は笑った。

「桐原君って……」

「うん。」

「日本一親切が似合う男の子だわ。」

ほめられたんだろうか?

彼女が図書館に背を向けて歩きだす。ゆっくりと。

「どっち?」

「えっと…」

僕は彼女よりちょっと先を歩き出す。歩き出しながら言った。

「あの、藤田さん……。」

「はい。」

「僕ってわかりやすいから、僕の気持ちってもうわかってると思うんですけど」

顔を見ないで前だけ向いて話す。彼女がどんな顔をしているのかは怖くて見られない。

「迷惑とかじゃないですか?」

「……」

言わないほうがよかったかな…。後悔する。

「その、いやならいやって言われても僕は平気ですから……。無理しないで。」

「大丈夫です。」

すぐにそう言った。傍らの彼女を見た。少しだけ笑ってた。何がどう大丈夫なのかわからない。わからないけど、それを確認できるわけがない。勇気がないです。ここまでで今日はいい。多分夜気になって眠れないけど。

塔子さんと一緒にお店に入ると、母親が唖然とした。お店、まだ早い時間だからすいてて、母さん暇で。お店の片隅に座らせると、お冷のグラス(お客じゃないからいらないんだけど)二つ置いた後に、あろうことか母屋に声かけてばあちゃんまで連れてきて、じいちゃんまで来る有様で代わりばんこにこっち覗いてる。

「ごめんなさい。」

水飲みながら謝ると、彼女ぷっと笑った。

「変な家族で……」

もう一度くすくす笑われた。

「仲のいい、いい家族だね。桐原君が親切になるわけだ。」

その親切ってことば、あまり適切じゃないです。だって、誰にでも優しいみたいじゃない。僕はどっちかっていうとみんなに優しいほうだと思うけど。ここまでするのは塔子さんだからであって。他の人にも同じようにするんじゃないんだけどな。


その週はそうやって過ごして、何日目かに聞いた。

「あの、藤田さんって何か家に早く帰りたくない理由があるの?」

ちょっと戸惑ってた。

「聞かないほうがよかったかな。」

「誰にも言わない?」

「言いません。」

身を引いて椅子の背もたれに背を預けて、彼女は話した。

「おばさんって、わたしが今お世話になっているおうちの。」

「うん。」

「家の近くなんだけどお習字教室してて、毎日夜までいないの。おじさんもね。」

言いにくそうにした。

「祐介君と二人っきりになるのが…」

同学年の水原の顔を思い浮かべた。

「なんかあったの?もしかして……」

つらそうな顔してこっち見た。ちょっと頭に血がのぼった。穏やかな僕にしては珍しく。

「いや、そんな、そんな大したことじゃないの。でも……」

「うん。」

「それから怖くって。おじさんやおばさんのいないところで二人になるのが。」

「おじさんとかおばさんとかに相談できないの?」

「大事な大事な一人息子なんだよ。」

「でも……」

暗い顔で続ける。塔子さん。

「親のいなくなったわたしを嫌な顔せずに引き取って、面倒みてくれてるの。傷つけることなんてできないよ。わたしが我慢すればすむことだから。」

「大丈夫なの?何もされない?」

「大丈夫。」


でも、僕は気が気でなかった。

愚かだったと思う。でも、若者って愚かなものです。

「ねえ、ちょっと話があるんだけど。」

隣のクラスの水原を呼び出した。彼女から話を聞いた二、三日後。

「藤田さんのことなんだけど。」

「塔子?何?」

メガネかけた。大人しい人。水原祐介。

「彼女が嫌がるようなこと絶対しないって約束してくれない?」

一瞬にしてこの大人しい人が怒ったのが分かった。

「なんで、桐原にそんなこと言われなきゃいけないの?」

思い切り睨まれた。まっすぐに刺さってくる目を見て、僕も男だからわかる。確かにこの人は塔子さんに惚れている。惚れています。子供の気持ちじゃない。

「毎日、家に帰るのが怖いって図書館で時間つぶしてるよ。」

「お前は、塔子の、なんなわけ?」

「……」

言い返せません。なんでもありませんから。

「俺はお前なんかと違って、あいつのこと小さいころから知ってんだよ。なんで、お前にそんなこと言われなきゃなんねえんだ。」

メガネかけた大人しい人。水原祐介。でも、このとき大人しくなかった。そんで、殴られた。あいつは俺をなぐって、そんで、どっか行っちゃった。

しばらく一人でぼおっとして、それで、なんかこれでよかったのか、怒った水原がもっとひどいことをするんじゃないかと後から思い、俺は結構ばかだと思う。

俺を殴るような激情が、水原の中にあって、若くて愚かな僕たちが、一つ屋根の下にあんなきれいな人がいてどうして絶対に間違いを犯さないなんて言える?


「どうしたの桐原君?あなた、こんなんだったっけ?」

「こんなんってなんですか?」

「逆立ちしてもけんかなんかするタイプじゃないでしょ?」

「階段でこけたんですよ。」


保健室の先生にいろいろ言われながら手当してもらった。

その日は図書館に行けずじまい。

翌朝、学校で珍しく塔子さんが話しかけてくる。

「どうしたの?桐原君。それ?」

塔子さんに話しかけられると、周りにいる男子が反応しているのがわかる。なんで、桐原に?

「酔っ払いにからまれているお姉さんを助けたんです。」

僕にしては珍しくすらすらと嘘が。

「そういうのは腕に覚えがないんだから、警察かもっと腕っぷしの強い大人に任せなさいよ。」

珍しく口調がきついじゃない。ちょっと彼女の顔を見る。怒ってた。

「昨日はいなかったし、朝見たらけがしてるし、心配した。」

そういって自分のクラス戻っていった。怒ってた。彼女。びっくりした。

でも、あの様子みたら、水原は何もしなかったみたい。

このまま愚かなことをせずに済んでほしい。そう思う。


水原が塔子さんに何かしたのかどうか僕は結局知らなかったけど、でも、彼女の様子はそれからもずっと普通だったし、きっと大丈夫だったのだと思う。

僕は大学に合格して、塔子さんは百貨店に就職した。婦人服売り場に立つ彼女は一足先に大人になった人。化粧をするようになって、とてもきれいだった。それに顔が明るくなった。

就職して何か月たった後だろう?彼女はおじさんの家を出て、一人暮らしを始めた。

「おじさん、おばさん、今までありがとうございました。」

玄関先で二人に頭を下げている。そこに水原の姿はなかった。

「ほんとに、気にしないでいつまでもいていいのに。うちからお嫁さんに出すつもりだったのに。」

おばさんが塔子さんの肩に手をかけて、眉をしかめながら話しかける。彼女は穏やかに笑ってその話を受けている。

「近くにいるんだから、ときどきはちゃんと顔見せなさい。」

おじさんに言われている。僕は少し離れたところに車を止めて、彼女の話が終わるのを待っている。

「桐原君」

呼ばれた。

「わたしのおじさんとおばさん。」

紹介をされました。どきどきした。

「同じ高校だった桐原君。」

「桐原柊二です。」

ぺこりと頭を下げた。おじさんとおばさんがじっと僕のことを見る。それから二人で顔を見合わせる。

「今日、引っ越し手伝ってもらってるの。」

おじさん結構怖い顔してたんだけど、それから

「ありがとう。よろしく。」

握手された。おじさんとおばさんが家に入って、彼女を車に乗せて僕が運転席に乗ろうと思ってふと二階の方を見て、窓辺にそっとたたずんでこっち見ている姿が目に入った。水原だった。祐介。いたんだ。見送りしてなかったけど。

「桐原君?」

「あ、ごめん。」

運転席座ってシートベルトしめて、エンジンかけた。


「出てこられない?」

「お邪魔なのに?」

「女の子の部屋に男一人で居座れない。」

電話の向こうでため息ついている。

「付き合いきれない。二人でよろしくやってればいい。」

「だから、そういうのじゃないんだってば。」

なかなか折れない。俺の親友。

「しょうがないな。」

引っ越しして、荷物の片づけとか一通り落ち着いたその夜、彼女の門出のためにパーティーみたいなのやってあげたくて。

「中條君。久しぶりだね。卒業以来。元気だった?」

「久しぶり。藤田さん。引っ越しおめでとう。」

「な、すきやきにしよう。すきやき。」

三人でスーパーで買い物して、コンロでフライパンですきやき作って、三人で食べた。

「藤田さん、女の子の一人暮らしは危ないからさ。ちゃんと気を付けないとだめだよ。」

「うん。」

「こいつ、いろいろ使えばいいよ。適度に男出入りしていたほうがさ、安全だよ。」

余計なことを言う。中條のやつ。

「うん。」

ビールを飲んだ。うんって言ったな。今、塔子さん。

「おいしいね。今日なんか楽しい。」

塔子さんが笑う。ほんとに、この人、社会人になって変わった。明るくなった。

「一人ぐらし、寂しくない?」

ひとりぼっちなのって言って泣いた彼女をふと思い出して聞いた。

「お前、それ、どういう意味だよ。」

「どういう意味って?」

「一緒に暮らしたいって言ってるみたい。」

拓也、余計なことを……。塔子さんは何も言わずに笑ってる。

「こいつ、からかうとおもしろいでしょ?」

塔子さんは笑い続ける。明るい夜だった。明るい。


ときどき閉店間際の売り場に僕は顔を出す。制服を着た塔子さんが、僕を見つけるとにこっとする。

そうすると、僕は彼女たちが退社後に出てくる裏口のそばにある喫茶店でコーヒーを飲みながら彼女が出てくるのを待つ。彼女が来るとお店をかえて、一緒に食事して、彼女の話を聞いて、楽しそうだと安心する。彼女の家の前まで送って別れる。

たまに休みの日に映画を一緒に見に行ったり、彼女の用事のために車を走らせたり、買い物につきあったり、電球が切れたと言われて交換したり……。

そんな風に日々を過ごした。

彼女は今、一人ぼっちではないだろうか。いつもそれが気になっていた。

誕生日にはプレゼントを用意した。学生だったからたいしたもの渡せなかったんだけど。

「ありがとう。」

にっこり笑った。

時間が過ぎてった。

僕にとってそれはとても幸せな時間だった。


僕たちには明確な言葉がなかった。僕が言ってなかったから。彼女の気持ちもよく知らなくて、そして約束がなかった。なにせ、まだ、学生だったもので。

でも、彼女は社会人だった。それを忘れてた。僕は、間抜けだった。

「なんかね。」

ある日、いつものように迎えに行って外で食事をしていた時、急に言われた。

「お見合いすることになっちゃって。」

僕は、グラスを倒した。

「すみません。ごめんなさい。」

お店の人に謝りながら、テーブルと床ふいてもらった。

「濡れなかった?」

「あ、いや……」

空っぽになってしまったグラス。

「わたし、どうしたらいいと思う?お見合いしたほうがいいのかな?」

彼女くらいきれいな人が職場にいたら、周りの大人がほっとかない。まして、彼女、両親なくして頼れる人がいない。できるだけ早く身を固めて安心したほうがいいって、普通は、みんな気を遣うじゃないか。

何をうかうかしていたんだろう、俺は。

「塔子さんは、どうしたいの?結婚したいの?」

つまらない顔をした。塔子さん。

「会ってみるだけ会ってみようかな。」

目を伏せてそう言った。心臓がどきどき言い出した。

「すぐに結婚したいの?もうちょっと先とかではだめなんですか?」

塔子さんはそれには答えないで、僕を見た。

「柊二君はいつもわたしに親切だけど、それはどうして?」

「……」

「わたしはっきりあなたに言われたことがない。不安です。」

「不安?」

「うん。不安。」

彼女はそう言った。

「わたしがしたいのは結婚じゃないよ。わたしは安心したいの。」

「僕はまだ学生で……」

「そんなのはわかってるよ。」

「……」

「わたしが他の人とお見合いして結婚しても、柊二君はそれでいいの?」

まっすぐじっと僕を見る彼女の顔を見つめる。

「よくないよ。」

彼女が黙って僕を見る。きっと僕の言葉はまだ足りません。

「ちゃんと働けるようになるまで時間をください。」

まだ見てる。

「結婚しないで待っててください。」

彼女はゆっくり微笑んでうつむいた。この時、彼女が答えを言うまでの時間が僕には永遠に思えた。

「はい。」

塔子さんが、僕を、選んだ。

これは夢でなかろうか。

「本当に?」

「はい。」

目をあげて僕を見てくれた。

きっと世界で一番幸せな男は、今夜、僕に違いない。


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