十二
山賊の襲撃があり、商隊が野営場所に着いたのは日暮れも近い時間帯だった。すぐに火を起こして雨避けの天蓋を張る。皆疲れ切っており、いつも明るい彼らも口数少なく、ご飯を食べた後にすぐに就寝となった。
包まった外套の中でごろりと寝返りを打つと木々の合間から微かに夜空が見える。それをぼんやりと眺めながら昼間、八代と話したことを思い返していた。
「…………はあ」
こぼれるのは溜息ばかりだ。もう考えることが多すぎて頭が破裂しそう。
三光はあれから鈴たちの前に姿を表さなかった。商隊にも姿が見えなかったので青幡に聞くと「まあ、あいつのことだからどっかにいるだろ」と投げやりに言われた。信頼しているのかどうでもいいのか。
「……だめだわ、もう起きよう」
ちょっとその辺を散歩して来ようと鈴は上体を起こした。するとすぐ上の枝に留まっていた北斗が「どうしたの」というように肩に降りてくる。そんな遠くへ行くわけでもないし、北斗が一緒なら大丈夫だろう。
歩いていくと少し離れた場所に灯りが見えた。進んでみるとおやっさんが切り株に腰掛け、膝の上に布を掛け、作業をしているところだった。
(邪魔したらだめよね……)
そうっと踵を返そうとするも、その時いつもは大人しい鴉が「行かないの?」と言いたげな声で「カァ!」と耳元で鳴いた。思わずうわぁっと声が出る。
「…………」
「……こ、こんばんは……」
ばっちり目が合ってしまい、逃げられないと悟った鈴は彼に会釈する。しかし彼はそのまま何事もなかったように作業に戻ってしまった。
(うん、邪魔するなってことかな! でも挨拶くらい返してくれても……)
八代の師匠である彼は非常に寡黙な男だった。その分、弟子である八代が人の三倍喋るので釣り合いが取れているように思えるが、そのため彼がそばに居ないとどこかそわそわしてしまう。
(やっぱり戻ろう……)
「あの、すみませんお邪魔しました……」
「眠れんのか」
くるりと元きた道を戻ろうとしたところで、彼の方から話しかけられた。鈴は驚いて彼を見る。ちゃんと彼の声を聞いたのはこの行商の間で、初めてのことだった。
「あ、はい……」
「ちょっと待ってろ」
「え? え?」
おやっさんはまた寝起きの熊みたいなのっそりとした動きでのしのしと近くの天幕まで歩いて行ってしまい、鈴はそっと外燈のそばに座り込んだ。ゆらゆらと揺れる炎の灯りは見ていてどこか安心する。
「おい」
「ひえっ!」
驚いた鈴は文字通り飛び上がった。振り向くとおやっさんが陶器の茶器を両手に持ち、ぬっと立っていた。おやっさんはまた切り株に腰掛けると茶器のひとつを鈴へ差し出す。
「あ、ありがとうございます……」
受け取ると柔らかい熱が掌に伝わる。茶器の中には飴のような伽羅のような、もったりとした淡い茶色の液体が入っており、一口含んでみると不思議な甘さが口に広がった。蜂蜜の甘味が後から追いかけてくる。
「おいしい……」
ほうっと息を吐く。胸の奥がぽかぽかしてくる。カァと北斗が物欲しそうに鳴くので、湯飲みを傾けてちょっとだけ飲ませてやった。湯飲みに嘴を突っ込んで飲む鴉におやっさんはやや困惑した表情を浮かべている。
「……六国の紅茶にあっためた牛乳と蜂蜜を入れている飲み物だ。寝れん夜にいい」
「そうなんですね、すごく美味しいです」
「そうか。八代も小さい頃よく飲んでいた」
その言葉の裏にあるものを読み取って、鈴は目を伏せる。彼に拾われた頃の話だろう。きっと今の鈴のように、八代も眠れぬ夜は多かったのだろう。
「…………」
「…………」
またしばらく沈黙が続いた。おやっさんは黙々と作業に戻り、鈴もお茶を飲みながらぼんやりとそれを眺めていた。
「お前さん、その帯のやつ貸してみろ」
「へ?」
不意におやっさんが何の脈絡もなくいうので、鈴は首を傾げた。帯?
「あ……」
見れば帯に下げていた飾りが紐から外れそうになっていた。茅羽夜から貰った簪の、なんとか無事な部分をばらしてむりやり帯飾りにしたものだ。黄玉は落ちてしまったけれど、蝶の飾りと菫青石だけは手元に残っていた。
帯飾りを抜き取って手渡すと、おやっさんはそれを器用に一度ばらし、針金を曲げて繋いでいく。これぞ職人技だ。
「すごい……」
「これくらいは基礎だ」
「そんなことないです、すごいですよ十分」
銀朱もそうだが、ひとつのことへの情熱を持った人というのはとても明るく見える。確固たる芯とでも言うのだろうか。
「職人さんってすごいですよね。なんでも出来る人も当然すごいんですけど、ひとつのことを極められるのって、そのものに情熱を注げるってことですもんね。尊敬します」
「……」
じっとおやっさんがこちらを見たかと思えば、またすぐに視線が下に戻る。ぱちんと針金を切る音がして、鈴はぶっきらぼうに差し出されるそれを受け取る。蝶たちは帯飾りではなく、髪紐に括り付けられていた。
「そっちの方が落ちんだろう」
「わあ、ありがとうございます! おいくらですか?」
「いらん」
「でも、職人さんでしょう。見合った対価は払わないと」
「もう貰っとる」
「えっ?」
何か渡しただろうか? 首を傾げて見ているとおやっさんがお茶を一口飲み、じっと鈴の方を見た。
「……これは儂の独り言だ」
そう前置きして、彼はぽつぽつと雨垂れのように話し始めた。
「十何年前、治世が荒れ始めた頃、一人で行商していたら護衛に裏切られて山賊どもに襲われたことがあった。そういうのは別に珍しいことでもなかったが、信頼していた見世の推薦だったから確認もせずに雇った。それがよくなかった。身包み剥がされて、いよいよ殺されると思った時、助けてくれたやつらがいた」
親子のようだった、と彼は言った。
歳若い夫婦に手を引かれた幼子。それから女の腹は大きかったそうだ。
「聞けば八国の知人のところへ寄ってから九国へ向かう途中だったそうだ。儂も同じ方向へ行くと告げたら、その間護衛を買って出てくれた。子連れで、しかも身重の女を連れての追いはぎはおらんだろうと、儂はその申し出を有り難く受けた。男は医師と言っていたが、やたら腕の立つ男だった。女の方も術師で、端的に言えば奇妙なやつらだった」
「…………」
どうして、そんな話を鈴にするのか。わからない。でも鈴にこそ、話さねばならないことなのだろうと思った。
「そこからは何事もなく旅を終え、九国で別れた。彼らは護衛の金を受け取ってくれなかった。これからもっと大変な時代になるから、とっておけと言ってな。それはアンタらもだろうと言っても彼らは首を振らんかった。でも、じゃあ代わりにと言って、儂は一つ、頼まれごとをされた」
ぎゅっと膝の上で拳を握る。襟元に隠している首飾りが熱を帯びている気がした。
「もしも、私たちの子供に出会ったら、その子を助けてあげてほしい、と」
「…………」
「儂の独り言だ」
「そう、ですか……」
唇を噛んで、鈴は手元の湯飲みを見る。おやっさんはもう鈴の方を見ておらず、手元の作業を再開していた。
「お前さんが何に悩んで、どこを目指し、何を成そうとしているかはわからんが、全てに正しく在ろうとしなくていい。だが己の心にだけは、誠実であることだ」
「自分の心に、誠実に……」
それを聞いた時、すとん、と何かが胸の底に落ちた気がした。ふわふわしていた足がようやく地についたような感覚。
ぬるくなったお茶を飲み干して、鈴は立ち上がった。
「お茶、ご馳走様でした。美味しかったです。それに、帯飾りも。ありがとう」
「いいや。湯飲みは置いておけ。あとで一緒に片付ける」
「ではお言葉に甘えます」
「ああ」
「おやすみなさい」
おやっさんは相変わらずしかめ面でこちらを見ようともしなかったけれど、もう彼を怖いとは思わなかった。鈴は頭を下げて、北斗と共に自分の寝床へ戻った。
「……かくれんぼか?」
そう暗がりに声を掛けると、そっと木陰から一歩踏み出した音がした。足音が切り株に座ったまま背を丸めて作業している自分の横に立つ。
「……気付いてたんですか、俺のこと」
どちらの意味にも取れる言葉に「さあな」と返す。
「だが、あの子はよく似ている」
誰にとは言わない。だが、青幡の眼裏に浮かべているだろう彼らの姿と、今自分が浮かべている人たちの面影は重なるのだろうと思った。
「あいつらは死んだか」
「……はい」
「そうか。まあ、そうだろうと思っていた」
自分たちではなく、子供に恩を返してほしいと言われた時、なんとなく彼らは長く生きるつもりはないのだろうと悟っていた。時代も悪かった。雪玉が転がるように、治世が荒れていくのを見てきた。
その時代の中心で、荒波に飲まれていく人々をただ、見送ることしか出来ない。でも、今目の前にいる彼らは。あの時産まれようとしていた子供は、手を引かれていた幼子はもうこんなにも。
「……大きくなったな」
たった一時だったけれど、彼らから貰った優しさを覚えている。
お前たちがどれだけ世の中から罵倒されようと、必死に生きようとしていることを自分はちゃんと知っている。忘れない。ずっとずっと自分が死ぬまで。
あの時見送ることしか出来なかった背を、今度はちゃんと、押せただろうか。




