十一
夢を見る。
自分が置き去りにしてきたもの、見捨ててきた人の最期の言葉を。
繰り返し、繰り返し、輪になった糸の上を歩く。
それはさながら罰のようで、その夢から醒めた時、心から安堵する反面で落胆する。
どうして自分は、まだ生きているのだろうと。
七国の国境を越え、しばらくは平穏な旅が続いた。
都には兵もちらほら見えたが、青幡の印象に残りにくくなるという術のおかげで大した問題は起きなかった。疑われないのはいいことだけれど、ほんの少し、複雑だ。
しかしもうすぐ七国の国都へ着くという街道で、それは起こった。
その日、鈴はいつものように八代と後方隊で並んで干し棗をおやっさんから貰い、ふたりで分け合って他愛もないお喋りをしながら歩いていた。あともう少し行ったところで野営の準備をしよう、そういった話が出始めた夕刻頃。
先行隊から悲鳴が上がった。
「!」
「な、なに?」
「山賊だ!」
瞬間、一気に緊張が走った。先行隊には守千賀と青幡がいる。滅多なことは起きないだろう。そう思っていても花嫁行列の時の記憶が蘇って、どきどきと心臓が嫌に鳴る。鈴はじっと息を潜めた。
ぴんと張った糸を周囲に張り巡らせるように、三光がすぐそばに立ちながら視線を泳がす。後方には鈴の他に松葉と三光がいたが、二人とも既に臨戦態勢に入っていた。
「─────伏せろ!」
松葉の鋭い声が響いた。鈴はぐっと蹲み込む。頭上で風を切る音がした。はっとして顔を上げると、ぱたぱたと血飛沫が顔に飛んだ。自分を庇うように立っていた八代の頰に一筋の傷が出来ていて、そこから飛んできたものだった。
「え、鈴⁉︎」
考えるより先に体が動いていた。鈴は襟元から首飾りと帯紐に括り付けていた小刀を抜き、指へ滑らせる。
「行って、北斗! 天草!」
幾重にもなる鈴の音から飛び出してきた二匹が森の木陰に隠れていた弓兵に向かって駆ける。大鴉が木の上にいた者も叩き落とし、天草が角で引っ掴んで投げ飛ばす。鈴自身も松葉が薙ぎ倒していった山賊たちを術で縛るためにひとつ、柏手を打ち、さらに後ろから迫ってきていた男に氷の粒を投げつける。
「わ〜鈴くん強い、強い」
この緊迫した雰囲気の中、三光の声がやけにのんびりと聞こえる。彼はとっくに反対側の木陰に他の商隊の人達を連れて避難していた。
「いや、アンタも戦いなさいって!」
「むりむり。僕、荒事ほんと苦手だからさあ」
「この役立たず顔だけ男ー!」
「あっはははは、鈴くんひどいな〜」
なんて緊張感のない男なんだ。鈴は呆れ果てて、もう彼の存在は無視することにした。まあそもそも、守千賀や青幡、さらに松葉までいてただの山賊如きに遅れをとるはずもなく、彼らはあっという間に捕縛された。ほっと息を吐いて、八代の手当てをしようと振り向いた時きらりと光るものが見えた。
「──────北斗ッ!」
羽ばたきが滑空する。鈴も駆け出した。けれど、どう足掻いても間に合わない。
「逃げて、八代ッ!」
「……ッ」
誰かの息を呑む声が聞こえて、鮮血が舞った。それから悲鳴。大鴉が今まさに刀を振り被ろうとしていた男の目を抉った。
しかし、男の刀は、青年の腕に大きく食い込み金鉄の匂いが風に乗って撒き散らされる。八代のものではない。彼を背に庇ったのは────────。
「三光!」
鈴の悲鳴にも似た声が森に響いた。松葉が鈴の背を追い越し、男を押さえつける横で、尻餅を着いた状態で茫然としている八代がいる。鈴は三光に駆け寄るとすぐさま龍脈に意識を流して、治癒の術を試みる。思いの外深く切られていた。
「いやー逃げ損ねちゃった、僕としたことが」
「なに笑ってんのよ!」
全然、笑い事ではない。下手したら神経まで傷付いているかもしれないし、これから一生腕が動かせなくなるかもしれない大怪我だ。それなのに三光ときたら、へらりと笑ってくしゃくしゃに泣いている鈴を見ている。
「あーあ、子供の泣き顔って嫌いなんだけど」
「泣いてないわよ!」
「いやめっちゃ泣いてるじゃん? それなに? 心の汗?」
「通り雨!」
「無理ある〜……」
「てかちょっと黙っててよ、集中出来ないじゃないの!」
「まあ、これくらいなら」
ちょいちょいっと指を動かして三光は鈴の手から生み出された淡い光を指先に絡めると、それを糸のように細く伸ばし、傷口を縫っていく。ぽかんと鈴はその見事な術を見ていた。一種の芸術のようだ。
「ほら、終わり」
「……わたし、余計なことした?」
「いいや、僕じゃ龍脈からこれだけの霊力を引き出せないからさ。助かったよ〜」
「アンタ、本当にすごい巫術師だったのね……」
今までどこか半信半疑だったが、確かにこれはすごい。はっきりいって甘く見ていた。
「僕よりそっちの彼、大丈夫?」
「あっ! そうだ、八代! 大丈夫? 傷の手当てしよう」
手を伸ばすけれど八代はただ一点を見たまま固まっている。どうしたのだろう、巫術を見てびっくりさせただろうか。首を傾げていると、八代はふらふらと立ち上がり、三光の前まで行くとがしっと顔を掴んだ。
「え⁉︎」
「え……やだ三光、まさか八代にまで……?」
「ひどい誤解やめてくれる⁉︎ ちょっと君、僕は可愛い女の子専門で……」
「璃人……?」
ぴたりと三光の動きが止まった。
呼吸も、心臓も、空気も、全てが停止していたかのように思えた。
「な、に、いって……」
「なあ、お前璃人だろ? 銀玲の守人んとこの孫の! おれ、おれだよ、わかんない? 豊都の八代だよ!」
「……ない……」
「お前、生きてたなら知らせろって! ていうか今までどこにいたんだよ⁉︎ 真尋殿下は最期までお前を捜して……!」
「知らないって言ってるだろッ!」
びりびりと地面が揺れたかと思えるほど、大きな声で三光は八代の言葉を遮った。
その強張った表情もいつも飄々として、へらへらしている三光からは考えられないくらい真っ青に青褪めている。
不意に三光はゆっくりと立ち上がると、そのままどこかへ早足に立ち去ってしまった。鈴も松葉も、勿論八代も誰も彼を引き止めることが出来ず、その背中を見送る。
(なに、いまの……本当に、三光?)
付き合いが長いわけではないので、彼が一体どういう人物なのか鈴はよく知らない。だが少なくとも鈴の前にいた彼はあんな乱雑な言葉で、表情も取り繕えないほど動揺したりしなかった。
どんな時でも必ず一歩引き、余裕のある表情で、ぷかぷかと浮く雲の上から狼狽る鈴たちを面白そうに見ている。そんな印象があった。けれどさっきの彼は。
(真尋殿下って、葵依様の……それに八代が、豊都の出身……?)
短い間に情報量が多すぎる。
混乱する鈴の前で、八代はもっと困惑した顔をしていた。
「ね、鈴、あいつ何で三光っていうの?」
「え? さあ……あの、八代。その璃人って人は、本当に彼のことなの?」
「おれも今、思い出したんだ。璃人に庇われた時の背中があの方の……真尋殿下に、見えて……だってあいつ、印象全然違ったから気づかなかった……」
途方に暮れたといった表情で、八代はくしゃくしゃと前髪を指でかき上げる。彼はもう三光が璃人という人だと確信している。そして三光も心当たりがあるからこそ、あそこまで取り乱したのだ。
もうそれは、言葉なき肯定だった。
「おれの家族は海真教の信徒じゃなくて、どちらかといえば殿下派だったんだ」
山賊を引き渡し(勿論、その際鈴たちは馬車の中に隠れさせてもらった)隊列を組みなおし、ようやく旅を再開した頃、はじめはじっと押し黙っていた八代がぽつりと話し始めた。
八代と鈴は顔色が悪いと言って馬車に乗せてもらっていたが、所狭しと商品やら野営道具やらが積み込まれているため、ふたりは膝を抱えてぴったり隣にくっつく形となっている。
八代の声は決して弱々しくはなかったけれど、どこかいつものような元気はなく、憔悴していた。
「おれの家族が表立って海真教に何かしたわけじゃないけど、十二国の当時はすごくぴりぴりしてて、里の中で違う一派があるとそれだけで迫害の対象になった。鈴は十二国の豊都って都を知ってる? うん、そこがおれのいた都。今はなんかすごい栄えているらしいけど、当時は殿下派と海真教っていう宗教の一派と、二分化してて治安がすごく悪くてさ。おれの家族は海真教の信徒に殺された。兄貴が、海真教の信徒だったんだ」
ぽつり、ぽつりと、八代は語る。八年前、自分になにが降りかかったか。
「兄貴は両親を説得しようとしてたんだけど、うちの親は今更、宗派変えなんて出来ないって突っぱねてた。そしたらさ、わーって人が流れ込んできて、全部燃えて行った。陽神の聖なる火だとか、大海神の加護がないから雨が降らずにお前たちは焼け死ぬんだとか、そんなことを言ってた。おれは兄貴がなんとか逃してくれて……北の銀玲ってとこに逃げたんだ」
(銀玲……)
三光、いや璃人の、生まれ育った里だろうか。彼は十二国の山守の裔だというのは知っていた。
ということは、銀玲は顎龍山を守っていた一族の里ということだ。確かに、八年前の騒動で山守の一族は皆いなくなったと豊都の住人が言っていたのを思い出す。
「でも、銀玲には何もなかった。全部全部、燃えてた。あいつだけ……あいつと、疾風っていう従者? かな、たぶん。あいつにいつもぴったりくっついてたから、そうだと思う。うん、その二人しかいなかった。そんなおれらを保護してくれたのが真尋殿下だったんだ」
「─────……ッ!」
鈴は目を丸めた。第二皇子、真尋。葵依の許嫁であった彼は去年の初夏に、当の三光が起こした騒動に巻き込まれた葵依を助けるために幽霊となって憑いていた。その時のほっそりとした顔を思い浮かべる。
真尋が、三光を保護した? 彼は、真尋の……葵依にとっては、仇だと自分で言っていたのに。
「殿下はおれたちに頭を下げてさ、すまないって何度も謝ってくれた。信じられる? この世の全てを持ってる人が、明日の食うもの寝る場所にも困ってるような孤児に涙を流して土下座してんの」
「…………」
「おれ、その時まだ八つやそこらだったから、そういうの全然わかんなかったけど、ああこの人についていけばきっと上手く行くんだろうなって思った。この人が帝になればいいのにって。おれの両親は何も間違っちゃいない、この人は立派な人だって思った」
鈴はどう反応したらいいのかわからなくて、ずっと膝を抱えたまま、頷いた。
「おれたちみたいな子供はたくさんいたけど、殿下は全員自分の陣営に連れて行ってくれて、面倒を見てくれた。里を解放して、今思えば国庫からだろうけど、物資とか食糧とかいろいろ持ってきてくれて。璃人はさ、術が使えたから殿下に取り立てられてて。おれ、ちょっと羨ましかったんだよな。意地悪とかして、いつも返り討ちにされてた」
その時を思い出したのか、八代がふふっと笑う。
「璃人も疾風も殿下を慕ってたし、殿下もふたりはすごく可愛がってた……ように見えた、おれにはね。何しろ即戦力だったし。でも殿下はもっとおれが大きくなったら必ず取り立てて下さいってお願いした時、言ったんだ」
『ダーメだ』
『ええっ! なんでだよー!』
『当たり前だろ。八代が大きくなった時、剣を取らずに済む世界を俺は今作っているんだからな。その頃には俺だってお払い箱さ』
『殿下が帝になればいいじゃん。そうしたら、おれが守ってあげる!』
『やー、俺そういうの苦手だから無理。平和になったら臣下に降りて、兄貴の手伝いしながら嫁さんとのんびりすんだ。あ、そうだ。お前、手先器用だろ? いい職人紹介してやるからさ、俺の嫁さんの簪作ってくれよ』
それがいい、と。名案だというように、何度もそう言って笑った顔を八代は今でも思い出せる。その顔があまりにも期待に満ちていて、八代は不満だった気持ちがすべて吹き飛んでしまったのだと語った。
「それで、簪職人になったの?」
「おやっさんに出会ったのは本当に偶然。殿下が亡くなった後、散り散りになってまた行き倒れてたとこを拾って貰ったんだ。でも、これがおれの運命なんだと思った。殿下がおやっさんに引き合わせてくれたんだって……神様ってものが本当にいて、運命の出会いがあるなら、おれにとっては殿下とおやっさんだ」
少し考え込んで、八代は自分の膝に頰を寄せて目を瞑った。
大切に箱にしまっていた記憶を、丁寧に指先でなぞるような顔だと思った。
「殿下の最期は、おれたちもすぐそばにいた。勿論、殿下はすぐに逃がそうとして下さったけど、囲まれて、火を付けられた。覚えてるのは怒号と悲鳴と、火の熱さ。それから……殿下の、璃人を呼ぶ声」
「……三光を?」
「うん。さっきさ、昔のあいつと全然違ってたって言ったじゃん。ほんと、全然違うんだよ。昔はすごい意地悪だった。確かにおれも結構いろいろ意地悪したけどさ、一回り近く離れてる子供相手に本気でやり返してくるんだぜ、あいつ」
(……それは今も大して変わらないのでは?)
凛音とのやり取りを思い出して、いや少しは成長をしている……? とそっと目を逸らす。いや、大人気ないという点においては大差ない。凛音が一体幾つだと思っているのか。
「それに殿下と疾風以外、絶対にそばに寄せ付けなかった。なんか、いつもイライラしてて、おれに触れると怪我するぜ、みたいな。想像つかないでしょ」
「う、うん……」
「だから保護された中でも結構浮いてた。それだから余計殿下も構っちゃって……」
「あの、殿下と三光は仲良かったの? その……殿下の、最期、とかは……」
鈴の問いに八代はうーんと唸った。
「おれも直接見たわけじゃないからその辺はわかんない。でも、殿下は最期、璃人の名前を大声で呼んでた。……たぶん、逃げろって、言ってた」
「……」
絡まっていた糸が、少しずつ解かれていく。鈴は真尋がどういう人物か、人伝でしか知らないけれど、葵依を見ていればとても温かな人だったのだろうと思う。
そして、三光も。彼のことも、鈴はもう信用し始めていた。彼が葵依にとって仇であることは理解していても、どうしても三光を憎んだり蔑んだりすることは出来ない。
(憶測だけど、本当に、わたしの想像でしかないけれど……)
八代を突き放した理由は、真尋の最期を鈴に知られたくなかったからではないだろうか。
正確に言えば、葵依に。
(だとしたらあの初夏の事件は……)
憶測でものを言ってはだめだと、鈴は前回の東宮妃の課題の時に嫌というほど身に染みていた。けれどもしも、本当に、そうだとしたら。
「…………」
それを突きつけて、一体わたしはどうしたいの?
誰かが隠している気持ちを暴き立てることは決して全てが正しいわけではない。
そもそも人の気持ちに正しさなどないのだ。誰もが正しく間違っている。捻れた道に立ち尽くし、時には誰かに預け、心の奥に仕舞い込むことで歩き出せる人間だっていることを鈴は知っている。
きっと三光だって、そうだ。
八代は彼が変わったというけれど、たぶん、根っこの部分はあまり変わっていない。
彼は決して人へ自分を見せない。
軽い口調で、甘い顔で、蜃気楼のようにゆらゆらと揺れる、彼の影。あれは彼なりの歩き方なんだと思う。
(─────では、本当の彼は今、どこでないているの?)
そこからはがたがたと軋む馬車の中で、ふたりはただお互いに目を瞑って黙り込んだままだった。




