十
翌日、目の下に隈をこさえているのにやけに肌艶のいい銀朱に連れられて屋敷までやってきたのは、商隊の纏め役と交渉役をやっているという男だった。浮雲と名乗った彼はいかにも気のいい小父さんといった風体で、彼は本を扱っているらしい。
「悪いわね、無理言って」
「いえいえ。六反田のお嬢さんには何かとお世話になっていますからね。それに見たところ、腕っぷしは期待できそうだ」
浮雲は快く鈴たちを雇い入れてくれた。旅券も讃良が用意してくれて、本当に頭が上がらない。
「銀朱様、ありがとうございます。このお礼はいつか必ずします」
「当たり前でしょう。いいこと、絶対、絶っっっ対に帰ってくるのよ。小説の続きを書かなくちゃいけないんだから、ちゃんと全部終わったらわたくしに話に来ること。それでわたくしを心配させたことは許して差し上げるわ」
「あれ、やっぱり心配してくれてたんですね」
「してないわよ!」
「ええ……?」
どっちだ。いやこれは寝不足で口が滑ったな……と鈴は目をしょぼしょぼさせている銀朱を見た。秋口くらいによく見た光景だ。
「銀朱様のこと、最初はなんていけ好かない女だと思っていたんですけど」
「何ですの、恩人に向かって」
「最後まで聞いてくださいって。思ってたんですけど、なんだかんだ今では銀朱様のこと、好きですよ。銀朱様と友達になれてよかったです」
手を差し出すと、銀朱はふんと鼻を鳴らしてその手を握ってくれた。本当に、人生っていうのは何があるかわからないものだ。
「行ってきます」
解いた手を振って、鈴は歩き出す。その背中が見えなくなるまで、銀朱は見つめていた。
「……行っちゃいましたね」
「そうね。わたくしはいつもあの方を見送るばかりね」
でも、と自室へ向かいながら銀朱は思う。
「あの方なら大丈夫でしょう。なんて言ったって、あの方は無垢で、まっすぐで、無鉄砲だけど芯の強い、物語の主人公ですもの!」
* * *
浮雲に連れられて、鈴たちが彼の商隊が待つ都の外へ向かうとざっと二十人程の団体と幌馬車が二台止まっているのが見えた。商隊としては大き過ぎず小さ過ぎずといったところらしい。
「みんな集まってくれ。今日から九国まで商隊に加わってくれる用心棒の方々だ。六反田のお嬢さんの推薦だからね、身元は保証するよ」
「よろしくお願いします」
鈴が頭を下げると、彼らは「よろしくなー」とめいめいに準備をしながら挨拶をしてくれた。人が入れ替わり立ち代わりするので、慣れているのだろう。
幌馬車に天幕やらの積み込みを手伝っていると都から食料の買い出し班が帰ってきた。
「あ! 浮雲さん、その人達が今日から入る用心棒の人⁉︎」
「そうだよ」
「おー! おれよりちんまいのが来た! おれ、八代! お前は?」
「り……鈴と言います。よろしくお願いします」
「よろしくな〜他の奴らは……」
同い年くらいに見えるのにてきぱきと食料を積んでいく八代は経路を確認している青幡たちの方を見て、目を丸める。
「……あれ? あ、あー! なあなあ! お前、花巻だろ!」
「え? ……うげ、八代……?」
「えー⁉︎ 何で何で⁉︎ お前宮勤めしてるんじゃなかったのか⁉︎」
「色々事情があるんだよ」
「えー! なんだよー! 言えよー!」
バシンバシンと大きく青幡の背中を叩く八代は八重歯を見せて笑う。その彼とは対照的に青幡の顔は急にげっそりとしている。そういえば、花嫁行列の時も花巻と名乗っていたことをふと思い出した。彼のよく使う偽名なのか、それともなにか別の意味があるのかはわからない。
「知り合いなの?」
「ああ……前に宮勤めするときに世話になった商隊にいた奴だよ。宮市の時に店出してたから」
そうだったのか! どうやって宮に侵入してきたのかと思ったら宮市で人の出入りの多い時に紛れ込んだらしい。
「おやっさんは一緒じゃないのか?」
「もうすぐ来るよ! あ、ほら! おーい、おやっさーん!」
八代が大きく手を振る先には髪を短く刈り上げた初老の男性が荷物を抱えてこちらに歩いてくるところだった。真四角の顎に太い眉と灰色の三白眼、がっちりとした腕は商人というよりどちらかと言うと武人といった方がしっくりくる。讃良といい、彼といい、商人は体を鍛えなければなれないのだろうか。
彼はのしのしと鈴たちの近くまで歩いてくると、鈴と青幡を見比べてじろりと睨む。
「……何でお前さんがここにいる」
「事情がありまして。またお世話になります」
「ふん」
それ以上彼が何かを言うことはなく、鈴たちを一瞥して、荷物を積み終えたらさっさと浮雲のところへ歩いて行ってしまった。寝起きのクマみたいな歩き方だった。寝起きのクマに遭遇したことはないけれど。
「……何か粗相をしてしまった?」
「いや、むしろ機嫌良さそうだよ。花巻のこと気に入ってたから嬉しいんじゃない?」
「え、あれで……?」
めちゃくちゃ眉間に皺寄せてこちらを見ていた気がするのだが、あれで機嫌がいいなら本当に気分を害した時は一体どうなるのだろう。
聞けば彼は鉱物を使った装飾品を作る職人らしく、一定期間旅をしながら鉱物を集め、工房で加工するらしい。難しいものでなければその場で作ることも可能らしく、仕入れては作って売って、また移動するのだとか。
そういった職人は珍しくないようで、商隊の中にも何人かいた。八代もその一人だ。彼は例のおやっさんの元で簪職人の見習いをしているらしい。聞けば八代も歳は十六らしく、いつの間にか自然と鈴の隣を歩いていた。おまけに話上手聞き上手で、彼の旅の話で道中鈴が暇を持て余すことはなかった。
「え、じゃあ鈴も孤児なの?」
「うん。でも育ててくれたお婆さんがいて、その人の息子が松兄さんなんだ」
「へー義兄ってやつか。だから兄さんっていう割にあんまり似てないんだなー」
商隊にお邪魔させて頂いて三日目、六国と七国の国境を無事に抜けた先で野営の準備中に八代に問いかけられた。松葉と守千賀は本日の食糧に猪を獲ってきてくれたので、商隊の人たちは大喜びして鍋の準備をしている。鈴はその鍋と、暖を取るための薪拾いの手伝いだ。
「じゃあおれと似たようなもんかな? おれもおやっさんに拾われたんだ。拾われる前は兄貴もいたんだぜ」
「そうなんだ。そのお兄さんは今どうしてるの?」
「んー、八年前に死んじゃった」
「あ……」
そりゃそうだ。今しがた孤児だと言われたばかりなのに。二の句が繋げなくなって、鈴は視線を下に落とす。ごめん……は逆に気を遣わせてしまうだろうし、かといって流すのも……。
「あー、いや、そんな顔すんなって。もう随分前のことだし、平気だから」
「うん……」
「あ、あ〜……えっと、そうだ! そいやさ、鈴のツレにめちゃくちゃ顔がいいやついるだろ。瑠璃色の目の」
「三光?」
「そうそう、そいつ。あいつってどこ出身? 普段何やってるやつ? なんかさ、あいつの顔見覚えあるんだよな。どこで見たのかは思い出せないんだけど」
「えっ……それっていつ?」
「うーん、少なくともここ最近じゃねぇなあ……もっと何年も前……」
首を捻る八代の影でほっと息をつく。夏のあの騒動とは関係が無さそうだ。
「でもあんな顔、一度見たら忘れなさそうなのにな〜どこで見たんだろ……?」
「うーん。わ……僕も実はそんなに長い付き合いじゃないからなぁ」
「あ、そうなの?」
「うん、初めて会ったのなんてほんの数ヶ月前だよ」
「へえそうなんだ。まあ、でもこんな稼業してたらそうなるよな」
八代はどうも、鈴が松葉と二人で旅しているものと思っているようだ。花巻もとい青幡も三光も守千賀も、行く先が同じだから連んでいるといった体になっているらしい。
三光のことは、本当によく知らない。知っているのは十二国の山守の一族で、今は凛音の師匠であるということくらいだろうか。
「あ、でも出身は十二国だって」
「えっ! そうなの? おれもだよ!」
衝撃的な発言に、鈴は思わず八代の方を見た。なら、八年前に亡くなったという兄は、あの暴動の時に……?思わずぎゅっと唇を噛む。
「あ、だから見覚えあるのかな? 案外どっかですれ違ってたかも!」
「そ、そうかも。わかんないけど」
声が変に上擦った。曖昧に笑って、枯れ枝を集める作業に戻るけれど、胸の奥はずっしりと重い。
(きっと八代みたいな人はわたしが知らないだけでもっとたくさんいるんだろうな……)
わかっている。自分に出来ることなんてきっとない。告げたところでどうにもならないし、きっとお互い苦しむだけだ。
理解していても思わずにはいられない。
「姫宮」
はっと顔を上げると三光がこちらを見ていた。一団は少し離れたところでわいわいと鍋を囲んでいる。鈴はお碗にいくつか肉と野菜をとって、一歩離れたところでそれを眺めながら食べていたのだが、いつのまにか三光が隣に座っていた。
「食欲ないの?」
「ああ、ううん……ちょっとぼーっとしてただけ」
「そ?」
どこから持ってきたのか三光の手には酒器が握られていた。たぶん、誰かからお裾分けして貰ったんだろう。彼は意外とと言ったらおかしいけれど、周囲に溶け込むのが早い。
「姫宮が何を悩んでるのか、当ててみようか。ずばり、七宮様でしょ」
「…………」
「あ、やっぱり当たった? ま、姫宮が思うのも無理ないよねぇ。僕、あの子に恨まれてるし。姫宮、お友達なんだって?」
「三光、あの……」
言いかけた時、三光の顔からふっと表情が抜け落ちた。いつも飄々として、へらへらと笑っている彼の、根っこのようなものが一瞬だけ剥き出しになったような。
「ダメだよ、姫宮。大事なものはひとつだけにしておきな。自分の中の優先順位をきちんと決めておかないと、いざって時に動けなくなるんだ。雁字搦めになって、どうにもならなくなって、全部失くすことになる」
鈴にとって、大事なもの。そう聞かれた時、真っ先に思い出される名前。
ぎゅっとお碗を握る。彼のためなら、鈴はなんだって出来ると思っている。でも、もしその願いが誰かの犠牲の延長戦にあったら。
鈴は迷わず、その手を取れるだろうか?
「っていうのが、先輩からの忠告。ま、聞くか聞かないかは自分で決めな」
ひらりと手を振って、三光はみんなのいる方へ歩いていってあっという間に溶け込んでいく。
(三光は、何を失くしたんだろう)
家族? 友人? 恋しい人? それとも全て? このご時世、何も失ったことのないひとなんて、きっといない。
(大事なものは、ひとつだけ……わかってる、わかってるよ……)
誰かの願いの裏で誰かが泣いていることなんて。その涙をこの手がすくえることは、ないんだって。
それでも願わずにはいられない。
誰もが幸せになれる世界があればいいのにと。




