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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
五章 星を喰らうひと
91/114

 屋敷に付くと、鈴は松葉の背から降りて自分の足で回廊を進む。ここから先は呼ばれない限り松葉と凛音は行けないらしく、鈴は後ろ髪引かれながらも二人と別れ、三光に付いて奥の部屋へ向かった。

 屋敷の中は、静寂だった。どこから聞こえてくるのか、りいんと鳴る鐘鈴の音がやけに大きく聞こえ、早鐘を打つ緊張の音も前を行く彼に伝わってしまうのではないかというくらい、静けさが満ちている。

 やがて奥まった扉の前に立つと、彼は鈴を見た。

「ここ?」

「そ、この島の主さまの部屋。すごいおっかないから、気を付けてね?」

「……わかった」

 一度大きく息を吸って、鈴は意を決して扉を叩く。どうぞ、というくぐもった声が聞こえて、そのまま扉を開けた。

 中にいたのは、髭を蓄えた老人だった。朱色の毛氈の上に正座しており、ぴんと真っ直ぐに伸ばされた背筋が彼の性格を表している。

 彼は鈴を一瞥すると、すぐに奥へ視線を向けた。ならって、彼の奥にいる人影をみとめて、鈴は驚いた。

(────白雪の髪と、稲穂の瞳)

 御簾の代わりに幾重にもたわんで垂れ下がった薄絹と織物の中に囲われていたのは、凛音と同じ年頃の少女だ。陶器の肌と、紅の引かれた小さな唇。彼女の顔程もあろうかという薄紅の牡丹の花簪を耳の上に飾り、白と蘇芳に錦糸で紋様の刺された襦裙を身に纏って、まるで人形のようにちょこんと座っている。

 少女の髪は、見覚えのある雪のような純白であり、鈴に向かって細められた金星が瞬く。

「お初にお目に掛かります、鈴さま。どうぞこちらへ」

「あ、あの……」

 珊瑚色の翳でこっちに来いと誘われ、鈴はまごつきながらも上座のすぐ下、老人が座る前に腰を下ろした。すると少女は微笑んでそっと立ち上がると、御台を降りて鈴の側まで歩いてくる。近くで見るとより一層、神々しささえ感じた。

「こちらへ」

「え、え、あの、その……」

「あなたはわたくしたちにとって尊き御方、あの御台は本来、あなたの為のものですから」

「そんなこと言われても……」

 困る。鈴はここで、傅かれて過ごしたいわけではないのだ。

「ではわたくしも今日はここでお話しましょう。お側に侍ることを許して下さる?」

「はあ……あなたさえよければ……」

「嬉しい」

 にっこりと微笑むその顔に、思わず赤面してしまう。天上の美少女にこんな至近距離で笑みを向けられて赤面しない人類がいるだろうか、いやいない。あまりの眩しさにぎゅっと目を瞑ってしまった。

「わたくしは水早。どうぞ、あなたは水早と呼んで下さいな」

「水早さま……?」

「呼び捨て下さいませ、姫宮」

「あの、ならわたしも鈴と呼んで下さいますか?」

 訊ねると水早は「まあ」と翳で口元を隠し、また顔を赤らめた。どうしてこの子はそんな初恋の君に名を呼ばれた乙女みたいな反応をなさるのでしょうか。寝起きのような心臓には刺激が強すぎる。

「水早、いい加減本題に入ったら」

「そうですね……鈴、まずはあなたへ、我々はお詫び申し上げねばなりません。あなたの対の星……若宮である彼の皇子のこと、我々の独断で彼を追い詰め、あなたを傷付けてしまった。本当に、お詫びのしようもありません」

 ごめんなさい、と水早は静かに頭を下げた。鈴は膝の上で拳を握る。青幡が彼を殺そうとしたことを、茅羽夜はさして気にしていないだろう。でもだからこそ、鈴は彼らを許すつもりはなかった。

「その件に関しては、謝る相手が違うと思います。でもきっと彼は謝罪されたら、あなた方を許すでしょう。だからわたしはいくら謝られても許しません」

「……そうね、殺そうとしておいて、謝ったら許してくれなんて虫が良すぎますもの」

「でも……あなた方の全てを、非難することもしたくありません。あなた方にはあなた方の事情があり、その願いには確かに血が通っていたのだと思います。だからもし、あなた方が手伝ってくれるのなら、わたしは水に流そうと思っています」

「お聞きしましょう」

 顔をあげた少女の顔にはもう先程の春の綻ぶ花のような笑みは消え、あの御台に座することを許された者としての矜恃がそこに在った。ぴりっと背筋に静電気のような痛みが走る。

「わたしは彼を迎えに行こうと思います。ですが、このままでは同じことです。わたしか彼か、どちらかが死ぬしかない。でも、わたしはどちらも生きれる道を探したいのです。その手伝いをお願いしたいと思い、こちらへ参りました」

「……それは、つまり我らに彼らを許せと?」

 その静かな声に皇との禍根が深いことが窺える。長も口は挟まないものの、鈴を非難しているのが視線だけでわかる。

 だが鈴も譲る気はない。

「あなた方の気持ちはわたしにはわかりません。だって、わたしは今、まさに自分の命と大切な者の命を天秤にかけられているんだもの。あなた方の恨み辛みは、もうとっくに過去のものではないですか」

 始まりの人、花嫁を手に掛けた愚かな迦具土。彼の命はもうないのに、二千年経った今でも彼の罪に縛られてる。

 子供が親の罪を背負うべきではない、そう茅羽夜は言った。その通りだと今では思う。けれど親の負の遺産を払うのはいつだって、子供たちだ。

 どこかで断ち切らなくてはいけない。

 迦具土の罪は彼のものであって、皇のものではないはずだ。

「皇とて、きっと誰もが望んで少女たちを殺してきたわけではないはずです。許してくれるなと泣く男がいました。許さないと言いながら、愛を持って彼に殺された娘もいました。これ以上、こんな愚かな悲劇を繰り返すのですか?……わたしは嫌です」

「そなたはそのような道が、本当にあるとお思いか」

 翳を振って、水早が立ち上がる。たっぷりとした薄絹を重ねた裙がふわりと揺れ、花簪の下に挿された歩揺がしゃらしゃらと音を立てた。

「そなたの言葉が真ならば、皇も斎妃を救う手立てを探した筈。だが、それには至らなかった。そなたはその歴史に、たったひとりどう立ち向かうと申すか」

「……わかりません。また方法があったとしても、もしかしたら彼の命が尽きるまでに間に合わないかもしれない。それは十分わかってます、けれど何もしないままでは絶対に、何も覆らない」

「……」

「お願いします。何か、もしも何か、救う手立てがあるのなら教えてください」

 指をついて、鈴は頭を下げた。水早はそれをじっと彼女を見下ろしている。そしてついと視線をずらして、珍しく先程から一言も発することなく正座している青年を見る。

「三光、そなたの責任ぞ。どう償う?」

「え〜?どうもこうも弟子の面倒を見ろっていったのは水早じゃないか。僕は彼女に、招魂のお手本を見せただけだ。まあでも、いい機会じゃないか?この地を皇が統治して二千年、僕らも次に行くべきなんだろう」

「諦めのよさがそなただと思っていたが……そう。本当に困ったひと」

 ふう、と息を吐いた少女はいまだに頭を下げたままの鈴に跪き、小さな手が肩に触れた。そっと顔を上げる。先程までの威圧感はまるで水に溶けるように消え失せており、彼女の切り替えの速さに戸惑うばかりだ。

「鈴、わたくしは……いいえ、あなたの言う通りだわ。彼らの罪は彼らのもの。でも、わたくしは父様を傷付け、母様を殺した迦具土が今でも許せないのよ」

 一瞬、理解が遅れた。迦具土は白き王の父であり、要は二千年も前の人間だ。

「違うわね。わたくしは、母様を殺して妹を拐い、己の罪を擦りつけたあの男をこの手で殺せなかったことをずっと悔やんでいるのでしょう。だからこそこの二千年、恨むことしか出来なかった。でも、それをあなたに押し付けるのは筋違いというものね」

「……あの、さっきからなんか、水早が二千年前から生きてるみたいな口振りなんだけど」

「そうだよ?」

 しれっと言う三光に鈴に言葉を失った。なんだこれは、なんの冗談だろう。

「姫宮、水早というのはね、水の始まりという意味なんだ。彼女は正真正銘、神祖である月黄泉様とその妻である少女の娘で、迦具土が娶ったのは水早の妹。つまりまあ、神様だよね」

「……かみさま?」

「そうね。少なくともあなたよりはずっと長生きしているわ」

 まるで悪戯が成功したような子供の顔で、彼女は笑う。

 鈴にとって神様というのは形があるようなものではなく、言ってしまえば、もっと大きな存在だった。龍神と人の間に子が生まれている以上、人型であっただろうとは思うし、不老不死だというならば今もどこかで生きているのだろうというのは頭では理解できる。しかしそれは、天上とか、海の底とか、決して人の手の届かない領域にある話だと思っていた。

 確かに人とは思えぬ美貌の少女であるが、こんな身近で、にこにことこちらを見ているような存在ではなかった。少なくとも今までは。

「神様といっても、そんな大きなことは出来ないのよ。精々、この島を外界から隠して潮の流れを操るくらい」

「じゅうぶん、では……?」

「そう?でもあなたがそれを言うの?」

「わたしなんてそんな、ほんと、たかが知れていると言いますか……」

「でもあなたはこの二千年の全てに終わりをもたらそうとしている。二千年もの間、誰も及ばなかった場所へ……あなたなら、辿り着けるかもしれない」

 水早は長と呼ばれる老人の方へ視線を投げ、小さく頷く。彼が退出すると、三光はうんと伸びをして水早が座っていた御台から洋座布団をいくつか拝借し、鈴のそばにごろりと寝転がった。神の御前でここまで寛げるのは最早才能ではなかろうか。

「青幡たちが来たらもう少し話を詰めましょう。それまで、お茶と菓子などはいかが?」

「わ、わたし淹れます!」

「水早はお茶淹れるの上手いよ?」

「だってあなた、神様よ⁉︎ 逆に何でそんな寛いでるの⁉︎」

「いいのよ鈴、神って言ってもちょっと長生きしてるだけですもの。それに、わたくしは水や雨を司るものだからお茶を淹れるのは結構得意なのよ」

 そう言って部屋の隅に用意されていた茶器の乗った盆を持ち上げる。三光は厨子から饅頭を勝手に出してきて食べているし、あまりの自由さに目眩がした。この島では普通のことなのだろうか。

「三光!貴様また神饌しんせんを勝手に食べよって!」

「水早は良いって言ったよ」

「言ってはないけれど別に構いませんよ」

「ほら」

「ほらじゃない!」

 戻ってきた老爺に雷を落とされている三光を見て、自分の感覚が正常であることに安堵する。しかしほっとしているのも束の間、老爺の後ろにいた彼の姿に一瞬言葉を失う。

「……」

「あ、おはた……」

 ここ二月、殆ど顔を合わせていなかったので、鈴にとっては白浬教の一件以来だった。気まずさと困惑から少しだけ視線を避けるように手元を見る。

 鈴は水早に手を取られ、結局上座である御台へ並んで腰を下ろす。洋座布団に凭れて、寛いで下さって構いませんからねと言われるが、落ち着けるわけがなかった。

 上座の下に長と三光、その前に半円を描くように青幡と守千賀、松葉が座る。真ん中には東和の地図が広げられている。

 鈴は簡単に、守千賀から現在の状況を聞き、奈月彦が海真教との繋がりを疑われ投獄されていることなどを聞かされた。

「さて、ここからは俺が説明させて貰いましょうかね。現在、東和は二分化しています。ひとつは一守家を中心に今上帝である奈月彦派。しかしこちらは既に陛下が投獄され、左大臣殿も既に罷免されていますので、最早虫の息ってとこです。そんでもうひとつは東宮派というか、斎王派ですね。現在、真陽瑠が政の全てを握っている状態です」

「……あの、いいかしら」

「はい、姫さんどうぞ」

 そろそろと手を上げる鈴に守千賀が頷く。歴史の授業のようだ。

「初歩的な質問で悪いのだけれど、何故真陽瑠の御方は陛下が投獄されているのに斎王の地位にいらっしゃるの?」

「あ〜そりゃ、あの人が茅羽夜の母親だからな」

「え」

「え?」

「……誰が誰の母親って?」

 聞き返すと、守千賀も「え?」と驚いたように鈴を見た。

「……もしかして姫さんに内緒のあれだったか、これ」

 守千賀は隣の青幡に訊ねる。青幡は額を抑えながら「ああ、まあ、うん……」と煮えきらない返答をした。代わりに答えたのは三光だ。

「若宮くんは姫宮には知られたくなかったみたいだね」

「……ごめん茅羽夜ー!」

「守千賀さま、本島はあっちの方向っす」

「ていうか、ここで言っても聞こえないと思うぞ」

「いや、うん……とりあえず、前提は、理解しました。いえ理解はしてないけど把握はしたのでどうぞ続けて」

 真陽瑠と先代の関係だとかその辺りの背景は後々考えよう。今考えると頭が破裂してしまうかもしれない。

「あー……えっと、んじゃ続きな。東宮派だった九条を筆頭に、三廻部と五香屋は真陽瑠にそのままつきました。それと、十市原もこっちです。狭霧は奈月彦が茅羽夜を暗殺しようとしたとして兵を率いて十二国へ進軍、一守を退けて現在十二国を統治してます。彼はどうも姫さんが死んだ後に娘の和水を茅羽夜に入内させるつもりですね。んで、現在は茅羽夜を神龍の生まれ変わりであると流布して白浬教を国教にし、白浬教の敬虔な信徒でもあり、海真教に誘拐された東宮妃を血眼で探してる、ってのが東和の情況です」

「…………」

「鈴、大丈夫か?」

「いやなんかここまで来ると、まあ見事に罠に掛かってたのねと思って……」

 真陽瑠が鈴を茅羽夜と共に視察へ向かわせたのも、結局はあの場で鈴を茅羽夜に殺させ、出雲によって神龍との同化を進める予定だったのだろう。だがそれは失敗した。

 けれど白浬教を調べるというのを逆手にとって、鈴を敬虔な信徒という印象付けをし、可哀想な囚われのお妃さまに仕立て上げた。失敗した時のことを想定していたとしたらとんだ策士だ。

「でもまあ、あの人は正直こんなこと考えられる人じゃないんで、入れ知恵した奴は別にいますね」

「え、真陽瑠の御方が全てを企てたんじゃないんですか?」

「いやいや、姫さんはあの人のこと何もわかっちゃいない、あの人まじで破壊するしか能のない女だから。政にも関心ないし、国がどうなろうと知ったこっちゃないって思ってると思ってるよ」

「え、え〜……?」

(でもそう言えば陛下もそんなことを……)

 言葉は選んでいたが、奈月彦と守千賀の真陽瑠への評価は大体同じようなものだった。

 苛烈、無邪気ゆえに残酷、破壊に特化した女、歩く火炎放射などなど。よくもまあ、異母とは言え自分の姉にそこまで言えるものだと鈴は半ば感心してしまったほどだ。

「入れ知恵したのは十中八九、白浬教の導師さまだろうね。彼亡き今は九条空鷹が左大臣として彼女の政務を支えてるって話だっけ?」

 縁寿があちらにいる以上、当然ではあるのだが、空鷹を信頼していただけに、鈴は顔を曇らせた。

「あってる。中務卿には狭霧、兵部はそのまま祖父クソじじいが続投してます。この中、本島に姫さんが戻るってのは正直おすすめしないな」

 守千賀の言葉に、視線が一気に集まる。鈴は首を振った。

「それでも、行きます。茅羽夜は、九国までわたしを迎えにきてくれた。今度は、わたしが迎えに行く番です」

 どれ程の困難があろうと、それは鈴が足を止める理由にはならない。鈴はもう、心を決めていた。

「ならばわたくしから言えることはただひとつ、お兄様を訪ねなさい」

「水早のお兄さまっていうと……」

 龍神とその妻となった少女の間に一体何人子供がいるのかはわからないが、迦具土の妻となったのは末の娘で水早の上には兄がいるという認識で大丈夫だろうか。そして水早と同様に、龍神と人の血を引く者である。

「はい。父神と母との間に生まれた子供の内、二番目に生まれた方です。きっと知恵を貸してくださるはずです」

「その方はいまどちらに?」

「ごめんなさい。わたくしの兄弟は皆、それぞれこの地を旅立ってしまいましたから……」

「つまりどこにいるかわからない?」

「はい。でも姉様の居場所なら、青幡が知っていますよ」

 ね?と話を振られて青幡は憮然とした表情で、鈴が視線を向けると、気まずそうに顔を背けた。

「知ってる……と言えば知っていますが、ですが」

「こないだ会ったって言ってたもんね〜」

「……」

「青幡、あなたには鈴の護衛と案内役を任せます。これは、この島の守神としての言葉です。拒むことは許しません」

「……承知致しました」

 然りげ無く同行を追加されて、鈴は窺うように水早と青幡を見比べる。水早の言葉は、ここでは絶対の決定権を持っているのだろう。父神も兄姉神もいない今、この島を守っているのは彼女だ。その彼女の決め事に抗う言葉なんて人如きが持ち合わせている筈もない。

「あの水早……聞いてもいいかしら」

「はい、何なりと」

「わたしってココではどういう立場なの?」

 青幡の言う「俺らの国」がここであるのは疑いようもなく、彼らのいう姫宮が自分であるというのも……納得は出来ていないが、理解はしていた。

 しかし龍神の血を引き、歴とした守神である水早に並んで座れる程の者かと言われたら首を傾げてしまう。

 水早は翳で口元を隠しながらころころと愛らしく笑うった。

「鈴の御生母、暮星様の血筋はわたくしの母の血筋に連なる者なのです。そしてその神鏡はかつて母が持っていたもの……つまり正統な花嫁の証です」

「つまり、その……東の龍の?」

「はい。かつて、東の国からやってきた我が一族が迎えた西の国の娘。葦原全ての母、名を陽奈美ひなみ。彼女を我々はこう呼びます───────東龍の花嫁と」

 

 


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