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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
五章 星を喰らうひと
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 ザザン、と波が白浜に打ち上がる。

 冷たい潮風に撫でられて、松葉は遠くに見える島へ想いを馳せるように目を閉じた。


 鈴が松葉の家にやってきた時、母は言った。お前は兄になるんだよと。

 松葉にとって、兄とは庇護してくれる者だった。縁寿とは年もそれなりに離れていたので、一緒になって遊ぶということはあまりなかったけれど、怪我をして帰ればいつも手当てして、友達と喧嘩をするたびにぐずぐずと泣く松葉の言い分を聞き、相手がどうして怒ったのかを一緒に考えてくれた。松葉も父の顔を知らないが、縁寿がいたから寂しくはなかった。

 だから今度は、鈴の手を引いてやるのは自分の役目だと思っていた。

 九つ下の小さい妹。いつも松葉の後ろを付いて回っていたか弱い命。けれど彼女が松葉の言うことを大人しく守ったことなんて殆どなかった。立って歩くようになると鈴はすぐにあちこち動き回り、ダメと言ってもちっとも聞いてくれない。その割に、縁寿に叱られると黙って頷くものだから、拗ねて喧嘩したこともあった。

 でもそれでも松葉にとって鈴は、大事な可愛い妹だった。守らなくてはと思っていた。

『……松葉、お前斎妃って知ってるか?』

 守千賀からその話を聞いた時、あまりの理不尽さに目の前が真っ暗になったのを覚えている。そして、次に浮かんだのは怒りだった。殺されるために嫁ぐなんて、そんなことが罷り通って良いはずがない。

 彼の手を取るのに、迷いなんてなかった。鈴は松葉にとって守るべきもので、その気持ちはきっと正しいものだと信じ切っていた。

 鈴ならわかってくれる。松葉の選択が正しいか間違っているかじゃない。松葉が鈴を思ってこの選択をしたのだと、ちゃんと理解してくれると、思い込んでいたのだ。

 それに気付いた時、途端に恥ずかしくなった。


「……最低だな、俺」

「何がだ?」

 振り向くと、そこには守千賀がゆったりとした着流しに刀を帯びた姿で立っていた。どう考えても冬の夜の海辺に出てくる格好ではないし、声を掛けられるまで彼が後ろにいた事に気が付かなかった。普段奥方から「歩く騒音男」と呼ばれる程なのに、どうしてここまで気配を消すことが出来るのだろう。

「どうした、随分なしょげっぷりだな?妹姫さんにすげなくフラれたか」

「…………」

「あー……悪い、地雷踏んだな」

 松葉は首を振った。悪いと思った時に、素直に謝れるのがこの人の美点だった。

「……守千賀さんには、取り返しのつかない後悔ってしたことありますか」

「腐る程あるぞ」

「え」

「自分から聞いといて何だその顔」

「いや……聞いておいて何ですけど、あまりなさそうだなと思ってたんで」

「よく言われる〜」

 夏の空みたいな顔で守千賀は松葉を追い越して海岸を歩く。その後ろに続く形で、松葉も歩き出す。

「俺さ、ガキん時は結構、嫌なやつだったんだ。異母兄二人に敵対心バッチバチでさ。何でも持ってると思ってたし、何でも出来ると思った。奈月彦は根暗で何考えてるかわかんねえし、真尋はぼけぼけしてて頼りねえし、もうこれは俺がしっかりしてやんなきゃなくらいに考えてた」

 奈月彦が東宮である時代から、第三皇子であった守千賀は自分こそが日嗣の皇子に相応しいと主張していたし、彼が廃太子となった時は真っ先に覇権争いに名乗りあげた。

 だが彼は表の歴史では罪人として処刑されている。父、焔帝によって。罪状は───。

「千種の母がさ、焔帝の妃だったんだ」

「え……?……えっ!?」

「何番目だったかな。忘れたけど、六国の天龍山に仕える山守の家系だったんだよ、三光と同じな。既に結婚してて娘がいたんだけど、焔帝は彼女の夫を殺して、無理やり娘ごと召し上げた。千種と出会ったのは俺が十一の時で、彼女は八つだった。焔帝は何を狂ったのか、千種を自分の娘だって言い出して、彼女は焔帝の庶子ってことにされて、彼女は第二皇女となった。諫めた忠臣はみんな横領したとか税の数字を誤魔化したとか何の証拠もないのに処刑された。……いや、ほんと我が父親ながら言葉にすると頭おかしいな?」

 淡々と話す守千賀の表情は松葉からは見えない。けれど波間に揺れる声は、冬の海よりも冷たく、暗かった。

「その間にも色々あったんだけど、決定打となったのはあいつが十三だ。千種に降嫁の話が出た。相手は六国の貴族で、俺より二つ上の中務省の官吏だった。気のいいやつでよ、俺も結構色々世話になったんだ。でも、あの気狂いはそれを許さなかった。千種が巫術を使えたから、宮を出るのを許さなかった。だから、その官吏を、明らかに冤罪だとわかるようなお粗末な理由で、捕縛した。俺、止めようと刑部に直談判しに行ったらさ、もう終わってたんだ。令状が出た次の日だぞ?あり得るか?だからさ、直接言いに行ったわけ」

 その日、公式の記録によると守千賀は焔帝の住む白耀殿へ武器を持って乗り込んでいる。

 そして、帝の寝所へ刃物を持ち込んだ咎で、その場で処刑された。

 が、実際は確かに乗り込んだは乗り込んだのだが、その場で大立ち回りして逃れ、おまけに千種を攫って逃げたのだ。その後色々あって、二人はこの島に住む彼らの庇護を受けるようになった。

 醜聞を隠したい上層部は守千賀は処刑、第二皇女は降嫁したとだけ記し、その後彼らにまつわる記録を全て隠蔽した。

「俺を逃してくれたのは、刑部卿……十二村家の当主だった」

 彼はその後、養子である蒼一郎と共に反乱を起こし、処刑された。彼がどのような思いで罪人を裁き、命の鎌を振るい続けていたのか、守千賀にも松葉にもはかれない。けれどもう、彼は信じられなくなったのだろう。

 この国に根付くものを。呪いから生まれたこの国の全てを壊して、作り直そうとした。

「千種とふたりでいろんな国に行ったよ。お前と出会ったのもそんな頃だったよな」

「まさか処刑されたはずの皇子がしれっと武官として混じってるとは思いませんでした」

「空鷹ってほんと、あんな生真面目そうな顔してやることが大胆だよな〜……ま、だから今こうなってるんだろうけど」

 松葉が守千賀と出会ったのは、松葉が士官したばかりの頃だ。まだ茅羽夜と(つる)みだす前、山賊退治に駆り出された部隊に、彼がいた。

 鮮やかな槍捌きで、彼は一躍新兵たちの憧れとなった。それは松葉も例外ではなく、数月程、常に後ろに付いて回っていたのを覚えている。

 そして彼は言った。共に来ないか、と。

 松葉はその手を取った。斎妃という存在を知ったのも、この時だ。

 八年前の暴動に守千賀は十二国側に付き、奈月彦と対峙してかなりの重傷を負った。縁寿が「生きていたのか」と言ったのは処刑されたからではなく、この時の怪我を助からないと判断したからだ。だが悪運強い彼は生き延びた。

 それを聞いたのは、松葉が間諜として中央への移動が決まり、茅羽夜にろくに別れも告げずに九国を出た後だった。

「俺は何でも持っていると思っていた。世界を変えるくらい、訳ねえやって思った。でも、俺は何も出来なかった。全部終わった時の俺の手にはさ、何にもなかったんだ……あいつ以外」

 ざざんと白波が夜闇に映える。その白さが、どこかの誰かの色に見えて、松葉は無意識に拳を握っていた。

「千種を攫った時もあいつすっげぇ怒っててさ、ふざけんなって殴られたんだよ。自分はアンタが全部を投げ捨ててまで、守られるだけの女に見えるのかって」

「それは……強いですね」

「だろだろ?でも仕方ないんだよな、こういうのって理屈じゃどうにもなんねえんだもん。俺はさ、あいつを守りたかったわけじゃないんだ。自分の全部を投げ捨ててでも、あいつの命が欲しかったんだ」

 ────多分、あいつも。

 そう声にならない言葉が聞こえた気がした。

「あ、でも別に全部捨てたわけじゃないぞ?愛刀も愛槍も持って出たし、下賜された貴金属も何点か掻っ払ってから脱走したからな」

「守千賀さまって意外とちゃっかりしてますよね」

「用意周到と言え」

「いや、用意周到な人は頭に血が上って大槍片手に帝の寝所に乗り込んだりしませんよ」

 この人はきっと、乗り越えた人なんだろうと思った。飲み込んで、折り合いをつけて、それでいて、歩みを止めない。

「俺もたくさん後悔したけど、でも死ぬ間際にはきっと良い人生だったって思うよ。後悔のない人生なんて、そんなもの白湯と同じだ。体にはいいが味気はねえ。先回りして小石を拾うのも大事だけどよ、一回転んでみなきゃ見えないものもある。こっからどうするかはお前さん次第だぜ、松葉」

 ひらひらと手を振って、守千賀は屋敷の方へ戻っていった。途中盛大なくしゃみをしているのが、何とも格好つかない彼らしい。きっとこの後、あの薄着で出歩いたことを奥方にこっぴどく叱られるに違いない。

「……茅羽夜、お前は俺を恨んでくれるかな」

 冷たい潮風が頰を叩く。松葉の問い掛けに当然答えはなかった。でもそれは、自分で見つけなければならないものだと、松葉はもう気付いていた。



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