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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
四章 見果てぬ空へ
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見果てぬ空へ 終話

 外廊の途中で、茅羽夜は足を止めた。先程の地震のせいでどこからか火の手が上がって、敷地内に人の気配はもう殆どなかった。消火や避難を促す街の人々の叫ぶ声だけが遠くに聞こえる。

 そんな中で、ただひとり庭でぽつんと立つ女がいた。彼女は背後の足音に気が付くと扇を揺らして振り向く。

「────斎王様」

 その女はこんな時でもひどく美しく、唇に笑みを乗せていた。

「残念ですね、貴女の企みは失敗ですよ」

「おや、何のことかの。妾はただ愛しい末御を迎えに来ただけじゃぞ」

「愛しい?……ご冗談を。貴女がこの世で唯一愛しているのは、焔帝だけでしょう」

 己の実の父。会ったことがあるのは、たった一度だけ。

 けれどその一度だけの邂逅を今でもよく覚えている。彼の王から与えられたのは、一振りの軌跡だけだった。どうしてそうしようと思ったのか、今となってはわからない。息子に罪をすべて押し付けたはずなのに、日に日に死に近づいて行く己を憐んだのか、道連れが欲しかったのか。

 しかし彼は見誤った。息子の中に眠る龍の血の強さは既に父を凌駕していた。

 六歳だった茅羽夜はただ、願っただけだ。

 ────死にたくない、と。その結果が。

「その焔帝の命を奪った私を、貴女が愛おしむわけありますまい」

 気が付いたのはいつだっただろう。誰かの噂を聞いたことがあるわけじゃない。そもそもそんな噂をするような人間も、自分の側にはいなかった。父は天、母は斎王の侍女。しかしその母も死んだ。黴臭い小さな殿舎でひとり蹲り、痛みに耐えるばかりの日々の中で茅羽夜は母というものを知らずに育った。

 でも知っていた。きっと本能にも似た場所で。

 時折現れては自分を呼ぶ、この目の間にいる(ひと)が母なのだと。

「貴女が全てを企んだ。違いますか?」

「八年前の騒動を引き起こしたのは、間違いなくあの娘の父。そしてかの教主の養い親ぞ、妾は何も知らぬ」

「彼らがあの騒動を引き起こしたのは暮星の心臓を取り返す為でしょう」

 扇の向こうでぴくりと真陽瑠の眉が動く。彼女の後ろには、既に火の手が迫ってきているのに、彼女は少しも気にした風ではない。それよりも目の前の子が何故、それを知っているのか探るような目で見ている。

「生後間もなく止まった私の心臓に双玉を埋め込むことで、父の中の血の災厄を私に移し、暮星の血と霊力を使って私の体に馴染ませた。けれどそれでも尚、神龍は目覚めなかった」

 それどころか双玉は茅羽夜の身体を蝕み続けた。皇の負うべき全ての業を背負ったまま。

「だからあなた方は考えた。暮星は父にとっての斎妃だった。ならば私の対の星、私の斎妃の命を使えば良いのではないかと」

 それから彼らは必死になって彼女を探しただろう。少しでも巫女の力を備えた娘を召し上げたのは焔帝の為だけではない。茅羽夜の対になる娘を探す為でもあったのだ。

「けれど、どれだけ占っても彼女は見つからなかった。当然でしょうね、暮星が何の手も打たずに彼女を手放す筈がない。貴女目を欺く為に、暮星は身重の体で放浪し、娘を置き去りにした────私があの里へ辿り着いたのは、きっと彼女にとっては一つ目の誤算だったでしょう」

 いや、と茅羽夜は心のどこかで思う。もしかしたら暮星は、茅羽夜が鈴と出逢うこと自体は予想していたかもしれない。それとも茅羽夜の中の霊力が、あの地へ還りたがったのだろうか、わからない。

 けれど、暮星が本当に見誤ったとするならば。

「もう一つの誤算。それは、十年前に鈴が私に、自分の星の片割れを渡したことです」

 星石を渡すことによる求婚。それは決して、御伽噺や伝承だけではない。

 ()()()()()()()()()()()()()

 そう、左右で瞳の色が違って生まれたのは茅羽夜ではなく、鈴の方だ。

 父と同じ海色の右目。

 母と同じ菫色の左目。

 その片方を、十年前、鈴は躊躇いなく差し出した。行動の意味を彼女が理解していたとは到底思えない。茅羽夜自身も知らなかった。その本当の意味を知ったのはつい昨日のことだ。

 けれど今思えば茅羽夜の中の龍の血が前よりも抑えられ、普通の生活が出来るまでになったのはあの日からだ。鈴はあの時、無意識のうちに自分の持つ斎妃としての力を茅羽夜に半分渡した。真陽瑠は茅羽夜の中にあった鈴の力のもう半分を追って、あの里に辿り着いたのだ。

 茅羽夜と鈴に運命の分かれ道があったならば、きっと間違いなくあの日だろう。

「けれど、それももうありません」

 からんと真陽瑠の手にあった扇が足元へ落ちた。その小さな肩は震え、怯えるような表情で呆然と立ち尽くしている。

「そなた……まさか、まさか」

「そのまさかです。鈴に星を返しました」

「何故じゃ!」

 鋭い声だった。今思えばこれが生まれて初めての、彼女からの叱責だった。

「星を返した?何故そのような愚かなことをしてくれた、それはそなたとあの娘を繋ぐ縁そのものぞ!あれがなければそなたは」

「双玉に巣食う斎妃達の怨嗟に身を焼かれる?」

「わかっていながら何故手放した!」

「わかっているから手放したのです」

 少年は微笑む。そして腰に佩いた剣を抜く。柄に結われた玉が焔に照らされて輝いた。この剣は父が茅羽夜を殺そうとした時に持っていたものだった。

 真陽瑠は信じられないものを見る顔で、緩やかに首を振った。

 こんなにも弱々しく、怯えた顔をする彼女を茅羽夜は生まれてこのかた見たことがなかった。ほんの少しも、罪悪感がないと言えば嘘になる。母としての思慕はないけれど、良くしてもらったことは忘れていない。

「……そなた、自分が何をしようとしているのか、わかっておるのか」

「当然です」

「馬鹿な真似はおやめ、そなたは遍く全てを統べる者ぞ」

「そうでないと貴女が困るだけでしょう」

「妾は、妾が出来ることなら、何でもする。そなたが望むなら何でも。頼む、それだけは……」

「貴女には無理ですよ」

 ひたり、と冷たい刃が首筋に当てる。自分の意思で。短い悲鳴が、真陽瑠の喉から溢れた。

 彼女が手を伸ばす。けれど、それよりも茅羽夜の方が速かった。

 

 ────雨の音が聞こえた。




「ひとつだけ、方法がある」

 

 彼女を助ける術があるかという問いに、青幡はそう言った。

「君の中にある、姫宮の星を彼女へ返す。それはつまり、お前の中で暴れようとしてる力を抑えてる枷を取り払うということなんだけど」

 でも、と続ける。茅羽夜も口を挟まずに黙って聞いていた。

「君は焔帝の分も龍の力を引き継いでいる。並の傷じゃ再生するし、首を斬っても心臓を突いても龍脈がある限り君は死なない。龍は不死だ、この地にこの力が満ちている限りね。……でも龍を殺せるものがひとつだけある。双玉の焔だよ」

 双玉は生と死を司るもの。皇が奪った双玉は陽。神龍が妻の少女に渡した、焔の力だ。

 その焔は命を灼き、浄化し、照らし、奪うものである。それから守る為に、斎妃達の魂による、鎮めの加護が必要なのだ。

 斎妃達は皆、皇とは同じ根源を汲む一族の血が流れている。彼女たちは月の双玉の加護を受ける者たちだった。

 その水は命を育み、流転(なが)し、眠り、そしてまた命を生む。

「水の加護を失えば、その焔は容赦なく君を灼く。君の命が尽きるまで、ずっと。それは永劫にも似た呪い。かつて皇の始祖が殺めた()の呪いだ。その焔なら、君は死ぬことが出来る。まあ、いつ死ぬかはわかんないけど」

「そうか。ならそうしよう」

 あっさりと、茅羽夜は頷いた。まるで今日の夕餉の献立を決めるような声に、青幡はもはや呆れ返ってしまう。

「自分で言うのもあれだけどさ。正気? これから君は、永遠にも近い時間の中で延々と呪いと怨嗟の焔に身を焦がし続けるんだよ? 誰も助けてくれない、苦しみと痛みと狂気の中で、君はひとりで耐えられるの?」

「……斎妃達の命を焼べて来たのと同じ時だけこの身を焼べれば、彼女達も満足するだろうか」

「知らないっての! てか俺の話聞いてた?」

「聞いてた。でも、それでも気持ちは変わらない」

 これ以上は言っても無駄だと悟ったらしく、青幡は溜息を吐いた。全く、人の縁とは不思議なものだ。あの時、自分を殺しにきた男とこうやって廃屋で自分を殺す算段を付けているなんて。

(鈴は怒るだろうか……)

 怒るだろうな。きっと。それでいて、彼女は泣くだろう。

 でも、もう決めたのだ。

「鈴に星を返す。そして私は龍の血を解放する。後のことはそちらに頼みたい」

「いやまあ、姫宮については俺らがなんとかするよ。そりゃあね、そのつもりでここまで来たんだし。でも国のことなんて知ったこっちゃない。俺たち一族を切り捨てた、裏切り者の創った国だ。生きようが滅びようが関係ないぞ、いいのか」

「俺も正直、国の行く末はあまり気にしていない」

「いやいや……君は仮にも若宮だろ……」

「向いてないのはわかってるからな」

 その一言に青幡も「まあそれはわかる」と変に神妙な顔で頷いた。そう他人から言われると少しだけむっとしてしまうが、実際、茅羽夜は政に向いていないのだ。

 だからこんなにも簡単に、たったひとりの少女の為に命を投げ出せる。

「東宮の地位についたのも、もう一度彼女に会いたかったからだ。その一心だった。あの子が飢えない為に何が出来るだろう、この右眼の代わりに、俺はあの子に何を返せるだろう……そう思って生きてきた十年間だった」

 利用出来るものは何でも使った。そこに威信も尊厳もなかった。義務感からでもなく、ただ、ただ会いたかったのだ。

「だから鈴の命を使って生き延びたって、意味がないんだ」 

 太陽を失って人は生きていけるか?

 答えなんて、誰だってわかる。

 例えば彼女の身代わりに何百人と生贄を用意して身代わりにしても、きっとこの身に巣食う怨嗟は収まりはしない。

 これは皇が負うべき業で、咎だ。彼女達の命で贖うべきではない。

 茅羽夜は別に皇の業を全て担って死ねる程、血筋にも先祖にも愛着も敬愛もなかった。

 欲しいものも、望みもない。

 たったひとつを除いて。


「俺、君のこと大嫌いだけど」

 ぽつりと言った彼もまた、泣いているようだった。出逢った時からずっと、彼の中には伽藍堂の空白がある。

 そのうろを埋めてくれたのは、きっと彼女を愛したひとたちだ。

 だからこそ茅羽夜は彼を信頼出来た。茅羽夜を殺そうとしても、きっと彼は鈴だけは救ってくれる。

 その一点のみ、青幡に対して茅羽夜はこの世の誰より信が置ける。

 

「でもその御心に、今は最大限の感謝を。最後の東の龍を継ぐ者よ、貴方の花嫁は必ずや、我ら一族が命に替えても御守り致します。もう二度と、神話は繰り返さない」

「……ありがとう」

 人の縁とは、本当に不思議な者だと思う。ひとつでも何かが欠けていれば、出逢うこともなかったのだろう。

 ────ねえ、鈴。

 君は俺の手を取ったことを後悔していないかな。

 だって俺は、決していい伴侶とは言えなかった。結婚生活なんて半年くらいだし、君に言えなかったこともたくさんあった。

 身に巣食うもののこと。

 本当の母親のこと。

 自分の命が、どれだけ沢山の犠牲の上で成っているか。

 それでも俺は後悔なんてひとつもないんだ。

 君の笑顔、寝顔、拗ねた顔、怒った顔、美味しいものを食べている時の幸せそうな顔。

 青幡の前に立ちはだかって、俺を選ぶと言ってくれたこと。

 その全てが、まるで冬から春へ移り変わる時の陽射しのように眩しくて、暖かくて、愛おしい。

 君は間違いなく、俺の陽神はなよめだった。

 おかしい話だよね。陽の双玉を宿しているのは自分なのにいつでも彼女の放つ光を受けて、生きていた気がする。いいや、気がするじゃない。あの日からずっと、君の温かな優しさに生かされていた。

 だから、こんな自分が触れていいものなのか、ずっと躊躇っていた。

 それなのに、君はあんなにも簡単に飛び越えてしまうから。

 穢したくないのに触れたい。

 幸せになって欲しいのに、忘れないで欲しい。

 そんな想いを見返すたびに、自分も人であることを思い出す。

 君がいるから自分は人でいられる。

 だから他には何にも要らないんだ。


 鈴。

 たったひとりの、俺の星へ。

 

 ごめんねとさようならと。

 

 そして、ありがとう。

 

 ────愛してる。

 



                

 どうか君の、見果てぬ空の旅路に、いつまでも温かい雨が降りますように。

 

  


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