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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
四章 見果てぬ空へ
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十七

 茅羽夜たちが階を上がって行ったのを横目で見て、風早は袖から隠していた小刀を指に滑らせ、迷いなく放った。しかし出雲もそれを指先を僅かに動かしただけで払って、ひとつふたつ、印を結ぶと灯篭がぶわりと燃え上がる。

 底の水も蒸発しそうな程の熱気に、風早は浅く息を吸う。そしてまた新たな小刀でそれらを全て撃ち落とした。

「はあ……あまりここで大きな音を立てたくないんですけどね」

「このくらいで起きるようなものじゃないだろう」

「はは、それもそうです。ところで、あなたのその暗器、どこかで見たことがあるんですがお生まれはどちらで?」

「さあな、お得意の占いで当ててみたらどうだ」

「これは手厳しい」

 出雲は穏やかに笑っているが、内心はかなり苛立っているように見えた。地上では何やら複数の足音と話し声が聞こえてくる。茅羽夜の話の通りだ。

「もしも斎妃を助ける方法を探っているのなら、諦めた方がよろしいですよ」

「……」

「そう命令されているんでしょう? そうでなければ貴方でしたら初手で私を仕留められる筈です。ああ、それとも時間稼ぎですか? いいですよ、少しくらいお付き合いしても」

「よく回る舌だな。一体どこの油を使ってるんだ? 椿か、はたまた白桂か」

「はは、特注ですのでさすがに教えられません」

 じりじりと頸が焼けるような感覚に、風早は涼しい顔を取り繕いながら、内心焦がれていた。生かさず殺さずは、風早にとって得意とするものだ。けれど目の前の相手に、風早は苦戦を強いられている。実力差は然程大きくない。しかしこれは、風早の心の問題だった。

 殺したい。殺してはいけない。殺したい。ダメだ、でも殺さない程度に痛めつけるくらいなら────。

 古い傷が、心の中でじくじくと疼く。まだ自分が風早でなかった時の、古い古いもの。


「あれ、先客がいたんだ」

 気付いた時には、既に上は静かになっていた。ぽっかりあいた階を誰かが降りてくる。ゆっくりと、悠然と。

「こんにちは。そして久しぶり、会いたかったよ」

「……随分と懐かしい顔ですね」

「そうだね、八年ぶりだ。生きていてくれて嬉しいな。そっちの君は────」

 風早を見るなり、彼は一瞬言葉を失ったように固まった。けれどすぐに、一瞬だけ、泣き出しそうな子供の顔で笑う。

「……疾風はやて、君も生きていたんだね。ああそうか、若宮くんの影武者って君かあ」

「お久しぶりです、璃人りひと様」

「やだな、もう僕は君の一族が仕える山守の子じゃないし、君に敬われるような人間でもない。君を囮にして、尻尾巻いて生き延びた男だよ」

「それは私が────ッ!」

 はっと顔を上げれば、すぐ側で焔がうねる。骨すら残さないと言わんばかりの熱風を三光は掌を翳し、四方を障壁で弾いた。何でもない顔をしているが、印も組まず詠唱も飛ばしてこれ程の強度を持つ障壁を生み出せるのは並大抵ではない。

「……旧交を温め終わるまで待ってくれないなんて、悪役の美学に反するんじゃないですか?」

「二対一でおじさんを叩こうとしている君たちが言うかい?」

「やだなあ、ここはそっちの領域なんだから、それくらいこちらに有利性があってもいいでしょう?」

 たんたんと二度、三光は左足で地面を叩く。すると彼の足場の石が盛り上がり、細身の龍のような使部が生まれる。三光の生み出した石像の龍は壁を伝い、出雲に襲い掛かった。

 出雲は小さく舌打ちを漏らしながら飛びずさり、隠し持っていた剣で首を落とした。その龍の背を蹴り、風早がまさに名を表すように、白刃を走らせる。

「……そろそろかな」

「?」

 三光は服の下に隠していた瑠璃の腕輪を外してひとつ指を鳴らす。澄んだ音を立てて割れた瑠璃の欠片が、出雲の生み出す焔を纏い、青く染めていく。風早と切り結んでいた出雲の表情にもはや先程までの余裕はなく、歪んだ口元から舌打ちがもれた。

(術を喰っている……)

 簡単な巫術は基本をしっかりと学べば大抵の人は使える。けれど自分の式を編み、霊力を乗せた術の乗っ取りは、極めて高度な技術が必要である。

 彼の属性は水と風、それから土だ。焔は苦手だったと、風早は記憶している。それでも出雲の組んだそれを上から乗っ取ることすら、今のこの人には可能なのだ。

 どれだけの研鑽を積んできたのか、風早には痛いほどわかる。あの日、自分たちから全てを奪った彼らに報いる為に。

 不意に「カア」という声が聞こえた。頭上を見れば鴉が旋回をしながら、再び何処かへ飛び去っていった。三光はそれにひとつ頷き、風早に指を振る。

「若宮くんから伝言。時間稼ぎ、ご苦労様。もう手加減しなくていいよ」

「────はい」

 閃光。まさにその一言に尽きる一閃だった。

 風早は目にも止まらぬ速さで腰の太刀を抜き、大きく踏み出してまず出雲の右腕の肘から下を断った。次は足に刃を突き立て、赤い鮮血が風早の白い頰に掛かる。予め痛覚を遮断していたのか、彼の動きは鈍かった。縺れるようによろよろと一歩二歩、下がったかと思うと、昏い光を帯びた目が嗤う。口元が、歓喜に歪んだ。

「ふ、ふふふ、はは、はははははははは!」

「うわ。何とうとう気でも狂った?」

「愚かだな顎龍山の山守よ、お前は私を殺して追い詰めたつもりだろうが、初めから私の血によって術が発動するように組んであるんですよ。ふふ、はははは! ああ、嗚呼!────ついに時は満ちた!」

 高らかな宣言と共に、ぐわんと足元が揺れた。小石が水に落ち、波紋を作る。地鳴りだ。それもかなり大きい。

「璃人様!」

「……これはちょっとさすがにまずそうだね」

 地下に掘られた縦穴だ。既に地鳴りによって壁には亀裂が入り、このままでは出雲諸共この穴に生き埋めになってしまう。

「ああ、その顔! そう、その顔が見たかったんだ!追い詰めたつもりが追い詰められていたと知ったその……!」

「────……ま、それ動かないけど」

 三光の微笑みに、出雲は情けない程に呆然と目を丸めて、振り上げた両手を引きつらせた。足元のそれはぴくりともしないし、水底の術は既に三光が塗り替えていた。地鳴りも、もう既に収まっている。

「何故⁉︎ 何故、術が発動しない……うそ、嘘だ! 何かの間違い……神祖様、神祖さま、どうして!」

 その瞳はみるみる凍り付き、龍の石像へ這いずって向かう出雲を三光はただ冷ややかに見下ろしている。刺された足が縺れて、底水に転落しても彼はまだ己の神の名を叫んだ。

「ばかだなー……八年掛けても顎龍山の神域に爪程も届かない癖に、身の程を知れよ」

「うるさいうるさいうるさい! お前に何がわかる! 同じ母から生まれたのに、お前だけが家に残され、山守の子として愛されたお前に、捨てられた私の何が! 必死に勉強しても結局誰かに奪われる、私にはもう、貴方しかいないのです……!」

「────」

 憐れだと三光は思った。

 これが神に焦がれた者の末路。一族の凝り固まった仕来りと傲慢さが生んだ憐れな化物。

 こんな者の為に、多くの命が炎に消えた。

「……疾風、それ貸して」

「璃人様、ですが」

「これも僕の、一応末裔としてのけじめだからさ」

 底へ降り、三光は龍を見た。眠ったままのそれは決して神ではなく、ただの石像だ。龍脈の力を溜め込むための大きな人工的な器でしかない。けれどこの人からしたら、唯一縋れるものだったのだろう。

 傷口から、水に血が溶けていく。龍の顔さえ見えない程にそれは濁っていた。本当に、皮肉なものだ。

 青年と同じ瑠璃色の瞳が虚空を見上げている。

 もうその瞳には、目の前の青年すら映っていない。

 三光は袴に下げていた瑠璃の小粒を指で割り、放る。それから水の中に足を踏み入れて、太刀を振り上げ、そしてまっすぐそれを振り下ろした。


「さよなら、宗次郎兄さん」


 せめて、良い夢を。



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