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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
四章 見果てぬ空へ
81/114

十三

 夕暮れと夜陰の入り混じる街に、ひとりの男が軽快な足取りで歩いていく。

 男が歩いているのは大通りから少し外れた路地だった。宿屋や商店の並ぶ大通りに近ければ近いほど建物は縦に高くなり、外へ行くほど低く、粗末になっていく。

 だがそれでも豊都は男が今まで見てきた中では「まとも」な方だった。

 少なくとも雨露を凌げる家もなく、どこからか拾ってきた板を寄せ集めて路地に蹲る子供はいない。医者にかかる事も出来ず、ただ死を待つだけの老人もいない。子供を暴力で脅すような輩はまあ、やはり後を絶たないが、あれくらいならどこにでもいる。

 貧富の差はあれど、この街には秩序がある。誰かが困れば皆が手を差し伸べ、助け合う。そうやって八年前の悲劇から立ち直ってきた街だ。

 国都である淋代よりも豊都の方が住みやすいと移住してくる人もいるくらいで、十二国の中で最も豊かな都と言っても過言ではなかった。男も、この街の空気は嫌いじゃない。


 男がひとつ角を曲がった所で行く先からふたりの子供が走ってくる。男女の子供だ。女の子の方が少し背が高く、男の子の方の手を引いているから多分姉弟だろう。少女は弟の手をしっかり握り、後ろの彼がちゃんとついてきているかばかりを見ていて、前から来る大人に気が付いていなかった。避けようにもこのままいけば、彼女は建物の角にぶつかる未来が見える。

「あわっ!」

「おっと」 

 結果、男の足に、少女が愛らしい鼻を打つけてしまった。そこで初めて男に気が付いた少女は鼻をさすりながら丸い大きな瞳を潤ませる。

「ご、ごめ、ごめんなさい……」

「いやいや、俺こそごめんなー?余所見してたからよ、鼻大丈夫か?」

「うん……」

「ならよかった!ちゃんと弟の手を引いて偉いな。でも前はちゃんと見て歩くんだぞ、いいな?」

「う、うん! ありがとう、お兄ちゃん!」

 にっと八重歯を見せて笑う男に、少女たちはもう一度謝って、路地の向こうに走っていった。男はそれを見送って、すぐそばに見えていた小料理屋の暖簾を潜る。

「いらっしゃいませー!お一人さまですか?」

「いや、連れがもう来てるはずだから」

 元気いっぱいな店員に手を振って、奥の席を見る。そこに見知った顔たちを見つけると、男は迷いなく彼らの隣に座った。

「遅かったね、守千賀かみちか

「わりーな。ちょっと色々あってさ」

 守千賀と呼ばれた男は大して悪びれもせずに、お品書きに手を伸ばす。二人の前には既に空になった丼と小鉢が数個あり、隣の男からはどこか酒のつんとした匂いが漂ってくる。

「なあ、この店なにがおすすめ?」

「この店に来たら絶対に蕎麦だね、間違いないよ」

「そっかそっか。店員さーん!月見うどんひとつ、頼むわ!」

「はーい!おやっさーん、月見いちー!」

「ねえねえ僕の話聞いてた?」

「聞いてた聞いてた、でも今うどんの口なんだよな」

「じゃあ何で聞いたの? 僕、君のそういうとこどうかと思うよ」

 そう言って、彼は頬杖をついて、わざとらしく息を吐いた。伏せられた長い睫毛に縁取られた瑠璃色の星粒が麗しく、憂う姿も絵になるような艶がある。そんな無駄に色気を振りまく彼を無視して、向かいに座っている方が話しかける。

「でも本当に遅かったな」

「ちょっと人助けしてきたんだ。絡まれてる女の子がいてさあ」

「へえ、恋が芽生えたりした?」

「ばあか、俺は嫁さん一筋だぞ!」

 からっと笑う守千賀の隣に座っていた青年は瑠璃色の瞳を細めて「なんだ、つまらないな」と笑った。その軽口を、向かいに座る男が視線で咎める。

「それ以上軽口叩く様なら三光は置いていく」

「青幡くん冷たい。もっと僕に優しくしておくれ、これでも君たちより年長者だよ」

「気色悪……」

「本気で引かないで」

 守千賀の真正面に座る青年────青幡は顔を引き攣らせて斜め向かいに座る三光から距離を取る様に身を引いた。ちょうどその時、店員が月見うどんの丼を持ってきたので、守千賀は彼らのやりとりに構わずそれを受け取り、箸を取る。自由だ。しかしその自由さを青幡も三光も咎めはしなかった。

 側から見れば、同年代の友人同士がじゃれているように見えるだろう。三光はちらちらと送られる女達の視線ににこやかに手を振り、それを青幡が咎める横で守千賀はうどんを啜っている。どこにでもいそうな三人組だ。

「で、山の方はどうだったんだ?」

「社に侵入は無理だね、やってみたけど爪何枚かやっちゃった。ほら見て、せっかく手入れしたのにさ」

「三光の爪なんかどうでもいい。……海音あいつか?」

「いや違うでしょ。そうだったらこんなとこで手をこまねいてないって」

 ひらひらと振った手を組んで、顎を乗せる。その瑠璃色の瞳に楽しむ様な笑みを乗せて、三光は青幡を見た。

「でも海音あいつもただここでお宝の御山を指咥えて見てたわけじゃない。だから青幡も存在をチラつかせて、京都みやこから若くんを引き摺り出してきたんでしょ?」

「人聞きの悪いこと言わないでくれる? あっちだって、俺があいつらに有益なだけの情報を見返りなくほいほい渡すとか思ってないだろ」

「いや〜それはどうかな、姫宮も連れてきてるし」

「は?」

 ずずずっと麺を啜る守千賀の言葉に青幡の表情が固まる。対して男の隣に座る三光は「へえ」と目を細めた。

「姫宮がこっちにいる?」

「いたいた。てか、今豊都にいるぜ。さっき絡まれてた女の子助けたって言ったじゃん? あれ、絡まれてた女の子を助けようとしてた女の子が姫宮だった」

「…………冗談だろ」

「ははは! あの子の行動ほんと読めないね〜」

 顔を手で覆って呻く青幡と頬杖をついたまま楽しげに笑う三光を横目に、だしのきいた汁を飲み干して、守千賀はふうっと息を吐く。

 あの現場に居合わせたのは、本当に、全くの偶然だった。待ち合わせに向かう途中、守千賀の進行方向に彼がいただけだ。守千賀は彼らの言う、()()を信じていないが、この邂逅が全くの偶然であるとその神様とやらに誓ってもいい。

 今ここで接触を図ることの危険性を、守千賀とて十分理解していたがしかし、緊急事態だったのだ。仕方あるまい。

「どーだった?」

「どうってなんだよ?」

「可愛かったでしょ、僕たちの姫宮は」

「お前いい加減その口縫うぞ」

 三光の軽口を青幡が諫めるも彼にちはちっとも堪えていないようだ。それ以外だと意外と軽口にも乗ってくれる奴なのだが、彼はかの少女のことになると途端に過保護になる。

 まあそれもそうだろう。青幡にとって、彼女の両親は特別なのだ。その娘ともなれば大事に箱にしまっておきたい宝石のような存在なのだろう。青幡自身にとっても、()()()()()()()()()()

 守千賀は先程の少女を思い浮かべて、ううんと腕を組んだ。長い髪を束ね、春風に揺れる菫色の瞳はいかにも気が強そうなお嬢さんといった風体だった。とてもじゃないが、この国の次代を担う者とは思えない、どこにでもいる普通の少女に見えた。

 まあ強いて言うなら。

「うちの嫁さんの方が可愛いな」

「あっはっは! 僕としたことが聞く相手間違えたなー」

「はあ……」

「ん? 青幡どこ行くの?」

 付き合ってられないとばかりに席を立つ青幡に、三光はにやにやとした意地の悪い笑みを浮かべて問いかけた。彼がこれからどこへ行くのか、見当は付いているのだろう。それでも律儀に答えるあたりが、青幡らしい。

「馬鹿のとこ」

「あはは。若くんによろしくね」

「……何か動きがあったら教えてくれ」

「はいはーい」

 にこやかに送り出す幾つも年上の彼に、青幡はいかにも「心配だ」といった顔をして自分の分の小銭を置いて店を出ていった。手酌で酒器に半透明のそれを注ぐと、三光は今し方連れが出て行った方を見遣ってぐっとそれを呑み干した。

「かわいーよねぇ。みんな姫宮の為に必死になっちゃって」

「お前は違うのか?」

 その言い方だと、そこに自分は含まれていないように聞こえる。

「僕? 僕は勿論、可愛い子の味方だよ」

「俺はお前とはそこまで付き合い長くないけど、結構良い性格してるよな」

 酒器を片手にひっこりと微笑む泣き黒子の青年は妖艶に唇を舐める。その瑠璃の瞳には深い深い深淵が横たわり、決して誰にも心を明かさない。

 まあそれは、自分もだけれど。

「じゃ、俺も行くわ。待ち合わせがあるからな」

「お、例の間者くん? そっちは結構付き合い長いんだっけ」

「さっきの嫌味かよ……でもま、そうだな。何年だったかは覚えてねぇけど六、七年くらいか?」

「守千賀らしいねぇ。ま、僕はもうちょいここで呑んでるからあとはよろしく〜」

「程々にしろよー」

 青幡と同じようにうどん代を置いて守千賀も店を出る。そんなに長時間滞在していたつもりはなかったが、既に空はとっぷりと暮れ、ぴゅうっと駆け抜ける風は冷たい。何度経験しても、この国の寒さは堪える。

 襟巻きの前を寄せて、守千賀は静かに、人混みに紛れて行った。

 


 

 ぱたぱたという小さな足音が段々と近付いてくるのを、男は聞き取って顔をあげた。燭台に照らされた文机には幾つも書が積み重なっており、湯飲みひとつとして置き場がない有様だ。書物や巻物は机だけではなく床や寝台にまで侵食しており、少女が勢い良く扉を開けると、その振動でひとつ山が崩れた。

「ただいま戻りました!」

「お帰り、凛音。だがもう少し扉は優しく開けてくれないかな」

「はあい、ごめんなさい!」

 今更遅いとは思いつつ、凛音はそうっと静かに扉を閉めた。男は椅子から立ち上がると崩れた本の山を取り上げて、またその場に山を作る。

「凛音、頼まれていたものは貰ってきてくれたかい?」

「はい!」

 腕に大事に抱えていた風呂敷を恭しく差し出す。山を器用に避けて、男はそれを受け取るとするりと結び目を解く。

 そして中のものを確認して、ひとつ頷く。

「うん、さすが凛音だね。いい出来だ」

「えへへ……」

 褒められて少女が自分の頰に両手を当てる。彼女が照れた時にやる癖だ。その時にふと、凛音の手の甲に傷が男の目に止まった。夕方、彼女が出かける前はなかった傷だ。

「その傷、どうしたんだい?」

「え? あっこれ? あのね、さっきちょっと知らない人に絡まれて……あっでもね、通りがかったお姉ちゃんとお兄ちゃんが助けてくれたの!」

「それはそれは。ちゃんとお礼は言いましたか?」

「勿論だよ! ありがとうとごめんなさいはちゃんと言うこと、だもんね!」

「宜しい。そのお二方のお名前はわかりますか? ぜひお礼をしたいのですが」

「聞いたんだけど、お姉ちゃんたち帝都から来たんだって。だから、この辺の人じゃないって」

「そうでしたか……もう豊都を発ってしまわれたでしょうか」

「あっ! ううん、まだ居るよ! 捜しものがあるんだって。でも……」

 それまで饒舌に喋っていた凛音は、そこで言葉を切って顔をほんの僅かに曇らせた。男は少女の頭を優しく撫で、彼女が喋り始めるのを待つ。

 少女は一生懸命、自分の中でしっくりくる言葉を探してるうちに段々と少女の目が微睡んでいく。やがて話し始めた時、少女の目の焦点はぼんやりと虚空を見上げた。

 その喉から発せられる声は、先程とはまるで違う。無垢な子供のようで、嗄れた老婆のようで、それでいてそのどちらもない。

「声が聞こえたの。あのお姉ちゃんの中から……たくさんの女の人の声。ずっと、ここじゃないどこかで、そう……幾星霜の時の中で、あのお方を待っている────」

「凛音」

 ぱちん。男がひとつ指を鳴らすと、凛音は目の前で風船が弾けたようにぱちぱちと瞬きを数回繰り返した。

「あ、あれ……? またわたし……ぼうっとしてた?」

「ええ。でも大丈夫です。ありがとうございます」

「ええっと……どういたしまして?」

 疑問符を頭に浮かべる少女に、男は柔らかく微笑みかける。ちょうどその時、彼女が走ってきた廊下の向こうから子供たちの二人を呼ぶ元気な声が聞こえてきた。すんすんと鼻を鳴らせば、香ばしい匂いが漂っている。夕餉が出来る頃だ。

「さあ、行きましょう凛音。みんなが待っています」

「はい! あ、そうだ。あの、今日助けて下さった方を、明日ご飯に誘ったら迷惑かな?」

「それは名案ですね。そのお二方がよろしければ、是非とも」

「やったあ! ありがとう、出雲さま!」

 万歳をして走っていく少女を、男────出雲は目を細めて見送る。先程の厳かな雰囲気は遠去かり、すっかりいつもの凛音だった。

 

 出雲は手近にあったそれを捲る。

 その頁には古き文字が几帳面な字で並んでいる。その文字をなぞりながら、出雲は小さく呟く。

 

「果てにとうの国。あめの怒りに、深き海底に沈みけり。

 ふたつに分かつぎょくの定め。朝と夜の波間の落胤ぞ。

 一つはとなり白き王。血潮はつみとがまなこ黄金こがね。牙をつるぎに、国創りの祖と成りけり。

 一つはかげとなり幽世かくれのみやに鎮みけり。りんを鍵にくらの宮、黑き守人はあぎとに消えゆ────」


 緩やかに。密やかに。瑠璃色の器が満ちていく。

 鴉が星を啄んで、夢の渡し舟が主人を迎えに、海を下るだろう。


「いと高き我が主よ、もう少しの辛抱ですから」

 出雲の口は自然と綻んでいた。それはまるで母に向ける子の眼差しのような、無垢な瞳だった。

「出雲さまー?ご飯冷めちゃいますよー?」

「ああ、すみません、今行きます」

 再び顔を出した凛音の声に、出雲はいつものように微笑み、本を置いて慌てて部屋を出て行った。

 


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