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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
四章 見果てぬ空へ
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 翌日、鈴は部屋でいつものように茅羽夜と露草、松葉、縁寿と共に卓を囲っていた。風早は戸の側に立ち、小鞠は屋敷の手伝いに出ている。

 露草は卓に広げられた地図を指さし、ひとつひとつ説明していく。

「まず蒜山ひるぜんの里、須河すごう高陵こうりょう安芸あき篠蔵しのくら。これら全てに白浬教の祠がありました。軒下に玻璃を下げていた民家が一番多かったのは須河ですが、他の里にもいくつか見受けられました。中にあったのは珊瑚、貝、それから海獣の骨と思わしきものです」

「海獣の骨?」

「形からして恐らく和邇サメと海亀でしょう」

「和邇……」

 名前は知っているが、鈴はどういう生き物なのかわからない。海亀はまあ、海に住む亀だろうが。

 首を傾げていると、縁寿がさらさらとやけに尖った背鰭を持つ魚のような何かを描いてくれた。八国では和邇を使った郷土料理もあるよと言われて少し釣られてしまったのが悔しい。

 その横で卓の上の十二国の地図に、露草は筆で先程あげて行った里にバツをつける。こうして見ると、淋代から一国寄りの東側にある里は大体白浬教の教えが届いていた。そして徐々に、顎龍山の麓まで伸びている。

 いや、逆だ。顎龍山を囲むように、龍脈が抑えられている。

 そう指摘すると、松葉はよくわからないといった顔で首を傾げた。

「なんで?霊峰だからか?」

「そうね……分かりやすくいうと、この辺りの泉や湖なんかの水源は、みんな地下で木の根っこのように繋がって広がっているの。これは東和全土にあるわ。この根っこがたまたま地上近くまで出てきて、水が溢れてるのが水源。それでもって、その根っこが支えている大樹そのものが、霊峰と呼ばれる御山なの」

 松葉の問いに鈴が答えると、彼は目を瞬かせた。何?と首を傾げると松葉は人好きする笑みを浮かべて「いいや」と首を振った。何なんだ。

 しかし、露草もいつの間に里の様子を見ていたのだろう。しきりに手帳に何か書きつけていたのはこのことだったのだろうか。

「ええと、話を戻すね。異常気象はたぶん、この龍脈に建てられた祠のせいだと思う。龍気の乱れは天の乱れだから」

「なら一国から三国、七国にもあるな」

 茅羽夜の言葉に一瞬、鈴が視線をあげるとその海色のかち合ったが、しかしすぐに逸らしてしまった。しまったと思ったけれど、今更どうしようもなかった。

「そうね、たぶん。それで次は、顎龍山の麓のまちに行こうと思うの」

豊都ほうとか」

 顎龍山は十一国との国境にある霊山で、淋代から馬で一日といった所にある。例年通りの積雪量ならそれ以上掛かっただろうが、今年は馬の足でも近くまで行けるだろう。

「霊山になら山守が居ると思う。そこに、きっと山神を祀る祠もあるはずよ。もしかしたら協力してくれるかもしれないし、何かを知っているかもしれない」

「それなら何故、最初から行かなかったんですか?」

 露草が訊ねる。鈴はなんと言えばいいのか、少し迷った。空鷹の部下である露草はきっと信頼に足る人物だというのはわかるが、どれだけのことを知っているのだろう。

「確証がなかったの。そもそも山守がいるかどうかも、正直行ってみないとわからないのよ。でも龍脈がある以上、祠はあるはず。そして白浬教もまだその聖域までは行けてない」

「わかるんですか?」

「もしその祠に手を出されてたら、この地の龍脈は枯れてるもの」

 この地だけではない。龍脈というのは東和の土地全てに通っており、繋がっている。ひとつが枯れたら断ち切らない限りそこから壊死して、国は死の匂いに包まれる。

 ────まさかそれが目当てなのか。

 いや、と鈴はすぐに首を振った。そんなことをすればこの国に住む全ての者たちの命がない。術者にとっても住む場所を失うはめになる。

(そういえば青幡が言っていた……東の龍を呼び戻すつもりかっていうのは、どういう意味なんだろう)

 鈴はつきつきと痛む頭に手をやる。元々考えることは苦手なのだ。おまけに連日続く寝不足と頭痛で、頭がうまく回らない。

「そういうわけで、わたしは豊都へ行ってみようと思う。良いかしら」

 ちらりと茅羽夜の方を窺うも、彼は地図を見たまま「そうだな」と頷いた。そこから旅路の段取りとを進め、明日の朝一に出立することになった。今日は一日、淋代で休むように告げると、茅羽夜は風早を伴って部屋を出て行った。今日も役場へ行くつもりらしい。

「行ってらっしゃいませ」

「ああ」

 戸の向こうへ消えていく茅羽夜の背を見送るも、海色の星が見えることはなかった。




 十二国の役場は、国長の屋敷から然程離れてはいない。築地塀に囲まれた建物はやはり三階建てと縦に長く、白壁と瑠璃色との色彩が美しいが、真四角な豆腐に瑠璃瓦を乗せたみたいだと、茅羽夜は思っていた。

 厳しい顔をした衛士の立つ門からはなめらかな石畳が敷かれ、茅羽夜を乗せた駕篭がそこへゆっくりと下される。何度乗っても窮屈だ。歩いて行った方が余程楽である。

 板の廊下を進み、茅羽夜はもはや通い慣れた書院まで進む。役場に併設されている史館は大広間と幾つもの小部屋に分かれており、それぞれ戸籍や税周りの記録、民話を集めた伝記書など、分類別に書物がずらりと並べられていた。そのせいかこの建物はいつも、墨の匂いで溢れている。

 高梁に頼み込んで史館の小部屋を一室借り、茅羽夜はここ数日、書物を持ち込んでその部屋に入り浸っていた。元々は勤めている官吏が仮眠を取るための休憩室らしく、襖の向こうには寝具が何組か置いてあった。茶器や丸卓、円座はあったが、随分と年期が入っている。茶葉やなんかは風早が買い揃えてきたものだ。

 高梁はこのような部屋ではなく役場の方にある私室を使っていいと言ってくれたのだが、書物を持って役場を往復するのが面倒だったので断った。

 茅羽夜が行くと既に縁寿が丸卓を占領しており、書物を読み耽っていた。部屋に入ってきたのが茅羽夜だとわかると、ついと顔を上げてそれを閉じた。

「遅かったですね」

「出掛けに国司に捕まった。明日、晩餐に招きたいと」

「鈴が出かけるとなった途端、露骨ですね。国司殿の孫娘は確か十八と十四でしたか」

「……十六になる姪もいるそうだ」

「成る程。年上、同年、年下と来ましたか」

 高梁は一守家の分家筋にあたる。妃は十二国の国長から召し上げるのが習わしであるが、当然それなりの家の姫であれば入内は可能だ。鈴のような例だってある。

「鈴が一緒に来ていなければ、確実に毎夜その娘の誰かが代わる代わる忍び込んでいたでしょうね」

「言うな」

 心底嫌そうな声に、縁寿はふっと眼鏡の奥の瞳を和らげる。鈴はたぶん、茅羽夜の女嫌いをただの噂だと思っているだろうが、実際に茅羽夜は女人があまり得意ではなかった。元々六歳まで人と接する機会も少なく、必要最低限の食べ物を運んでくる下男以外で側にいたのはあの真陽瑠くらいなものだった。

 だから茅羽夜も彼女が世界の全てのような気持ちでいた時代もあったが、過去形だ。今ではあの笑みの裏にあるものが、どうしても恐ろしい。

「まあ私も、白桂殿が身内であったら女性不信に陥ってたと思いますよ」

「…………」

 覆面を外した茅羽夜は苦々しく、卓に積まれた一冊を取る。縁寿が持ってきたそれらは、全てこの辺りの風土記や民話を編集したものであり、茅羽夜たちはずっと大海神に纏わるものを調べていた。

 皇家では照日奈大神の双玉があるが故に、父神である月黄泉よりも、照日奈を重視する傾向があった。

 神龍と陽神、月神の三柱を祀る社はあるが、前者二柱に比べると月神の社は随分と簡素なものだったことを覚えている。

 そして宮にある文献にも、照日奈の逸話は多く遺っていたが、月黄泉に関しては殆どなかった。帝には皇子しか就けぬ決まりであるにも関わらず、父神は蔑ろにされているこの違和感はどうしてもあった。

 そして元々、大海神は月神の眷属だ。正確に言えば陽神から生まれて月神に遣わされた神である。月黄泉の治める海底の幽宮かくれのみやを守護する者として、海を司る一柱が一体どのようにしてこの十二国の地に根付いたのか。

 青幡に聞けばきっと早いのだろうが、あの和紙はこちらから繋げられない上に、彼が素直に教えてくれるとも思えなかった。それこそ鈴の身柄を渡せとでも言いかねない。

 茅羽夜が読み始めた頃、戸の向こうから妙にのんびりとした声が聞こえた。風早が戸を開けると、そこにいたのは本だ。

「お持ちしましたよ〜」

 いや、本ではない。露草だ。露草が、おおよそ彼の体格からは考えられない程の書物を抱えて立っていたのだ。

「露草、あなたそれ、ちゃんと前見えているのですか?」

「横から見てます〜」

「意外と力持ちなのだな」

 部屋に入ると、露草は危なげなく卓まで本を運び込む。その細腕のどこにそんな力があるのだろうか。

 表紙を見れば「十二国神伝」「東和随筆紀伝」などが十何冊積み上げられている。ここ数日、ずっと史館に入り浸っていたが見たことのないものばかりだった。どこに保管されていたのか。中務の紙魚と噂されるだけあって、彼は書物に関して並ならぬ執着と直感を見せる。

「これ、史館の倉庫の方で埃かぶってたんですよ。さらっと読んで大海神、月神の記述があったものを選んできました〜まだまだあるんですけど、さすがに持てなくて」

「いや、十分だ。感謝する」

 そのまま露草は五冊程取って部屋の隅の方を陣取り、ぱらりと頁を捲る。茅羽夜はそっとその横顔を盗み見た。

 茅羽夜よりも三つ年上の彼は、しかし背丈は鈴より少しばかり高いくらいで、腕も鍛えている松葉の半分程だ。晴渡った春の空色を映した丸い瞳と顔立ちの幼さも相まって、客観的には茅羽夜の方が年上に見える。

 だが彼は四年前に、奈月彦が「才ある者が成すべき」と科挙を取り入れた際、たった十五で首席を取った天才児だ。

 東和の識字率はそこまで低くないのだが、やはり学校へ行けるものは極々わずかだ。庶民の子供の多くは家業の手伝いに駆り出され、学べる機会も時間も殆どない。家柄ではなく、才によって取り立てるべきと科挙を取り入れたはいいけれど、結局この試験に受かる水準が庶民には高すぎるのだ。

 しかしそんな中、農家の出で十九で中務省少輔にまでなった彼は、間違いなく歴史に名を残すだろう。

 少々おっとりしていて、本を読むために寝食を忘れて時々行き倒れているらしいという点を除けば実に優秀な官吏だった。空鷹が信頼し、目を掛けるだけはある。それは茅羽夜も認めていた。

(……性格も穏やかで、人当たりがいい。知的好奇心が強く、聡明で博識な点は縁寿にも似ている)

 だからだろうか、鈴はやけに露草に懐いていた。松葉や縁寿に対しての態度からして、幼い頃からお兄ちゃんっ子だったのだろうなとわかる程、確固たる信頼が今も垣間見える。

 元々人見知りしない娘であったし、鈴は兄の存在があるからか、どこか少し年上に気を許しやすい傾向があった。共に馬に乗ることを許すくらいには、鈴は彼に気を許している。そのことがどこか、寂しい。

 そのせいでせっかく手を振ってくれた鈴の顔を見ていられず、部屋に引き返してしまった。感じが悪かっただろうな、と茅羽夜は小さく嘆息する。

 その後部屋でお茶をひっくり返し、覆面が濡れてしまったが為に部屋にいた女中に素顔を見られてしまったことも失態だった。普段ならそんな失敗しないのにどうも調子が悪い。

(もしかして、龍脈の影響を受けているのだろうか)

 あの夢を見ることはなくなったが、代わりに十二国へ入ってからどことなく体が重い。

「殿下」

 呼ばれて、茅羽夜はぱっと顔を上げる。先程から一頁も進んでいなかった。

「何かお悩みですか?」

「ああ……すまない、惚けていた」

「お加減でも?」

「いいや、大丈夫だ。気にしないでくれ」

「それならいいですけど、姫様も随分体調悪そうでしたし、ちゃんと暖かくして寝て下さいね〜南瓜や人参などの根菜を食べるといいですよ」

「……」

 姫様も随分体調悪そう、の部分にぐっと眉根を寄せる。脳裏に今朝、逸らされた視線を思い出してしまった。

(……俺の浅ましい気持ちが見えてしまっただろうか)

 心の狭い人間だと思われたくなくて黙っているけれど、彼女には全部お見通しだったのかもしれない。

 しかし謝ろうにも、彼女の方からどことなく避けれている気がした。菓子や果物を持って行こうかと思ったが、何だか食べ物で釣って誤魔化しているみたいで、何となく決まりが悪い。

 だが風邪かどうかはともかく、確かに体調は悪そうだった。縁寿か小鞠からということにして貰って渡したら、食べてくれるだろうか。

 はあ、と何度目かの息を吐く。このままではいけない、集中しなくてはと書物へ目を落とす。


 茅羽夜が読んでいるのは、百年程前に纏められた伝記だった。子供に虐められていたところを助けられた亀がその恩人を乗せて海の底にある宮へ渡っただとか、顎龍山には大樹よりも太く、十三尺二寸(約四メートル)程もある柘榴の瞳を宿した大蛇が住んでいるだとか、そういった志怪説話や民衆の間で信じられてきた神話が綴られていた。茅羽夜が読んでるのが一巻で、露草が読んでいるものが二巻となっている。

「あれ」

「……どうしました?」

「ここ、見てください」

 不意に露草が声を上げた。茅羽夜と縁寿が覗き込むと手元の書物を広げ、指でなぞる。


 ────果てにとうの国。あめの怒りに、深き海底に沈みけり。

 ふたつに分かつぎょくの定め。朝と夜の波間の落胤ぞ。

 一つはとなり白き王。血潮はつみとがまなこ黄金こがね。星の心臓につるぎを穿ち、国創りの祖と成りけり。

 一つはかげとなり幽宮かくれのみやに鎮みけり。りんを鍵にくらの宮に隠し、黑き守人はあぎとに消えゆ……


 そこで文は途切れており、その後にはまた別の民話が記されている。そちらは顎龍山に住む大蛇の話のようだ。こんなに寒い地域なのに、蛇に纏わる話は意外と多い。

「果てに東の国って、昔に沈んだ唐のことか?」

「でもあれって、陽神の涙で沈んだと伝わっていますよね。ここだと神龍の怒りに触れて、沈められたように書いてありますけど」

「神龍の怒り……?」

 三人は首を捻る。どうも伝わっている神話と食い違いがあるようだ。

「双つに分かつのところは双玉ですよね。白き王……は、皇の祖である男神と女神の末御でしょうか?ですが血潮は咎とは……」

「……」

『白銀の髪と黄金の瞳はね、神龍である我らが父の子である証なんだ。そして同時にこの国で最も穢れた、忌まわしい、罪人の烙印なんだよ』

 青幡の言葉が脳裏に浮かぶ。

 もしかして彼らの一族に伝わるものと、十二国に伝えられている話は同じものだろうか。

 では瑠璃領の国長の一族は、彼らと同胞の徒であったのだろうか。しかしそれならば先日の連絡の時に言ってくれても良いものを。

 神龍の怒りに触れて、水底に沈んだ国が唐で、双玉と朝と夜の波間に生まれた子が白き王であるならば。

 ────では皇の罪咎とは一体何だ?

 黑き守人とは。

「他にもないか探してみよう。同じような伝承があるかもしれん。縁寿、その部分を写書して貰えるか」

「畏まりました」

 墨を擦る音を聞きながら、茅羽夜たちはまた文字を追う。


 一体どれだけそうしていたのか、陽が傾き始め、室内は黄昏が忍び寄ってきていたことにも気付かずに茅羽夜は手元の書を読み耽っていた。風早が燭台に火を入れると、すぐ側の縁寿がぱっと顔を上げる。

「殿下、露草、そろそろ引き上げましょう」

「もう少し」

「これだけ……」

「露草はともかく、殿下は明日になさいませ」

「本当に後少しだから……」

「はあ……風早、燭台の火を落としてください。そうでもしないとこのまま夕餉も忘れて読み続けますよ、この方々は」

 縁寿に言われて風早が火を落とすと、二人は僅かな光を求めて窓辺に寄っていく。本当に、後少しで切りがいいところまで読めるのだ。

「殿下、明日から鈴は暫く豊都ですよ。夕餉を共に食べなくて宜しいのですか」

「……いい」

 縁寿の言葉に、茅羽夜は小さく首を振る。昨日は小鞠の部屋に行ってしまったし、その前は篠蔵に出ていたので、鈴とは数日きちんと顔を合わせていない。

「鈴はたぶん、私の顔を暫く見たくないだろうから」

 声に出すと、それは思っていた以上に茅羽夜の胸の中に重く落ちた。冬の窓辺からしみる隙間風が指先を冷やして行くように、ちくちくとした痛みが胸を刺す。

 後ろで縁寿と風早が顔を見合わせているのにも気付かずに、茅羽夜は手元の文字を拾う作業に没頭した。

 この一件が片付けば、全てが明らかになれば、もう少し自分に自信が持てるだろうか。でもそれは、今目の前の問題から逃げているだけだと心のどこかでは気付いていた。気付いていて、茅羽夜は少しだけ、逃げた。遠回りをするだけだと言って。


 ────そしてこの時の選択を、俺は生涯悔やむことになる。




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