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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
四章 見果てぬ空へ
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 朝、しっかり寝た筈なのに鈴がまた沈鬱な顔でいるので小鞠達はもう一泊休んだ方がいいのではと言ってくれたが、鈴は首を縦に振らなかった。

 白浬教は龍脈に根付いている。もしかしたら、十二国だけじゃない。異常気象は程度は違えども一国から三国、そして七国でも確認されている。宮に遣いを出して他の国の龍脈も確認した方がいい。

 一日たりとも無駄に出来る時間などなかった。

「ならせめて、馬はひとりで乗らず誰かに乗せて貰って下さいまし。今の状態で乗れば絶対に落ちますわ」

「平気なのに……というかそれなら小鞠はどうするの?」

 小鞠はひとりで馬に乗れない。この道中も鈴と一緒に乗ってきたし、鈴が誰かに乗せて貰うことになると小鞠も誰かに乗せて貰わねばならないのだが……ここまで考えて鈴はにっこりと笑った。

「そうね、そうするわ。露草、あなたの馬に乗せてくれる?」

「姫様⁉︎」

「え、僕ですか〜……?松葉の方が良くないで」

「乗せてくれる?」

「……あ、はい」

「姫様いけません!あなた様は東宮妃なんですよ!」

「あら、そんなこと言ったら誰の馬にも乗れないわよ?」

「そ、そう、ですが……」

「何でも宜しいですが、出立するなら早く決めて下さい。時間の無駄です」

 苛立ちを隠さない宝生の言葉に尚も言い募る小鞠を松葉に押しやって、鈴は露草と馬に乗り込む。

「別に構いませんけど、殿下に怒られたらちゃんと取りなして下さいね」

「茅羽夜はこんなことじゃ怒らないわよ。身分とかそういうのに全然興味がないんだもの」

「……松葉、君、絶対妹の育て方間違えたと思うよ」

「いやこれは絶対俺じゃなくて母さんのせいだと思うんだよな。あの人、娘だけには変に甘くてさあ」

 本人を前に何て失礼な男達だろうか。

 ふと見れば小鞠は松葉の後ろから肩に手を掛けて、今にも魂が抜けて飛んでいきそうな顔をしている。

「……あれ?露草が手綱を持つの?」

「ええ〜まさかご自分が持つ気でいらっしゃったんですか?」

「そのつもりだったけど……」

 乗馬の腕は、見た感じ鈴の方が手慣れていた。

 だがそれは鈴を乗せていた雪燈と鈴の間に信頼関係があったからだ。露草の乗る馬がどんな子か鈴は良く知らない。だったら彼に預けた方が良いかと思い直す。

「じゃあ宜しくお願いします」

「はーい」

 やっと出発出来るとうんざり顔の宝生に悪いと思いつつ、鈴達はようやく里を発った。


 

 淋代に着いたのはもう日暮れも近かった。この十二国は東和の中でも最も陽が短く、既に街の人々は灯篭や提灯に火を入れ始め、雪に橙の炎の揺らめきが映る。

 国長の屋敷の敷地内に入り、ようやく馬から降りて小鞠に駆け寄ると彼女は放心し切ったようにぽつりと言った。

「…………一生分の運を使い果たしたわ……」

 淋代に着いたことも気付いていないかもしれない。ああやって鈴をいつもからかってくるくせに、本当に松葉に対しては誰より恋する少女であるのだ。

 小鞠の手を引いている最中、ふと視線を感じて上を見ると、ぱちりとその人と目が合ったような気がした。

「茅羽夜!」

 部屋の廂に出て柵からこちらを見下ろしていた茅羽夜に大きく手を振る。覆面を付けているのが、こちらを見ていたのは確かだ。

 けれど彼はそのまま、すぐに身を翻して部屋の中へ戻ってしまった。

「……?」

 振り返してくれると思ったのだが、もしかして風早の方だったのだろうか。茅羽夜だと思ったから手を振ったのだけれど、風早だったとしたら困らせてしまっただろうなと少し申し訳なくなった。

 乗り手がいなくてもちゃんと付いてきてくれた雪燈を厩舎へ戻して飼葉を与え、お礼を言って部屋へ戻ると、部屋の中から声がした。もうその声が誰のものであるか、鈴は察している。だから、別になんとも思わない。

「ただいま戻りました」

「ああ、お帰りなさいませ、妃殿下!」

 和水の弾むような声に微笑み、部屋の中に入るとふんわりとした柑橘系の匂いが強く香った。お茶でも飲んでいたのだろうか。そう思いながら、掘り炬燵のある部屋に足を踏み入れると、そこに茅羽夜が座っていた。

 ────覆面を外した姿で。

「え……」

「……お帰り、鈴」

「あ、ええっと……ただいま」

 部屋の中では確かに彼は覆面を外していた。此処は鈴と茅羽夜に与えられた部屋だ。別に何ら、おかしい所はない。

 けれど部屋にはまだ和水が居る。彼女は鈴を出迎えた後、戸棚から茶葉の缶を出してお茶の準備を手慣れた手付きでしている。鈴はそんな所に茶筒がしまってあることを今、初めて知った。この部屋に一番出入りしているのは、もしかしたら彼女かもしれない。

(……なんでわたし、こんな……)

 彼の秘密は長い前髪で隠れているものの、茅羽夜ではなく、夕凪宮としてその素顔を見せるのは、信の置ける者の前だけだろうと勝手に思っていた。

(そう、勝手に。……勝手に、わたしが傷付いているだけ)

 信頼出来る人間が増えるのは良いことだ。きっと、絶対に、良いことに違いないと思う。

(頭が痛い)

 忘れかけていた痛みが目の奥に振り返す。咄嗟に右目を押さえて、鈴の視界が僅かにぐらつく。

「どうした?」

「ああ、うん、ちょっと昨日から何か風邪っぽくて」

 気付いたら勝手に口が動いていた。え、と心配そうに丸められる目を、見てられない。

「大したことないのよ。でもあなたに移したら悪いから、暫く小鞠の所にお邪魔しようと思うの。ごめんなさいね、それだけ」

「待って、鈴……!」

 ぱたん、と閉められた扉の向こうに声が消えていく。鈴は早足に小鞠に当てられた使用人用の部屋まで行くが、彼女は生憎留守だった。いくらなんでも勝手に入るのは気が咎めて、鈴はそのまま、いないだろうと思いつつも別の部屋の扉を叩いた。

 いないと思っていたその人の部屋は、しかし予想に反して反応があった。

「鈴?……どうしたのですか?」

「縁兄さん……その、入っても良い?」

「どうぞ、ちょうど今お茶を入れた所です。飲んで行きなさい」

 心良く招き入れてくれた縁寿にほっとしながら、鈴は部屋へ入った。彼の言うように部屋には甘くて香ばしい匂いが漂っており、それだけで頭痛が薄れる気がした。

 縁寿に当てられた部屋は鈴達とは違い一間だけの部屋だが、確実に使用人に当てられたものよりは広かった。婿とは言え九条家に連なる者だからだろう。九条とは浅からぬ縁がある、という高梁の言葉がふと過ぎる。

 しかしその部屋も、既に薬研やら生薬の小瓶やらが並べられていて机には書物が積み上げられていた。きっと片付けたそばから散らかしていくのだろう。掃除に来る女中達に鈴は心から同情してしまった。

 戸棚からもう一つだけ茶器を出して、縁寿は積み上がった本の塔を僅かにずらして置いた。苦笑いしながらも、鈴はそれを一口含む。

「具合が悪いんですか?」

「どうして?」

「そんな顔色では誰だってそう思います」

 そんなに酷い顔をしているだろうか。縁寿は鈴の頭をそっと撫でる。眼鏡の奥の瞳が柔らかく、細まるのを見ると、どうしても心の悲鳴に気付かざるを得なかった。

「……最近夢見が悪くて」

「うん」

「それであまり眠れなくて……たぶん寝不足だからだと思うんだけど、頭が痛くて……」

「それはいつから?」

「変な夢を見るのは霜月に入ったくらいからだけど、ここまで酷くなかったの。頭痛がし始めたのは昨日のことよ。昨日も夢を見たんだけど、それでもだいぶ寝てたから痛みは治ったんだけど……」

 思い返す。

 白浬教のこと。八年前のこと。葵依の涙と真尋の思い。奈月彦の瞳の色。蒼一郎の手紙のこと。そして茅羽夜の顔が浮かんでは泡沫のように消えていく。

 もう一体何に悩んで、何に心を痛めて、何に不安がっているのかもわからなくなっていた。

 そうして振り返した痛みに鈴はぎゅっと目を閉じた。 

「心の抱える不安や傷は私の調合する薬では治せない」

 幼い頃のような、優しく、甘やかすような口調で縁寿は言う。一回り以上年上の長兄の側に居た時間はそんなに長くなかったけれど、よくこうやって泣き噦る鈴を宥めながら、傷の手当てをしてくれたことを思い出す。

「だけど話を聞く事なら私にも出来る。お前は変なとこで遠慮するから、松葉も心配していたんだよ」

「……でも、これはわたしの問題だし」

「お前が嫌なら無理に話すことはないけど、でも話すことで新しい解決法が見つかるかもしれない。まぁ確かに、新しい視点が人に繁栄をもたらすとは限らないけれど、腕の中の悩みを高く積み上げてばかりでは前が見えなくなるだけだ。誰かに心の荷を渡せるなら、渡したっていいんだよ。私達は兄妹で、家族なんだから」

 家族。その言葉を口の中で繰り返す。何度も何度も飴玉のように転がして、考える。

「家族って……一体何だろう」

 独り言のような呟きに、縁寿はさあ?と首を傾げた。この聡明で、博識な兄にもわからないことがあるのかと、鈴は目を丸める。

「血の繋がったもの。心を繋いだもの。戸籍上の関係。そのどれもが正解であると私は思うよ。想いの形に正解などないからね。ですが、鈴、あなたは紛れもなく私のたったひとりの大事な妹です。それを、覚えておいて下さいね」


 

 その日、鈴は迎えに来た小鞠に頼んで布団をもう一式借りて部屋で過ごすことにした。使用人の部屋になんてお通しできませんと怒られるかと思ったのだが、彼女は一言、仕方ないですねと微笑んだだけだった。その顔は東宮妃の侍女ではなく、長年共に過ごしてきたひとつ年上の姉のような笑みだった。

 こういう時、幼馴染みというのはいいものだなと鈴は改めて思った。顔を見ただけで相手が自分にどうして欲しいのかがなんとなくわかる。それは鈴と小鞠の間に、確かな信頼を積み重ねてきた証だ。 

「小鞠、あのね、もし……もしも、仮にの話だから気を悪くしたなら謝るんだけど」

 燭台の灯りの下で繕い物をしている小鞠はついっと視線を上げて、ひとつ頷いてからまた手元に目をやった。

「里長様や百合絵様が大きな罪に関わっていた、とわかったらどう思う?」

「両親が咎人であったらということですか?」

「例えばよ、実際にそんなことがあるはずはないと思っているから」

「わかっています。でも、そうですね……まずは事情を聞きます。どうしてそのようなことをしたのか訊ねますし、調べます。誰かに嵌められたのかもしれないですし、やむを得ぬ事情があったのかもしれませんから」

「……そのせいで、誰かの大切な人が死んでいても?」

 一瞬だけ小鞠は息を詰めた。いつも明るくて真っ直ぐな鈴の声が、低く冷たく、また迷っているように聞こえたからかもしれない。けれどきっぱりとはっきりとした声で答えた。

「両親も、わたくしの大切な人です」

 愚かな質問をしたと鈴はすぐに後悔した。当たり前だ。鈴だって縁寿や松葉が咎人であったとしても、同じようにするに違いないのだから。

(わたしには彼らが大切なのかわからない)

 血が繋がった親子なのに。

 蒼一郎も、暮星も、きっと鈴を愛してくれていたのに。

 生まれてくる子供のために衣を解いて御手玉を作り、生まれてくる子への愛を手紙にしたためて。我が子への当たり前の愛がそこにあった。

 それなのに鈴にはそれを持て余している。奈月彦のように、わかりやすく疎んでくれた方がずっと楽だったとさえ思う。

 そうだ、きっと鈴はふたりに自分を疎んで捨てて欲しかったのかもしれない。自分たちにって不要で邪魔になったから婆さまのところへ置き去りにした。そうであれば、彼らが悪いのだと自分を正当化して全てを暴くことへ躍起になれただろう。

 真尋を殺し、葵依を泣かせ、多勢の人々の道を狂わせた血も涙もない悪者でいて欲しかっただけ。

 だからこそきっと鈴は今、こんなにも苦しいのだ。

(頭が痛い……)

 つきつきと熱っぽい痛みが、鈴の思考を鈍らせている。生みの両親のことだけじゃない。先程見た光景も、鈴にとっては大きな衝撃を与えていた。

(美人で、気立ても良くて、お菓子作りが上手で、働き者で)

 これでもし、良い家柄の娘であったなら、などと考えてしまう自分が嫌だった。でも、どうしても考えてしまう。

 ────何故なら鈴は、咎人の娘だから。

 ただの村娘であった頃の方が、まだ良かった。暮星の娘であることはもうすでに、奈月彦には知られている。それなのに斎妃の位を与えられたのは、茅羽夜がそう望み、巫術を使えるだからだ。

 けれどもし、このことが他の長に知られたら?

 鈴を引きずり下ろすことなど、きっと容易い。八年前の暴動の悲惨さを、誰もが知っている。処刑された教祖の娘だと知れたら、いくら空鷹が有能だろうと、庇い切れるものではないだろう。鈴を切り捨てる方がずっと簡単だ。

 そしてもし、茅羽夜が他の娘を望めば?

(ほかに妃が出来ても自分のやることは変わらないと思ってた)

 生涯、鈴だけを妃として生きるのは、きっと無理だろうと思っていた。臣下として下るならまだしも、奈月彦には子がいない。先代の兄弟も皆絶えており、今代の兄弟も真陽瑠を除いて亡くなっているが真陽瑠は斎王として生涯神に仕える存在だ。子を成すのは難しいだろう。

 降嫁した皇女もいた気がするが、その皇女に男児でも生まれたという話も聞かない。皇家の血を継ぐものは茅羽夜しかいないのが現状だった。

 その中で人嫌いで引き篭もりの東宮が妃を娶った。ならばと続こうとする家があることは、鈴でも容易く想像が出来る。

(────安心していたんだ、わたし。寛容ぶって、何一つ覚悟もしてなかった。心の底で、茅羽夜が自分以外を妃にする筈ない、なんて思ってたんだ)

 東宮は決して素顔を見せない。人を寄せ付けない、春殿の若宮さま。

 噂通りであることを一番望んでいたのは、自分かもしれないと思って、鈴は自分の浅ましさと傲慢さにひどく失望した。

「……姫様、また頭が痛むんですか?」

「ううん……平気。でも、もう今日は寝るね。変な質問しちゃってごめん」

 お休みなさいと言って、布団を被った鈴は目を瞑る。

 目の奥にある痛みは、浅ましくて愚かな自分への罰だろうか。

 そんなことを思いながら。


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