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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
四章 見果てぬ空へ
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 一度気になると些細なことが目に留まるようになる。

 鈴は別の里に視察に回る為に朝陽も昇らぬ内から出掛けることもあり、茅羽夜も調べ物や挨拶周りがあるとかで夜遅くに帰ってきたりと、擦れ違うことが増えていた。目が覚めたとき、すぐそばにはいてくれるのだが、言葉を交わすことはめっきり減った。

 きっと世話をする女中の方が、茅羽夜と話す機会は多いんだろうな────そんなことを考えて、すぐに振り払った。


 淋代に滞在して七日が過ぎ、霜月から師走へと月は流れていく。

 雪は相変わらず鈴の足首が埋もれるくらいで例年ならこの時期にはもう鈴の背丈を越すほど降る地域もあるらしい。やはり何かが狂っているのではと住民達の顔にはどこか不安そうな色が見え隠れしていた。 

 そういった住民達の焦燥が鈴の胸の内をざらつかせるのも、またひとつの要因であったと思う。

 だからだろうか。夢を見る頻度はこの頃毎夜と言って良い程、上がっていた。それも毎回ご丁寧に死因も取り巻く環境も違うときた。いい加減、気が狂いそうだ。

「姫様、今日はお休みされませんか?顔色があまりよくありませんし……」

「んー……ううん、もう此処へきて随分経つけどあまり進展してないし、今は身体を動かしておきたいから」

 小鞠が心配してくれるのも嬉しいしわかっているのだが、多分今、休んだらまた夢を見るだろうなという確信があった。だったら思いっきり身体を動かして、夢を見ないくらいぐっすりと眠った方が良いのではと思うのだ。

 そういうと小鞠は「姫様がそういうなら」と支度を手伝ってくれる。

 今日は少し東北の方の里へ行く予定だ。馬で半日近く掛かるところにあるので、今日はその里へ一泊させて貰うことになっている。そういうことなので陸もお留守番である。

 露草と松葉、小鞠、それから宝生と一緒に鈴は夜明けに淋代を発ち、里へ着く頃には既に太陽は真上からやや西へ傾いていた。

「遠いところをようこそいらっしゃいました、麗しい春告の妃殿下」

「お初にお目に掛かります。篠蔵しのくらの長殿でいらっしゃいますか」

「左様でございます」

 出迎えてくれた男は、他の里長よりもずっと歳若い青年だった。ともすれば縁寿や奈月彦らとそう大きく変わらないように見える。聞けば先代の長は彼の祖父で、彼の父である息子は既に亡くなっているとのことだ。

「早速で申し訳ないのですが、行ってみたい場所があるのです。白浬教の導師様と巫女様が訪れたという祠は、どちらでしょうか」

「ああ、妃殿下が白浬教の聖地巡礼をなさっているという噂は聞き及んでおります。ご案内致しましょう」

(こんなとこにまでもう噂が……?)

 近隣の里を調べて回っているのだから噂になっていても不思議ではないし、好意的な噂になっているだけ有難いと思わなければ。

「ああ、いえ、場所さえ教えて頂けたら……」

「おや。もしやあの噂も本当なのですか?」

「あの噂とは……」

「殿下は妃である初菫妃殿下にそれはもう惚れ込んでいらっしゃって、近付く妙齢の男を尽く退けて回ってるとか」

「⁉︎」

 なんだその噂は。初耳だった。しかしそれは大きな間違いである。現に今、鈴のすぐ側には小鞠が控えているが、その後ろには松葉も露草も宝生もいる。松葉は兄だし露草は書物にしか興味がないようだし、宝生は最早論外なのだが、年齢だけ見れば彼らは全員妙齢の男性であった。

 だがそういうことにしておけば断りやすいのではないだろうか?

 そう思って、鈴は力いっぱい頷く。

「そ、そうなのです!出来るだけ接触を避けて欲しいと言われておりまして……なので祠にはこの侍女と共に参りたいと思いますが、お許し頂けますか」

「ええ、ええ、勿論です。いや、噂には人嫌いで決して人をお側に置かないと聞いておりましたが、仲睦まじいようで何よりです。東和の未来も明るいでしょう」

「ありがとうございます……」

 気恥ずかしいやら申し訳ないやらで鈴は曖昧に笑って祠へ向かった。勿論、松葉と露草は後からこっそりと来て貰う手筈だ。

「あんな噂が回っていたなんてなんということでしょう……」

「なにが?」

「こんな美味しい話を聞き逃していたなんて、この小鞠、一生の不覚ですわ……!」

「だからなにが?」

 時々小鞠は会話が成り立たない時がある。そういう時は放っておくのが一番だと鈴は既に学んでいた。藪を突くことはない。

 例の祠は里から少し先にあり、この辺りでも随分と大きな水源となっていた。この道を更に一日掛けて行くと顎龍山の麓まで行ける。

 龍と名のつく山はそのものが神龍の一部とされる霊峰だ。つまりその分、龍脈も大きく清浄な気で満ちている。霊峰に近ければ近い程、流れる水は清廉な気で満ち、こんこんと湧き出るそれは人々に豊かな恵みをもたらすのだ。

 雪燈から降りると、小鞠に手綱を預けて鈴はすぐさま祠へ向かった。建っている地に手を当てて、もう片方は首飾りを握る。

 大きく息を吸って意識を潜らせれば、これまで巡ってきたどの龍脈よりも、確かな力を感じた。

 けれど、やはり反響する音は遠い。

 周囲を見回してから、そっと祠の扉を開くと、同じように呪具があった。それも、全く同じ形の骨がふたつ。

(顎龍山が近いからかしら……罰当たりな事をするものだわ)

 龍脈に根を張る呪術なんて山守の娘としては吐き気がするくらい嫌なものだ。

 水とは絶えず流れ行くものである。この呪具のせいで流れる気が故意に滞るようになって、澱みを生んでいる。

(────天候を操る巫術なんて)

 出来ないと思っていた。

 正確に言えば、あることにはあるが実行が難しいのだ。何しろ天候は全て、陽神である照日奈大神の領分で、人の手には余る。

 けれど、龍脈を押さえれば出来なくはない。

 雨乞いの儀式なども、結局は龍脈の力を借りた巫術のひとつである。勿論、扱える巫術師は長い歴史の中でもそう多くはないだろう。

 鈴とて一人では不可能だし、婆さまなら九頭龍山の龍脈を借りて条件が揃えば、もしかしたら狭い範囲でなら出来るかもしれない。しかし成功する確率は松葉が科挙に首席で受かるのと同じくらいだろう。

(でも、こうしてひとつひとつ祠を建てて呪具を供えていけば……)

 時間を掛けてゆっくりと毒を流し、じわじわと蝕む。これはそういう術だ。かけた人間の性格は相当、用意周到で執念深いとみた。

(……あら、このふたつの呪具、片方が随分古い……?)

 霊峰が近いから倍にした、とかそんな単純な話ではない。札の感じからして、もう何年も経っている物のように思えた。そう、ちょうど────八年くらい経っているような?

(八年前の日照りもまさか、本当に?……あの人が?)

 心臓が嫌に跳ねた。外気は凍って、鈴の薄い唇から細く吐かれるそれは白くなるばかりなのに、脂汗が額に浮かぶ。呼吸の間隔は短くなり、腹の奥底が冷えていく。

(可能性はあった。同じみたいだって、思っていた。なにも驚くことはない……)

 それに、と鈴は思う。

 海真教の教祖として────蒼一郎の企てた恐ろしいものが、今現在に引き継がれているとしたら、それを止めるのは自分の役目ではないかと。

 この国の斎妃として。

 そして彼の────娘として。


「初菫様?」

 掛けられた声に鈴は意識を浮上させて、振り向いた。すぐそばに露草と松葉が来ていた。

「ごめんなさい、もう戻……────」

 祠の扉を閉めて、駆け寄ろうとして鈴は自分の視界が歪むのを感じた。感じた瞬間にはもう目の前に地面があった。

「姫様ッ!」

「鈴!」

 自分を呼ぶ声が重なる。右目の奥ががんがんと杭を打ち付けられるように痛んだ。あまりの激痛に頭を割って中から何かが出てくるのではとすら思う。

 お腹の中から迫り上がってくる気持ち悪さに、鈴は思わず袖で口元を押さえた。飲み込もうとして鼻で大きく息を吸うと、冷たい空気に胸が凍えた。

 体を支える誰かにしがみつくと、涙に滲む視界に綺麗な空色が飛び込んでくる。

「つゆ、くさ……ごめんなさい、ちょっと立ち眩み、しただけだから……」

「頭痛からの吐き気ですかね〜吐けそうなら一度吐いちゃった方が楽だと思いますけど」

「いやちょっとそれは……」

 流石に鈴も尊厳というものがある。ここで嘔吐するようなことは避けたい。

「まあここでこのままやってても仕方ないし、松葉、君の馬に乗せてあげて。雪燈は賢いから付いてきてくれるよ。小鞠さんは申し訳ないけど僕と乗ってくれる?」

「何から何までごめんなさい……」

「気にすんなって。よし、ちゃんと掴まっておけよ」

 松葉に寄り掛かりながら里へ戻ると里長はすぐさま部屋へ案内してくれた。布団に寝かせられると、少しだけ頭痛が和らいだ気がする。

「いかが致しましょう、医者を呼びましょうか?ここから馬で少し行った所に、腕の良い医者がいるのですが何分遠く少しお時間がかかるやも……」

「お気遣いありがとうございます。でも寝不足なだけなので、大丈夫です。少し休めば良くなりますから」

 眠れるかどうかはともかく、目を瞑っているだけでも少しは楽だ。そのまま抗えない眠気に、鈴の意識は落ちていった。




 ────また雨の音だ。

 天から降り頻る、陽神の涙。幼い頃は雨が降るたびに、そんなに何が悲しいのだろうと空を見上げたものだ。

 夢の中で鈴はとある一室に静かに佇んでいた。

 外は雨雲が掛かっている割には明るく、藤色の几帳が風に揺れて、開け放たれた蔀戸の向こうでは銀の糸を張ったような雨粒が絶えず降り注いでいる。

「────」

 雨の中に、誰かがいた。直衣を纏った若い男に見えた。烏帽子は被っておらず、長い髪を結いもせずそのまま背中に流している。

 その色は、雪のような白銀。

 鈴は階を降りて、彼の後ろに立った。雨は容赦なく鈴の頰を叩き、全身をくまなくずぶ濡れにしていく。でも、そんなの気にしなかった。彼の傍に居なくては、と強く思った。多分、この夢の主の気持ちが反映されているのだろう。

「────様」

 鈴の喉が震えた。目の前の男は振り向かない。

 だがその肩は小さく震えていた。彼の背を抱く少女の手も。

「……すまない」

「それはもう聞き飽きました」

 雨の音に紛れてしまうほど、その声は小さく、か細く、悲哀に満ちていた。

「私を、どうか許さないでくれるか」

 それは、きっと呪いだ。

 未来永劫、少女を呪い、蝕んで、縛り付ける呪いの言葉だ。

 それでも少女の胸に満ちているのはほんの少しの寂しさと、愛しさだけだった。

「はい。わたくしは、あなたを許しません」

 愛している。

 愛している。

 だから、あなたを許さない。

 あなたがひとり、幸せになるのを許さない。

「────ありがとう」

 冷たい雨が頰叩く。

 少女が最期に見たきらりと光ったそれは、雨か、彼の髪か、白刃か────涙だったのか、わからないけれど。

 目を逸らさず、少女は天を見た。

 女神の涙の降り頻る天を背負うその人の顔は、鈴の良く知っている人に良く似ていた。




 ぱちりと目を覚ました時、あたりは夜の帳に幾重にも包まれていた。体を起こして窺うも周囲には誰もおらず、しんと静まりかえっている。今が何刻かはわからないけれど少なくとも夜明けまでは遠そうだ。

 そうなると多分、半日くらいは寝ていただろうか。右目の奥に燻っていた痛みはすっかりと引いていた。

 鈴は布団を抜け出し、微かな月明かりを頼りに傍に用意されてあった衣を着込む。何を求めていたわけでもないけれど、そのままそっと里長の屋敷を出た。

「わあ……」

 外に出ると、銀砂を塗した空が鈴を迎えた。冬の澄んだ空気の中で燦然と瞬く星々は今にも鈴の頭上に降り注ぎ、手を伸ばせば届きそうな気さえした。

 西の空には細い下弦の月が静かに佇んでおり、遍く夜を支配している。もうすぐ、新月の日だ。

「おや、月神つきひのかみの愛し子や、眠れないのですか」

 突然降ってきた声に、鈴は驚いて振り返った。声の出所を探るようにきょろきょろと見回して、屋敷の縁側に腰掛けるひとりの老人を見つけた。

 彼は硝子の外燈ランタンを傍に置き、静かに目を閉じていた。白髪混じりの髪が淡く、その肌は雪国育ちだからなのか、驚く程白い。そっと近寄ると、老人は目を閉じたまま鈴の方へ顔を向けた。

「……あなたは?」

「ここの長の、祖父です」

「ああ、では先代の長殿なんですね」

 まだ年若い長の青年を思い出す。彼はここに妻と祖父の三人で暮らしているそうだ。

「きちんとご挨拶もせずに申し訳ありません、わたくしは……」

「いえ存じております。春告の名を持つ、九の姫様。私は名を亜紺あこんと申します」

 柔らかく微笑む彼は、もし良ければと鈴を隣に招いた。鈴も言われるがまま、外燈を挟んで彼の隣に腰を下ろす。

「星を取ろうとなさっていたのですかな?」

「え?やだ、見ておられたのですか?」

「いえいえ。ただ、そんな気がしただけです。御覧の通りですので」

(……あ)

 細く開かれた目は、白く濁っており、彼の視界を覆っている。鈴が小さく息を呑むと、彼は微笑んだ。

「心優しい月神の愛し子よ、耄碌した老人の戯言と思って、ひとつ話に付き合って下さらんかね」

「わたくしでよければ」

 ありがとうと亜紺はひとつ頷いて、静かなゆったりとした声で話し始めた。

「その昔、ひとりの神が、ひとつの星をふたつに分けた。ひとつは自分に、ひとつは愛しい人に与え、未来を共に生きようと言葉を交わした」

「星石の婚礼、ですね」

 東和の子供たちが聞かされる神話のひとつだ。神祖はひとつの神宝を双つに割って、男神と女神を創った。双玉はそれぞれ月神と陽神に渡り、ふたりはその双玉を互いに交換した。

 それ以降、瞳の色を星と双玉になぞらえて、求婚の際に自分の星石を渡すのが東和の古い習わしだった。

(あれ?でも今、ひとつは自分に、と言ったかしら……)

 聞き間違いだろうか、と鈴は亜紺の言葉を待つ。

「そう、双玉はそれから、天と地で分かれることになった。でも、元はひとつの星ですからね。共に引き合い、惹かれ合うように出来ている。誰もがこの世界に、対の星を頂いて生まれてくる」

「対の星……」

 その響きは外燈の明かりのように柔らかく、鈴の胸に灯る。優しく、燦然と、煌めきを帯びて。

「そう……昔、ひとりの少年がこの里に暮らしておりました。親を早くに雪崩で亡くしておりましたが、晴れた日に凪ぐ、海の瞳を持った、とても明るく利発的な少年でした。彼もまた、あなたのように優しい眼差しで、この星石の話を聞いてくれました。自分の対の星はどんな色だろうと……こんな老いぼれの話を聞いてくれるのはあの子と孫の伽藍がらんくらいでした」

 里長の名だ。孫への愛情と同じものが、その少年を話す声に滲んでいる。

「その子は今どちらに?」

「亡くなりました」

 はっと胸を突かれる。なんと言っていいかわからず、鈴は「そう、なんですか」とこぼすだけだった。亜紺の声が、寂寞と悲哀に満ちていたから。

「あの子が七つの時、孤児院に入ることになったのです。御恥ずかしい話ですが、里もあまり豊かではありませんでしたから……ですがあの子は元々努力家で勉強が好きな子でしたから、院で読み書きを習い、その後医者になったと手紙をくれました。私の目を治すために、たくさん勉強をしたのだと。本当に、嬉しかったものです。伽藍に頼まねば読めないのに、不思議と彼の字が見えたような気がしました。寝る前に何度もその手紙をなぞったものです」

 亜紺は懐から一通の古びた手紙を出して、そっと懐かしむように指で撫でた。何度も何度も、記憶の中のその少年の軌跡をなぞるように。そうやって大切にされてきた彼の思い出は所々滲んで、擦り切れていた。

「彼が私に送った手紙は多くありませんでしたが、その中でも最後に送られてきた手紙には、こうありました。自分の対の星を見つけた、と」

「!」

「そこにはその人がどれだけ美しく、優しく、自分を愛してくれているのかが綴られていました。そして、その星との間に生まれた子が、どれ程愛しいか。その子の成長を見届けられないことが、どれ程悔しいか……」

「……」

「私がその手紙を受け取った後に、その子の訃報が届けられました。その時からずっと、私は考えていたのです。あの子に出来ることはなかっただろうか、あの子が望んでいた世界とは一体どのようなものだったのだろうか……」

 亜紺がふと鈴を見て微笑んだ。

「ですが今日、あなたが星を捕まえようと手を伸ばした時、わかったのです。あの子も同じように星を追う子供でした」

「……え?」

 亜紺は懐から出したその手紙を鈴の方へ差し出した。古ぼけたそれと老人を見比べて、鈴がそっと受け取ると亜紺は目を細めて、微笑む。

「きっと私は、あなたにこれを渡す為に、ここに生まれたのでしょう」

「わたくしに……?」

 困惑する鈴をよそに、亜紺はそのまま立ち上がった。

「これはあなたが持って行ってください、九の姫様。貴女の星に、月神の恩寵がありますよう祈っております」

 そう言って、外燈を置いたまま彼は立ち去ってしまった。目が見えなくても長年過ごしているからか、明かりもないのに足取りはしっかりとしている。

(……いいえ目が見えないのに、外燈は必要ない。これは、これはもしかして……わたしのために?)

 そっと手紙を開く。少し右肩上がりの癖字はお世辞にも綺麗とは言い難いが、温もりを感じられる字だった。

 そこには、先程亜紺が話していた内容があった。

 対の星に出会ったこと。

 その女性がいかに素晴らしく、尊い人であるか。彼女と出会って自分の世界は輝きを増したこと。亜紺に優しくして頂いたからこそ、自分は彼女に巡り合えたこと。そのことへの感謝と目を治してやれなかったことへの謝罪。

 いつか、生まれ故郷である里へ彼女を連れて行きたい。妻をあなたに会わせて、そして自分の娘と会って欲しい。この子は貴方にとっては曽孫のような存在だから────そう記されていた。

 そしてその最後に記されていた、差出人の名前は。

「蒼一郎……」

 その文字を何度もなぞる。滲んで読めなくなるまで、何度も、何度も。

「……ッぁ、……う、ぅ」

 どんな言葉であれば、この気持ちを正しく表現出来るのだろう。 

 きっとあの人は多くの人を不幸にした。

 葵依や真尋のような人はきっとたくさんいる。

 泣いて、苦しんで、悔やんで、呪って、恨んで、蔑んで、そうして歯を食いしばって生きてきた人間は、鈴の知らないところにたくさん居る。

 けれど────……けれど。

「どうして、恨ませて……くれないの……?」

 多くの人を苦しめた、断罪されて当然の酷いだけの人でいてくれないのか。そんな身勝手な気持ちと、行き場のない想いが喉を焼く。

 こんなに寒い夜なのに、涙は決して凍らないのだと鈴は初めて知った。

 割り切れない気持ちも、引き摺った気持ちも、みんな凍ってしまえたらいいのに。

 許したい。

 知りたい。

 祈りたい。

 血の通ったこの想いを抱えて、自分はどう歩いて行けばいいのだろう。何を成せば良いのだろう。


 ぐちゃぐちゃの気持ちのまま鈴はふと、空を見上げた。

 満天の星々は今もそこにあり、少女の元に光を届けてくれる。どんな人の所へも星は等しく瞬く。

 あの星のどれかが、鈴の星だろうか。鈴の分かれた星は、何色をしているのだろう。そう思いながら手を伸ばす。いつか、幼い父がそうしたように。

 ────心に灯る色の名であればいいと願いを込めて。




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