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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
四章 見果てぬ空へ
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 茅羽夜たちが役場の視察から戻ってくると、鈴たちは既に戻ってきていて、湯浴みも済ませていた。露草からの報告では、無事に里長からも協力を取り付けたらしい。

 だが小鞠は茅羽夜の顔を見るなり、困ったように眉を下げた。

「……鈴が食事を?」

「はい。要らないといって、お部屋に籠もってしまわれて……」

「それは……一大事なのではないか?」

 そうなのです、と小鞠は力一杯頷いた。隣の縁寿も眼鏡がずり落ちているのにも気付かず呆けているし、風早は変わらず無表情だが、長年付き合ってきた茅羽夜には彼も少しばかり驚いているのがわかる。

 松葉に引っ張り出されて来た露草だけが、寝起きみたいな顔で首を傾けていた。まあ彼は大体、そんな顔をしているが。

「え、そんなにですか……?」

「姫様は、幼い頃からどんなに拗ねても怒っても癇癪を起こし駄々をこねて部屋に篭城したとしても、ご飯の時間になると絶対に部屋から出てくるのです」

「小腹が空いて自分の背丈の何倍もの枇杷の木に登って落ちてぎゃん泣きしても、決してその実だけは離さなかったやつだし」

「彼女に私が一番に言い聞かせたことは美味しいものをくれる人を無条件で信用するな、ですからね」

 三人三様の声に露草は「わあ」と間延びした声を出した。

「食い気の権化みたいな人ですねぇ」

「もうそれくらいにしてやってくれないか……」

 後々露草に喋ったのがバレたらそれこそ篭城でもされかねない。かく言う茅羽夜も、鈴への土産物は大抵菓子か食べ物だった。何でも美味しそうに食べる彼女の顔を見ると、心から安らぐからなのだが、それだけに、茅羽夜も鈴が食事を抜くという行為に衝撃を受けていた。

「何かあったのか」

「それが……」

 小鞠は里の陸という少年から聞かされた話を茅羽夜たちに端的に伝えた。その中に、蒼一郎という名前を聞いてから、鈴の様子がおかしくなったと。

(────蒼一郎)

 その名前に、茅羽夜も覚えがあった。

 青幡の養い親であり、先代斎妃である暮星を宮から連れ出した医官であった男と同じ名前だ。

(そして明言こそ避けていたが、青幡や兄上の言い方からして、恐らく彼は鈴の……)

 茅羽夜は小鞠たちを下がらせて、自室へ戻る。どちらにせよ、鈴と茅羽夜の部屋は同じなので、戻るしかないのだが。

「鈴、入っていいか?」

 扉の外から掛けた声に、返事はない。不安になって扉を開けると、掘り炬燵のある居間には彼女の姿はなかった。

 隣の寝室を覗く。布団は敷かれているが、平らなままだ。しかしその向こうの、今朝まではぴたりと閉じられていた障子が少しだけ開いており、硝子戸からは冷たい空気が流れ込んでいる。

 からからと音を立てるそれを引くと、柵で囲まれた廂に、小さな椅子と丸卓が置かれていた。夏にここで夕涼みをする為のものだろう。

 その椅子のひとつに、少女が壁に凭れかかって、座っていた。

 丁寧に梳られた艶のある黒髪をゆるく結え、白の寝衣の上から薄紫の羽織を掛けている。少女の小さな唇からは白い吐息が細くたなびき、菫色の星石はぼんやりと、地上を見つめていた。考え事をしているのか、茅羽夜には気付いていないようだった。

 そっと少女の視線を追うと、そこには一組の親子がいた。両親の間で手を繋がれて、時々腕を持ち上げられて足を浮かせては、きゃっきゃと無邪気に喜ぶ。いつもなら微笑ましく思えるその姿が、胸の隙間に冷たく忍び寄る。

「……鈴、風邪を引く」

「え、あ、あれ?茅羽夜?」

 いつ帰ってきてたの?と首を傾けて驚く鈴の鼻先も、羽織を握る指先も赤くなっている。茅羽夜は鈴の腕を掴んで引っ張り上げ、そのまま部屋の中へ引き込んだ。少し出ただけでもこんなに身体がぴりぴりとするくらいなのに、一体どれくらいあそこに居たのだろう。

「全く、こんなに冷えて……風邪ひいて寝込んだら俺が付きっきりになるって前に言わなかったか」

「え、いや……そんなに長くいるつもりは」

「とにかく、火鉢に当たって。今温かいものを淹れてくるから……いやいっそ湯殿にもう一回入れたほうが……?」

「ねえ茅羽夜、もう聞いた?」

 そう聞いた鈴の視線は、まだ硝子戸の向こうにあった。茅羽夜もならって見れば淋代の街の、橙の明かりが雪に反射して、淡く広がっている。

 白い壁と白い雪、その中に見える瑠璃と橙の色合いがうまく調和しあって、とても美しい光景だった。美しいけれど、今はどこか、寂しく映る。

「海真教の処刑された教祖の名前、蒼一郎というらしいわ。たぶん、同名である確率の方がずっと高いと思うの。別段、珍しい名前でもないし。でも、どうしてかしらね、きっとあの人だろうなあって分かってしまったのよ。巫術師の勘ってやつかしら……それとも、娘の勘、かなあ」

 独り言みたいに、ぼんやりと、鈴は言う。茅羽夜が少女の隣に座ると、鈴は少し微笑んで、茅羽夜の肩へ頭を乗せた。頬に伝わる冷たさが、どれだけ彼女があそこにいたのか物語っているようだった。

「わたし前にあの暮星様の小箱の記憶を見たことがあるの。彼女、自分の子供……陛下とはずっと会わせて貰えなくて、先代からは菫青殿から出るなって言われてて、それに誰かから酷い嫌がらせを受けているみたいだった。あの宮に、ずっと刻葉とふたりきり。陛下を産んだ後なら、皇后になっていたはずなのによ?」

 子供にも会わせても貰えず、侍女とただ二人きり。頼みの綱である夫も、決して彼女の味方ではなかった。

 それがどれほど彼女の心を冷たくさせたか、推し量ることすら出来ない。

「……あの方が、どんな言葉をかけて、どんな風に彼女を連れ出したのかはわからないんだけど、わたし、彼らを責めることなんて出来ないなって思うの」

 ひどい話よね、と鈴は笑う。笑ったつもり、なのだろう。

「あのね、正直に言うと、まだ陛下が異父兄であることも、暮星様が母であることも、どこか他人事みたいに思えるの。彼のことを聞いても驚いたけどなんか遠い世界の話みたいで……血の繋がった赤の他人、というか、薄情だなって自分でも思うんだけど」

「うん」

「……だからかしら。一番にこれを知ったら、葵依様はなんて言うかしらって考えていたの」

「鈴、それは」

「わかってる。あの時言ってくれた言葉があるから、実は言う程落ち込んでいないの。でも、やっぱりね、少し考えちゃって」

 親の罪を子が継ぐことはない。そう茅羽夜は言った。今でもその言葉に嘘はない。誰が親でも鈴は鈴だし、そもそも彼女は両親とは乳飲み子の時点で縁が切れている。

 鈴にとって母は、里にいるあの老婆であり、里の者たち全てが彼女を育てた。生みの親が誰であれ、何をしてきたかなんて、鈴の預り知るところでない筈だ。

「でも、ほんと、これが本当だったらすごい因果よね。ここまで来て海真教と白浬教が無関係だったら笑っちゃう」

 でも、と鈴は一度言葉を切った。

 いつも色に溢れている鈴にしては淡々とした、感情の読めない声だった。それが意図的なものなのか、無意識なのか、茅羽夜にはわからない。けれど、鈴は今、話すことで自分の中の気持ちに整理をつけようとしているのかもしれないと思った。

「きっと無関係ではないって、確信めいた気持ちがあるの。八年前のあれは……ううん、きっとわたしが生まれた時から、今にかけての全ては繋がっている。そんな気がして……時々怖くなるの」

「鈴も、こわいと思うことがあるのか」

「失礼ね、あるわよ」

 ふっと笑って、鈴は言った。鈴はいつも、まっすぐ前を見ている少女だった。いつだって全力で、どんな状況でも最善を探そうとする。

 茅羽夜にとって、彼女はいつだって北の空に輝く導星のような存在だったから。

「刻葉のお小言も怖いし、縁兄さんを怒らせるのも怖いわね、あと木から落ちてから高いとこも実はちょっと苦手だし、それに……茅羽夜がいなくなってしまうことも、茅羽夜を置いていくことも、すごく怖い」

 だからそんな少女が自分と同じものを抱えていることにひどく驚いたし、ほんの少しだけ喜びもあった。

 そっと放り出されたままの華奢な手を握る。外気に晒されていた指は冷たく、息が詰まりそうになるけれど、茅羽夜は両手で体温を分け与えるように優しく摩る。

 いつかの日、少女が、自分にしてくれたように。

 いつも茅羽夜を救ってくれたこの手に、優しいものがたくさん、降り注いで欲しい。

 願うのはただ、それだけだ。

「……鈴、俺は君のご両親のことを何も知らない。先代が何を思っていたのか、君のご両親が何を願っていたのか、わからない。でも……」

 彼らの邂逅は、多くの人を傷付けたかもしれない。

 彼らが一時ひとときでも結ばれたことは、それと引き換えに沢山の命を奪ったのかもしれない。

 それでも、茅羽夜は思うのだ。

 今、彼らにひとつだけ伝えられるのならば。

「それでも俺は君の両親にありがとうと、伝えたいと思う。君という星を、俺に与えてくれた彼らにいつも感謝している」

 どれ程大地が焼けようと、どれだけの命が奪われようと、根を張る樹々がいずれまた花を咲かせて葉を付けるように、遺るものはきっとある。

 そうして遺されたものにも(すべから)く、星の輝きは降るだろう。


 菫色の星から、小さな雫がひとつ、零れ落ちた。




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