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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
四章 見果てぬ空へ
72/114


「すまない……僕を、許さないで」

 そう言って、誰かが鈴の心臓に、躊躇いなく剣を突き刺した。

 

 ────この夢を見るのは、もう何度目のことだろう。

 毎日でないとはいえ、こうも頻繁に見るのは流石に堪えるなと、雨の音を聞きながら思う。

 柱に寄りかかり、鈴は目の前の男を見上げた。夢の中で鈴を殺す男たちは、皆別人だった。鏡がないのでわからないが、きっと見ている夢の主たちも、違う女性なのだろう。

 夢はいつも鈴が────夢の主が殺される場面ばかりだった。

 身に纏っている着物の色も、部屋も、いつも違っている。時には髪の色も違う者もいた。部屋の中である時も、屋外である時も、どこかの洞窟のような場所である時もあった。殺し方だって、刀で斬られる時が大半だったが、斬首や首を絞められたこともあり、首を落とされる瞬間目が覚めた時はさすがに一日気鬱してご飯が食べられなかった。

 

 けれど決まって、雨が降っていること。

 そして見知らぬ男に殺されること。

 このふたつは、どの夢でも変わらなかった。

 



 

「身体が痛い……」

「ええ、そうでしょうも」

 雪燈の上で呻く鈴を、小鞠は当然だと言わんばかりに見た。鈴も原因はわかっているので、何も言い返すことが出来ない。

「ただでさえ長旅で疲れているところを、あんな体勢で寝てたら身体が固まるのも当然ですわ」

「だって茅羽夜が……」

「そういう時は、遠慮無く誰か別の者をお呼びください」

「はい……」

 ぴしゃりと言われて鈴は肩を落とす。あの後一緒に寝落ちた鈴たちを見つけたのは、火鉢に炭を足しにやってきた小鞠だった。小鞠に揺り起こされた鈴と茅羽夜は寝ぼけ眼を引き摺ったまま、布団に押し込められて気が付けば朝だった、というわけだ。

(揺り起こされる前に見てた夢のせいで余計に疲れた気がする……)

 あんなとこで寝てしまったせいか、夢の内容はいつもより酷かった。出来れば一生思い出したくもない。何かの呪いだろうかとも考えたが、流石に自分に掛かっている呪詛に気付けない巫術師はいない。

 だから単純に、環境の変化に身体が付いていっていないだけだろう。そう考えて、鈴は気を取り戻して雪燈の鬣を撫でた。

「里にもうすぐ着くぞー」

「はーい」

 馬を引いていた松葉の声に鈴は頷く。里の視察は鈴と露草、小鞠と松葉が担当することになった。更に十二国の役場から、宝生ほうしょう飛緒(とびお)という年若い役人が、この辺りの案内人として参加する。彼は一国ではなく十二国の北側の里出身らしい。一方、茅羽夜と縁寿、風早は今日、高梁と役場を視察することになっている。

 すぐ側で遠くを見つめながら歩いて着いてくる露草はいつも通り、眠そうだ。

「今日行く里はどんな所なのですか?」

 松葉の前で先導していた宝生に尋ねる。彼はいかにも「お役人」といった風情で、生真面目そうな声で淡々と説明する。

「野を耕し、家畜の世話をして暮らす、取り立てて目立った特産があるわけではない、普通の里です」

「そう。ならちゃんとお話しなくてはいけませんね」

 馬上で気を引き締める。頰を撫でる風は身を切るように冷たく、しかし確かに思ったよりも雪は少なかった。淋代は道が整備されていて、きちんと除雪がしてあったけれど、このあたりは何もされていない筈だ。それなのに、大地は剥き出しのまま、泥に汚れた塊がそこらへんにちらちらと見えるくらいだった。

 視察の目的は異常気象が続いている十二国の市井の様子を見て、上に報告することだ。鈴は農業について、里で手伝ってはいたがそれを生業として生きてきた専門家じゃない。なので、人々の声を聞き、それを上に伝えるのが仕事だ。

 そしてもしもこの異常気象に白浬教が絡んでいるのなら、その事実を突き止めること。

 これはきっと、巫術師である鈴の方がわかることは多いだろう。

(頑張らなくちゃ)

 十二に分かれているとはいえ、この国に生きる民も皇を宗主に持つ、自国の民だ。鈴に出来ることは少ないけれど、そのひとつでも、いずれ彼らの糧となる種なのだから。

 里へ近付くと、畑仕事をしている夫婦が見えた。馬を降りて、彼らに近付く。

「こんにちは、貴方たちはそこの里の者でしょうか」

「はあ、そうですが」

「わたくし、ここ最近の異常気象について調べるように言われて、淋代から遣わされて来ました。里長へお繋ぎ頂けないかしら」

「お嬢ちゃんがかい?」

 籠を持った女性は目を細めて、怪訝そうに鈴と松葉たちをチラリと見る。宝生はすかさず、身分証明書である瑠璃領のいんの入った木簡を見せた。

「国司様から正式に遣わされた者です。里長へお繋ぎを」

「し、失礼致しました!」

 木簡を改めた夫妻は慌てて、里へ案内してくれる。

 里へ一歩入ると、村人たちの視線が一気に集中する。不意に視線をずらすと、十二、三くらいの男の子と目が合って、微笑んで見せるがすぐに隠れてしまった。怖がらせてしまっただろうか。怖い顔立ちではないと思っていたけれど、ちょっとだけしょんぼりする。

「私が里長の梓彦です。淋代からのお役人様とお聞き致しましたが、このような里へ一体どのような御用でしょう」

 夫妻から聞いて鈴達を招き入れてくれた老人は、鈴の里の長よりもずっと歳上だった。ひょっとすると婆さまよりほんの少し下くらいかもしれない。しかし皺だらけの手を膝に乗せ、真っ直ぐと座る姿はとてもそうは見えない程、矍鑠かくしゃくとしている。

「突然の訪問、どうかお許し下さい。わたくしの名は初菫と申します。京都みやこおわす天子様より、此度の異常気象について調べよと命じられ、こちらへ参りました」

 梓彦は大きく目を見開いた。お茶を出してくれた先程の夫妻も、今にも目がこぼれ落ちそうな程まんまるにしている。どうやら彼らは里長の息子夫婦であるらしい。

「初菫様……いえ、あの、疑うわけではないのですが、初菫様と仰られましたか」 

「はい」

「では、もしやその……春に東宮殿下へ輿入れされた九条の姫様でいらっしゃいますか」

「ええ、はい」

「……こ、これはとんだご無礼を!」

 床に額をつけて平伏す里長たちに鈴は慌てて「顔を上げてください」と告げた。正直、名乗っても信じてもらえないか知らないと思っていたので、ここまでの反応が返ってくるとは思っていなかった。

「わたくしは皆様の暮らしを見させて頂きたいだけなのです。異常気象も続き、暮らしぶりも楽ではないでしょう。陛下は民達の為に何か出来ないかと仰せです、どうかご協力頂けませんか?」

「勿論でございます。我が里は当然のことながら、近隣の里へも遣いを出しましょう」

「ありがとうございます!」

 これで第一段階は達成出来た。鈴はほっと胸を撫で下ろす。

「早速で申し訳ないのですが……ここ数月で何か困ったことや変わったことなど、気付いたことはありませんか?何でも構いません」

「ううん……そうですね……」

 聞けば異常気象は今年の春ぐらいからあったという。

 十二国は大体、卯月の終わり頃から皐月の頭にようやく雪解けを迎え、そこから雪解け水で田に水を引き、他国より少しばかり遅い田植えをする。

 それからすぐに梅雨に入るのが例年であるが、今年は違った。ぱらぱらと雨が降ることはあったけれど、それが数日続くということは殆どなかった。

「確かに長い歴史の中で見れば、日照りは何度かあります。でも大体長月頃までに収束して、霜月に入ればまたどかっと雪が降り積もるといったことが大半なのです」

「今回は違うのですか?」

「妃殿下も此処まで来られて、思ったより雪が少ないと思われたでしょう?」

「それは……はい」

「雪は人々の命を奪うと思われがちですが、我々は古くから雪と共に生きて来た民です。雪には一定の保温効果があるのはご存知ですか?」

「ええ、此処へ向かう道中で習いました」

 越冬野菜について露草に訊ねると、晩秋に収穫した野菜を土付きの状態のまま土や雪に保存される野菜のことだと教えてくれた。雪に保存することで、野菜は甘味を増すのだそうだ。

 また雪が降らないことで、剥き出しの大地は凍りつき、作物の根の張りが悪くなり育成不良に繋がる。

「その通りです。なので、雪が降らないというのは我々にとっては死活問題なのです。ですがそれが異常気象かと言われますと……正直、どうしようもない、という気持ちが強いのです」

 確かに、天候というのは人間にはどうにも出来ない領域だ。何が異常で何が正常かをはかるのは難しい。例年と違う、というのは異常であると思うが、だからといって天候をどうこうするなんて、そんな大掛かりなこと出来る人間なんていない。

 古来より、日照りは陽神の怒りであると伝えられている。そうした日照りを収めるために雨乞いの儀式や贄の歴史も存在するが、結局、陽神のお考え一つなのだ。我々人間は、ただ神々に祈り、日々を生きていくだけで精一杯なのだ。

「そういえば八年前も、同じように日照りによって稲作が育たないことがありました」

「え……?」

 長の言葉に、どくんと大きく胸が鳴る。

 八年前、つまりそれは。

「あの、暴動が起きたという……?」

「そうです。あの時は先代が身罷り、さらに日照りで作物が育たず、民が困窮した最悪の時代でした」

 忘れもしません、と梓彦は苦々しい顔で首を振った。

 八年前。先代の悪政と崩御、日照りによる作物不振────そして、十二国の民による暴動。

「……もしかしてですけど、八年前に流行った海真教は、日照りを収める為に大海神の御力をお借りしようとか、そういったものだったのですか?」

 露草の言葉に、梓彦は頷いた。

「その通りです。そして……その、これは妃殿下にお伝えしても良いものか……」

「構いません。お聞かせください」

 躊躇う梓彦に向かって鈴はしっかりと頷いた。

「……海真教は、日照りは皇の暴虐が陽神の御怒りに触れたのだと説いたのです。皇は咎人であり、龍の血が穢れた故に、天が怒り我々に罰を下したのだと」

「……」

 焔帝は晩年、悪政を敷いた。政を投げ出し、巫女の素質のある者を無理やり召し上げ、意にそぐわぬ者は誰であろうと斬り捨てた。斎妃である暮星が彼を拒絶し、逃げ出したから、彼は龍の血に苛まれ、文字通り気が狂った。

 海真教の言葉はあながち間違いではなかった。だからこそ民は声を上げたのだ。

 あの時は誰もが皆、疲れていた時代だった。鈴には、彼らを咎める言葉を持たない。

「我々も、もう陛下の治政を疑ってなどおりません。あの方は我々を咎めなかった。僅か六年で十二国がここまで立ち直れたのは、ひとえに陛下の御心があってこそです。ですが、我々は八年前、多くのものを喪い、傷を負ったこともまた、事実なのです」

「……はい」

 長の言葉に、鈴はゆっくりと頷いた。

 忘れてはいけない。

 彼らは加害者でもあり、そして被害者でもあることを。

「八年前のようなことにならない為に、陛下はわたくしたちを遣わせたのです」

「そのお言葉を我々も心に刻みます。出来る限り、協力は惜しみません」

「寛大な御心に感謝致します、長」

 指をついて鈴が頭を下げて礼を取る。顔を上げると、長はひどく驚いたような顔で固まっていた。咳払いに振り向くと宝生は苛立ちを隠さない態度で鈴を睨んでいる。

「妃殿下、そろそろ他のものにも話を聞いてみては」

「え?ああ、そうね。里を見て回っても宜しいですか?出来るだけ、お邪魔しないように致しますから」

「勿論です。狭い里ですが」

 外へ出ると、戸口のところに松葉が立っていた。彼らと共に里を歩いてみると、里の者たちは皆、野良作業に精を出しながら遠巻きに一行を見ているだけだ。

「妃殿下、先程の態度は良くありません」

「先程のって?」

「下々の者にあのように気安く頭を下げるなど、今後は一切おやめ下さい。皇家の品位に関わります」

 宝生の言葉に鈴はむ、と眉根を寄せる。その下々の納める税で暮らしているのに。

「人に物を頼む時、頭を下げるのは人の道理でしょう。そこに品位も立場も何もないわ」

「頼むのではなく、命じれば宜しいのです。それが許される御立場にいらっしゃるのですから」

「バカらしい」

 こういう時、言い返してはダメだということはわかっている。だがつい、むっとなって口から溢れてしまった。ぽそりと呟いた言葉は、しっかりと宝生の耳まで届いたらしい。目を吊り上げた青年に、鈴はわざとらしく溜息を吐いた。

「わたくしのやり方が気に食わないのであれば、どうぞ本来のお役目に帰って頂いて結構です。それにそもそも、貴方こそわたくしに気安いのではありませんか?」

 年下の小娘だから何を言っても大丈夫だろう。

 そういう態度というのは言われずとも肌で感じるものだ。彼が、世間知らずな小娘に懇切丁寧に教えてやろう、という「善意」で言っているつもりであることも。

「……口が過ぎました、申し訳ありません」

 不承不承といったふうに謝罪した宝生に、鈴はそれ以上何も言わず、松葉たちと里を歩き出した。

「意外でした」

「何が?」

 ぐるりと里を見て回る最中、露草がふと口にした。松葉と小鞠は少し後ろを歩いており、宝生は居辛いのか彼らの更に後ろにいた。鈴とはかなり、距離がある。

「いえ、姫様がああやって、言い返す人だとは思ってなかったので〜」

「だってむかついたんだもの」

「でも上の人って、多分彼みたいな人が普通ですよ」

 何やら手元の手帳に書きつけながら、露草は言う。気になったことをすぐに書きつけるのが癖なのだと、道中言っていた。

「庶民は自分に尽くすのが当たり前なんです」

「どうして?同じ人なのに」

「それは勿論そうですよ。でも、貴人というのはそれだけ、責任を負っているんです。帝や官僚たちが偉いのは、その分、下の者たちを守る義務があるから偉いんですよ」

 鈴たちは民からの税で生活している。鈴たちが毎日白米を食べ、綺麗な着物を着て、飢えることも寒さに凍えることもなく過ごせるのも、いざという時に民を守る責務があるから。

 そしてそれはまさに今、こういう時の為に。

「でもそれと、頭を下げるなという言い分は関係ないのではなくて?」

「人ってのは我儘なんです。姫様のように親しみ易い人に安心を覚える人もいれば、頼りないと不安を抱く人もいます」

「……露草の言いたいことは、何となくわかるわ。でもわたしは、人に物を頼む時、頭のひとつも下げずに上から命令するような人間にはなりたくない。そうやって保つ威厳なんて、別に要らないわ」

 頼りないと思われるのは致し方ないことだと思う。鈴が学も武も優れているわけではない、ただの十六の小娘であることは、自分が一番よく知っている。宝生が「世間知らずの小娘」と見るのも、当然と言えば当然だった。少し言い過ぎたな、と反省する。

 けれど、鈴は彼らに頭を下げたことを悪いことだと思わない。

「官吏だろうと帝だろうと、皆等しく人でしょう。お役目が違うだけよ。わたし達は民を守り、彼らはわたし達を支える。それだけだわ」

 そこにそれ以上のものを挟むのは、良くないことだと鈴は思う。鈴だって、半年前までは彼らと同じ立場だったのだ。そしてその立場は、露草や松葉達と違い、鈴が努力して手に入れたものではない。

「……正直、西の大国を統べる九条家のお姫様なんて、どんな人なんだろうって思ってましたけど」

「幻滅した?」

「いいえ、すごいなって、素直に思います。あ、お世辞じゃないですよ〜?」

 ついこないだ交わした会話を思い出して、鈴はくすりと笑った。

「わかってるわ。ありがとう、露草」

 

 

 里は然程大きいわけではなく、すぐに見終わってしまった。里の者たちは皆忙しそうで、鈴は何とか何人か声をかけてみたけれど、里長から聞いたこと以上のことは聞けなかった。

 今日はもう引き上げようか、そう思い始めた頃、視界の端に何かが走った。ふと見ればここへ来た時に目が合った少年が、建物の影からこちらを窺っているのが見える。しかし鈴がそちらを見るとぱっと引っ込んでしまった。

「ちょっとそこで待っててくれる?」

「え?あ、ちょっと姫様!」

 鈴が少年が隠れている建物に近付く。

「こんにちは」

「!」

 挨拶すると、彼は紺色の星石をめいっぱいに見開いて、そのまま脱兎の如く逃げ出す。

 しかし鈴はすぐさま追い掛けて、すぐに少年の襟首を掴んだ。

「わーーーっ⁉︎」

「ふっふっふ。このわたしに駆けっこで挑むなんて、十年早かったわね!」

「くそ、離せよーーーッ!」

「往生際が悪いわね!逃げた理由を話すなら解放してあげてもいいわよ」

「鈴、完全に悪役の台詞だぞ、それ」

 暴れる少年を松葉に引き渡すと、彼は途端に大人しくなった。鈴なら暴れたら逃げ出せると思ったのだろうが、いかにも鍛え上げられたがっしりとした松葉に捕まっては体力の無駄と悟ったらしい。

「あなた里の子よね?名前は?」

「知らない人には教えない」

「あらしっかり者。わたしは鈴って言うの。そっちの大きなお兄さんが松葉で、こっちの可愛いお姉さんが小鞠。そっちのぼんやりしたのが露草よ」

 宝生はいつのまにか消えていたので省略した。

 暫くして、彼は小さく「りく」と答えた。名乗られた以上自分が無視するわけにはいかないと思ったらしい。根は素直な子なのだろう。  

「さあさあ、何かわたし達に言いたいことがあるんじゃないの?」

「ねーよ!」

「ならどうして付け回してたのよ」

「別に」

「ふーん?」

「……」

 黙秘を決め込む気らしい。

 宜しい、そちらがその気ならこちらにも考えがある。にやりと口の端を上げると、鈴は指をぱきぱきと鳴らした。少年の口から、ひっという引き攣った声が漏れる。

「素直じゃない子はこうだー!」

「ぎゃーーーーーー!」

 少年の絶叫に何人か大人たちが顔を上げたが、すぐに呆れたような顔で野良仕事に戻っていった。松葉に捕まったまま、脇を擽られる少年は笑い続け、最後には息も絶え絶えとなっていき、さすがに小鞠と松葉からもうそのくらいにと制止がかかった。

「何人もの男たちを泣かせてきた技よ、どう?参った?」

「姫様、言い方」

 嘘は付いていない。昔はそこら辺の男子よりもずっと体格も良かったので、この技で散々同い年頃の男子を泣かせてきたのだ。

 ぜえぜえと息を繰り返す陸は涙を浮かべたまま、キッと鈴を睨み上げる。おっと、まだ擽り足りないか?と指を動かすと引き攣った顔で鈴と距離を取ろうとした。

「降参なんてしねえ!あんたら、あいつらの仲間なんだろ!」

「あいつらって?」

「由宇を攫った、あいつらだよ!」

「ええっと……」

 心当たりがあるかと三人に目配せするも、三人とも首を横に振る。しかし、攫ったとは穏やかじゃない。

「わたしたち、国都の淋代から……もっと言えば帝都から来たのよ。その由宇ちゃん?のことは顔も名前も知らないわ」

「嘘だ!だって、あいつらもお前たちみたいに馬に乗って長を訪ねて来たし、役人を連れてきた!」

「役人を?」

 周囲を見回すが、宝生の姿はない。松葉に目配せして、周囲の様子を窺って貰う。

「陸くん、少し詳しい話を聞かせて欲しいんだけど、その由宇ちゃんはどういう子なの?親御さんは?」

「由宇の親はいないよ。あいつの両親は八年前の暴動に参加して、死んでるから。あいつは幼かったから、里のばあちゃんに預けられたけど、そのばあちゃんも三年前に死んだ。だから由宇は、俺の家に預けられてたんだ。でも……」

 ぐっと陸は唇を噛む。悲痛と悔しさの滲んだ瞳は、僅かに潤んでいた。

「俺んちも、別に裕福じゃなくて……きっと来年はもっとしんどくなる。そう話してたときに、淋代から使者が来たんだ。由宇を引き取りたいって」

「……引き取りたいっていうなら、その人は由宇ちゃんのご親戚とかじゃないの?」

「ちがう。長には由宇の父さんの知り合いだって言ってたけど、俺聞いたんだ。あいつが、由宇をなんとかの巫女だとか、ええと、器にする、とか……」

「!」

 背筋にぞっとした予感が駆け下りる。頸の毛が総毛立つような、嫌な感覚だった。

「ねえ、その人、どんな人だった?何か……そう、宗教の人だったり」

「わかんない。でも白い服を着た男の人だった」

「そっか……」

 だが役人と一緒に来た、というのが気になる。もしも鈴たちの予想通り、白浬教が海真教から派生したものであり、例の呪術師、海音が白浬教に携わっているのなら、その由宇という子は間違いなく、金魚姫────千歳と同じく、大海神の器に仕立て上げられようとしている。

 そんな宗教と、役人が繋がっていたら?

 敵はどこに潜んでいるのか、わからないのだ。

「わたし達、とある宗教のことも調べに来たの。陸くんは、白浬教って知ってる?」

「知らない。でも八年前に、由宇の両親がはまってた宗教は知ってる。大人たちは言いたがらないけど、海真教っていうんだろ?」

「うん、そう、よく知ってるね。でも、もしかしたら別の形でその宗教の教えが生きてるかもしれないの。その教えが本当に正しいのか、それをわたし達は調べてるんだ」 

「由宇を攫ったやつらを、ってこと?」

「簡単に言うと、そうかな」

 その少女を攫った(引き取った)男が本当に白浬教の者かはわからない。本当に親類だとか知り合いの可能性もある。しかし。

「……でも、あの宗教は、もうないって母さん言ってた。教主の、蒼一郎って人が死んだから」

「────え?」

 一瞬、世界中の音が消えてしまったかのように思えた。その中で、鈴の心臓の音だけが、痛いくらい響く。

 いや、まだわからない。別に、どこにでもあるありふれた名前だ。こんなところでその人の軌跡に打ち当たるよりも、同じ名前の別人だって可能性の方が、きっとずっとずっと高い。鈴自身、彼の名前以上のことを知らないし、彼自身である証拠など、どこにもない。

 けれど。

 けれど、その名前を、鈴は知っているような気がした。

 きっと、生まれる前から。


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