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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
四章 見果てぬ空へ
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「おや、茅羽夜殿ではありませんか」

 兵部の庁舎の中にある訓練場に行くと、見知った顔がこちらへ向かって手を振っていた。桃色に橙を混ぜたような珊瑚色の瞳をもった四十を少し過ぎたばかりの男は、人懐っこい笑みを浮かべ、周囲に集まってきていた兵士たちに断って歩いてくる。茅羽夜も足を止めて彼に向き合った。

「お久し振りですねぇ」

「ああ、本当に。赤磐殿にはいつも本当に世話になっている」

「いやいや、こちらこそ親父殿がいつもご迷惑ばかり掛けてて。すみませんねぇ」

 赤磐の息子であり、三廻部家現当主、珊路は頭を掻きながら苦く笑う。真四角のいかにも頑固親父といった風体の赤磐と違い、珊路はどちらかというと母似で線の柔らかい顔立ちをしていた。

 結局、茅羽夜が参加したのは初の議会だけだったので、珊路には会えず終いだった。

「そういえば風邪はもういいのか?」

「ええもうすっかり。どうも変な気温差にやられたみたいで」

「三国のある東は西と違って寒いからな」

「それもあるんですけど、ここ最近どうも天候が安定しないんですよねぇ」

 細い顎を撫でながら、珊路は困ったように言う。そういえば一国も日照りで今年の稲作の収穫量に影響があったと言っていたなと茅羽夜も頷く。

「うちは野分が酷くてね。まあ、九国程じゃあないけれど、うちも色々作ってるんでそこまで困ってはないんですが」

 三国は西の農業大国である九国と一、二を争う程、農業に力を入れている国だ。あちらは米や麦、芋といった穀物中心であるが三国は栗とか葡萄の果実酒だとか、そういった加工品も手広くやっている。

 戦場であれば敵なしな赤磐であるが、そういった商売は珊路の方が上手かった。というより、珊路の母、つまり赤磐の奥方殿は元々豪商の生まれ育ちだったので彼女の手腕だろう。同じ東の御三家であっても、一国と二国と比べて、確かに三国はどこか「まあ何とかやるだろう」という気がしてくる。お国柄だろうか。

「そうか。だが何かあれば早めに言ってくれ。私に出来ることは少ないが」

「そう言って頂けるだけで心の支えとなります、ありがとうございます。ああ、そういえば茅羽夜殿、父が呼んでおりましたよ」

 それを伝えるために、顔を見かけて寄ってきたのだろう。茅羽夜は礼をいうと、長官の執務室へ向かった。今日は若い衆の訓練を見てくれという話だったのだが、その前に赤磐のところへ行くつもりだったので都合は良かった。

 珍しく執務室の円座に胡座をかいて座っていた赤磐は、茅羽夜を見るなり破顔する。そうして笑うと確かに、親子だなと思う。

「おお、待っとったぞ」

「何かありましたか」

「これよ」

 赤磐は一枚の紙を掲げて見せる。一見には、何の変哲もない無地の和紙だ。

「和紙がどうした?」

「お前さん宛に、うちに届いたんだ」

「私宛の手紙が何故兵部に?」

「知らん。だが茅羽夜殿に渡してくれと中務省の使部が持ってきたんだ」

 茅羽夜は眉を顰める。確かに茅羽夜は兵部にも顔を出しているが、中務省からの文はいつもならば縁寿が東宮まで持ってきてくれる。それなのに何故わざわざ兵部に?

「……というか、私には何も書かれていないように見えるのだが」

「おお良かった。儂もとうとう老いて見えんようになったかと思ったわい」

「……」

 相変わらず大らかな男である。紙を受け取って茅羽夜はそれを透かして見たりひらひらと振ってみたりするが、何も起こらない。差し出し人すらない。一体これは何なのか。

「炙ってみるか?」

「またそんな古典的な……火、あるか?」

「ねぇな」

「殿下、恐れながら」

 振り向くと、風早が静かに立っていた。いつもの風早なら赤磐や誰かと話している時に口を挟むことはない。

「術が掛かっているのでは。以前、似たような紙を見たことがあります」

「術?……ああ、なるほど」

「なんだ?術?」

「巫術が掛かっているのだろう。師が以前連絡に使っていたのを見たことがある」

「ああーあいつな、全く今頃どうしてるやら」

「師のことだから生きてはいるだろう。……これどうするんだ?」

「俺に聞くなよ、巫術は専門外だ。ってか、ならお前、嫁さんに聞けばいいだろ」

「よ……」

 嫁、と口の中で呟いて固まる茅羽夜を見て赤磐はにやにやと顎を撫でる。その仕草も子に伝わっているのだから、親子というものは面白い。

「今じゃ誰もが認める斎妃様だろ。ま、狭霧あたりは認めてなさそうだが」

「……嫁……」

「おい風早、こいつどうしちまったんだ」

「照れていらっしゃるだけです」

「初心か!ああいや、実際初心だよな……何せ十年も拗らせた初恋の娘っ子を嫁に迎えてるくらいだもんな」

「赤磐殿」

 口が過ぎますというように半眼になる風早を赤磐は「すまんすまん」と悪びれなく言う。そんな部下の攻防にも気付かず、茅羽夜はようやく意識が現世に戻って来たのか紙をじっと見つめている。

 巫術師が使う連絡手段のひとつ。つまりこれは、茅羽夜だけに送られたものではない。

「……赤磐殿、これを持ってきた使部というのはどんな者だった?」

「儂が受け取ったもんじゃないからわからん、受け取ったやつも今日の出仕してるぞ。呼ぶか?」

「いや、いい。心当たりはある」

 茅羽夜はそのまま懐に紙を入れると立ち上がる。今日は訓練に付き合う為に兵部まで来たのだ、いつまでも話し込んでいるわけにもいかない。

「ほどほどに頼むぞ」

「赤磐殿が育てている兵達だ、気を抜くなんて失礼なことはしない」

「使い物にならないほど叩きのめすなって言ってんだよ……」

「善処しよう」

 しかし赤磐の忠告も虚しく、その日の兵部の訓練場には立ち上がれない程へばった兵士たちの山が築かれることになるのだった。



 

 一方、刻葉から再度みっちりと歴史を叩き込まれ、へとへとになった鈴はそのまま春殿へ戻ってきた茅羽夜を出迎えた。ぐったりとした顔をした鈴に、茅羽夜は少し眉を上げる。

「大丈夫か?」

「皇暦二千年の歴史を一日で全部覚えろなんて流石に無茶じゃない……?」

「わたくしは以前にもちゃんとお教えしましたのに、綺麗さっぱりお忘れになるからですわ」

「ぐうの音も出ない」

 こればかりは刻葉の言い分が正しい。せっかく教えてもらったのに、きちんと覚えようとしなかった鈴が十割悪いのだ。

「夕餉はどうする、部屋で取るか?」

「あ、ううん。大丈夫、一緒に食べていいかしら」

「鈴が良いなら」

 勿論良いに決まってる。鈴は茅羽夜と顔を合わせてご飯が食べれることが、今何よりの楽しみなのだ。今日一日勉強に耐えたのも、このご褒美があるから頑張れたといっても過言ではない。

 今日の夕餉は白菜と豚肉を柔らかく煮込んだものと、根菜と茸のお味噌汁、湯豆腐、それから白米だ。今日もなんて贅沢な献立だろう。

 頂きますとお互いに手を合わせて食べ始めるものの、しばらくして茅羽夜の食べはあまり良くないことに首を傾げる。彼は鈴と違ってご飯にはしゃぐことはないけれど、それでも丁寧に全部残さず食べる人だ。好き嫌いも全くない。

「茅羽夜、具合でも悪いの?」

「え?……ああ、いや」

 箸が止まったまま、難しい顔をしている茅羽夜は煮え切らない返事をして、そのまま黙り込んでしまった。

「鈴、この後時間があるか」

「この後?ええ、特には……」

 ちらりと控えていた刻葉を見て、鈴は頷く。今日は別に終わらせないといけない課題もないので、湯浴みを済ませたら寝るだけだ。

「湯浴みが終わってからで構わないが、俺の部屋にきて欲しい」

 細く切られた根菜が気管に入る所だった。ごほん!と咽せる鈴に、茅羽夜は大丈夫か?と声をかけるけれど、誰のせいだと胸の内だけで思う。

 春殿に引っ越してきて、鈴と茅羽夜は同じ褥で眠るようになった。鈴の部屋に当てられた北側の部屋は、鈴の私室であるのと同時に茅羽夜の寝室ともなっているが、彼は彼でちゃんと私室がある。一応、そちらにも御帳台は置かれているので、今日はそちらで寝ろということだろうか。もう半月経ったというのに、まだ共に眠ることに慣れない。

(茅羽夜はそれはもうすっかり慣れちゃったみたいだけど)

 未だに緊張しているのは自分だけなのだと思うと気恥ずかしい上に、何とも面白くなくて、大きく溜息を吐く。

「どうした?」

「何でもない、後で行くから!ご馳走さまでした!」

「初菫様、箸を乱雑に置いてはなりません!」

「すみません……」

 箸を少し乱雑に置くとすぐに刻葉から叱責が飛んだ。確かに今のは行儀が悪かった。素直に謝って、鈴はそのまま自室へ下がる。

「そういえば、殿下のお部屋へ行くのは初めてですね」

「うん……」

 湯浴みの手伝いをしてくれる小鞠がにやにやと笑う。今は湯殿なので手帳は持って来きていないはずだ。たぶん。

 大体、鈴は自室の北殿と広間くらいしか行くことがないので、茅羽夜の部屋のある東殿は実はまだ足を踏み入れたことがなかった。一度暇なので掃除でもしようとしたら、刻葉に烈火の如く怒られたのだった。

 しかし女官がいないこの春殿が、どうしてここまで整備されているのだろう。謎だ。

 湯浴みを済ませて、寝衣に着替えた鈴は紺の生地に銀糸で菫が縫い取られた羽織りを肩に掛けて、東殿へ向かう。どうせ風早が近くにいるだろうし、小鞠と刻葉は下がらせたので、ひとりだ。

「茅羽夜いる?わたしだけど」

「ああ、入ってくれ」

 妻戸から声を掛けると、部屋の中は、思っていた以上に乱雑に物が置かれていた。といっても、大抵は書物や巻物ばかりだ。調べ物でもしていたのだろうか。

 板の間に敷かれた毛足の長い敷物の上に寝衣姿で胡座をかいている茅羽夜は、積まれた本の一冊を膝に頬杖をついて読んでいた。

 いつも高く一本に結い上げられている髪が、燭台の明かりに照らされて、影を落とす。

「こちらへおいで。火鉢があるから」

「うん」

 側に寄っていくと、確かにすぐ隣に火鉢があり、微かにぱちぱちと炭が破ぜる音がした。ここまで乱雑に書物が積まれていると、雪崩れて燃えたりしないだろうかと心配になってしまう。

「すまないな、呼び付けて。鈴に聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」

「これなんだが……」

 そう言って茅羽夜が取り出したのは、一枚の和紙だった。乳白色の真四角に切られたそれからは、微かに霊力を感じる。そういったものは、やはり大体見たらわかる。

「これ、誰から貰ったの?」

「中務省の使部が、兵部へ俺宛に持ってきたらしい」

「中務省?そんなの、縁兄さんが持ってきたらいいじゃない」

「まあそう思うよな。だから、これは最短距離で、かつ術者に見つからないように俺に渡したかった物なんだと思う」

「だれよ、そんなもの寄越した人」

「青幡だろう」

 さらりと言われて、鈴は思わず口をあんぐりと開けて「は⁉︎」と叫んだ。今すぐにその紙をびりびりに破ってやりたい気持ちがふつふつと湧く。一体どの面下げて、茅羽夜に手紙なんて出しているのだ。

「茅羽夜、それ貸して。燃やすわ」

「え、いや……鈴ならこれが読めるかと思って持ってきたのだが」

「何律儀に読もうとしてるの⁉︎ 自分を殺そうとした相手よ⁉︎ というか、あの後あの人、どさくさに紛れて逃げたじゃない!」

 白耀殿の一件の後、忽然と消えた青幡について茅羽夜は徹底的に洗い出したが、結局彼がどういう経緯で宮に忍び込んだのかは掴めなかったのだ。

 元々玄蕃寮の使部なんて末端も末端、同僚たちも「ああそういえばあいつ最近見なかったから異動にでもなったのかと思った」といった具合で、誰も彼を深く覚えている人はいなかった。努めてそう振る舞っていたのだろうが、それにしても本当に一体どうやって入ってきたのだろうか。

「燃やされるのは困るなあ」

 妙に人懐っこい声が聞こえて、鈴も茅羽夜もはっと周囲を見回す。

 見れば茅羽夜の手にあった紙はまるで粘土のように捏ねられて、やがて一羽の鳥のような形になった。巫術師が相手の声に反応して遠くにいる相手に声を届ける術だ。

「あーやっと繋がった。いや、半分賭けみたいなもんだったけどさ」

「青幡!」

 素早く取っ捕まえようとした鈴の手を逃れて、それははたはたと翼を動かし、ゆるりと積み上げられた本の上に留まった。

「あなたねえ、まだ茅羽夜をつけ狙ってるの⁉︎ というかまさかまだ宮にいるの」

「やだなあ、もうとっくに逃げたに決まってるじゃないか」

「じゃあどうやってこれを届けたのよ」

「そんな細かいことは気にしないで」

「無理に決まってるでしょ!」

「まあまあ姫宮落ち着いて、今回俺は君達に有益な情報を持ってきたんだぜ」

 乳白色の小鳥は茅羽夜を盾にするようにして器用に鈴の手を逃れる。目なんてついていないというのにどうやって動きを察知しているのだろう、と茅羽夜は思った。

 埒があかないと茅羽夜は話を進めようと鳥に話しかける。

「有益な情報とは?」

「若宮くんが海真教にご執心ってのは風の噂に聞いてたもんでね。俺たちもあのクソ野郎のことは捜してるんだけど、中々尻尾を掴めなくてさあ」

「……あなた達、結局仲間じゃないの?」

「今は仲間じゃない、が正解かな。あいつは一族を追放されている」

「仲間じゃないなら、星鴉の一件はどういうことなのよ」

 渡り部は葵依の「真尋の仇であるか否か」に是と答えている。彼も、もしかして追放されているのかと問えば、青幡は「いいや」と首を振った。鳥って首振れるのか、器用だ。

「あいつはこっち側。でも、七宮にとっちゃ、あいつは仇みたいなものだから」

「どういうことよ」

「それに関してはさすがに俺からは言えない、あいつの問題だから。でも俺たちは今、利害は一致してる。若宮くんならわかるだろ」

 ちらりと横目で茅羽夜を見ると、燭台に照らされた白い顔が難しく顰められている。鈴にも知らされていないことが、きっとあるのだろう。

「八年前の元凶である海音という術者は生きていると思うか」

「生きてる。あいつがあんな簡単に、死ぬわけない。俺らの一族も、あいつをずっと探していてさ。二人は白浬教はくりきょうって知っているか」

 鈴は首を振る。茅羽夜もいいや、と答えた。

「最近十二国と一国の境らへんで流行ってる宗教だよ。大海神を祀っている」

「海真教から派生したものか?」

「そこが微妙なとこでさ、何しろ白浬教は皇の退陣を求めていない。寧ろ逆で、神祖を継ぐ者としてかなり丁寧に祀るように説いているし、きちんと度牒も発行されている」

「ならいいんじゃないの?」

 度牒が発行されているということは、きちんと国にも宗教として認められているということだ。何ら問題はないように思えるが。

「それがさ、白浬教の巫女様は大海神の声を聞くことが出来るとかなんとかで、星石と血を使った占いがよく当たるんだと」

「星石と、血……」

 渡り部や鈴の術と同じだ。

「成る程、お前たちの一族では別段珍しい術ではないのだな」

「そうだね。俺は使えないけど」

「一つ確認だが、星鴉の一件はその海音を釣る為の餌だったという解釈で間違いないか」

 鈴は驚いて茅羽夜を見る。どういうことだろう。茅羽夜は、首を傾げている鈴にどうやったら分かりやすく説明出来るか考えあぐねていると、青幡の陽気な笑い声が聞こえた。

「そう、その通り。あいつは自尊心が異常に高いからさ、同業者がいたら真先に潰しに来ると思ったんだよね。それにあいつと三光(さんこう)────ああ、君らが渡り部って呼んでるあいつな、三光はちょっと因縁があるからすぐに気付かれると思ったんだけど、それより先に乗り込んできちゃった奴がいてさあ」

 はて誰だろうなと、すっとぼけるのは茅羽夜だ。どうやって動かしているのか鳥が「おめーだよ!」と器用に地団駄を踏む。積まれた本がぐらぐらと揺れて、鈴は少しはらはらとする。

「ま、それは置いておいてだ。そういうわけで、俺らもあいつを捜している。んで、それは若宮くんもだろ?」

「……何が条件だ」

「安心しろよ、代わりに姫宮を渡せとか言わないからさ」

「当たり前でしょ」

 人を勝手に交換条件にしないで欲しい。鈴は籖の景品じゃない。

「単純に人手不足ってだけだよ。こっちも色々あってね、だから情報を提供する代わりに調べて欲しいんだ。十二国の現状と白浬教の実情をさ」

「その情報に確たる証拠は」

「おいおい、それを調べて貰うために提供してるんだぜ?大体どんな宗教かもしっかり調べないで度牒発行してる君らも悪いだろ」

「例えその情報が正しいものだとして、いいのか?こちらの手に奴が渡っても」

「あいつが始末出来るっていうなら、お好きにどうぞ。俺らもその方が楽だからな」

「……」

 青幡の声に嘘は感じられない。けれど本音は語っていない、と思う。

 茅羽夜は結局、裏取り出来次第上に掛け合うという返事に留め、青幡もそれでいいよと承諾した。

「じゃ、またなんかあったら知らせるから燃やさないでくれよ」

「わたし、あなたを許したわけじゃないし、残念ながら後悔もしていないから」

 茅羽夜を殺そうとした一件は、未だに鈴の心に深く刻み付けられている。どんな理由があったとしても、許すつもりはなかった。

「ああ、別にいいよ。俺も謝るつもりもないし、今でも皇は大嫌いだから。後悔してないのは残念だけど、まあ今回の件が片付いたら改めて殺しに行くつもりだし」

「来ないでいいから!」

 なんて怖いことを言い出すのだろう。やはり握り潰すべきかと鳥に手を伸ばそうとするが、彼は「じゃあな」とあっさりと術を解いてしまった。鳥の形をしていたそれは、ただの一枚の紙に戻っていた。

「何なのよ、もう!茅羽夜も茅羽夜で、なんでそんなに呑気なの?あいつは茅羽夜を殺そうとしてる敵なのよ、敵!」

「いや、有益な情報であったのは違いないし……」

「罠かもしれないじゃない」

「別にそれならそれで、どちらでも構わない」

 紙を丁寧にしまって、茅羽夜は何でもないように言う。

 茅羽夜はいつも自分を省みない。自分が傷つく事を厭わず、躊躇わず、労わらない。

「鈴が無事なら、何でもいい」

 それなのに、鈴の全てを守ろうとする。鈴にはそれが歯痒かった。

 きっと茅羽夜に、自分をもっと守ってと幾ら言っても、届かないだろうというのは何となく察していた。

 鈴を守ること。それが彼の根底にあるもので、行動原理になっているように思う。

(だったら、茅羽夜はわたしが守ればいい)

 斎妃として認められた。つまりそれは、皇の、茅羽夜の中に流れる龍の血に寄り添える資格を得たということだ。これから茅羽夜が帝になろうとも、別の妃を迎えようとも、鈴のやるべきことは変わらない。

 夫婦とは支え合うものだ。少なくとも鈴はそうありたいと思っている。

「さて、鈴は先に寝てくれ。俺はもう少しこれを読んでから寝るから」

「……どっちで?」

「どっちでとは?」

「ええっと、寝台……」

 ちらりと向こうに見える寝台を見て、茅羽夜はようやく鈴が言わんとしていることを理解したらしい。

「……今日はこっちで寝る?」

「いいの⁉︎」

「別に構わないけど……何か嬉しそうだな」

「だってちょっと寝てみたかったんだもん。東宮の寝台!」

 そう言って鈴は薄絹に隔てられた御帳台へ飛び込む。頬擦りしたふかふかの布団からはどこかお日様の匂いと、秋の終わりに咲く白い花の匂いがした。いつも鈴が焚いているそれと同じものだ。

「鈴が普段使ってるものとそう変わらないと思うが……」

「わかってないなあ〜茅羽夜が普段使ってるもので寝てみたかったのよ」        

 ごろんと転がってみると、確かに鈴が今使っている寝台とそこまで造りは変わらないが、長身の茅羽夜が足を伸ばしても余裕な程大きい。鈴が両手を伸ばしてもまだ余裕があった。

「おお〜大きい……そしてふかふか……」

「鈴」

「ん〜?」

「やっぱり自分の部屋で寝てくれ、あとで行くから」

「えっ何で?あ、ごめん煩かった?静かにしてるから茅羽夜は調べ物続けて」

「そうじゃ……いや……」

 困ったように視線を彷徨わせる茅羽夜に、鈴は褥の上で頬杖をついて見る。茅羽夜にしてはいやに歯切れが悪い。

「……寝衣が乱れている」

「…………」

 先程寝台でごろごろした時だろう。見れば脹脛から太腿にかけてがばっさりと捲れ上がっていた。慌てて裾を直してきちんと座り直す。里にいたころは裾をまくって洗濯することも、別に何とも思わなかったけれど、鈴にも羞恥心というものはある。例え見られたのが夫であってもだ。

「……し、失礼しました……お見苦しいものをお見せしてしまいまして、その」

 思わず敬語になってしまった。茅羽夜は「いや……」と書物に目を落としたままだ。気まずい。大変に気まずい。

「ええっと、その、わたし、部屋に帰るね」 

「ああ……先に寝ててくれ」

 さすがにこのむず痒い空気の中彼の寝台に居座れる程、鈴の神経は図太くない。

(別にその、全然構わないけど!でも調べ物の邪魔しちゃ悪いし、うん、一緒に寝れるだけでも嬉しいしって……あーもー!)

 北殿へ戻り、自分の寝台へ勢いよく飛び込むと、鈴はどうにもならない想いを褥にぶつける。もう自分の頰も耳まで熱を持っているのがわかって無駄に変な声をあげてしまう。小鞠に聞こえたらいけないので、枕に顔を埋めて鈴は呻いた。

 今まで恋愛ごとに「興味ない」と一切関わって来なかったツケなのか、こういう時、どうしていいのかわからなかった。

 一頻り寝具に当たって、少しすっきりした鈴はそのまま枕に頰を寄せる。銀木犀の優しい香りが瞬く間に鈴を夢の世界に引っ張っていく。

(茅羽夜の寝台も同じ香の匂いがしたな……茅羽夜も好きなのかな……)

 そうだったら少し嬉しいな、と鈴は目を閉じた。

 

 


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