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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
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金の星の瞬く朝に 終

 秋も終わりに近付き、月見をするにも肌寒い夜となってきたが、真陽瑠は廂に腰掛け、手酌でゆっくりと手元の酒をあおる。

「風邪を引きますよ」

 柱の影から出てきたその人に、真陽瑠は驚いた顔ひとつせず首を後ろに傾ける。皇家の姫君としては作法がなってないと見る人が見れば眉を顰めるその所作も、今見ているのは彼と月だけだ。

「このくらいで風邪引くようなヤワな体はしておらんわ」

「そういって以前も寝込まれたでしょう」

「おー?そうじゃったかのう」

 玻璃の器を空に掲げてくるくると弄ぶ真陽瑠の横に腰掛けた奈月彦は持参したそれを自分の器に注ぐ。赤紫色の液体を一口舐めると、真陽瑠はもう一杯、豪快に自分のそれを飲み干した後、弟の方へ空の器を差し出す。

 奈月彦はひとつ溜息を吐くと、何も言わずにその玻璃の器を満たした。

「お、美味ではないか。どこのものじゃ」

「赤磐殿と国長の珊路さんじ殿が寄越したものです。議会に遅れた詫びだと言って」

「ほおーあの酒豪が斯様な甘口を?三国の新しい特産か?」

「私が清酒を好まないからでしょう。今年採れた葡萄を使った酒だそうです」

「葡萄か。あれは二国のものが美味いの」

「その二国からあまり粒が良くないものを買い取って酒にしているのだそうで」

「ふむ」

 色を楽しむ様に器を揺らして、真陽瑠は目を細める。白い月が赤紫の液体に沈む。清酒とはまた違う鼻に抜ける甘い香りが良いが、真陽瑠はやはりこっちがいいと言わんばかりに手元の器を取った。

 真陽瑠と奈月彦が唯一共通しているのは酒好きという部分だけだが、辛口を好む真陽瑠に対して、奈月彦は果実酒や甘口ばかり口にする。味の好みはまるで正反対だ。異母とはいえ、本当にどこまでも似ていない姉弟だなとぼんやりと思った。

「して、今宵はどうした。末御たちを散々虐めてきたのであろう?」

「人聞きの悪いことを言わないで下さい。それに虐められたのは私の方です」

「はは。成る程、それでそなた、拗ねておるわけか」

「拗ねてる?……私が?」

 心外だと言わんばかりに顔を顰める奈月彦を真陽瑠は喉の奥で笑う。奈月彦が来る前にもう既に数本空けているにも関わらず、その目はしっかりと弟を見ている。

 奈月彦は、幼い頃から我慢強い子供だった。第一皇子として、次期帝として育てられてきたせいかどんな時も至って冷静で理知的な性格だった。感情に振り乱す弟を真陽瑠は見た事がない。

 茅羽夜も無愛想で冷淡と見られがちだが、彼は顔に出にくいだけで感情は豊かな方である。幼い頃から慕う少女を西の果てまで迎えに行く程の、情熱を身に秘める少年だ。

 しかし、奈月彦は違う。彼は本当に、感情の振り幅が狭いのだ。

 その彼が、あからさまに拗ねている。まるで子供のように。

「初菫のを見ていると、苛立つだろう。あれはそなたとは真逆であるからな。あの者の顔は父方寄りだが、中身はそのまま母似であるのも、気に食わんのじゃろう」

「……」

「まあ、気持ちはわからんでもないがな」

「……あの娘は」

「うん?」

「私の持っていない、ものを、持っている」

 この国の頂きにあるこの手に、入らぬものなどきっとないと人は言うだろう。

 金も銀も、玉も、絹も、人も、地位も、名声も、全てが奈月彦の足元にある。国中の端から端まで、奈月彦の手の届かぬ場所はない。

 けれど西の果てで泥に塗れて、風を受け、水の加護を持つ少女は、奈月彦が一生賭けても手に入れることの叶わない全てを持って生まれた。

 家族の暖かさ。野山を自分の足で駆け回ることの出来る自由。────父母の愛。

「そうか。私は、それが羨ましいのか」

 月が決して手の届かぬ陽に焦がれるように。

 親に捨てられたにも関わらず真っ直ぐに、無垢に育った少女の持つ眩しさが、ただ羨ましく、疎ましかった。

 そんな感情が自分の中にもあったのかと、奈月彦は不思議に思った。自分もまた、龍の血が流れているのかと、この時初めて実感した気がした。

 けれど龍の血は、決して彼らを幸せにしない。

 そのことをほんの少しだけ、憐れに思う。

「……しかし残念でしたね、姉上」

「何がじゃ」

()()()()()()()。暮星も、もう使えないだろう」

 鈴が茅羽夜を鎮めた後、彼女は水に溶けて消えてしまった。

 まるで、この時を待っていたかのように。

「ふふ」

 なんだそんなことかと、短く笑う真陽瑠は、酷く美しい。いつもの悪戯っ子のような笑みはどこにもなく、奈月彦は時折、自分の異母姉の人格が二つあるのではないかと疑ってしまう。

「あの女の力何ぞ、頼まれても借りとうない。ようやっと嫌な気が居らんようになって、清々しておるのに」

「その女の子供は、利用するのにですか」

「それは関係なかろう。妾が嫌いなのは本人であって、その子らに罪などない」

 酒をもう一杯あおり、唇を舐める。

 その仕草は、神に仕える巫女と呼ぶには、あまりにも扇情的で、彼女が皇女でなければこの国はとうに滅んでいただろうなと思う。

 しかし彼女が皇女であったからこそ、あの災厄が生まれ落ちた。因果なものだ。

「────かつて、我らの祖である神龍はひとつの玉をふたつに分けた。陽と月、朝と夜、寄り添うふたつの星が生まれた」

「遍く天を統べる双星ふたつぼしこそ、東和の象徴である」

 真陽瑠が問い掛け、奈月彦が答える。

 子供の頃から聞かされ続けてきた創世神話の一節である、ふたつの星は双玉のことであり、同時に帝と斎宮を指し示す言葉だ。

 陽神ひのかみ月神つきのかみの並び立つ世こそ、この東和葦原国である。少なくとも、皇に残る歴史はそう説いている。

「妾は初菫のがあの子の双星であることをこれ以上ないほど、感謝しておるぞ、月のや。妾はあの子らが可愛いでな、あまり虐めてやるでない」

「姉上はいつも、()()にはお優しいな」

「そなたにも優しいであろうが」

「私が父似ではなく、母に似ていても、同じように接してくださいましたか」

 奈月彦は手元の酒を一口舐める。ほのかに甘い果実酒は、けれどどこか血のような色をしている。

 真陽瑠は笑った。慈愛に満ちた、美しい女の顔で。

「当たり前のことを言うでないわ」

 ────生まれた子に罪などないのだから。

 ああ、そうだろうなと奈月彦は思う。けれども親の負債を清算するのはいつも子なのだ。そのことを、奈月彦は嫌と言うほど知っていた。

 だからこそ、皇の業を全て背負う為に生まれてきた弟と、その対となる星を憐れに思う。

(あの者たちの歩む道は、決して平坦ではない)

 奈月彦にとっては異母の弟と異父の妹。疎ましくて遠去けたくて仕方ない、小さなふたつの星たち。

 けれど、どうか彼らの朝に、明るい星がありますように、小さく願う。


 見上げた空に浮かぶ月は既に雲に隠れて、銀砂の星々だけが、二人を見ていた。


 


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