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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
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十四

「白耀殿に潜入してるってことにもまず驚きましたけれど、そこで倒れたって聞いて本当に寿命が縮んだかと思いましたよ!もう!どうしてうちの姫様はこうも斜め上に行動が突き抜けてるんですか!」

「すみません……」

「おまけに全然起きないし!どれ程わたくし達が心配したかわかってるの⁉︎」

「小鞠口調が戻、いや本当に悪いと思ってます……はい……」

 鈴に粥を食べさせ終わったら満足して安心したのか、茅羽夜はそのまま自室に下がっていき、入れ替わりにやってきた小鞠に湯浴みを手伝って貰いながら、鈴はかれこれずっと恨み言を聞かされていた。

 小鞠には白桂殿で斎妃としての課題があると言って出てきたので、彼女の驚きは最もである。鈴も流石に悪いと思っているのだ。本当に。

「刻葉様も今回ばかりは失神されそうな勢いでしたわ」

「申し訳ございません……その刻葉は?」

「菫青殿の片付けに出ていますよ」

「もしかしてこのまま春殿に引っ越すの?」

「そう聞いています」

 なら途中で失神してしまったものの、課題は悪い結果ではなかったのだろうか。湯から出て体を拭うと、衣を用意していた小鞠はてきぱきと着付けていく。前までは湯浴みを手伝って貰うなんてとんでもないと思っていたが、もうすっかり慣れてしまった。

「そういえば茅羽夜、本当にわたしが目覚めるまであそこにいたの?」

「ええ、殆どこの七日間、お側を離れることなくずっと姫様に付き添っていらっしゃいましたよ。縁寿様もわたくしも、何度か交代致しますと申し上げたのですが嫌だの一点張りで」

「……ご飯とかは?」

「最初の三日程はもう何も喉を通らないと言った感じだったのですが、刻葉様が食べるか寝るかどちらかしないと部屋から閉め出しますと言って……結局食事を取られたそうです。といっても、お握りとか、雑炊とかでしたけど」

 鈴は頭を抱えた。ずっと居てくれたのだろうなとは思っていたが、自分が寝続けていた七日間、そんなことになっていたとは思いもよらなかった。まさか七日間一睡もしていない、なんてことはないだろう……とは思うが元々寝の浅い彼のことだ。うとうとしたのを繰り返しただけということも充分あり得る。刻葉がせめてと食事だけでも摂らせてくれて本当に良かった。

 自分自身のこともだが、それにともなって茅羽夜のことまで迷惑を掛けてしまったなと溜息を吐く。

「これからは風邪ひとつ引けないわね……」

「ああ、風邪といえば覚えていらっしゃいます?花嫁行列の時、姫様が熱で寝込んだ時のこと」

「ああ、あったわね。目覚めたら小鞠が居なくなってたやつ」

 未だにちょっと根に持っている。じろりと睨め付けると「その件は謝ったじゃないですか!」と逆に怒られてしまった。今は下手に突かない方がいいなと鈴は口を噤んだ。

「あの時も、殿下はずっと姫様に付き添っていらっしゃったんですよ」

「え……?」

 初耳だった。あの時は、熱があったからなのか、時折目覚めたら縁寿に薬湯と粥を貰った記憶しかない。けれど確かに、今思えば誰かがずっと額の濡れた布を取り替えてくれたりして、そばに居てくれた気がする。

「わたくしも縁寿様も、怪我人の手当てや支度に慌ただしかったので、姫様の看病は殿下がして下さっていたのです。寝る時は代わりますと言ったんですけど、あの時も自分が看ると言って」

 鈴は自分の手で頰を包んで俯いた。高熱に魘されていたから当然なのだが、そんなの、全然知らなかった。どうして教えてくれなかったのだろうと思うが、茅羽夜の性格からして、自分から言う筈もない。

 ぺたぺたと頰を触って熱を逃す鈴に、小鞠はすっかり機嫌を良くしてにんまりと笑っている。

「若宮殿下は、本当に姫様が大事なんですねぇ」

「もう絶対寝込んだりしないわ……」

「ええ、是非ともそうして下さいな。わたくし共としても安心です」

 そう言って、小鞠は鈴の帯を締める。紫と青の移菊の唐衣を纏うのも、何だか随分と久しぶりな気がした。実際、五日程女官として白耀殿にいて、更に七日寝込んでいたので東宮妃としての装いは久々である。

 茅羽夜は今頃ようやく眠れているのだろうか。夕餉は一緒に食べれるのか、あとで聞いてみよう。

(そうだわ、これからは同じ殿舎で過ごせるんだ……!)

 普通の夫婦のようではないか。今頃になってその多幸感に軽くなった足取りで部屋に戻ると、廂に松葉が番犬のように座っていた。後ろに控えてた小鞠の方から変な声が聞こえたのは気の所為だろう。

「お、お帰り〜」

「そういえば松兄さん、東宮付きになったんだっけ……」

「忘れてたのか〜?薄情な妹だなあ」

「教えてくれなかったくせによく言うわ。というかよく試験に受かったわね」

「それ風早にも縁兄にも同期や先輩たちにも言われた」

「でしょうね!」

 力一杯肯定すると、松葉は眉を八の字にして唇を尖らせる。後ろの方から乱れた呼吸音が聞こえるが鈴は振り返ることなく部屋に戻った。

「あら、お上りやね、菫の君。湯冷めせんうちに、早うお入り」

 円座にゆったりと座る佐草に、鈴は思わず仰け反りかけたが、寸でのところで持ち堪えた自分を褒めてやりたい。成る程、道理で松葉がここにいる訳である。もっと早くに言って欲しかった。

 小鞠が慌ててお茶を用意しに厨の方へ飛んでいくのを見送って、鈴は既に寛いでいる佐草の前に腰掛けた。その横には、例の小箱がちょこんと置かれている。

 佐草は先日と変わらず、ぴんと伸びた姿勢のまま、鈴に微笑む。

「お身体はどないですか?」

「もうすっかり、御心配をお掛け致しました」

「そうですか。ほんなら、課題の答えを聞きましょか」

「はい。課題の小箱は無事に、持ち主へ渡りました」

「箱は、まだそこにありますが?」

「これがわたくしの答えです」

 佐草はちらりと鈴の側に置かれたそれに目をやって、扇の向こうで目を細める。胸の動悸が耳に痛い。

「佐草様、何故課題はこの箱を開けろではなく、渡せというものだったのですか」

 この箱が鈴の手元にあることが佐草の求める正解ならば、課題としては箱を開けるだけでよかった筈だ。術者として、巫女としての力を測る為だけならば。

 けれど佐草は、持ち主へ箱を渡せと言った。その意図は。

「そんなん、あなたの資質を測る以外、あります?」

「やり方が周りくどいと言っているんです」

「老人っていうのはな、その過程こそを見せて貰わんと納得出来へんのよ。それに箱を開けるだけでは正解の半分やった。箱を開けるだけなら、それさえあれば術者なら誰でも出来るさかい、菫の君から無理やり奪って、開封することも可能や」

 それは確かにそうだ。鈴もあの時、特別何かをしたわけではなかった。

「けれど、その首飾りを扱えるということこそが、星の君の後継である証。千早振る龍の血を鎮め、菫の君は、見事斎妃たる資格を示された」

「それでは、課題は合格ということで良いのでしょうか?」

「勿論。陛下からもそのように報告頂いておりますゆえ」

「ならば、お聞きしても宜しいでしょうか」

「何をです?」

「この箱を、佐草様は如何様にして手に入れたのですか」

 十七年前に華織子から暮星へ贈られた時点では、暮星はまだ宮にいたのだろう。そしてその後、彼女は宮をとある男────青幡の養い親である蒼一郎と共に出ている。

 青幡の言葉を信じるならば、彼女は宮を出て、鈴を生む前に自分の着物を解いて御手玉を作っている。菫の蜻蛉玉も、その期間に買い求めたものだろう。

 そして生まれたばかりの鈴を九国の里に置き去りにした。

 しかしこれが正真正銘、鈴のために集められたものならば、鈴を置き捨てた時に首飾りと共に置いていったのではないだろうか。

 鈴を手放した後も、この小箱を暮星が持っていても仕方ない。売ればかなりの資金にもなった筈だから、そういった意味で持っていったというなら別段問題はないのだが、どうにも矛盾している。

 この箱は一体どのような経路を辿って、佐草の手に渡ったのか。

「……申し訳ないんやけど、それに関しては口止めされてるんよ」

「どなたに?」

「それも内緒。せやけど、命かけて課題に挑んだ菫の君に、何も答えてやらんというのも意地が悪いなあ。せやから、一個だけ」

 広げた檜扇の向こうで、佐草は悪戯めいた目を細める。その子供っぽい目が、鈴にはひどく、恐ろしいものに見えた。きっとそれは誰も見たことのない深い谷の底を覗くような、獣の瞳に手を伸ばすような、知らないことへの畏怖のように思えた。

 鈴の知らないことを、その橄欖の星は知っている。

 そのことが、どこか、怖い。

「御手玉に水晶を入れて、子供の魔除にする習わしはとある地方特有のものなんよ」

「とある地方、とは?」

「海底の国」

「────……それは、唐のことですか?」

 照日奈大神の涙の底に沈んだ遠い国。その名残は、未だにこの国に、微かに息づいている。だがそれが、今の話と一体どのような関係があるのだろう。

「……佐草様は個人的に、暮星様と交流があったのですか?彼女が宮を出てからも」

「さあ、どないやろ?」

 意地悪げな笑みを浮かべて、佐草ははぐらかす。自分で考えろということらしい。秘密の多い人だ。だがその秘密でさえも、どこか彼女を引き立てる装飾品に見える。

 刻葉から、以前八雲家は帝ではなく斎王に膝を折る唯一の家であると習ったので、暮星が宮にいた時は彼女に仕えていた筈だ。幾らでも話をする機会はあっただろう。やはり、暮星に伝えたのは佐草だろうか。

 しかし口止めされているとのことなので、これ以上突っ込んで聞いても無駄だろうなと、鈴も早々に諦めた。空鷹や縁寿ならばうまく引き出せただろうが、鈴では彼女の相手は荷が重い。

(……母様は、どんな気持ちでこの御手玉を縫ったのかしら)

 鈴のこと。陛下のこと。そして恐らく鈴の父だろう人のこと。聞きたいことはたくさんあった。けれど答えてくれる人はもういない。

(陛下からは、やっぱりお話を聞けない、よね……でもまさか、ここに来て本当に血の繋がった兄がいたなんて)

 出来るなら仲良くしたいが、残念ながら望みは薄そうだった。

 母をとうに亡くし、父も生死は知れない。その上、半分でも血の繋がった兄とは確執があるなんて、とことん骨肉の情というものに縁遠い人生である。

 はあ、と息を吐くと佐草はあらまあと笑った。

「悩ましげな溜息やねえ。まあ、若いうちはたくさん悩んだらええよ。いつか振り返った時、そういう悩みもすべてが、愛おしゅうなるものやから」

「佐草様にも、ありますか?」

「もちろん。ああ、そやった忘れるとこやっった」

 そう言って扇をぱちんと閉じた佐草は、そのまま美しい所作で両手をついて、額を板の間につけた。驚いて目を瞬かせる鈴に、佐草は続ける。

「八雲家当主として初菫の君へ、お祝い申し上げましょう。ご成婚、誠におめでとう御座います。お二人の行く末に、ご多幸があらんことをお祈り申し上げます」

「……ありがとうございます、佐草様」

 ようやく、無事に課題を終えたことを実感して胸を撫で下ろした鈴に、顔を上げた佐草はほんの少しだけ、眩しそうに見つめた。

「我らは斎宮へお仕えする神祇の一族。どうかそのこと、心に留め置き下さいますよう」

 


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