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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
65/114

十三

 誰かの泣いている声がする。

 それは小さな、生まれたばかりの赤子が必死に生きようとしている声だった。

 赤子を抱いた女は額に髪を貼り付けて、疲れの滲んだ、酷い顔をしていた。けれども腕に抱かれた赤子を見つめる瞳からは透明な雫をした愛しさが幾つも伝って溢れ、目蓋が震える。

「ごめんね」

 その涙に含まれたものは、愛しさだけでなかった。悲哀も、慈愛も、罪悪も、その美しい菫色の瞳から溢れて、赤子に降り注いだ。赤子に与えられた最初の愛は、決して明るいものではなかった。

「そばにいてあげられなくて、ごめんね」

 赤子の首に下げられた薄い玻璃のそれに、涙が弾ける。

 許せとは言わない。恨んでくれても構わない。悪いのは全て自分であって、生まれたばかりの貴女に何一つとして罪はないのだから。

 だから、どうか。

 ────せめて、この子だけは幸せな星が降り注ぐように。

 

 



 誰かの泣いている声がする。

 それは随分とか細く、今にも消えてしまいそうな、何もかもを諦めた声だった。

 しめ縄によって幾重にも囲まれた部屋の中で女は男が抱き上げている我が子を見た。男は子の父などではなく、ただ「良い器だ」と恍惚とした声で、うっそりと呟く。

 女はその赤子を抱き上げることを許されなかった。

 手を伸ばして、せめて一度ひとたび抱かせてくれと必死に懇願したけれど、小さな命は強過ぎる力の渦に今にも呑みこまれて、押し潰されかけていた。禁術によって神下ろしを施された特別な子は、強過ぎる血に喘ぎ、泣き声は徐々に小さくなっていく。

 女から赤子を取り上げた男は、このままでは子は息絶えるだろうと言った。

 その子を助けてくれと彼女は懇願した。

 自分はどうなったって構わない。けれど、その子だけはどうか、助けてくれないかと。

「勿論です」と男は白い覆面布の向こうで微かに笑んだ。

「ちょうど、良い楔があります。あれを使いましょう」

「待て、その子は妾の子ぞ。身の保身の為に、夫も子も見捨てた性根の卑しい女の命で、尊い我が子の身を穢せと申すか」

「しかしそれしか御子を救う手はないのです」

「ならば妾の命を使ってくれ。我が子の為ならば、命など惜しゅうない」

「残念ながら、御方さまでは楔にはなれません。何事も適材適所がありますゆえ」

 それではと男は赤子を抱いて、女を置いて退出していった。立ち上がろうとする女を、側仕えの者が押し留める。出産直後の身体は疲弊し、消耗し切っていた。御身体に障りますという女官の声も聞こえない程に、彼女は必死に我が子を求めた。

 連れて行かないで。あの女の血でどうかその子を穢さないで。使うならどうか、この生命を使ってくれないか。

 追い縋る声に、けれどただの一度も、男は振り向かなかった。

 

 



 誰かの泣いている声がする。

 それは昏い地の底で、縛められた女の悲痛な叫びだった。

 女を取り囲むようにして、地には紋様が彫り込まれ、その奥には締縄と玉櫛が飾られた祭壇が見える。その祭壇の前には白い覆面を垂らした男がひとりと、簡易の椅子に座ったままの壮年の男が在った。

 捧げられるように横たえられた赤子は固く目を閉じて、微動だにしない。

「もうお辞めください」

 そして術の中心に縛められた女の体には無数の切り傷が刻まれて、その僅かな命の灯火もまさに今、消え行こうとしている。けれど、もうそれすらどうでもいいのだ。罪にまみれたこの命など、元よりもうないものと扱ってくれて構わない。切り刻もうが、煮ようが焼こうが、どんな罰でも受け入れよう。

 けれど、その子は。

 生まれたばかりの子は小さかった。十月十日より少しだけ早く生まれ、遠い郷へ置いて来た我が子よりも、もっともっと小さかった。肌はまだ僅かに赤く、本当に今し方生まれたばかりの赤子の臍には女を縛める術と同じものが施されている。

 その御子には、何の罪もないのに。どうして……どうして。

「お考え直し下さい陛下、この東和をどうなさるおつもりですか」

「そなたが、それを問うか。余を捨てて、息子を捨てて、逃げた女が」

「罰ならわたくし一人になさって下さい、どうか、その子を母の元へ返してやって下さい」

「ならぬ」

「陛下」

「十四番目の末御は皇全ての罪を背負う、龍の器となる。余が決めた、しかし余に決めさせたのは、そなただ。己の命を以って、御子の心臓となるが良い。それがそなたの罰である」

 覆面の男が剣を掲げて、深く女の胸に突き刺した。甲高い悲鳴が、高い天井に反響して、びりびりと空気を揺らす。それに呼応して水が溢れ、術式に溶けていく。

 素晴らしいと男は笑った。壮年の男はただ女の方へ顔を向けて、もう見えなくなったその夜明け前の紫の瞳を思い浮かべる。

 その瞳に浮かぶ色は何色をしているのだろうか、と。

 

 魂を育む、揺籠のようにその水が赤子を抱く。

 水はやがて女の体も満たすと、そのままぱきぱきと音を立てて凍り付いていった。 

「────……」

 氷牢に囚われ、事切れる直前、女の唇が誰かの名前を呟いた。

 けれどもそれは、誰に届くこともなく深い水底へ、静かに落ちていった。

 

 


 

 ────誰かの呼ぶ声が聞こえる。

 目を開けた時、そこは先程自分がいたあの地下ではなかった。茅羽夜も、青幡も、奈月彦の姿もない。深い水底に、鈴はひとりで立っていた。

「りん」

 自分を呼ぶ声がして、鈴はそちらへ顔を向けた。水の柔らかい感触が、頰を滑った。

 きらきらとした、星の粒を纏って立っていたのは、見知らぬ女だった。長い黒髪を垂らし、白む空の青紫に浸した瞳がまっすぐと鈴の方へ向けられている。

 彼女は白の短衣と胸の下で帯を結ぶ、唐風の衣を纏っていた。二輪に結われた髻には金の混じった石と蝶を象った簪と濃い紫色の牡丹一華の花簪。

 紫黒の裙には小さな石が刺繍に縫い止められており、海に落ちる星が如く煌めく。

 微笑んでいるその顔は、誰かに似ていた。けれど、誰なのかはうまく頭に浮かばない。

「あなたは、誰?」

 問い掛けると、女は微笑んだまま、首を傾ける。その顔はまだ年若い少女にも見えるし、鈴よりも幾つも歳上の女性にも見えた。柔らかさと無邪気さ、そして梔子のような甘い女の色香が上手く調和しあっている。

 あどけない表情のまま、彼女は言った。

「さあ。もう随分とここに居るから、名前なんて忘れてしまったわ」

「ずっとここに居るの?」

「そう。ずっと、ここで待っているの」

「誰を?」

「誰かを」

「忘れちゃったの?」

「忘れてなんかないわ。でも、貴女は違うから、教えてあげないの」

「……そう」

「ええ、そう」

 ふふふと彼女は少女の顔で笑った。でもくるりと裙の裾を翻してその場で回ると、彼女はまた大人の顔になる。

「りんは、あの子が好き?」

 どうして自分の名前を知っているのだろうと思ったけれど、ぼんやりとした頭からその疑問はすぐに弾かれた。どうしてか、そんなことは、些細なことだろうという気持ちになる。

 あの子ってだれ?と鈴が問い掛ける。彼女は、わかってるくせにと意地悪を思いついた近所の男の子みたいな顔をした。くるくると、よく表情が変わる娘だった。まるで彼女の中に、何人も違う人間がいるような。

「ねえ、りん、あの子のこと、すき?」

「好きよ」

「この世界で、いちばん?」

「順位なんて決められないわ」

「じゃあ、自分の命に代えてもいい?」

 その問いに、一瞬だけ鈴は迷った。

「ねえもしも、自分かあの子か、どちらかしか生きられないとしたら、あなたは自分の命を投げ出せる?」

「いやよ」

 一瞬だけ迷ったけれど、鈴はきっぱりと言った。

「どちらかだけなんて、絶対に嫌。だったらどんなに短くても、ふたり共に歩ける道がいいわ」

 例えば自分の命を使って、彼の命を助けたとしても、きっとそれで喜ぶのは自分だけだ。

 術を使うたびに、哀しそうにする顔が浮かぶ。小さな傷も、まるで自分のものみたいに痛んでくれるひと。だから自分も、彼の痛みを半分持ちたいと思うのだ。

 恋と呼ぶにはひどく重くて、愛と呼ぶにはあまりにも透明なこの思いを、人は何と呼ぶのだろう。

「そう」

 どこか嬉しそうな、静かな漣の声が、静寂に溶けていく。意識が引っ張られる感覚に、鈴は目の前の彼女をもう一度だけ見た。

 何度見ても、知らない顔で見覚えもない。けれどどこか、懐かしいと思った。

「あなたは、だれ?」

 もう一度問いかけたそれに、彼女は笑った。よく笑う人だ。

「あたしの名前はあなたが見つけてきて。あたしはここで、ずっと待っているから」

 彼女が待っているのは、鈴じゃない。でも、鈴はわかったと頷いた。意識が離れていく寸前に、少女は独り呟く。

 

 

「貴女なら辿り着けるかもしれない。────あたしたちが行けなかった世界の果てまで」

 





 

 誰かの泣いている声がする。

 ふと目蓋を持ち上げると、見覚えのない天井があった。唐草模様の入った天井からは薄絹が幾重にも垂れ下がっている。いつも鈴が寝ている御帳台よりも、一回りくらい大きかった。

 数回瞬いて顔を動かすと、すぐそこに白い顔があった。

「鈴……?」

「ち、は、……⁉︎」

 鈴が起き抜けの頭で彼の名前を呼ぶ前に、茅羽夜は鈴の手を取ってぼろぼろと泣き出した。女の鈴から見ても息を呑むほどに美しい陶器の頰に、大粒の涙が止め処なく流れ落ちて、布団を濡らしていく。

 元服も過ぎた青年が、見栄も尊厳も、何もかもをかなぐり捨てて泣いているのを、鈴は初めて見たのでびっくりして固まってしまった。しかし頭の隅で、美人は泣いても美麗なのだなあと思った。鈴の号泣なんて、決して見れたものじゃないのに。

「もう二度と、君が目を覚さないかと思った」

「そんなわけないじゃない」

「そう言うけど、きみ、もう七日間も眠っていたんだよ。……本当に、よかった。もうどうしようかと思って、このままきみが目覚めなかったら、おれも一緒に死んだっていいって思った」

「ちょっと、縁起でもないこといわないでよ」

 未だに痛いくらいに手を握ったままの茅羽夜を見て、段々と頭もはっきりしてくる。自分が七日も眠っていたことよりも、茅羽夜が鈴の後を追いそうだったことにぞっとする。

「あなたみたいなのを置いて行けるわけないじゃない」

 鈴はそう言って、握られていない反対の手を彼の頰へ伸ばす。指で透明な雫を拭ってやると彼の瞳が赤く充血して、目尻や頰が随分と荒れているのがわかった。もしかして、鈴が目覚めないこの七日の間、一睡もせずにここで泣き続けていたんじゃないだろうか。

「茅羽夜、もしかしてずっとここに居たの?」

「いた。俺がいない間に、きみが消えたらどうしようって思ったら、もう、だめで」

「……」

 本当に居たらしい。何てことだろうと鈴はもはや自分のことを棚に上げて、呆れ返ってしまった。でもそれ以上に、鈴の胸に湧き上がってきたのは、愛しさだった。

 そう認めてしまったらもうダメなのだ。本当に、この人を置いてどこかへ行くなんてもう鈴には到底出来やしない。

 夢の中で少女に言った言葉を思い出す。

 例えば、どちらかの命しか助けられないとして、鈴が命に代えてこの人を生き存えさせたとしても、彼は鈴のいない世界で一人生きていくなんてしないだろう。鈴が死ぬなと言っても、冗談抜きで、彼は鈴の墓の前から動かずそのまま餓死でもしそうな勢いだ。

(本当に……なんて仕方のない人なんだろう)

 背が高くて、大人びていて、人との距離感をはかるのが下手くそで。理知的で、無感情そうに見えて、彼は思っていた以上に激しい性格をしていた。

「鈴は前に、自分の代わりなんていくらでもいると、言っただろう」

「言ったかしら」

「言った、あの青幡ってやつに」

 少し考える。言ったかもしれない。自分を攫ったって、どうせ別の誰かが養女に迎えられて、若宮の妃になるだけなのにといった趣旨のことを言った覚えは確かにあった。

「鈴にとっては俺は広い世界の一部なのかもしれないけど、俺にとっては君の代わりなんてどこにも居ない。誰にも成れない、きみが、十年前に俺を見つけてくれた君だけが、俺の全てだから」

 だから、君がいないなら、俺はもうどこへも行けない。そう言ってまた泣くから。

 これ以上の愛の言葉が、この世界にあるだろうかと、鈴は思った。

 未だに枯れることなく溢れる涙が鈴の指を濡らしていく。もう泣き止んでくれないかなと思うのと同時に、もうすこしだけ、見ていたいという気持ちもあった。

 でもやっぱり、泣き顔よりは笑った顔がいい。

 鈴は握られていた方も、頬にやっていた方もうんと伸ばして、茅羽夜の顔を自分の方へ引き寄せた。左手は茅羽夜が強く握り込んでいたので少しだけ赤くなっていたが、今はちっとも気にならなかった。

「ばかね、茅羽夜って」

 触れるだけの口付けのあと、手を緩めた鈴が笑うと、至近距離にあった茅羽夜の海色の瞳がこれ以上ない程に開かれていた。驚いたおかげなのか、一生止まらないのではないかと思われた涙も瞳の裏に引っ込んだようだ。

「…………鈴はいつもずるい」

「何がよ」

「君は、本当に、ちっとも、これっぽっちも、何もわかってない」

「だから、何がよ」

 何故怒られているのかさっぱりわからない。口付けしたのがそんなに嫌だったのかと聞くと「そんなわけないだろ」とまた怒られた。理不尽ここに極まれりだ。

「……二度目は俺からしたかったのに」

「早い者勝ちでしょ、そんなの……ていうかそう、そうよ!茅羽夜こそ身体は大丈夫なの⁉︎」

 身を起こそうとして、七日間も眠っていたせいなのかうまく力が入らずそのまま寝台に逆戻りする。そうだ。そういえば、鈴はあれからどうしたのだろう。目が覚めて茅羽夜の泣き顔に驚き過ぎてすっかり忘れていた。

「もうどこも痛くないの?あれからわたし、どうしたの?課題はどうなったの?」

「落ち着いてくれ、そのことに関しては……」

「おほん!」

 突然の咳払いにはっと見れば部屋の妻戸の所に、にっこりと微笑む縁寿が立っている。その手には小さな土鍋の乗った盆と水差しが乗せられていて、彼の分厚い眼鏡がきらりと光った。その後ろにはもう一人、妻戸の向こうに背を向けて立っている人物がいる。風早だ。この世の終わりのような気持ちになった。

「あ、もう終わりました?入っても宜しいです?」

「縁兄さん……いつからそこに……」

「いえ、ついさっきですよ。ええ、勿論。大丈夫です、何も見ていませんから」

 何も見ていない人の台詞ではない。縁寿は盆を茅羽夜に渡して、顔を真っ赤にしてずるずると寝台に潜り込んでいく鈴の布団を容赦なく剥いだ。

 まだ湯気の立っているそれは茸と卵でといた粥で、その匂いをかいだら急に自分がどれだけ空腹だったのかを思い出す。

 ふと見れば、枕元にはあの小箱と茅羽夜から貰った簪が並べてが置かれていた。その視線に気が付いた縁寿が問い掛ける。

「鈴が目覚めたら、八雲殿がお会いしたいとおっしゃってますがどうします? 体に障りがなければ、こちらにお通ししますが」

「……お会いします」

 課題のこと、斎妃について聞きたいことは山ほどある。鈴の返答に、縁寿はひとつ頷く。

「まあ、まずはそれを食べて、体を清めてからですね」

「そういえば、小鞠は?というかここはどこなの?菫青殿じゃないわよね」

「春殿だ」

 盆を寝台の横に置いて、土鍋の中の粥を掬って温度を確認している茅羽夜が事も無しげに言う。

「……え、ここ東春殿なの?」

「ああ。俺が正気に戻ったのと入れ替わりで、鈴が気を失って、そのまま後宮よりはこちらが近いだろうと運んだ」

「そうだったの……」

 そういえば、あの地下で茅羽夜に口付けしてからの記憶がない。あの後気を失ってしまったらしい。課題は一体どうなったのだろう。

「元々部屋を整えてはいたし、ちょうどいいかと思って。……はい」

「?」

 土鍋から粥を匙で救って、茅羽夜は真顔のままで、それを鈴の方へ差し出した。首を傾げてそれを見ていると、ずいっと口元まで持ってこられて、ようやく彼の言わんとしていることを理解する。

「自分で食べれるから!」

「だめだ。七日も寝ていたんだから、体も固まってるだろ」

「いやほんとにそのくらい出来るから!山育ちなんで!」

「山育ち関係あります?あ、私、お邪魔のようなので下がりますね。というか殿下の分もこちらにお持ちしましょうか」

「そうしてくれると助かる」

「縁兄さん待って待って待ってこれ!引き取っていって!」

 追い縋る妹に、縁寿は丸眼鏡の向こうでにっこりと微笑み「ごゆっくり」と部屋を出て行った。何という兄だ。自分が既婚者だからって余裕ぶっこいて、と心の中で文句を言うが、そういえば自分も既婚者である事実に思い当たった。しかし、自分の兄にこう言う、仲良くしているところを見られたことへの羞恥で発熱しそうだ。おまけに、知らない顔をしてくれているが、風早は今だに妻戸の向こうで見張り番をしている。

「鈴」

「…………茅羽夜、実はちょっと怒ってる?」

「怒ってないと思ったのか」

「え、いや……うん」

 奈月彦に怒っているというならわかるけれど。そういえば彼についても聞きたいことはあった。落ち着いたら、話を聞けるだろうか。……やはり、無理だろうか。

「怒ってるよ。鈴に対してじゃないけど」

 鈴に対して怒っていないなら、この恥ずかしい仕打ちは一体なんだ。十六にもなって手ずから食べ物を食べさせられるなんて、恥ずかしい以外の感想が出てこない。

 しかし茅羽夜はどうも譲る気がないらしい。鈴は観念して、口を開けて匙の上の粥を舌に乗せて、ゆっくりと嚥下した。ほっこりとした卵と茸の風味が優しく、ようやくほっと息を付いた。

「美味しい?」

「……うん」

「よかった。はい」

「ええ、まだやるの……」

「鈴がこれ食べ切るまでやる」

「新しい拷問か何かなの」

「いやなのか?」

 その言い方は卑怯だろう。あと小首を傾げて眉を下げるのも酷いと思う。十何年付き合ってきた自分の顔の良さを理解していないのだろうか。しかしこれを無自覚でやっているのだから尚更たちが悪い。重罪だ。

 ぐっと言いたい言葉を飲み込んで、鈴は雛鳥よろしく、すべての粥を茅羽夜に食べさせて貰い、一生分の気力を使い果たした気持ちになった。粥を食べるだけでこんなに疲れたことが人生にあっただろうか。いやない。

 いつか絶対に仕返してやると心に誓った鈴だった。

 


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