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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
64/114

十二

 ────どうして、自分は捨てられたのだろう。


 決して、婆さまたちに不満があるわけではなかった。婆さまも、兄二人も、里の人達も皆鈴に良くしてくれた。血の繋がりなど些末なことだと教えてくれたのは家族たちを、鈴は今も深く愛している。その事に嘘偽りはなかった。

 けれど本当の父と母を一度も思わなかったかと言えば、それは嘘になる。

 どうして父と母は鈴を置いていったのか。

 どうして一緒に連れて行ってくれなかったのか。

 たった一つの首飾りを置いて捨てるくらいなら、足手纏いになるとわかっていながら、何故生んだのか。

 そんな、鈴の中で消えて行った幾つものの「どうして」と「なんで」がまさかこんな所で掘り返されるとは思いもよらなかった。

 けれど箱の記憶を覗いた時、彼女がそれを持っていた時からどこか感じていたのかもしれない。

 青幡と陛下────奈月彦からもたらされた真実は、どこか胸の奥にすとんと落ちた。

 そして、玉椿があんなにも、鈴を奈月彦から遠去けたかった理由も、今ならよくわかる。

(会わせたくなくて当たり前よね、陛下にとってはわたしは自分を捨てた母と、捨てさせた男との娘だもの。その娘から……まさか母が自分以外の子へ贈り物を用意していたなんて、聞かされて)

 自分には何もくれなかったのに。────そんな声が、聞こえてくるようだった。そしてそれは幼い頃、鈴が僅かに思ったことだ。

 自分を捨てた両親への、幼い執着と羨望。

 けれどそれを癒してくれた人が鈴にはいた。そういう人が、この人にはいなかったのだろうか。そう思うこと自体がきっと傲慢なのだろう。

 愕然とした鈴がもう逃げないと判断したのか、奈月彦は鈴から手を離した。そして氷牢に閉じ込められた暮星の前に立ち、その隙に茅羽夜は素早く鈴を自分の方へ引き寄せた。

「────斎妃というのは」

 静かな声が厳かに響く。

 その声に呼応するようにぽう、と足元の紋様が光を帯びていく。こんな時でなければ幻想的とも思えただろうその光景に、いち早く反応したのは青幡だ。

 しかし、それよりも、奈月彦が彼を縛る方が速かった。

(陛下、巫術が使えるの⁉︎)

 術者嫌いではなかったのか、と思ってああそうかと気付く。彼は術者が嫌いなのではない、術を使う母とあの男が嫌いなのだ。

 術者の才は、親から子へ血で伝わるものだった。奈月彦が術を使えたとしても、なんら不思議はない。

「皇に流れる血を宥め、鎮め、寄り添う者のこと。この女は先代を拒絶し、先代は文字通り気が狂った。まず失ったのは目だ、次に味覚を失い、嗅覚を失くし、手足は硬直し、毎夜苛まれ、じわじわと正気を失っていった。それを癒すことに、ひどく執着するようになった」

 皇后が亡くなってからの先帝は異常なまでに妃を集めたという。

 琴の名手であった紗依姫も。

 舞が得意であったという当時の四宮も。

「まさか彼女達は、先代斎妃様の代わりに血を鎮める為に集められたのですか」

「その通り。僅かでも巫女の才があるものは、夫や恋人がいようと、皆召し上げられた。哀れなことだ」

「そんな……そんな、じゃあ、母様のせいで、彼女たちは人生を踏みにじられたの?」

 それは違うと、茅羽夜は言う。そうせよと命じたのは先帝で、先代の斎妃じゃない。けれど。

 けれどもし、それを知ったとして、あの笛の奏者は許してくれるだろうか。他の姫たちの親族は、元夫は?恋人たちは?

「鈴!」

 今にも泣き出しそうな少女の肩を揺らして、茅羽夜は青褪める彼女を呼んだ。唇がか細く震える。

「だとしても、君に何の罪もない。間違えちゃいけない、親の罪を子が背負う必要はないんだから。だってそうだろう?鈴が罰を受けるなら、俺や陛下だってそうだ。狂わせた張本人の息子なんだから」

「若宮くんの意見に賛同するのはめちゃくちゃ嫌なんだけど、ま、そうね。悪いのは全部お前ら皇とあのクソ呪術師だ」

 床に寝転がっていた青幡の言葉に奈月彦はただ一瞥もくれない。だが青幡は頰を地につけたまま、鋭い目つきで彼を見ていた。

「この地に刻まれた術式、これが何よりの証拠だ。アンタ達は禁術に手を染めた。────本気で東の龍を呼び戻すつもりか」

(禁術……東の龍……?)

 それがどういう意味なのか、鈴にはわからない。けれどかつて青幡は、茅羽夜を東の龍を継ぐ者と呼んだことを思い出す。東の龍とはつまり、神祖たる神龍のことなのか。

 それを呼び戻すとは、一体。

「成程、そなたたち一族も一枚岩ではないのだな」

「海音はどこだ、まだ生きているんだろうあのクソ野郎は!」

(……海音!?)

 まさか此処でその名前を聞くことになるとは、鈴も茅羽夜も予想外だった。それに口振りからして、青幡は海音とは仲間ではないのだろうか。

 一枚岩ではない。それはつまり、元は同じだったが、今は決別している?

「私は知らん。あの男と懇意にしていたのは先帝だ、そちらに問え」

「はは、死んだ人間にか?」

「そなたらの一族は大半が術者だろう、招魂くらい出来ないのか」

「生憎そっち系は落ちこぼれでね!」

「そうか。それは残念だったな。諦めるが良い」

「あーーーー!もう!話してるとどっかの誰かさんと同じでなんか苛々してくるこの人!」

 誰のことだろう。しかし床に寝転がらされているのに元気なことだ。一度は命を狙われた身なので、彼に対して同情心とかは全くなかった。むしろこのまま縛っておいて貰えると助かるのだが。

「ていうか姫宮と若宮くんは何ボケっとしてるんだよ、早く此処から逃げろ!」

「……えっ?」

「もう遅い」

 奈月彦が剣を抜き、茅羽夜が鈴の手を引こうとした瞬間、脈動が体を貫いた。

 足下の紋様が青い光を放ち、地の底から、壁から、天から、まるで何かが叫ぶような声が耳の中にびりびりと響く。

 痛みすら感じるそれに、思わず頭を抑えた鈴の横で、茅羽夜が急に胸元を押さえて蹲った。

「茅羽夜⁉︎」

「だめ、り、ん、こっち、来るな……!」

 絶え絶えの息の間に、茅羽夜は鈴から離れようと体を引き摺るけれどすぐに転んでしまった。慌てて鈴は茅羽夜の肩を支える。その顔は青褪めるのを通り越して最早白く、玉のような汗が幾つも滴り落ちていく。

(この感じ、前にあったやつ……!)

 水の匂いがどんどんと濃くなっていく。ぞわりと身の毛が総毛立つような感覚。背中に畏怖が駆け下りたと思えば、茅羽夜は凄い力で鈴を突き飛ばした。

「あ、あぁぁ、あ、ぁぁああ!」

 獣の咆哮が、低く響く。

 濡羽色の髪は毛先から色が抜け落ちていき、尋常ではない速さで伸びていく。指先の爪は長く、解けた眼帯の下の、白い鱗状の肌が今は首にまで広がっていた。ぱきぱきと薄い硝子を踏んだみたいな音が絶叫の間に聞こえる。

 そして何よりも異質な、その額に生えた二本の角。

「ち、はや……?」

 青白い光を纏って、その姿が変貌していくのを鈴はただただ見つめるしかなかった。虚空を見つめる黄金の瞳が、やがてうっそりと動き、鈴を捕らえる。

 ────冷たい明星が、確かに嗤った。

 バチン!という弾いた音が目の前で炸裂する。見れば青幡の背が目の前にあり、先程のは茅羽夜の鋭い爪を彼が袖に隠していた小刀で弾き返した音だった。奈月彦の縛めを、自力で解いたのだろうか。

「クソ、馬鹿力……!」

「青幡!ねぇこれどういうことなの⁉︎」

「そいつが術で無理やり血を揺さ振り起こしたんだよ!若宮くんは完全に暴走状態ってワケだ」

 振り向けば奈月彦は氷牢の前で依然と佇んでおり、鈴の動向を見ているだけだ。足下には一本の剣が地に刺さっていて、よくよく見れば氷牢から少しずつ、術式に力が流れているようだった。この術式は、暮星の霊力を使って発動されている。

「暮星の娘、鈴。そなたに斎妃たる資格があるか、今ここで示すがいい」

「────」

 鈴は表情ひとつ変えない奈月彦を睨んだ。こんな無理やり龍の血を活性化させて、茅羽夜の体にどれくらいの負担が掛かるか、わからない程この人は愚かじゃない。弟の命を一体何だと思っているのか。

 手を握り、力の限り奈月彦を睨み付けた後、鈴は茅羽夜に向き合った。青幡は薄い硝子のような結界を展開して何とか暴れる茅羽夜を抑えているが、彼が腕を振り回すたびに、皹が入る。もう長くは持つまい。

(やるしかない……!)

 鈴は首飾りを掲げる。意識を集中させて深くに潜らせると、足下に確かな龍脈を感じた。頭上には流れる水の音がする。

(そうかここ、真っ直ぐ降りて来たと思っていたけれど本当は少しずれているんだ。この真上にあるのは、あの大きな池と滝だ)

 蛍見をした、あの清廉たる白龍山から流れる滝が、この地に流れ込んでいる。

 目を閉じて耳を澄ませば、あの水流の中に沈んでいくような感覚がした。水の流れを意識して、力をのせる。

「アァア!」

「ッ!」

「姫宮!」

「大丈夫、掠っただけ!」

 結界が割れて、鈴の頰を鋭い痛みがはしる。怯みかけた心を叱咤して、鈴はその血を指の腹で拭い、玻璃に滑らせた。しゃーんと、鈴の音色が重なる。

 ひとつ、鈴が柏手を打って茅羽夜と自分を囲うようにして結界を張ると、鈴はまっすぐ彼の中の獣に向き合った。苦しそうな短い呼吸の間で、何かに抗う茅羽夜の声が痛ましい。思わず目を逸らしたくなるけれど。

「茅羽夜」

 鈴はまっすぐ、呑み込まれるギリギリ迄心を傾けて、彼へ手を伸ばす。まるで拒絶するかのように茅羽夜の喉から発せられた獣じみた咆哮に、大気が震えて、その振動によって衣服と一緒に肌が裂け、細かい痛みが全身を駆けた。

(ひるんじゃだめ、集中して……!)

 茅羽夜は怯えているだけなのだ。自分の中にあるものが自分を傷付けるから、怖くて、辛くて、苦しくて。子供のように泣き喚いているだけ。

 だから鈴は精一杯、微笑んで見せた。

 大丈夫、怖くないから、痛くないから、だからどうか、もう泣かないで。

 手を伸ばしたまま、鈴は飛び込むようにその頬に触れる。引き剥がそうとする肩に喰い込む爪に、鮮血が伝っていくのにも躊躇わず、その背中に手を回して彼の左胸に頰を寄せると、微かに水の音が聞こえた。

「────いッッ!」

 苦しげな呻き声が肩に降りた、その瞬間に、裂傷の比ではない激痛に頭が痺れる。茅羽夜の歯が、骨に当たったのか嫌な音がした。叫びそうになるのを唇を噛み締めて必死に耐えたけれど、跡になったら茅羽夜は悲しむだろうなとぼんやり思った。

(でもそれが彼の痛みであるのなら、構わない)

 この痛みがあなたの抱えるものなら、それを分かち合いたいと思う。

「ねえ茅羽夜。夫婦って、病める時も健やかなる時も、共に支え合って生きていくものでしょう。わたしはね、あなたの半分になりたいの」

 茅羽夜が隠していることは、きっともっとたくさんある。全部を話さなくてもいいよ、と鈴は言った。それは鈴の心からの言葉だ。

 でも、辛い時は、自分に真っ先に会いに来て欲しい。

 悲しい時は固く手を握って。

 月のない夜は歌をうたって。

 貴方が悪い夢を見ないように、祈るから。


「だからあなたの痛みを、わたしにも分けて」

 長い雪を掻き分けて、鈴はうんと背伸びをして顔を寄せる。 

 初めて触れた唇は、燃える焔のように熱かった。 



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