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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
63/114

十一

 交渉は決裂したと思われていたが、華織子は「話す代わりに証拠を掴め」という取引を忘れたわけではなかった。

 青幡は上司から直々に、中務省の手伝いに駆り出されることになり、資料の返却やら書簡を届けたりとあちこちに走らされていた。完璧に雑用係だが、元々、玄蕃寮でも雑用しか任されていないような使部だった青幡だ。別段処遇に文句はない。寧ろ玄蕃寮では出入りできなかった書庫の奥にも、中務省で発行された身分証明の玉があれば何の改めもなく出入り出来るのは有り難かった。

 とはいえ、証拠を掴めと言われても、雲を掴むような話である。

 禁術というのは、禁じられているから禁術なのだ。それに手を出したという、目に見えるような証拠を、あの先帝や斎王が残すだろうか?答えは子供でもわかる。

(海音、あいつが出入りしていた記録があるとしたらどこだ。陰陽寮の名簿か?それとも神祇官の方か……?だとしたら中務省の使部の身分じゃ無理だ)

 いやそもそも、陰陽寮の名簿にあるなら九条空鷹が見逃す筈がない。とっくに改められているはずだ。つまりあるとしたら、神祇の方が濃厚だった。

 まあ、それもそうかと青幡は外廊の柱にもたれ掛かって考える。

(本当に斎王が若宮くんの母親なら、自分の目の届く所に隠すだろうしな。つまりこれは暗に忍び込めって言ってるのかな?)

 もし青幡が神祇官の勤める院に忍び込んで万が一バレたとして、その身を改められても辿り着けないようになっている。宮に潜り込むための鍵をくれた人間も、青幡が自分に辿り着くのは大変困るので、すっぱりと蜥蜴の尻尾に出来るだけの用意をしている筈だ。

 やっぱりあの婆さんはとんでもない女だな、と独言る。青幡は自分に鍵を渡した者の名を出してはいないのだが。

 勿論、潜入は危険だ。バレれば確実に命はない。この一件に海音が関わっているならば、一族にまで危険が及ぶ事も考えられる。

 しかし元より、一族の悲願を果たすというのは荊棘の道であったのだ。

 この東和を()()()()()()()()()()()()()()()、陰に追いやられてきた月日を思えば、多少の危険は覚悟の上だった。

(────やるしかない)

 目を閉じて、すぐに開く。青幡は資料の書物を抱え直して外廊を走った。有能である必要はないが無能であってもいけない。早く戻らねば、と咎められない程度に足を早めると、道を挟んだ向こうに明るい声が聞こえた。

 見れば女官の一団がきゃいきゃい言いながら外廷から内廷へ戻る所だった。手に持っている衣を見る限り、縫殿寮の女官達だろう。宮中をあげて行われる神在祭に向けて、末端の者たちまで皆新しい衣を仕立てていると聞いていたので、その衣を受け取った所なのだろう。先日の宮市はそういったものを下々の官達が新調する機会でもあったのだ。

 そのまま通り過ぎようと思った青幡だが、その中にどこか見覚えのある顔を見つけて、思わず振り返った。どうか見間違いであって欲しい。しかし。

(────いやいやいや!何してるんだあの姫様は!)

 青幡の願いも虚しく、衣を抱えて早足に内廷へ戻っていく女官の中にいたのは、内廷の女官服を身に纏った鈴だった。



 * * *



 鈴が内廷の女官に紛れて早くも五日が過ぎようとしていた。

 勿論、正規の人事ではないが、完全な裏道というわけでもなかった。神在祭に向けて、後宮勤めの女官が人手の足りない内廷へ派遣される話は元々あったらしい。そこに真陽瑠がうまく滑り込ませてくれたというわけだ。

 これが璃桜や銀朱であったら話は別だが、鈴は未だにそこらへんにいる村娘でも通じそうな特別目立つ顔立ちでもなかったので特に怪しまれる事なく業務を続けている。……喜ぶべきか悲しむべきか計りかねるが。

 加えて、鈴は掃除でも雑務でも、体を動かすことが苦ではなかったし、不慣れでもなかった。多少内廷で迷って困ることはあれど、むしろ毎日香を焚いて香りを比べて過ごすよりもよっぽど充実している。

 しかし、鈴は別に内廷の女官になりたくてやってきているわけではない。陛下にこの小箱を渡すために潜り込んでいるのだ。

(でもほんっとうに陛下もお忙しいのね……)

 空鷹もそうだったが、陛下も内廷へは殆ど寝るためだけに戻って朝陽よりも早く出て行く。本当に寝ているのかと、心配になって来るほどだ。

(さすがに働き過ぎでは……体を壊しては元も子もないのに)

 欄干を丁寧に磨き上げながら鈴は考える。白耀殿は流石は帝の居住であるというべきか、豪華絢爛に纏められていた。真珠殿のように艶のある白塗りの柱に、朱色の几帳と惜しげもなく本物の金銀を散りばめた装飾。煌びやかな屏風も漆塗りの調度品も、それでいて決して下品ではないのが凄い。

 その白耀殿の掃除が鈴に与えられた仕事であり、同じように後宮から派遣されてきた女官の姿は見えなかった。どうやらどこかでさぼっているらしい。陛下が外廷にいるからだろう。

(女官の夢っちゃ夢だもんねー)

 あわよくば、というのは女官なら誰もが夢見ることだろう。派遣されるとなった時は随分と気合が入っていたようだが、いざ来てみたら殆ど陛下が留守にしているので、気が削がれてしまったらしい。

(……茅羽夜は元気かなあ)

 一息ついた時、春殿のある方を見上げる。白耀殿から東に行った所に、東宮御所はある。鈴が課題をこなして、名実ともに晴れて東宮妃となれた暁には、自分もこちらへ移れるだろう。

「は、そうだったどうやってこれを渡すかだった」

 脱線していた考えを元の場所に戻す。一介の女官が陛下の私室へ潜り込める機会は少ないが、何でもかんでも真陽瑠に頼むのも気が引けた。こればかりは自分で何とかしなくては。

 しかし陛下が戻って来なければ渡すものも渡せない。短い睡眠時間を削って頂くのも大変に申し訳ないし、けれど期限は刻々と近付いて来ている。

(……寝所に忍び込んだらさすがにだめよね)

 東宮妃という立場であっても駄目だろう。いやむしろ、東宮妃という立場だからこそやってはいけない線引きというものはある。

 ……女官として潜入するのは、ぎりぎり許容して頂きたいが。いや駄目か。あれ、これもしかして、バレたら陛下に取り入ろうとしているように見られないだろうか。茅羽夜はわかってくれるだろうが、これは周囲から不貞を疑われても、致し方ないのでは?

 ざっと青褪める鈴を呼ぶ声がどこからか聞こえてきて、鈴は意識をそちらへ切り替えた。さぼっていた筈の派遣組の女官だった。名前は確か。

鳴霞めいかさん、どうかしました?」

「大変、大変よ!陛下がお戻りになるわ!」

「ええ?でもまだ日は出てるのに?」

 緊急事態だ。掃除の半分も終わっていない。いやそういう事ではない。

「何でもお加減があまりよくないらしいの。医官の方とお戻りになるらしいわ」

「まあ、大変じゃない」

「だからそういってるでしょ!」

 両手を振りながら言う鳴霞は十九、二十歳といった女性だが、挙動で実際もっと幼く見える。元は白桂殿に仕えている良いとこのお嬢さんらしいが、確かに身なりは良いので、言動から窺うに、まあ随分と甘やかされて育ったのだろうな、といった感じだ。

 そういった感じなので、真陽瑠の傍には普段いなかった顔だったがどうも、そういった処遇に不満があるようだった。

 そのまま鳴霞は飛ぶようにどこかへ行ってしまったので、鈴は一人で掃除道具を片付けるはめになってしまった。身支度に行ったのだろうが、仕事してないんだからせめて片付けだけはしていって欲しいものだ。

 出迎えに行けるのは上級の女官だけなので、鈴は目に止まる場所にさえいなければいいのだが、ちょうど掃除していた場所が悪かった。鈴(達)が担当していたのは水場から遠く、たらいの水を捨てようと早足で水場に向かった時、誰かにぶつかってしまった。

 あ、と思った時には時すでに遅く、鈴はたらいの水を思いっきり頭から被った。

 それだけならまだ良かったが、さっきまで拭いていた簀子にまで水が掛かってしまったのだ。

「何をしているの!」

 司頭の悲鳴のような叱責が飛ぶ。申し訳ありません!と慌てて簀子を拭いていると、微かな衣擦れの音が向こうから聞こえた。

「────騒がしいな」

 静かな声が、あたりに落ちた。しんしんと降り積もる雪に吸い込まれるように、その声は細く深く、落ち着いていた。ぽたぽたと髪から滴り落ちる雫の音だけが、やけに大きく響く。

 あ、これ終わった、と鈴は思った。

「申し訳御座いません、この娘は後宮から派遣された者でして……!わたくしの指導不足でございます。この罰は如何様にも」

「良い、その娘を余の部屋まで連れてこい」

「お受け致しま、は、え……?」

 司頭が鈴の頭を掴んでならって平頭するも、予想外の言葉に間の抜けた声が鈴の頭上から聞こえた。鈴は徹頭徹尾、顔を伏せていたので彼の足元だけしか見えていない。平坦な声からは怒りの色は感じられなかったが、ひどく疲れているように聞こえた。

「聞こえなかったか?そのまま部屋まで連れてこい。着替えも用意させよ」

「え、あの、しかし主上、この娘は」

「疾くせよ。余は疲れておる」

「はい!ただ今!」 

 そしてそのまま遠ざかる足音に茫然としていた鈴はぐいっと引っ張り上げられる。流石この白耀殿を取り仕切る司頭だ、頭の切り替えは鈴よりもよっぽど早かった。視界の端に鳴霞のすごい顔が見えたが、できれば見なかったことにしたい。

 そのままあれよあれよと言う間に部屋に連れ戻され、鈴は衣を剥がされ、お湯の張ったたらいに放り込まれた後、唐風の薄紫色の衣と裳、白の腰帯を締められた。この間、鈴がちょっとでも口を開こうものなら司頭から叱責が飛ぶので、ただひたすらに従うしかなかった。しかしこのまま部屋に連れて行かれるのは困る。何しろあの箱が、当てがわれた部屋にあるのだ。 

「あ、あの!」

「今度は何ですか」

「ええっと紅が、部屋に……」   

「それでしたらこちらで用意しております」

「ですがあの母の形見に!もらったものでして!あれが手元にないと本当に手が震えたりしたり!お守りなんです!」

「…………」

 うんざりとしたような顔をした司頭は、しかし一瞬寄るだけですよといって鈴の部屋まで付き合ってくれた。何だかなんだ良い人なのだ。それゆえに、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 飛び込むなり箱を袖元に隠し、出てきた鈴に司頭は一瞬眉根を寄せたが、そのまま案内するように歩き出した。 

「主上、娘をお連れ致しました」

「入れ」

 行け、というように顎で示される。鈴は箱を落とさないように気を付けながら、ゆっくりと進み出た。

「面を上げよ」

「は……」

 大丈夫だ、前の蛍見の時も御簾越しだったので、陛下も鈴の顔まではわからない筈だ。そっと顔を上げると、中の部屋は至って簡素だった。調度品と呼べそうなのは御帳台と文机、唐櫃と厨子がひとつずつあるだけ。この部屋だけ見れば、銀朱の殿舎の方がよっぽど豪奢だ。倹約家であるといっても、まさかこれ程までとは。盗人が入ってきたとしても、ここが天下の今上帝の寝所とは誰も思うまい。

 その御帳台の前に敷かれた円座に、その人はいた。どうも具合が悪いのは本当らしく、華織子が使っていたような真四角の座布団クッションに背を預け、静かに目を閉じている。

(────よく似ている)

 陶器のような白い肌は疲れが滲んでおり、墨を浸したような黒髪は下され、緩く結われているだけとなっている。顔や体を作る線は細くて、三十前とは思えない。茅羽夜が幾つも歳上に見える分、一回りも離れているようにはとてもじゃないが見えなかった。

 しかし間違いなく、陛下は先代似だ。そして茅羽夜も。そうなればこの兄弟がよく似ているのも、当然と言えば当然だった。暮星の面影はあまり顔立ちからは見えないが、不意に開かれた星の色は、彼女と同じ深い紫色だ。

「そんな端で何をしている。もっと近う寄れ」

「ええっと、その……恐れながら陛下、わたくしは」

「とっておきの果実酒があるのだが、そなたは酒が飲めるか?東のは全く飲めんでな」

「!」

 鈴が誰であるか、彼はとっくに把握している。緊張が鈴の背筋を駆け下りた。ごくりと生唾を飲み込んで、体を起こす。

「……申し訳ございません、お酒はちょっと」

「では茶の方が良いか。今入れよう」

「へ、陛下自らですか⁉︎いえ、わたくしが!」

「そうか」

 側に寄ってお茶を淹れるが、陛下は手酌で透明の液体を器に注いでいた。なので、鈴は自分の分だけ入れればよかった。一口飲んでみるも、お茶の味なんてひとつもわからない。

 というか、具合が悪いのではれば、酒は控えて寝るべきではないだろうか。

「それで、そなたは此処で何をしておるのだ。手引きしたのはどうせ姉上であろうが」

「あ、あの真陽瑠の御方はわたくしの頼みを聞いて下さっただけで、お咎めは……!」

「いや、私は別に罰するつもりはないが。そうであったらあの場で切り捨てておったわ」

 それもそうだった。わざわざ湯浴みをさせて、新しい衣まで用意させなくても良かったはずだ。

 もう一杯あおりながら、陛下はくっと口の中で笑う。

「しかし東宮妃を女官に化けさせるとはな。姉上は本当に常識という枠に収まらない御方だな。男児でなくてよかったと、つくづく思う」

「男児であったら、どうなっていたでしょう」

「姉上が帝位についていたら、この国はとうに滅んでいただろうな」

「……」

 そうだろうか、と思う。下々の者にも寛容で、あらゆる目を持っている彼女は良い為政者になると思うのだが。

「不満げだな」

「いえ、ですが、理由をお聞かせ頂きたく」

「姉上は好き嫌いが激しい。好きなものに対しては温かい火の加護を与えてくれるが、嫌いなものは徹底的に叩き出さねば気が済まん、あの苛烈さはまさに焔の女だな」

「……陛下や殿下とは、真逆ですね」

 言ってから不敬だったと口を押さえたが、彼は全く気にしていないようにまた酒をあおり「そうだな」と頷いた。

「しかし東宮は姉上似だぞ。この三人の中で、似ていないのは私だけだ」

「そうですか?」

「ああ。あれは外は父親似だが、中身こそは姉上そのものだ。私の母も、似たようなものだったがな」

 はっと鈴は自分の役目を思い出す。袖に隠していた小箱を取り出して、陛下の前に置くと彼はぼんやりとそれを見た。

「陛下に、これをお渡ししたくて、わたくしは真陽瑠の御方に無理を申し上げたのです」

「……なんだこれは」

「先代斎妃、暮星様の小箱です。八雲様から東宮妃としての課題に、これを持ち主へ渡すように仰せ付かりました」

「この箱が、つまり私のものだと?」

「はい。箱自体は華織子様が暮星様へ贈ったものですが、これは、暮星様がお子である陛下の為にご用意したものかと」

「……は、」

 箱を手に取り、中身を見た陛下はふっと笑った。そして鈴が胸を撫で下ろした、その瞬間、大きく声を上げて笑った。

「は、はは、ははははは!これが!あの女が私の為に用意したものだと!?」

「陛下……?」

 雲行きが怪しいと鈴はじりじりと後退るも、すぐにその腕を取られた。その細い体のどこにそんな力があるのか、ぎりっと痛い程に掴まれ、鈴の眉根が僅かに寄る。

「あの裏切り者の女が私の為にこんなものを用意するものか。あの女の罪が、何であるのか知らぬのか?」

 暮星の罪状。確かに、それについて人々は皆口を噤んでいた。いや、誰もが知らなかったのだ。銀朱達は勿論、華織子ですら、罪を犯したとしか聞かされていなかった。

 いや、玉椿と華織子は知っているのかもしれない。けれど鈴には教えてくれなかった。

 腕を掴んだまま、陛下は鈴を押し倒した。座布団のお陰で床との衝突は免れたが、背中の冷たい感触に恐怖心が駆け上がる。

「あの女の罪はな、密通だ。他の男と通じていたのだ」

「────そんな、ばかな」

「本当だとも。私はこの目で、あの女が先帝以外の男と情を交わすのを、確かに見たのだから」

「でも、でも暮星様は、陛下をずっと想って」

 誰かから呪詛を飛ばされても、我が子の後ろ盾である為に宮に留まって、耐えていたはずだ。そこには確かに、彼への情があった。

 だが、陛下の目は冷ややかだった。

「それしか縋るものがなかったからだ。その証拠にそれ以外を見つかると、あっさりとあの女はこの城を出て行った。幼い私を捨てて」

 耳の奥で、心の臓が嫌な音を立てている。

 でも、ではこの箱は?

 彼女が我が子のために用意した、これは。

「可笑しな話だ」

 陛下は喉を鳴らして、低く笑う。鈴を見下ろす目は、先程の彼とはまるで違って見える。紫の星は、夜空の月よりももっとずっと冷たく、闇よりも濃くて深い。

 燃えているのは、怒りとも、少し違う。────その感情の名前は。

「鈴ッ!」

 この場にないはずの声が突然、鈴と陛下の間に割って入った。しかし陛下はそのまま鬱陶しげに顔を上げただけで、鈴の腕から指を離すことはない。

「茅羽夜……!」

「何をしているのです、陛下」

「話をしていただけだが」

「人の妻を組み敷いてするお話ですか?それならば私にもお聞かせ下さい」

「その妻自身がこの殿舎に潜り込んでおったのだがな」

「どうせ斎王の差し金でしょう。その手をお離し下さい」

「断る」

 陛下はそのまま鈴を引っ張り上げて立たせると、ひたりと冷たいものを喉に当てがった。

 鈴の目が開かれる。今自分の身に何が起きているのか一瞬飲み込めなかった。瞬間、茅羽夜のあちこちに跳ねている毛が、まるで威嚇する獣のようにぶわりと逆立つ。

「鈴を、離して下さい。貴方とは争いたくありません」

「私もないがな。これは東宮妃の課題に関わることだ。ふたりともこちらへ来なさい。ああ、そうだ。そこで隠れている者も来るといい」

 はっと見れば、茅羽夜の後ろには見覚えのある顔があった。恵まれた体躯と線の薄い瞳、人好きする柔和な顔は。

「は、は!?あなた、何でここに……!て言うかなんで茅羽夜といるの⁉︎」

「いやあそれはこっちの台詞ですけどね。姫宮が内廷にいるのを見て、こっちも東宮に乗り込んだわけですよ」

「いやいやいや!貴方、貴方ねえ!自分があの時何したと……ちょっと茅羽夜!そいつまず捕まえなさいよ!自分を殺そうとした人物となんで仲良く肩並べてるの⁉︎」

「積もる話は移動してからにしてくれないか」

 いや何でこの人こんなに動じないのか。この状況下において自分の意見を押し通す気でいるのはさすがこの国の天に座る御方、とでも言えばいいのか。

 鈴は観念して、陛下に続く事にした。陛下は部屋の唯一豪奢な御帳台を動かすと下から階段らしきものが出てきた。動かしたのは勿論、茅羽夜と青幡だ。殺しあった二人が仲良く作業してる構図は、鈴からしたら何とも複雑だった。

 まず青幡と茅羽夜を先に行かせて、その後ろに鈴と陛下が続く形となった。喉元に当てられた小刀はいまだに鈴の肌を冷やしている。

「何ですか、ここ」

「この皇がここに城を築いた理由だ」

「へえ。この下にお宝でも眠っているんです?」

「宝といえば、そうかもな」

 青幡の問いに、意外にも陛下は律儀に答えた。茅羽夜はちらちらと鈴を伺い、鈴は大丈夫だというように頷く。

(これが東宮妃の課題に関係あるなら、少なくとも今すぐ殺されることはない)

 陛下が手を滑らせれば鈴の命なんて容易く奪える。そもそも、自身が手を汚さなくても彼は鈴も、青幡も、簡単に断罪出来る立場にいるのだ。────茅羽夜でさえも。

 どれくらい降ったのか、段々と目が闇に慣れてきた頃、ようやくしっかりとした地に足を付けれた。どこかほっとすると、誰も手を触れていないのに、周囲を篝火が照らしていく。

 青幡をちらりと横目で見るが、彼は自分じゃないというように、両手を上げて見せる。

 そこは、とても広い空間だった。天井は高く、ぽっかりと空いた縦穴の壁を沿うようにぐるりと階段があり、あれを下ってきたのかと今更にぞっとする。足下には何か、よくわからない紋様が彫られており、その中心に前に鈴が作ったような丸い水牢と同じものがあった。

 違うのは、それが水ではなく、氷であること。

 そしてその中に、ひとり、誰かがいた。

「────嘘だろ」

 青幡が袖に隠していた刀を抜く前に、陛下は鈴を引っ張りそれの前に立った。青幡の全身から迸る怒気と殺気が鈴の肌を刺す。

「おい、そこを退けよ」

「断るが」

「退けって言ってんだろ。死にたいのか?」

「この娘も死ぬ事になるが、いいのか。私は構わんが」

「ッ!」

 青幡が歯軋りする。茅羽夜も剣に手をかけ、陛下を真っ直ぐ睨みつけていたが今は動く時でないと判断したのか、睨むだけに留めている。正しい判断だ。

 鈴は、自分でも驚く程冷静だった。彼に鈴を殺す意思が伝わってこないからだろうか。

「陛下、いい加減説明して下さい────何故わたくし達を此処へ連れてきたのですか」

「全て、そなたの課題の為だ」

「そこに閉じ込められている暮星様と、一体どのような関係が」

 陛下は、僅かに笑った気がした。

 鈴がどうして暮星の顔を知っているのか、彼は察しているのだろうか。

「まず順を追って話そうか。初菫の……いいや、九頭龍山の山守の娘、鈴」

「……」

「暮星の罪は密通である。これは、世間には公にしておらぬ。だがそれに関しては私よりずっとそこの青年の方が詳しかろう。青幡とやら、説明するか?」

 青幡の方を見ると、彼は冷静さを取り戻したのか、いつものように飄々とした態度で肩を竦めて見せるだけだった。

「どうぞ、陛下から」

「そうか……この女はずっと先帝によって菫青殿に閉じ込められていた。普通、後宮内であれば別段動きに規則はあっても制限はないが、先帝は彼女をいつまでも外へ出すのを厭うた。愚かなことだ、羽をそのままに、籠に入れただけではいずれ鳥は飛び出していくというのにな。……私が九つの時だったか。一体どこから忍び込んだのか、あの男は暮星に近付いた。ああ、そうだな、あの男は医官だったな」

「本業は違いましたけどね」

「そうだろうとも。そなたらの一族は医学の知識を持ち、剣にも術にも優れる」

(……あれ、確か茅羽夜のお師匠様も)

 そうではなかったか。剣と術師でありながら、医学にも精通している人物であったと聞いた気がした。同じことを思っていたのか、茅羽夜の顔に僅かに焦燥にも似た色が見える。

 それに、陛下は青幡の後ろにいるものを知っているような口振りであった。彼らが一体何者であるのか。

「あの男はこの女を此処から連れ出した。暮星は斎妃としての役目を放棄した」

「先帝が先に暮星を裏切ったんだ。囲って、虐げ、子供であるアンタにも会わせて貰えず、彼女はいつも一人ぼっちで!」

「別に、私はこの女が斎妃としての役目を放棄した事については、どうでもいい」

「じゃあ、アンタは何に怒っているんだ」

 その問いに、陛下は「そなたに答える義務はない」と切り捨てた。獣のように飛びかかりかけた青幡を制し、茅羽夜はまっすぐに、陛下と鈴、それからその後ろに眠るようにいる暮星を見ている。

 何かをはかるように。

「鈴、そなたはその箱が私のものだと言ったな。それは嘘だ、有り得ない。用意した頃の私の年齢からしてもそうだが、それはこれから生まれる子の為に用意されたものだからだ」

「……え?」

 一瞬何を言われているのかわからなかった。

 胸の奥が嫌に熱い。そんなわけがないと、鈴の心が、どこかで言い訳を必死に探している。

「それは、本当に、そうですか?箱に入れたのがそうであっただけで、もっとずっと前から用意していたという……ことだって」

「陛下の言う通りだよ」

 青幡が言った。その声に、嘘はなかった。

「どうして貴方が知っているの」

「俺は暮星と共に旅をしていたから。一年間だけどね。俺の養い親は蒼一郎と言って……彼が十七年前に暮星を連れ出した医官だったから」

 ずきんと、頭が痛む。

 そうだ、思い出した。暮星の名を聞いたのは、青幡に攫われたあの時だった。どうして今更、思い出してしまったのだろう。……忘れていた方が、幸せだったかもしれない。

「あの人は旅すがら自分の着物を解いて御手玉を作って、生まれてくる子の為にお包みを縫っていた。お弾きも、蜻蛉玉も、全部菫の咲く頃に生まれる娘の為に」

 ────ああ。

 すとん、と何かが胸の奥に落ちた。同じ首飾りを持つ理由だって、難しく考える必要なんてなくて。そうだろうな、と思った事、鈴の想像や妄想の域を出なかったことが、全部。

 星と星を繋ぐ線のように繋がって、その線を辿って、いま此処に辿り着いたんだと思った。

 鈴は後ろを見た。今も氷の中で眠る、美しいそのひとに、心で語りかける。


 それとも、貴女が此処へ、わたしを呼んだのですか?




 ────母様。 






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