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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
62/114

 白桂殿から東側にある外廊を鈴は迷いなく進んでいる。道ゆく女官たちが鈴を見て道脇に避け、顔を伏せた。さすがに一宮に仕える女官ともなると、その身のこなしも所作も一流のものだ。元々、行儀見習いで宮入りした良家の子女たちだろう。

「こちらでお待ちくださいませ」

 通された広間に腰を下ろす。初めて足を踏み入れた一宮は、思っていた以上に簡素な部屋だった。

 白を主体にして赤や濃い緑を使った几帳や調度品は無駄が一切なく、機能性を重視したものばかりだ。木材や材質が良いのは一目でわかるが、それでも最も皇后に近い女性、天下の一守家の姫君の宮とは思えないほど豪奢といった言葉からは程遠い。

 しかしそれは、どこか玉椿自身の内面を表しているようだと鈴は思った。彼女は初めて顔を合わせた時から、華美な装飾を嫌っているようだった。だが飾りつけなくとも、彼女は身の内から溢れる、洗練された美しさを持っていた。

 香を焚いていないからか、庭から吹き込む風に乗った花の香りが強い。

 ふとそちらへ視線を投げる。枢戸から艶のある緑の葉を茂らせた椿の木が見え、その隣には山茶花もあった。花はまだ先だがもう少し冬が深まれば、きっと雪と合わさって美しいだろう。

「玉椿様が参ります」

 侍女が丁寧にそう告げた後、一段高くなっている上座に玉椿が袴をさばきながらやって来た。指先を刺すような冷たさと艶やかさがここまでうまく調和しあっている女性を、鈴は彼女以外に知らない。

「先月の宴以来ですね、初菫の君」

「はい、御方様。本日はわたくしのためにお時間を頂き、有難うございます」

「構いません。用向きは」

 作法や仕来りに厳しいが、彼女はやはり無駄を嫌う傾向にあるらしい。挨拶もそこそこにすぐに用件を切り出す。

「一宮様は、陛下の東宮時代からの妃であったとお伺いしております」

「そうですね。わたくしが入内したのは陛下が十の時ですから」

 そうなると、玉椿は十三で宮に入った事になる。生家で過ごした時間より、既に陛下に連れ添った日月の方が長かった。

 鈴は襟元から銀の鎖を引っ張って、首飾りを玉椿の前に差し出した。

「この首飾りに、見覚えはありませんでしょうか」

「ありません」

 にべもない。玉椿の返答は簡潔だった。しかし首飾りを見た時、彼女の目が細まったのを鈴は確かに見ていた。

「本当ですか?」

「そのような事を聞きに、わざわざいらっしゃったのですか」

「斎王の御方には、お聞き出来ないと思いまして」

「それがどなたのものか、ご存知な上でわたくしにお聞きしているようですね」

 やはり、彼女は知っているのだ。

 これが元々、誰の手にあったものなのか。

「これはわたくしを育ててくれた山守の婆様が、わたくしを捨てた父母が置いて行ったものだと与えてくれたものです」

 側に控えていた小鞠がぎょっとした気配がした。玉椿の側に控えていた侍女も、僅かに目を見開いた。

 九条家の養女である事以外の鈴の素性は、一切伏せられていたからだ。

 勿論、調べは付いていただろうし、鈴の立ち振る舞いを見れば高貴な姫としての教育を何一つ受けてこなかったのは明らかだ。銀朱も初めの頃はそれをあげつらっていたし、玉椿も知っているだろう。

「これは本当に、先代斎妃、暮星様のものでしょうか」

「貴女がそう思っているなら、そうなのでしょう」

「一宮様、先代は一体どのような罪を犯したのですか?」

「それはわたくしではなく、貴女の侍女にお聞きした方が良いのでは?」

 玉椿の言い分は最もだ。言葉に詰まっている鈴を一瞥して、玉椿はぱちんと扇を閉じる。

「斎王のお咎めが及ばない相手を選んでいる、その狡猾さは評価しましょう。ですが初菫の君はひとつ、勘違いなさっていらっしゃるようですね」

「勘違い……?」

「貴女は、ご自分が訊ねれば誰かが何でも答えて貰えると思っていませんか?」

 玉椿の言葉に、鈴は目を見開いた。そんな鈴を一宮は冷ややかに見下ろしている。その柘榴色の瞳には、侮蔑すら浮かんでいた。

「教えてくれと懇願すれば、誰もが自分の知っている事を丁寧に教えてくれるのが当たり前であると思ってらっしゃるのでしょう。余程恵まれた環境でお育ちになったですね。自分の行動が全て、正しいことだと思っている。それが如何に傲慢で、恥知らずな振る舞いであるのか理解出来ていない」

「お言葉ですが、そのような事は」

「ご自分の立場の為に誰かを傷付けても良いとは、欠片も思っていないと?」

「思っていません」

「それならばその首飾りの事も今貴女が抱えている箱のことも、今すぐにお忘れなさい」

 言葉を失った。佐草から出された課題の事は、ごく一部にしか話していない。佐草が誰かにもらしたなら別だが、彼女は誰彼構わず話すような人物とは思えなかった。

 それに、玉椿が言っているのはつまり、鈴に斎妃たる資格を失えと言っているようなものだ。この課題を達成出来なければ、此処に鈴の居場所がなくなる事を、彼女は理解している。

(わたしが斎妃であることは、誰かを傷付けるの?)

 少なくとも玉椿の言葉はそう言っているように聞こえた。この箱を持ち主へ渡そうとすることで、傷付く人間がいる。 

「お言葉の真意がはかれないのですが」

「貴女は御自分で考える事も出来ないのですか?」

「一宮様が、わたくしをお嫌いだということは理解致しました。けれどわたくしが知ろうとすることで、誰かを傷付けるというのは、今の状態では納得出来ません。それは一体、どなたの事ですか」

 玉椿自身ではないだろう、と直感にも似た気持ちがあった。玉椿がそうであるなら、傷付くなんて言い方はきっとしない。

 この誇り高い人が、そんな自分の傷を曝け出して、情に訴えるような真似はしない。

「知らず知らずのうちに他人を傷付けた事がないかと問われれば、わたくしは返す言葉もありません。わたくしは何も持たないただの小娘です。知らない事は、きっと知っている事よりもずっと多いでしょう」

 何かを成し遂げようとする時、そこには必ず利益と不利益が生じる。鈴が暮星に降りかかった全てを暴こうとすることは、それを隠し通してきた人間のこれまでを踏みにじることだ。そこに善悪を持ち込む気はない。

「けれど貴女がご自身の胸の内を隠したまま、わたくしを傲慢だと罵るのならば、玉椿様はただの卑怯者です。わたくしが与えられたものをこなしたいと思う気持ちに、見合うだけのものを玉椿様もお見せください」

「成る程」

 ぱちんぱちんと檜扇を開閉しながら、玉椿は少女を見た。逸らすことなく、柘榴の星を見上げる菫に迷いはない。

 その瞳を、玉椿は知っていた。

「わたくしは、あの暮星という女が嫌いでした。あの女はいつだって自分を憐んでばかりで、自ら考えることもなく、ただあの方を傷付け、裏切った」

(あの方?)

 先帝だろうか。────いや、きっと違う。

 ああ、そうかこの人は。

「貴女、あの女にそっくりです。これ以上、どうしてあの方を傷付けようとするの」

「暮星様は陛下を愛していらっしゃった」

 彼女が守りたいもの。

 暮星の願い。

 それらは同じもののようで、全く違う。少なくとも玉椿はそう考えている。

「箱の記憶を見ました。暮星様はいつも、菫青殿の庭で、東を見つめていらした。陛下を想って」

「だとしても」

 玉椿の声は雪よりも冷たく、また怒りを孕んでいた。真陽瑠に向けられているものよりも、もっと深く、激しい怒りの濁流を感じた。

「行動に起こさなければ何も救えない。想うだけでは、何もしていないのと同じです」

「ですが目に見えるものだけが愛情ではない筈です。暮星様の思いを玉椿様がご存知でないように。玉椿様がこうして陛下を想ってわたくしを遠ざけようとした行動も、同じではないのですか」

 一瞬、玉椿はひどく面食らったような顔をした。彼女のそんな顔を見たのは初めてだったので、これには鈴も驚いた。

「これは一本取られたのう、一宮」

「!」

 突然降って湧いた声に鈴が振り向くとそこには真陽瑠が笑みを浮かべて立っていた。はたはたと揺れる扇に、彼女の髪が僅かに揺れる。

 彼女の襲来に、どうやら玉椿も気付いていなかったらしく、驚いた表情はすでに顔の裏に引っ込んでいたが、眉根を寄せて真陽瑠を睨んだ。

「宮様をお招きした覚えはありませんが」

「声は掛けたぞ。しかし一宮は九宮を虐めるのに忙しかったようでのう」

「虐める?人聞きの悪い事をおっしゃらないでください」

「ほう、無自覚とはたちが悪い。性悪な兄嫁にいびられてほんに九宮も可哀想にのう」

 よよよと扇の向こうで泣き真似をする真陽瑠に、玉椿の目がどんどんと不機嫌な色に染まっていく。さっきまで一守家の姫に毅然と立ち向かっていた鈴だが、真陽瑠と玉椿の間に挟まれるのは大変に困る。

「即刻お帰り願います」

「おお、安心せい。九宮を引き取ったらすぐに帰るゆえ」

「えっ⁉︎」

 思いもよらない言葉に鈴が素っ頓狂な声を上げる。

「でしたらどうぞ、愚図愚図とならさずにお引き取り下さい」

「ま、待ってくださ」

「ほれほれ、一宮もああ言っていることだし、こんな潔癖臭い所に長居は無用。帰るぞ菫の」

「あああああ……!」

 鈴の意思など無視して、その小さな身体のどこにそんな力があるのか、真陽瑠は鈴の衣の襟首を掴んで引き摺っていく。その後ろを小鞠が慌てて付いてくる。

向こうに立ち上がった玉椿の姿が見えたが、残念ながら目が合うことはなかった。

 


 * * *


  

 白桂殿に連れてこられた鈴は借りてきた猫のようにこじんまりと座っていた。目の前の真陽瑠はころころと笑っているが、今はその笑みがより怖い。

(一体いつから話を聞かれていたのかしら……ああでも絶対ばれてるわよね、これ)

 課題のためとはいえ、鈴が暮星について嗅ぎ回っていたのはバレているだろう。そもそも、この後宮で彼女に隠れて調べられるだろうか。

(いや、普通に無理では?)

 ならもう腹を括るしかない。鈴は背筋を伸ばして金平糖を口に放り込んでいる真陽瑠を見た。

「真陽瑠の御方、お願いがあるのですが」

「何じゃろうなあ、陛下に会いたいとか、かのう?」

(やっぱりバレてる……!)

 冷や汗が背中を伝う。その声に怒りや不快感は滲んでいない、いつも通りの真陽瑠の声だが、どこかぞわぞわとした感覚が拭えなかった。

「そう構えんでも良いぞ、別に怒っておらんからの」

 そういう台詞って、大体怒っている方の言う台詞なんですが。などとは言わない。勿論。

 しかし真陽瑠は本当に怒ってはいないようだった。銀朱から聞いた話だと、当時は名前を出しただけで解雇する程だったらしいが、確かにあれからすでに十何年も経っているのだ。真陽瑠の中でも、整理のついた話題なのかもしれない。

「その、でしたら御方。陛下に、何とか御目通り願えないでしょうか。出来たら自らの手でお渡したいのです」

 言付けるという手も、勿論考えた。しかしその場合ちゃんと陛下の元へ渡るのかという不安もあった。縁寿や空鷹に頼めば渡してくれるかもしれないが、そのあたりを佐草に何か突っ込まれたら困る。

 鈴に出来ることは少ない。だからせめて、与えられたことは完璧に遂行したかった。

「あやつ、今忙しいからの……後宮に渡ることもここ最近ない程じゃし、時間を作ってくれと頼んでも、来月になるじゃろうな」

「それは……困ります。月末までに、お渡ししたいのです」

「うーん」

 腕を組んで唸る真陽瑠に、追い縋るように頭を下げる。

「お願いします、わたくしに出来ることなら何でも致します!」

「ほう?何でもか」

(あれ、何だか嫌な予感がするわ)

 何でもするという言葉に嘘偽りはないし、撤回するつもりも全くないが、それでも真陽瑠が浮かべた笑みを見ると回れ右をしたくなった。真陽瑠はにやりと弧を描いた唇に指を当てて、うっそりと目を細めて。

「では、なんでもして貰おうか。初菫の」

 天女の如き笑みで、そう言った。    


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