表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
61/114

 三日間の宿下りを終えて、菫青殿に戻ってきた鈴は小箱を前にしてううんと唸る。この箱の持ち主であろう方が判明したのはいいが、おいそれと会えるような方ではない。空鷹に取り次ぎを頼むべきなのだろうが、彼とは結局一度も会えなかったのだ。屋敷には戻っていたようだが、鈴が眠った後に戻り、起きる前に出仕していったのだという。一体いつ寝ているのだろうか。

「う〜〜〜〜ん……」

「まあ、初菫の方、品のない声を出すのはおやめ下さい。猪か何かかと思いましたわよ」

 刻葉の眦が吊り上がるのを見て、鈴は楪も四十頃にはこうなるのか……と悲しい気持ちになった。いや、きっと楪はもっと柔らかい眼差しの女性になるに違いない。きっとそう。しかし母娘であるのにどうしてこうも性格が違うのか。

(反面教師かしら……)

「何か言いたい事があるのならはっきりおっしゃったらどうです」

「いえいえ何も御座いませんわ、ほほほ」

 扇で隠しながら笑うと、刻葉は目を怒らせたまま、しかし何も言わずに部屋を出ていった。珍しい。いつもなら嫌味のひとつやふたつ、去り際に置いていくのに。

(刻葉は先代九宮様のことをどう思っていらっしゃるのだろう)

 かつて共に育ち、仕えた主のことをどういう風に思っているのか。そういえば、彼女が先代九宮であるなら、暮星もここで過ごしたということだ。

(どういう方だったのかしら……)

 ふと気になって、鈴は首飾りの鎖を外した。

 十七年も経っていれば彼女の気など残ってはいないだろうが、それでも何かわかることがあるかもしれない。そう思って、鈴は首飾りを手に取り、小箱の上に置いた。手近にあった裁縫箱から取り出した布を裁つ鋏に、そっと指の腹を押し付ける。

 ぷつ、と切れた指を術符に押し付けて、描いてから折りたたみ、息を吹きかけた。

「────教えて」

 この箱の持ち主、先代九宮のことを。

 箱と首飾りに手をやり、深く意識を沈めるように集中すると、全身に風を感じる。

 咄嗟に目を閉じて、次に見たのは見慣れた菫青殿の景色のままだった。

(……いいえ、ちがう)

 置かれた調度品も、掛けてある唐衣も、鈴のいた菫青殿のものではない。開け放たれた蔀戸の向こうを見れば、楓は固い蕾のまま、薄紅の花木から鶯の声が聞こえる。

「ここは……」

 立ち上がって廂に出ると淡い縹の几帳がふわりと舞い、鈴の視界を覆う。それが緩やかに落ちると、その向こうに人影があった。

 桜と浮雲の紋様を描いた濃淡の違う紫の衣と緋袴を纏い、長い髪を緩やかに編んだ女性だった。透き通る白い肌が日差しに眩しく、額には朱色の紋様が施されている。

 庭の方を見ていた彼女が、不意にこちらを見た。あの、と声を掛けようとしたところで後ろから「九宮様!」という鋭い声が飛んでくる。

 びくりと肩を震わせてそちらを振り返ったところで、何かが体を通り抜けた。

(……⁉︎ え、うそ、体が透けてる……)

 はっとして見れば、先程の女性の前に別の誰かがいた。先程、鈴の体を通り抜けていった人らしい。

「九宮様、また言いつけを破られましたね!」

「あら、今日はわたくし、どこへも行ってなくてよ?刻葉の勘違いじゃなくて」

(……刻葉⁉︎)

 目を眇めている妙齢の侍女は彼女の言葉に腰に手を当てて仁王立ちした。

「わたくしは、言いつけを破りましたねとは言いましたが、どこかへお出掛けなさったのかとはお聞きしておりませんが」

「ちっ!誘導尋問とは小癪な……」

「まぁまたそのような言葉遣いをなさって!」

「あーはいはい、ごめんなさい。わたくしが悪かったわ」

「はいは一回です、暮星様!」

 暮星と呼ばれた女性は扇を片手にいかにも面倒臭そうな顔をしたが、すぐに悪かったわと言って謝った。何だか既視感を覚える光景に、唖然とする。

(暮星様と、刻葉……?ならここは過去の菫青殿?)

 そう言われて見れば、刻葉と呼ばれた女性の顔立ちは先日会った楪にそっくりだった。やはり母娘なのだな、と妙に実感した。

(そしてこの人が暮星様……)

 あの空鷹の姉で華織子の娘。先代の斎妃たる女性。

(もっと穏やかでお祖母様みたいな方を想像していたけれど……)

 目の前で刻葉のお小言を喰らい、耳を両手で塞ぎながら「あーあーあー」と聞こえないフリをしている女性が彼らの血縁者だとは、大変失礼だがとても思えない。国長の家に生まれ、幼い頃から帝に嫁ぐ為に育てられてきたはずなのに。

 だが鈴としては、そんな彼女に好感が持てた。どうやら彼女達に鈴の姿は見えていないらしいが、つい「わかる、刻葉のお小言って長いわよね」と同意を示してしまう。

「大体、暮星様はいつもいつも……」

「もう、ちょっと庭に出ていただけ!でも殿舎からは出てないわ、本当よ。大体ここを抜け出せるわけないじゃない」

 階を降りて、暮星は空を見上げる。澄んだ空には鳥の影が見え、白い雲が緩やかに流れている。痛ましげに眉根を寄せる刻葉は、ただその後ろ姿を見下ろしている。

「わかってるわ。此処を抜け出せないことくらい。きっと一生、ここで閉じ込められて生きていくしかないんだもの……」

「……あの、姫様、わたくし出過ぎた真似を……」

「……あーなんか桜餅が食べたい気分だわぁ、哀れな囚われの姫様のために誰か持ってきてくれないかしらー」

「嘘泣きですね!?」

「あったかーいお茶も欲しいわねー」

「ああもう、分かりました分かりました!今お持ちしますから姫様はお部屋で大人しくして下さい!」

「はぁい」

 くるりと振り返った女性は満面の笑みを浮かべ、階を登る。憤然とした刻葉が彼女の後に続くと、不意にふたりが立ち止まった。

 ふたりの影から顔を出して見ると回廊の向こうから従者を連れた男性がひとり、こちらへ歩いてくるのが見えた。顔に僅かに皺の見え始めた、壮年とも呼べそうな年頃だ。

 驚いたのは男の顔が、茅羽夜にそっくりだったことだ。確かに目尻の皺や輪郭など相違点は多々あれど、雰囲気や目付きが確かに茅羽夜の面影がある。茅羽夜があと三十年経ったら、きっとこの顔になるだろうといった面差しだ。

 男は暮星と刻葉を見て、眉根を寄せて怪訝な顔をした。

「何をしている、暮星」

「あ……いえ、あの、庭の桃が咲いたので」

「出たのか?」

「その……少しだけ」

「殿舎の外へは出ていないだろうな?」

「はい」

「あまり殿舎の中もうろうろするな、部屋でおとなしくしていろ。そなたはそこに居るだけで良いのだから」

「はい、陛下」

(やっぱりこの人が、先帝……)

 今上帝と真陽瑠、そして茅羽夜の父である人。こうしてみると、真陽瑠にはあまり似ていない気がした。だが先帝と真陽瑠の間に茅羽夜を置くと、確かに血の繋がりを感じる。赤と青を混ぜたら紫になる、といったような。

 先程の明るい顔はどこへいったのか、暮星は俯いて、淡々と男の言うことに従っていた。一頻り言って気が済んだのか、男はそのまま従者を引き連れて殿舎を出て行く。一体何しに来たんだ。

(まさか、暮星様が逃げ出さないか見張りに来たの?)

 刻葉の言葉からして、暮星は何度か殿舎を抜け出しているのだろう。だがそれのどこが悪いのだろうか。鈴だって誘われれば七宮や六宮まで茶会に行くし、真陽瑠とおやつを食べることもある。後宮から出さえしなければ、あとはある程度自由であるはずだ。

 その上に殿舎の中での行動まで指図してくるなんて、とんでもない話だった。いくら茅羽夜にそっくりでも、一気に好感度が下がる。

(皇后が亡くなるまではまともだったって聞いたけど、あれじゃ嘘ね! 噂に違わぬ最低男じゃないの!)

 見えないのをいいことに拳を振って威嚇する。暮星は俯いたまま、ぎゅっと袴を握っていた。

「……奈月彦は元気にしているか、聞き損ねてしまったわ」

 寂しそうに微笑んで、暮星はそのまま踵を返して部屋へ戻っていく。そして円座に座り、脇息に凭れかかるとそっと目を伏せた。

「あの子、元気にしているかしら。確か今年で九つになったわよね」

「はい。大旦那様も、お喜びでいらっしゃったそうです」

「祖父である父様は会えるのに、母であるわたくしには会わせて貰えないのね」

 きゅっと唇を結ぶ暮星に、刻葉はなにか言葉を探すように彷徨い、結局そのまま口を閉じてしまった。会わせて貰えない、という言葉に鈴は眉を吊り上げる。彼女をこの九宮に閉じ込めている上に、息子である陛下への面会も断たれているのか。

 鈴は部屋に入り、きょろきょろと見回す。手入れの行き届いた室内は清潔であるが、人気は殆どない。まるで鈴のよく知る菫青殿と同じように。

(そもそも、どうして暮星様はこの時期に菫青殿にいるのだろう)

 暮星は歴とした九条家の娘だ。入内した当初は九宮で過ごしていただろうが、奈月彦、つまり陛下が今年で九つになるならばもうすでに彼女は皇后であったはず。

 斎妃、それも皇后である暮星が住まうべきは菫青殿ではなく、白桂殿のはずだ。

(白桂殿は後宮の中央……あそこを通らなければ後宮からは出られないし、客人を迎えるための舞台もある。もしかして、他者との関わりを断つために?)

 先帝は何故、それほどまでに彼女と他人を隔てているのだろう。わからないまま、鈴の見ている景色が移り変わっていく。



 先代が顔を出さなければ、暮星はとにかく明るい女性だった。和歌も本を読むのも好きらしく、彼女は殿舎の中でも工夫を凝らして暇を持て余すことなく過ごしていた。

 中でも刺繍の腕前はどんな複雑な図案も難なくこなして見せ、自分の衣の刺繍も手掛けていた。鈴も針仕事は嫌いではないが、暮星のそれは最早これだけで食べていけそうだった。

「素晴らしいですわ、姫様!この細やかな相良刺繍の美しいこと!献上品に混ぜたとしても、誰も気付かないでしょうね」

「ふふ、ありがとう。そう言ってくれるのは刻葉くらいよ」

(あの刻葉が手放しに褒めてる……)

 だが確かにそれくらい、暮星の刺繍は見事だった。鮮やかな大輪の牡丹、菊、桜など着物だけでなく手巾や帯、小物にも施されているどれもが丁寧で細やかで、鈴なら途中で音を上げている。

「姫様、そちらは?」

「あ、これは……」

「また陛下へですか?」

 彼女の手元にあった手巾には龍が刺繍されており、周りには唐草紋様や蝶が散らばっている。目を吊り上げて咎めるように言う刻葉の声に、暮星が困ったように微笑む。

「受け取って頂けないのは、わかっているのだけれど……」

「姫様はこんなにもお慕い申し上げているというのに、本当に陛下は贅沢者ですわ。わたくしなら、額に入れて飾りますのに!」

「刻葉ったら、怒られちゃうわよ」

 そう言う暮星は少し嬉しそうだ。刻葉との信頼関係の深さが窺えて、鈴も思わず微笑む。自分にとっての小鞠のような、気の置けない相手がそばにいるということは、それだけで心の支えになる。

 くすくすと笑う暮星がそっと針を戻そうとした時、弾かれるように顔を上げた。遅れて鈴も、刻葉も気付いたように部屋から飛び出す。

「また来たわね」

 暮星はすっと目を細めると、廂に出て空を睨む。そして()()を取り出して、術符を空間に投げると、しゃん!という鈴の音が辺りに響いた。術に隔てられた黒い塊が、その場に粘着質な音を立てて落ちる。

 それを見た刻葉が息を呑んだ。鈴も、口元を押さえて後退る。

 それは鴉の死体だった。いや、死体そのものではない。死体を使った呪詛だ。

「……今月で三度目ね」

「もう我慢の限界です!陛下に申し上げるべきです!」

「いいのよ、刻葉。相手はわかってるから」

「わかっているからこそお伝えするべきでしょう!こんな、こんな惨い真似を……」

「下手に陛下に申し上げればかえって悪化するわ。あの子もぎりぎりわたくしが弾き返せる力量を見計って飛ばしているだろうし、平気よ」

「姫様!」

 懇願するような、悲痛な声だった。それに暮星は困ったように微笑むばかりだ。その笑みに、刻葉も言葉を失くす。

「平気よ。わたくしには、奈月彦がいるもの。わたくしが死ねば、きっとあの子は闇に喰い殺されてしまう……それだけは、駄目」

 ぎゅっと胸元の何かを握って、暮星は息を吐いた。まるで自分に言い聞かせて、奮い立たせるような声だった。

 そして遠い空の向こうを見上げる。そこで、鈴はようやく気付いた。彼女がいつも見ている方角は、内廷がある。

(陛下が住んでおられた筈の東春殿がある方角だわ……)

 暮星が扇を振ると、呪詛の残滓は灰となって霧散して行った。ごめんね、と微かに呟いた声が胸に痛い。

 部屋へ戻る彼女を追って行くと、ふとその手元にあったそれがきらりと光って見えた。

(────え?)

 薄い玻璃を縁取る蔦模様の銀細工。暮星の手の中できらきらと光を反射して、涼しげな音を立てている首飾りは。

(なんで、何で、あなたが、それを……)



 暮星の首に下がっている、銀の鎖に繋がれたそれは、鈴がいつも首から下げているものと全く同じだった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ