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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
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 夜半、青幡は与えられた部屋からこっそりと抜け出し、見回りの衛士たちをうまく避けながら夜の宮城を駆けた。

 門を守る篝火だけが点々と見えるだけの寝静まった宮は静謐に満ちており、つい息を潜めるも、青幡にとって暗闇は恐ろしいものではない。月黄泉の支配下にある夜はいつだって青幡の味方だ。体の中に流れる半分の血が、煌めく星の如く瞬く。

 人の芸とは思えないほど軽やかに城壁を飛び乗って、塀の影から青幡は西側を見やる。

 森に囲まれた九条の別宅の護りは宮に掛けられている術とは少し毛色が違っていた。

 けれどそれは、青幡にとっては親の顔よりも見慣れたものだ。

(東側が薄い)

 誘われているなと青幡は唇を舐めた。城壁を飛び降りて、真っ直ぐ駆ける。

 別宅を囲う白壁を指で小突いてみると、ぴりっとした痛みが疾る。けれど耐えられない程ではない。術に術をぶつけて少しだけ緩めて、青幡はその亀裂から体を滑り込ませた。それにより頰や腕に裂傷がはしるが、大した傷でもない。

 九条の別宅にしてはこじんまりとした庭を横切り、金木犀の香りに誘われるがまま、東の四阿あずまやの側に身を隠す。

「────こんばんは、いい月夜ね」

 四阿に腰掛けている老女は、青幡が身を隠した場所に向かって声を掛けた。その瞬間、風を切る音がして咄嗟に後退る。見れば青幡が立っていた場所に、小刀が三本突き刺さっていた。

 闇夜に紛れて、顔を庇った腕に衝撃があった。青幡の顔を蹴り飛ばそうとして受け止められた足は、そのまま太腿で青幡の顔を挟むようにして肩にかけられ、身を捩るようにして投げ飛ばした。

「……へえ」

 襲撃者は女だった。それも、青幡と同じくらい、いや少し下かもしれない。いずれにせよ年若い娘である事には変わらなかった。しかし狙いは的確で、幼い頃から闇夜に慣れている者の動きだった。

 受け身を取ったあと切れた口の端を舐めて、腕に貼り付けて袖に隠していた術符を剥がして応戦の意思を見せた所で、老女の静かな声が響いた。

「楪、そのくらいで良くってよ。その方は私がお招きしたの」

「……しかし大奥様、この者は」

「大丈夫。でもすぐ側にいてちょうだいね」

「承知しました」

 それだけ言うと女の気配はふっと煙のように立ち消えた。しかし、そう遠くへ行っていないことは感知出来る。

「お名前をお聞きしても良いかしら?」

「……青幡」

 偽名を名乗ることは無駄だと青幡は理解している。黒に銀と紫の華紋の刺繍を施した上衣、東和では久しく見ない長い裙と長い灰髪を菊の花簪で纏めた老女───九条華織子は月を背に、優美さを称えた佇まいでそこにあった。

「そろそろ来る頃だと思っていたわ」

「俺を知っていた?」

「いいえ、ですが宮に何だか()()()()気配があったから。でも、随分薄いわね」

「俺は母親がそうなんだ。その母親も、混血だった」

「そう。今や血が薄まっているのは皇だけではないということね」

「馬鹿言うな。あんたらとは違う」

 吐き捨てるように言うと、華織子は翳で隠した口元に笑みを浮かべた。

 少女のような無邪気に弾んだ声に似合わない、ぞっとする程美しい笑みだった。

「それで?あなた方にとっては裏切り者の私に、何の御用?」

「聞きたいことがある。東宮、夕凪宮の出生について」

「殿下の出生について?殿下がお生まれになった時、私はもう宮を追放されていたわ」

「ああそうだな、だがアンタが知らない筈がないんだ。暮星の行方は、東宮の生まれたとされる十六年前の神在月に途絶えているんだから」

 青幡たちが掴んでいた暮星の足取りを、この老女が辿り着いていない筈がなかった。その証拠に、彼女は対して驚きもせず、笑みを絶やさない。

「十七年前の時点で、宮城を逃れた暮星は確実に生きていた」

「その情報の真偽は?」

「目に見える証拠はないよ。でも生きていた。……俺たちと一緒に宮から逃げ出したんだから」

 紫紺の瞳がすっと細まる。背筋が凍るような凍て付いた瞳に、青幡は気圧されるまいと奥歯を噛む。びりびりとした殺気にも近い気配に体の奥が震える。

「……そう。あなた、彼の拾い子なのね」

「そうだ。今は里に身を寄せているけどね。アンタからしたら、娘を誑かして攫った悪い男ってとこだろうけど、俺にとっては恩人なんだ」

「あら、あの子が自分の意思で宮を出て行った事くらい、私にも分かっていてよ。あの子がただ攫われる娘であると思って?」

 自信たっぷりに言う華織子の顔は、やはりどこか似ていた。

 十六年前まで、共に旅をしていた彼女と。

「そうだな、違いないや。けど、彼女は最終的に消えてしまった。恐らく先帝に見つかったんだ。そうだろう」

「そこまでわかっていて、私に何をお聞きになりたいの?」

「言っただろ?俺達は東宮の出生を知りたいんだ」

「殿下の出生を知ってどうなさるおつもり?」

「そんなの決まってる。我らの悲願を果たす為に」

あやめると?あなた達はいつもそうね。千年以上も前から変わらない。憎悪、嫌悪、そういったものが凝り固まって……そうしてあなた方が生んだ化物が多くの命を奪ったことを、私は忘れていなくってよ」

 華織子が指を振ると、その白い指の周りにどこからともなく水が生まれる。青幡の属性は焔だ。戦えば分が悪いのはこちらだった。

 しかし、華織子に敵意は見えない。先程感じた殺意も今は薄れていた。

「ですが、今までただ殺すべきと主張していたあなた方が、殿下の出生を知ろうとする傾向は好ましいものです。これも星の導きでしょう」

 くるりと指を回して、水で形作られた龍を水芸のように浮かべる。細長い体をくねらせて、龍は夜空を泳ぐとすっと溶けて行った。

「殿下の母君は斎王の侍女と伝えられており、彼を産んですぐに亡くなっています。以降、彼は内廷の西端の離宮に存在を隠すようにして閉じ込められて育ちました。実際、彼の存在を知らない皇子や妃たちもいたようです」

「担ぎ上げられるのを恐れてか」

「それもあるでしょうが、時折、かの離宮に出入りしている者がいたと私の知人から聞いたことがあります」

 知人という言葉に青幡は鼻で笑う。間者の間違いだろう。

「その者は?」

「斎王と先帝お抱えの剣術師です」

「……剣術師?」

 その字の通り、剣の優れた術師のことだ。葬送や失せ物探し、招魂などと行った巫術よりも、武芸に絡めた攻撃に特化した術を扱う。言えば青幡も巫術師かと言われたら、剣術師の方に近い。剣はあまり得意ではないけれど。

「聞けば医学にも明るく、先帝が随分と贔屓になさっていたとか。あなた方も、よく御存知の方ですよ」

「名は」

「────海音」

 かっと青幡の体から怒気が立ち昇る。眉を吊り上げ、一歩踏み出すと、影で動く気配がした。それを手で制して、華織子は落ち着き払った様子で青幡の一挙一動を見ている。

「あの男が宮にいただって?一体何の冗談だ」

「冗談?ええ、そうね、冗談であったらどんなに良かったでしょうね。けれど事実よ」

「何の為に」

「話は最後までお聞きなさい。殿下が生まれたとされる十月の末日、宮は大嵐に見舞われたと聞いています。強すぎる龍の血が起こしたのでしょう。北の地にいても、その龍気は感じ取れました。先帝の子と言えど、あれ程強い龍の気は私も感じた事がありません。彼は生まれながらに龍の子だった」

 華織子も長達と同じ見解らしい。内心舌打ちをもらす。どんなに青幡が嫌っても憎んでも、この女はまごうことなく、本物なのだ。

「何故彼がそこまで強い気を宿しているのか?ええ、私もずっとそれを探っていました。確たる証拠を掴めずにいましたが、しかし仮説は立てることは出来ます」

「仮説?」

「あなたが証拠を掴んで下さるなら、お話致しますわ」

(喰えない婆さんだな!)

 にっこりと微笑む老女に青幡は歯軋りした。ここまで話しておいて、お預けを食らわせるとはとんだ策士だ。しかも仮説の立証を、青幡自身にさせようとしているのがまた腹立たしい。

 とは言え、青幡の手札だけでは真相に辿り着ける確率はやや心許ない。そう思っていたからこそ、里にとっては裏切り者同然である九条華織子の元へ来たのだから。

「それは俺の後ろについてくれる、という意味でとって構わないか」

「あら、私の力がいるの?あなたを手引きした方に、怒られるのではなくて?」

「生憎その辺は放任されててね、入る為の鍵はくれたが、そこからは好きにしろとさ」

「まあ、それならいいでしょう。ですが、この宮で殿下並びに私の孫娘に手を出そうものなら……どうなるか。聡明なあの男の養い子ならばお分かりよね?」

 殺気すら凍りつくような冷たい声に青幡は両手をあげて頷く。

 元より長にもこの宮で事を起こすなって言われているので、若宮にも姫宮にも必要以上に接触するつもりはなかったが、そう言ったところで信じて貰えないだろう。青幡にはすでに前科がある。

 青幡は袖を捲り、腕に彫られた刺青を見せた。白銀の鱗状になった肌が月光に淡く輝く。

「白月の下、我らが主に誓って」

「その誓約を信じましょう」

 翳をその刺青に乗せ、華織子は頷いた。古より青幡の一族に伝わる、命を賭けた誓約だ。

「殿下の血の濃さはあなた方も感じた通り異常です。父が強くとも、母胎で血は多少薄まるもの……ですが、母も血が濃かったらどうでしょう」

「……どういう意味だ」

 血を濃く保つ為に、近しい外戚の妻を迎えることは何も珍しいことではない。そも、国長の家も遠い目で見れば皇の遠縁だ。その家から順繰りに姫を娶ることで、皇家は血を保ってきたのだから。

 しかし、若宮の母はただの女官だった。

 ────記録の上では。

「十六年前、神在月の前後三月、人の前に姿を表していない皇女がいます。彼女は巫女修行と称して神宮に篭り、宮には殿下の母である女官と先帝、そして例の剣術師のみが出入りを許されていた」

「アンタ、何言ってんだ」

「先帝の母も、血が近かったのです。先帝を生んだ女御は、先々代の従姉でしたから。龍の血の強い子の家系図を見れば、大体の法則はわかります。それに加えて、あの男が宮に出入りしていた」

「医者として、か?」

「本気でそう思っていらっしゃる?」

「……」

 いいや、と青幡は首を振った。青幡の知るあの男が赤子を取り上げるだけの為に呼ばれるわけがない。それだけならもっと適任は幾らでもいる。

 だがそれは。

「仮説とは言え、それが本当なら狂ってるよ」

 顔を覆って呻くように言うと、華織子もそうねと頷いた。

 けれど、その仮説ならばあれ程の血の濃さも、あの男が出入りしていた理由も察することが出来る。

(全く、どうかしてる!)

 仮説であっても胸糞悪い話でしかない。十六年前なら、真陽瑠は十四やそこらだ。それも彼女は正真正銘、先代の血を引く娘、皇家の第一皇女である。

 それに加えて海音が呼ばれる理由なんてそんなの、一つしかない。

「────禁術に手を出すなんて、そこまで落ちたのか。皇もあの男も」

「可能性の話です。……斎妃が鎮めの役目を拒んだのですから、先帝も後がなかったのでしょうね」

「自業自得だ!先帝が先に暮星を裏切ったんだから!」

 叫ぶ青幡に、華織子は不快感を露わにすることはなかったが、小さく息を吐いた。その吐息に乗せられた苦い色が、如実に彼女の胸の内を語っている。

「それはあなたの主観でしかありません」

「アンタ、あいつらの味方をするのか?禁術に手を染め、自分の娘に子を生ませ、その子に全てを押し付けた人間を許せるのか!」

「あなたは味方か敵かでしか他人を判断出来ないの?もうとっくに先帝は身罷り、この世にはいないのよ」

「だが東宮はまだ生きている!」

「そうよ。生きている彼を助ける為に、私達はここにいるの」

「そうやってアンタらは、暮星を見捨てたんじゃないか!同じように今度は東宮にあの子を差し出して……姫宮も見捨てるのか⁉︎」

 老女の紫紺の瞳が、初めて揺れた。それまで青幡の頭を押さえつけていたような威圧感がふっと軽くなる。けれどそれも、一瞬のことだった。

 顔をあげた華織子は、迷いを振り切るような声で言った。

「あの子が殿下のそばにいることは、きっと星の定めであるのでしょう。青幡、私達の一族と、あなた方はかつて道を分けた。けれど見据えている未来は同じものです」

「同じ?笑わせる。実際にアンタは皇に娘を売ったじゃないか。かつて我ら一族を裏切った()()()と命運を共にした者たちの末裔らしい、実に崇高なお言葉だ」

「まあ、なんて視野の狭いこと。物事の多面を知ろうとしないものに、真実を見ることなど出来やしません。あなたは真実が知りたいのでしょう?それならば、凝り固まった先入観はお捨てなさい。敵も味方もなく、ただ一人の人間として、あの子達に接する事です」

「はっ!ご忠告、どうも痛み入ります」

 聞くだけのことは聞いたと踵を返す。それを華織子も止めなかった。

「これだけは言っておきます。あなたが思っている以上に、此度の一件には多くの人間の意思が絡んでいる。あなたの言う敵とは、一体何をもってして位置付けられるものなのか。それをしっかり見定めることね」

 振り返って睨み付けるも、彼女の微笑みを崩すことは出来なかった。華織子が翳をゆっくりと振ると、結界の一部が薄まる。

「お気を付けてお帰りなさい。もうお会いすることもないでしょう」

「そう願いたいね」

 そう吐き捨てるように言った青幡が再び闇夜に消えるのを、華織子は感情の読めない目で、じっと見据えていた。


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