六
小さい頃から一度気になると調べずにはいられない子供だった。子供の頃に誰もが通る「どうして?なんで?」の時期が、鈴は他の子よりもずっと長く、またその時の性質を十六になっても引き摺っていた。疑問に思った事は口にせずにはいられなかったし、誰かに訊ねずにはいられなかった。
それに根気よく付き合ってくれたのは長兄である縁寿だけで、婆さまや松葉や小鞠たちはすぐに「また鈴の悪い癖が始まった」といって早々に逃げてしまうのだった。
かといって、里の皆は鈴を学者にしようとはしなかった。鈴の探究心は横広がりで、何か一つを極めて突き詰めるには飽きっぽかったのだ。
そういうわけで、今回鈴の興味を一番引いたのは茅羽夜だった。
馬に揺られる時間に早々に飽きた鈴は、茅羽夜の観察を始める事にしたが、問題は彼の立ち位置だった。行列中、彼は決まって鈴を守る隊の一番後ろについてしまう。鈴がいくら彼らより一段高い馬上にいたとしても、後ろをずっと眺めているわけにはいかなかった。首が左斜め後ろを見る形で固まってしまったら流石に困る。
それでもよく観察してみると、彼は時折ふらりと消える事があった。
それは休憩している最中であったり、行脚の途中であっても松葉に一声かけて、ふらりと隊を離れてしまう。何をしているのか思い切って聞いて見たが「お耳に入れるような事ではありません」とだけ返されて、そのまま会話を切られてしまった。今まで接触をはかってきた中で、かなり手強い部類であった。
それからこれは観察せずとも周知であるのだが、彼はとにかく人の輪に入りたがらなかった。
行列中は勿論、休憩中や宿泊時や野営時であっても茅羽夜は大抵一人で過ごしており、初めは声を掛けていた同僚らしき人も、四日目あたりには既に彼を引き込むのを諦めてしまっていた。
声をかけても「ああ」「いや、いい」「わからない」だけで済ませ、他人と対話しようという気概が一切見受けられない。猫や犬でさえも、もっと対話を試みてくれるのではなかろうか。対人能力に関して言えば彼は犬猫以下だった。
周囲の人に話を聞く機会は殆どなかったが、彼を落ち着いていて頼りになると思っている人間は少ないようで、大抵は剣の腕は確かだが何を考えているのかわからなくて得体が知れない、という評価だった。それに鈴はつい、心の中で笑ってしまった。他人が何を考えているのか分からないなんて当然のことなのに、それがなんでそうも得体が知れないという評価に繋がるのだろう。だったら鈴が今、何を考えているのか当てて見て欲しいと思った。言わないけれど。
まあ、鈴の場合「考えている事がよく顔に出てる」と言われる人種なので、分かり易い人間とそうでない者があることは、理解出来た。前者の方が人に馴染みやすいということも。
そんな彼も、松葉だけは気を許しているようで、松葉も茅羽夜に絶大な信頼を寄せているのが鈴からも見て取れた。いくら声をかけているとはいえ隊列を離れるのを松葉が許しているという事も、寝ずの番を松葉と茅羽夜が交代で行っているという点も、互いに信頼している証拠だろう。
「ああ、士官時期が同じなんだよ。俺とあいつ」
休憩中にふと側にいた松葉に訊ねて見ると意外な返答があった。
勿論上に登るにはそれなりの後ろ盾がいるものだが、士官自体は誰にでも門戸を開いていた。
先代が崩御した十年前、国は政権争いに荒れに荒れた。
その為、職にあぶれた荒くれものが賊へ身を落とし、不成者の集まりが各地で山賊紛いの行為を繰り返しているのもさして珍しい事でもなかった。
鈴の里でさえも何回かそういう目にあった事があった。そのたびに松葉を筆頭にした男衆が返り討ちにし、彼らは不幸にも土砂崩れや雷や豪雨によって逃げ帰る事を余儀なくされていた。
その時の九国は国長を失っていたが、幸いに能吏として名高い官吏達はそのまま残っていた為、国としては長くまともに機能していた方だ。
九国の気候もよかった。雨風凌げる家と毛布さえあれば真冬でも凍え死ぬ心配はなく、山へ入れば木の実や山菜も取れたし、山上から流れる小川には魚もいた。
味に文句をつけなければ食べるものは何とかなったが、薬だけはどうにもならなかった。
冬を越せない子供や老人が気候と肥沃な土地に恵まれていた鈴の里でも何人もいた程、国全体が困窮していた時代だった。小鞠達の兄もそうだ。小鞠と玉藻には小鞠から見て五つ上の兄がいたが、十二の時にこの世を去ったのだ。
ちょうど十五になった松葉はその時あまりの国の荒れように耐え兼ねて、婆さまが止めるのも振り切って九国の都に士官したのだった。
……あの時の二人の喧嘩は本当にすごかった。あれに比べたら鈴と婆さまの口喧嘩など、小鳥の囀りのようとさえ思う。これをいうと、松葉は真面目な顔で「いや、小鳥はない。絶対にない」と首を振るのだが。
三日三晩続いた口論の末に、松葉は里長に頼み込んで紹介状を書いてもらい、里を単身飛び出した。
里から九国の都までは馬でも二日かかる。当時は山賊や追い剥ぎは死体に集る虫のように幾らでも沸いていた。それでも無事に辿り着いたのだから、本当になんというか我が兄ながら破天荒さが凄い。
ちなみにこの時、松葉の頼みを聞いて口利きしてやった里長は婆さまにこってり絞られており、この時鈴は二人の本当の力関係を理解したのだが、心の中では婆さまが里長に感謝していることも承知している。
「兄さんと士官時期が同じって事は、大体同い年くらい? 二十二、三くらいかしら」
「んーどうだろうなあ。あいつあまり自分のことは話したがらないし、今でこそあんなひょろ長だけど、出会った頃はちびでがりがりで、剣を振っているっていうか剣に振り回されているようなやつだったよ。たぶん、口減らしで売られてきたんだろう。そういうやつは別に珍しくもなかったし、士官すれば取り敢えず食うには困らないからな」
「じゃあ、茅羽夜様は九国の出身なのかしら」
「それもわかんね。昔っから、全然喋らないんだもんよ。最初は口が聞けないのかと思ったくらいだぞ。あいつが喋れるってわかったの、半年くらい経ってからだったし。あの時はぶったまげたわ」
「なんて言ったの?」
「『君の太刀筋、左に寄りすぎ』」
松葉が眉根を寄せて、心なしきりっとした顔で抑揚まで真似てみせたので、鈴は思わず吹き出した。言い方が妙に似ているし、なんとなく言いそうだった。きっと松葉はそれに対して「何だお前、言葉を喋れたのかよ!」と言ったに違いなかった。
「それから何だかんだウマがあって、数年連んでたんだ。帝都に移れる事になってからはちょっとばたばたしてて、ちゃんとした別れも出来ずにいたから、今回使者の中にあいつを見つけた時は嬉しかったな」
「ふうん、そうなんだ」
「おう、何だ。あいつが気になるのか?」
「うーん、なんていうか、あの人別の生き物みたいで……」
鈴の言葉に今度は松葉が腹を抱えて笑い出した。その笑い声に側を通りかかった傘持ちの青年がびっくりして、転びかけていたくらいだ。
「お前、変な茸とか動植物に対しての好奇心みたいな気持ちであいつを見てたのか」
「そこまで言ってない」
「そう言えば昔からお前は気になり始めたら片っ端から人を捕まえてどうして? 何で?って聞いて回ってたな。縁兄はそういうの、得意だったけど。今度の研究対象は茅羽夜か」
「研究対象っていうと何だか語弊があるわ。別に、ちょっと不思議な人だねって思っただけなんだから」
一頻り笑い転げた松葉はようやく立ち上がり、眦に溜まった涙を拭いながら周囲に声を掛け始めた。そろそろ休憩を終えて、行列に戻らなくてはならない。
ふと見れば、さっきまでまたふらりと居なくなっていた茅羽夜が隊の最後尾に戻ってきていた。さっきの話を聞かれただろうか。いや、松葉の笑い声はともかく鈴は声を少し潜めていた。余程近付かなければ聞こえなかっただろうし、もし近付いていれば松葉が声を掛けてくれた筈だ。
鈴の視線に気付いたらしく、馬に乗り込む際に、松葉はこっそり笑って言った。
「あいつは良い奴だよ、それは俺が保証してやる。まあ、愛想がないのは否定しないけどな」
それに鈴もちらりと笑ってみせた。彼が良い人なのは、兄の対応を見ていればわかる。けれど面倒見が良くてお人好しな兄のそう言うとこが鈴は好きだった。