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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
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 朝日が山端から顔を出す頃にどんどんという太鼓の音が遠くに響く。官吏だったらもう支度して出仕する時間帯だが、鈴が御帳台から目を擦りながら顔を出すと、衣に香を焚く小鞠と目が合った。

「姫様、おはようございます」

「おはよう、小鞠」

「衣はこちらに用意して御座いますので、禊を終えたら朝餉に致しましょう」

「はあい……」

 まだ少し夢に片足を突っ込んでいたものの、冷水で顔を洗うと幾らか意識がしゃんとする。楪の持ってきた煮豆を混ぜた粥と蒸した野菜を朝餉に食べ終えた後、小鞠に手伝って貰って、身支度を整えた。

 村娘時代、野山を駆け回っていた鈴のやや日焼けした肌も、宮生活で随分ときめ細かくまろやかな白さになっていた。白粉は軽く叩くくらいで、紅をさして、髪を梳ると小鞠は慣れたように鈴の髪を簪で結い上げる。

 しゃらんと鳴る簪によし、と気合を入れた時、妙が一揖しながら部屋に入ってきた。

「姫様、大奥様がお呼びです」

「今参ります」


 妙に連れられて案内された部屋は東側の一間で、そちらは見慣れた几帳や蔀戸に囲まれたものではなく、土壁と硝子の嵌め込まれた窓に囲まれた明るい一室だった。

 朱色の柱と、華紋の織り込まれた毛氈の敷かれた真ん中には脚の長い丸卓と椅子が置かれており、不思議な紋様の織物と薄絹が天井からたわみを描いて下がっている。

 こういった様式の部屋を、鈴は刻葉から習った事があった。

(初めて見た、とう風のお部屋だわ……!)

 唐は遥か千年以上も前に東和の東の海にあったと言われる幻の島国だった。神話では照日奈大神の流した涙で沈んでしまったとされているが、歴史にも残されている実在した国だ。

 蛍辺の時に鈴が着たゆったりとした短衣と裙はその唐から東和に伝えられたものであり、東和も昔は唐風の文化があったが、かの国が沈んでしまってからは、すっかり廃れてしまったのだという。木の温もりを残す東和風の部屋と違って、朱色と金、濃い赤茶色が主となっている。

 その煌びやかな部屋の長椅子に優雅に腰掛ける、ひとりの老女がいた。

「いらっしゃい、初菫の君。ふふふ、鈴とお呼びした方がいいかしら。会えるのをずっと楽しみにしていたのよ」

 目尻の皺を深くして、部屋の主、華織子は鈴を手招いた。白髪混じりの髪を水晶の櫛で結い上げ、黒地に銀糸で縫い取られた刺繍が美しい上衣をゆるりと掛けている。

 年相応に皺の刻まれた顔は、しかし若い頃はさぞ美人だっただろうと鈴は思う。細い華奢な顎、白い肌と丁寧に梳られた灰髪と夜明け前の紫紺の星石は初めて会う孫娘にきらきらと輝いていた。

「さあさあ座ってちょうだい。空鷹からあなたが甘いものが好きだと聞いて、たくさん用意したの」

「恐れ入ります」

「まあ、そんな無理して堅苦しい言葉じゃなくていいのよ。あなたはわたくしの孫娘なんですから、縁寿たちに話すようにしてちょうだいな」

「さ、さすがにそれは……」

「やっぱりだめかしら」

「ううう……」

 翳で口元を覆いながらもわかるほど、しょんぼりとされると鈴の心が痛んだ。しかしこの貴人に対して縁寿や松葉に接するように話すのは、さすがに鈴としても躊躇われる。悩みに悩んで、結局折れたのは鈴の方だ。

「では、その、お言葉に甘えて……」

「嬉しいわ!でも、無理言ってごめんなさいね。ほら、孫はもう二人ほど居るけれど、どちらも男の子でしょう?だからこんな可愛らしい孫娘が出来てとても嬉しいの。許してちょうだい」

「いえ、わたくしも華織子様のような尊い御方が祖母だなんて未だに信じられませ……し、信じられないもの」

 ません、と言おうとするとまた捨てられた子犬のような瞳でしょんぼりとされるので言い直す。すると華織子はにっこりと微笑んだ。無邪気に押しが強い。

 用意された菓子は栗羊羹、お萩や団子といった東和の馴染み深い菓子に始まり、蜜で煮詰めた林檎、はしばみや胡桃を生地に練り込んで焼いた包焼き菓子(パイ)、杏仁をすり潰した汁に寒天と柑橘類の果肉を混ぜて固めた杏仁豆腐、餡を包んだ団子に胡麻を塗して軽く揚げたものなどなど。本当に「これでもか!」と言うほど並べられていた。

 流石の鈴も全部食べたら夕餉が入らないかもしれないと思いながらも、華織子に勧められるがまま、手を伸ばす。

 彼女は丸卓に乗せられた甘味とお茶を鈴が食べるのをにこにこと眺めていた。

「あの、お祖母様」

「なあに?」

「ええと……気を悪くしないで欲しいんだけれど、どうして此処まで良くしてくださるのかな、と思って」

 空鷹の養女である鈴は華織子から見たら義理の孫娘だ。家族の情に血の繋がりなど不要であることは、鈴は身を持って知っている。けれど今まで共に暮らしてきた彼らとは違い、茅羽夜との縁談のために突然降って湧いたような孫にどうしてここまでしてくれるのか。

「そうね、あなたが疑問に思うのも無理からぬことよね」

 華織子は長椅子の肘掛に置かれたふかふかの洋座布団クッションに身を寄せる。

「でもまだ秘密。それは自分で考えてちょうだい」

「はあ……」

「ああ、そうだったわね、今回は聞きたい事があったのではなくて?」

「そうで、あ、いやそうなの。この箱の事を、何か知っていたら教えてほしくて」

 そう言って側に置いていた漆塗りの小箱を卓の上に置いた。華織子はそれを静かに手に取って、蓋を開けてみる。

「……これを、再び手にする日が来るとは夢にも思っていませんでした」

 華織子の言葉に鈴は身を乗り出す。

「お祖母様はこの箱の持ち主はご存知なのですね?」

「あなたが求める答えかどうかはわかりませんが、この箱を最後に持っていた人のことは知っています」

「教えて下さい!この箱は誰のものなのです?」

 ゆっくりと大きく息を吸うと、華織子は箱を撫でる指を止めて、微笑んだ。ああ、やはりという気持ちが鈴の中に生まれる。

「この箱は先代に嫁いだ私の娘───先代斎妃、暮星くれぼしのものです」

「暮星さま……」

 ザァと砂嵐のような記憶が鈴の頭を過った。その名をどこかで聞いた覚えがある。

(思い出せない、でもどこかで……)

 胸の内がざらざらと騒めく。後宮では禁句とされた先代焔帝の斎妃、九条家の姫の名前はどこか深い海底みなぞこの星を思い起こさせる。

「暮星の名は今も後宮では禁句とされているのでしょうね」

「……暮星様は亡くなられた、とお聞きしています」

「ええ。表向きは十七年前に」

「表向きは?」

「……少々昔話に付き合ってくださる?」

 華織子はそう言って、庭へ続く回紋の入った硝子戸を開けた。彼女に続いて行くと西屋の小庭とはまた少し顔を変えた花々が咲いていた。西側には銀木犀しかなかったが、こちらには橙の花を付けた金木犀の香りが強い。

「あの子は本当に聡明な子だった。流れる水の加護をその身に宿しながら、けれどそれと同時に、苛烈な星を頂く娘だったわ。一度癇癪を起こすと手が付けられなくてね、刻葉も随分と手を焼いていたわ」

「刻葉さまは、暮星様の侍女だったの?」

「そうよ。でも、彼女達は侍女というより姉妹のように育ったの。暮星の乳母が刻葉の母だったものだから。懐かしい、あの子達は少女時代をこの別宅で過ごしていたから、目を閉じればふたりの笑い声が今も聞こえてくる気がするわ」

(刻葉が……どうして教えてくれなかったのだろう)

 そう思って、鈴はすぐにわかった。後宮では、話せなかったのだ。彼女の名を口にすることは斎王から禁じられていた。彼女の耳が、目が一体どこにあるかわからないから。

「暮星が先代の斎妃として入内したのは十六の頃でした。入内して数年は、とても穏やかな日々が続きました……少なくとも私の目にはそう映っていたのです。焔帝との間に皇子も生まれ、皇后として何一つとして不自由ない生活を送っていると、私も夫も信じて疑いもしなかった……」

 紫紺の目を伏せる華織子は、先程の無邪気さなど微塵も感じさせない、小さな老女に見えた。

「正直に申し上げて、今も私はあの子がどうしてあのような事をしたのか、正しく理解しているわけではないのです。私達が聞かされたのはあの子が先代を裏切った事、そして間も無く亡くなったこと。けれどそれが表向きの話であることくらいは分かります。私達は凡ゆる手を使って真相を探りました、北の地に追いやられた後も」

「北の地?……まさか先代国長の流刑地は十二国だったのですか?」

「その通りです。かつての十二村家は刑部を司る長でした。最北端の地で、八年前の暴動の際に私は寸でのところで夫に逃され、空鷹に助けられましたが……夫はその時に、身罷りました。空鷹は陛下に助力した功績が認められて、復権に繋げたのです。けれど九条家の全てを以ってしても暮星の死がどういうものであったのか、未だに闇の中にあります」

 ひとつ分かっているのは、と華織子は真っ直ぐに鈴を見た。

「……十七年前、死んだと言われていましたが、少なくとも一年は生きていた筈です。この箱は十七年前の誕生日祝いに、私があの子に作ったものですから」

「暮星様にこの箱は正しく渡っていたと?」

「中の御手玉を見ればわかります。あれはあの子がよく纏っていた衣を解いて作ったものです。菫の蜻蛉玉も、御弾きも、全てあの子が用意したものでしょう。生まれた子の為に」

 はっと鈴は目を開いた。

(そうだわ、中身は子供の玩具ばかりだった……)

 暮星は亡くなっていたとしても、彼女の子供は生きているならその子がこの箱の真の所有者となる。そして輿入れした時期を考えて、今存命の皇子に該当するのはひとりしかいない。

「先帝との間に生まれた皇子、というのは……」

「あなたの想像した通りよ。暮星が産んだ皇子は、名を奈月彦───今上帝陛下ですから」

 御簾越しに一度だけ対話した夏を思い出す。

 それならば華織子と陛下は正真正銘、祖母と孫になり、空鷹とは叔父と甥。鈴からみたら、夫の兄であるのと同時に義理の従兄弟になる。九条家は皇の外戚ということだ。

 縁寿が「これ以上九条家が殿下と繋がりを持つことを嫌がる勢力がいる」と言っていた訳がよくわかった。外戚である鈴が東宮妃となることは、政治的に見たら九条の栄華を盤石にするものだろう。真陽瑠が空鷹を「狐」と呼ぶ意味もなんとなく理解した気がした。

「けれど暮星を失ったことにより、奈月彦は十七年前に廃嫡されました。そこから力をつけ、今の座に着くまで彼の辿った道のりは険しいものだったでしょう」

 先代が身罷った際にあそこまで覇権争いが激化した理由もここにあった。当時、今上帝である奈月彦は廃太子のままだったのだ。

 そして先代が崩御した十年前、生き残っていたのは廃嫡された奈月彦と真尋と、五つか六つかになる色狂い時代に生まれた皇子たちだった。

 当時国を纏めることの出来る者は奈月彦以外いなかった。居なかったにも関わらず即位に四年も掛かったのは、そういうことだったのだ。けれどその皇子達も茅羽夜を除いて亡くなっている。

 そして八年前に起きた海真教と十二村家による反乱。

 ぞっとして、鈴は思わず自分の腕を摩った────まるで星を覆うように、何か大きな影が動いている気がして。

「私が話せるのは、このくらいかしら。お役に立てそう?」

「はい、有難うございました」

 礼を言うと華織子は頷いて、少し共に庭を散策してから部屋に戻った。そこからは妙が入れ直してくれたお茶を飲みながら、鈴は祖母と暫し憩いの時間を共にした。



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