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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
57/114

 いつもなら半日と経たずに返ってくる空鷹からの返事は中々来ず、一日経ってからようやく来た。やはり、相当忙しいのだろう。

 返事の内容も文で書けることでもないので会って話したいが、時間が取れないことへの詫びから始まっていた。流麗な字体で書かれた空鷹からの文を要約すると。

「え?宿下りですか?」

「宿下りっていっても、城下まで下りるわけじゃないのよ。お義父様が普段使っている別宅に三日だけ下がらせて貰うことになったの」

 後宮の女官たちは仕えている宮内に部屋を当てられるが、宮勤めをしている官吏の多くは城下から通うか、庁内に設けられた殿舎に部屋を当てがわれる者もいる。

 しかし八省の長ともなれば多忙を極め、城下へ下りる時間もない。そのため、山の斜面を削って屋敷を建てているのだ。空鷹が日頃使っているのはその山上の別邸で、城下の別邸には縁寿の細君である珠響しゅらと二人の息子が住んでおり、九国の本宅には真玲が暮らしているといった具合だ。

 小鞠は鈴の急な宿下りの話にも動じず、手早く荷物をまとめてくれた。いつも思うが、有能過ぎるのではないだろうか。

「聞けば今、ちょうど別宅にお義父様のお母様……つまりわたしにとっては義理のお祖母様である、華織子かおるこ様が来ていらっしゃるんですって。お義父様はお時間が取れるかわからないけれど、お祖母様にお話を聞いたらどうかって」

「ははあ、なるほど」

「でも名目上は月の物忌ってことになっているけど、わたし今までした事ないのにいいのかしらね」

「いいんじゃないでしょうか。今月は神在月ですからって言えば」

「頭良いわね小鞠」

 血は穢れであるので、月に一度の物忌の際には宿下りする侍女も多い。鈴は然程重い方ではないが、銀朱がかなり辛い方らしく、毎月宿下りこそしないものの茶会にも一切出てこない時がある。妃ともなれば宿下りも容易ではない。

 本来なら妃の宿下りの許可も簡単に下りないのだが、今は国中の神々が宮に集まる神在月だ。血の穢れは出来るだけ遠去けたいらしく、思っていたよりあっさり許可が下りた。

 いや、もしかしたら佐草や空鷹が課題のために裏で手を回してくれていたのかもしれないけれど。

 

 後宮から出るにあたって用意された輿に乗り、鈴は小鞠を連れて菫青殿を出た。同じ宮中だからそこまで時間も掛からないと思っていたのだが、輿に揺られること四半刻。思っていた以上に退屈な道のりに飽き始めた頃、ようやく空鷹の別宅へ辿り着いた。この宮がどれ程広いのかようやく身をもって実感した瞬間だった。

「輿に乗るより絶対自分で歩いた方が早く着いたわ……」

「そんなことさせられるわけないでしょう」

 輿の隣を歩いていた小鞠が溜息を吐いた。帰りは何か手遊びのものを持ち込もうと心に誓った。

 九条の別宅は城下のものよりやはりやや小さめであったものの、それもあくまで城下のものよりという前置きのつく広さだった。山の西側の面を削って平らにした場所に建てられた屋敷は白い壁と森に囲われており、すぐ下には城下の街並みが見えた。さすがに宮のような池や釣殿などは作られていなかったが、寝殿と西東の対に南に面した庭があり、鈴からしたら充分過ぎる程広い。

 東門を潜ったあたりで輿から降りると、二人の女性が鈴達を待っていた。

「お帰りなさいませ、姫様」

 鈴の姿を見るなり、すぐに年嵩の女中が恭しく礼を取った。

 九宮、初菫の君と呼ばれて半年になるが、未だに姫様扱いに慣れない。それにこんな大きくて立派な屋敷にお帰りなさいと出迎えられることにも、どうもむず痒くていけない。

 出迎えてくれた女中は家のことを取り仕切っている女中頭の(たえ)というらしく、鈴と小鞠を西側のたいの部屋まで案内してくれた。備え付けられた唐櫃には既に何着か着物が仕立てられており、几帳や掛けられた唐衣も鈴くらいの年頃の娘が着るような可愛らしい花々が縫い取られているものだ。

 鈴が文を出してからそう日にちも経っていないので、もしかしたらこれはいつかの為に、空鷹か真玲かが用意してくれていたものかもしれない。

「大奥様は夕方まで少々外しておりますので、どうぞごゆるりと御寛ぎ下さいませ。何か御座いましたらそちらにいるゆずりはにお申し付け下さればご用意致します」

 楪というのは妙の後ろに控えている女性らしい。鈴よりも十くらい年上に見える彼女は「楪と申します」と見惚れるほど流麗な所作で礼を取った。容姿は人の目を引くといった感じではないが、洗練された所作や歩き方、姿勢に美しさを感じる。

「姫様がご滞在の間はわたくしも、小鞠様と共に身の回りのお世話をさせて頂きます」

「そうなの?宜しくお願いね」

「はい。それと、姫様にはいつも母がお世話になっております」

「母……?」

 頭に疑問符を乗っけて聞き返すと、楪は頷いた。

「わたくしの母は、姫様の教育係として宮にお勤めしていますので」

「……まさか楪って刻葉の娘さんなの⁉︎」

 宮で留守番をしてもらっている四十代頃の侍女を思い浮かべて鈴は仰け反った。隣の小鞠もあんぐりと口を開けて彼女を見ている。通りで、所作が美しい筈だ。あの刻葉の教育を受けて育つとこうなるのか。

 そう言われると、楪の小さな顎と切れ長の一重、薄い唇などは刻葉の面影を感じる。

「母から、くれぐれも姫様を宜しくと仰せつかっておりますので」

「ごめんなさい。わたくし貴女のお母様にとっては、あまり良い生徒じゃなくて」

 そういうと楪は少し驚いたような顔をして、そして小さく笑った。刻葉はいつも眉根に皺を寄せているので笑ったとこを見たことがないのだが、きっと笑ったらこんな感じなのだろう。娘だ、と思って見ると楪はやはり、刻葉に似ていた。

「とんでも御座いません、お会い出来るのをずっと楽しみにしていたのです」

「またまた、でもわたくしも嬉しいわ。暫く宜しくね、楪」

「はい。あと、お時間がありましたらお庭など散策されてみては如何でしょうか。城下の別宅とはまた違った花木が植えられておりますよ」

 願ってもない話だった。これから華織子に会えるまで、何をして過ごそうか少し困っていた所だったのだ。

「本当?銀木犀とか、あるかしら」

「御座いますよ。姫様は銀木犀がお好きなのですか?」

「ええ、花で一番好きなのは菫なんだけれど、花木なら銀木犀が一番好き」

「でしたらどうぞ、ご案内致しますので」

 楪に連れられてやってきた庭は丁寧に手入れされ、楓や紅葉が夕焼けを浸したかのように鮮やかに色付いている。

 石畳の道を歩いていくとやがて嗅ぎ慣れた銀木犀の香りが漂う。

 つやつやとした濃い緑の葉っぱに隠れるようにして白い花をつけた銀木犀は見た目にも愛らしい。九宮には残念ながら銀木犀は植えられていないが、お隣の十宮には植えられているので時々外廊を歩いていると香ることがあった。鈴の密かな楽しみである。

 銀木犀の足下には藤袴や女郎花が咲き誇り、その向こうには萩の花が見えた。中には見たことのない花々もあり、楪はそのひとつひとつの名前を丁寧に説明してくれた。

「秋の野に、咲きたる花を指折ゆびをおり、かき数ふれば七種ななくさの花ですね」

「ああ、秋の七草」

 春の七草は無病息災を祈るものだが秋の花は単純にその花の美しさを楽しむものだ。萩、尾花や葛、女郎花、あとは撫子と桔梗などがある。

 一瞬秋の風に吹かれて、鈴は「わっ」と俯いて髪を抑える。その足元に、可愛らしい淡い紅色の花が揺れていた。

「楪、この花は何て名前なの?」

 振り向くと、目を細めた楪が眩しそうにこちらを見ていた。陽光が目に滲みただろうかと近寄ってみたら、はっとしたように目を見開く。

「も、申し訳御座いません、少々惚けておりました」

「ごめんなさい、引っ張り回してしまったものね」

「いいえ、違うのです。その、昔この屋敷にいた姫様のことを思い出して」

「昔……珠響様のこと?」

「ええっと……」

 ちらりと視線を泳がせる。彼女は母よりも考えていることが顔に出るたちらしい。

「……ひょっとして、先代の?」

 迷ったように彷徨っていた楪の目が、鈴を見た。そして確かに頷く。

「自分が六つになった頃です。母に連れられて、一度だけお会いした事があるのです。姫様……ああ、ええっと、先代九宮様に初めてお会いしたのも、このお庭でした」

 刻葉は先代が居た頃から九条家に仕えていたのか。戻ったら聞いてみようと思いながら、楪の横顔を眺める。

 懐かしむように目を細める楪は、すぐ側の銀木犀に向けられていた。

 もしかして先代九宮も、銀木犀が好きだったのだろうか。

「とても美しい姫様でした。無邪気で、儚くて、それでいて強い方でした。この銀木犀の香りのような。お会い出来たのはその一度だけですが、今でもよく覚えています。秋の風に舞う長い髪に銀木犀の白い花が散らばって……そう、ちょうど今の姫様みたいでした」

 くすりと微笑んで楪は鈴の髪についた白い花を丁寧な手付きで取ってくれる。その柔らかい眼差しを見れば、彼女が先代を慕っていることがよくわかった。

「あの、先代九宮様は……」

「申し訳ありません、わたくしから語れる事は、殆どないのです。お会いしたのはその一度だけですし、当時わたくしも幼かったので……」

 さやさやと銀木犀の葉を揺らす風に鈴の髪がまたそよぐ。聞きたいことは大奥様に聞いてくれということらしい。

 もしかしたら彼女も口止めをされているのかもしれない。真陽瑠の顔を思い出して、鈴はそう思った。

「……風が出て参りましたね、そろそろお部屋に戻りましょう。小鞠様がお茶を用意して下さっている筈ですから」

 微笑む楪の横顔はやはりどこか寂しそうだった。

 

 夕餉の時間になっても、空鷹も大奥様も屋敷へ戻ってくることなく、九条家での一日目のご飯はひとりで食べる事になった。

 菫青殿でも食事を共に出来る者はいなかったので、鈴は久しぶりに誰かと食事が出来ることを楽しみにしていたが、こればかりは仕方のないことだった。

 九条家の夕餉は、さすが西の大国と言うべきか、ぴかぴかの新米をふっくらと炊き上げ、占地や榎茸、松茸などの茸類をふんだんに使った鮭の蒸し焼き、湯豆腐にお吸い物といった秋の味覚が並んでいた。

 勿論、菫青殿でのご飯も里にいた頃からは考えられない程、毎日豪勢で美味しかったのだが、鈴は久しぶりに食べる西の故郷の味付けについ顔を綻ばせた。宮のご飯は味付けがとにかく濃いのだ。

 これは宮に来ていちばん驚いたことだったが、九国の味付けは出汁を活かして作る薄味に対して宮の料理は醤油や砂糖などを惜しみなく使えるので甘塩っぱい味付けの料理が多かった。あれはあれで美味しいのだけれど、やはり食べ慣れた味というのは懐かしいものだった。

「すごく美味しいです!」

「それは何よりでございました。庖丁人ほうちょうにんにも伝えておきますね」

 女性があまり食べすぎるのは端ないと言われるものだが、妙も楪も鈴が美味しそうに膳を平らげるのを喜んでくれた。

 そういえば刻葉も食事の作法には煩かったが、鈴が残さず食べる事をあまり言わなかったなと今更に気付いた。九国は農業の国なので、食事を残すとそれはそれは怒られる。国長のような公家のお家でも、それは変わらないのかもしれない。

(まあ、民が頑張って作ったお米をちょっとだけ食べてもう要らないなんて言われたら、普通にむかつくものね)

 作っていた側としても、残されるよりも綺麗に食べて貰いたい。こういう時に、自分の後ろ盾になってくれたのが九条家で良かったと思う。

 結局、夕食を食べ終わる頃に空鷹も祖母である華織子も官庁に泊まる旨が届き、宿下り一日目は義父にも祖母にも会える事なく終わってしまった。

 


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