三
鈴はいつも月見をしている廂に円座を持ち出し、膨らんだ餅のような月を見上げていた。側には小鞠が用意してくれた三色団子が盆に乗せられており、蜜で煮詰めた林檎を入れたお茶もある。
団子は草餅と漉餡、白玉の三色のものと黄粉がまぶしてあるものと二種類だ。そろそろ控えねば顔がこの団子のようになりそうだと思いながらもついつい手が伸びてしまう。
おまけに空にはうっすらと雲が掛かっているのみで、月見には最高の夜なのだった。
「風邪引くぞ」
ふわりと肩に掛けられた藍色の羽織りに、鈴は団子を口に含んだまま斜め上を見上げる。濡羽色の髪を耳の下で一つに結って、ゆったりとした袖の寝衣姿の茅羽夜がそこにいた。今掛けてくれたのは彼のものだろう。
「……まーた一言もなしにやって来たわね」
「刻葉なら怒り疲れて部屋に下がっていったぞ」
「彼女、そのうち怒りすぎて血管が千切れたりしないかしら。そうなったら茅羽夜のせいだからね」
「だって面倒臭いだろう」
いつまで経っても一報を入れるということを覚えない茅羽夜は何の断りもなしに鈴の隣に腰掛ける。円座を持ってこようと立ち上がろうとした鈴の手を茅羽夜が引っ張るので、そのまま座り直した。
「お団子、食べる?」
「鈴の取り分が減っていいなら」
「もう!いいわよ、ちょっと控えようかなって思ってたとこだし」
「鈴が?菓子を?……何かあったのか」
「どういう意味よ」
なんて乙女心のわからない男なのか、とじろりと睨め付ける。彼の朴念仁っぷりは今に始まったことではないが。
「ではこれも要らないか?」
そう言って彼が懐から出したのは愛らしい兎が描かれた紙で包まれた栗きんとんだった。
瞬間、鈴の顔が歓喜に染まる。
「それ!因幡屋の焼き栗きんとんよね⁉︎うそ、本当に?」
「ああ、三廻部の赤磐殿が土産に持ってきてくれたんだ。三国は栗の名産地だからな」
「えーっ!やだやだ、一生のうちに因幡屋の栗きんとんが食べれる日が来るなんて……!それ、いつもすごい行列で日の出前から並んでても買えないってくらいなのに!」
感極まっている鈴に、しかし茅羽矢はちらりと笑って、菓子を控えるんじゃなかったのか?なんて言う。
「そ……そうだけど……!」
絶望し切った顔で呻くと、茅羽夜は少し意地悪げに笑って見せる。目の前にこんなお宝をちらつかせておいてそれはひどい。鬼、この人でなし!
「いや、悪かった悪かった。追い縋ってくるのが愛らしくて、つい」
朝夕はもう随分と涼しく、ともすれば肌寒い程だというのにかっと顔に熱がのぼる。原因なんて勿論わかりきっているけれど。
くすくすと笑う茅羽夜はそんな鈴の胸の内などまるで気付いていないように彼女の手を取って、小さな包みを乗せた。照れ隠しに唇を尖らせながら包みを開いて、それを口にゆっくりと含む。
その瞬間に、滑らかな舌触りの白餡が口の上でまるで雪のように溶ける。焼き目のついた表面は香ばしく、餡と栗の上品な甘さと相まって、口いっぱいにほくほくとした秋の味覚が広がった。鈴は堪らず両手で頬を押さえた。こうでもしないと本当に落ちそうなくらい、美味しかったのだ。
「ん〜〜〜〜……しあわせ……」
「そんなにか」
「茅羽夜は食べてないの?うそでしょ?因幡屋の焼き栗きんとんよ?」
「ああ、鈴に持っていってくれと赤磐殿にも言われたし」
この栗きんとんを差し入れしてくれた神のような御仁である、赤磐の名前は聞いたことがあった。
「赤磐殿って、三廻部家のご当主様だったかしら。三国の」
「元な。今は息子に跡を任せて、兵部卿の座にいる。兵部長官といっても、殆ど実務をこなしているのは下の兵部大輔だが」
「へえ……赤磐殿に、お礼を言っておいてね。すごく美味しかったって」
「伝えておこう」
「ありがとう。じゃあ、こっちは茅羽夜が食べて」
渡された包みのもうひとつを差し出すと、茅羽夜は首を横に振った。彼が甘いものが苦手というわけではないことは、龍田の市場で一緒に食べ歩きした時に知っている。
「鈴が食べればいい」
「あなたそうやっていつもわたしに全部食べさせるじゃない」
「君に食べさせたくて持ってきているんだから当然だろう」
「その気持ちは嬉しいけどね、でも美味しいものを大事な人と分かち合いたいわたしの気持ちも汲んでちょうだいよ」
そう言ってなかば無理やり包みを置くと、茅羽夜はやや惚けた顔で鈴を見た。そして数拍遅れて、ようやっとわかったと包みを開いて、それを一口齧った。
「……美味しい」
「でしょう?もはや神の食べ物だと思うのよね。栗のほくほくした甘さを引き立てる白餡と蜜の味がまた最高なのよ」
うんうんと頷く鈴に見えないように、茅羽夜は口元を手で覆う。因幡屋の栗きんとんがどれほど素晴らしい名菓であるか語る横で、茅羽夜は柔らかい表情で彼女を見ていた。
そしてふと、彼女のそばに置かれている箱に目を留める。
「鈴、それは何だ?」
「ああ、これ?今日ね、八雲家のご当主様が来られて……」
どう説明したものかと鈴は言い淀む。課題のことを茅羽夜に話していいものだろうか。
「佐草殿が?……もう動いたのか」
「え?」
「何か言ってきたんだろう」
「そうなんだけど……茅羽夜、知っているの?」
「ああ。今、宮には国長が集まって一年の報告と来年の取り決めなどを話し合っているんだが……今日の議題に、鈴のことがのぼった」
「!」
皇家に相応しくない、とか、そういった話題だろうかと鈴は手を握った。
事実、鈴は生まれも育ちも貴族ではない。生まれに至っては一体どこの血が入っているのかもわかならい有様だ。そんな彼女を妃に迎えたのは茅羽夜を始めとした皇家の方ではあるが、国長たちは納得しないだろうというのは大いに想像出来た。
だから、佐草は課題を持ってきたのだ。
だとしたら、この課題をこなせなければ、此処に鈴の居場所はなくなってしまうだろう。
「鈴は、斎妃という言葉を聞いたことがあるか?」
「それなら、今日八雲様がいっておられたわ。斎妃って何なの?」
「簡単に言えば、斎宮のことだな。今代の斎宮は陛下の姉姫だから妃ではなく、斎王として立っているが、斎宮とは皇の血に寄り添う者だから」
巫女というものは総じて生涯神に仕える者のことを呼ぶ。皇の祖、神龍の血に仕える神職が斎宮だ。
神の末裔である皇に嫁ぐ巫女、それが斎妃だった。故に帝と共に代替わりするのだ。真陽瑠は今上帝の斎王であり、彼が退いた後は同じくその地位から降りる。
「つまり……話の流れからして、もしかして茅羽夜の斎妃が、わたしってこと?」
「そういうことになる」
「……それって責任重大なのでは?」
斎宮は代替がきかない。基本的に、一代に一人だ。斎王の没年によっては在位期間より、空位である時期が長い時代もあった。
慄く鈴に、しかし茅羽夜は小首を傾げる。
「そうか?」
「そうよ!一代にひとりだけなのよ⁉︎」
「どちらにしろ俺にとって鈴の代わりなんていないから、同じことだと思うんだが」
「そういう、あなたのそういうとこよ……!」
いちいち照れていては話が進まない。鈴は頭を抱えながらも照れを一時脇に置いて、話を続けた。
「とにかく、わたしが茅羽夜にとって斎妃だってのは理解したわ。それってもしかして、巫術師だから?」
「俺も斎宮に関して詳しいわけではないが……たぶん、そうだろう」
「成程ね。つまり、この課題はわたしが巫術師であることが前提にある課題なのね。ということはこの箱、やっぱり何らかの術が掛けられているのかも」
「やっぱり?」
「ほら、中に何か入ってるでしょ?」
茅羽夜の前でも軽く振ってみる。鈴が聞いた時と同じようにからからと中で微かな音が聞こえた。
「でも鍵穴もないし、どんなにやっても開かないのよ。八雲様からの課題はこの箱を持ち主に渡すことらしいんだけど……」
「この箱を渡す?……開けるじゃなくて?」
「そうなの。つまり持ち主を探せってことなんだろうけど、逆ならともかく、物から人の気を辿るのってほぼ無理なのよ。とくにこんなに人の多い場所では」
失せ物探しであればその人から髪でも何でも貰って気を辿ればいいのだけれど、物から人の気を辿るのは至難の技だった。時間が経てば経つほど薄れるし、宮中には人が溢れている。
開けるだけならまだ楽なのに、と鈴は息を吐いた。そう簡単にこなせるようでは課題にならないのだろうが、何の情報もなしに持ち主を見つけるというのも、水の中から砂の粒を拾い上げるようなものだ。
茅羽夜がそっと箱を掲げて見る。鈴の両手にちょうどいいそれは、茅羽夜の片手程しかない。何度か振ったり蓋に指を掛けてみたりしたが、結局開かなかった。
「確かに、開かないな」
「でしょ?別に鍵とかもついてないのに」
「解術とか出来ないのか」
「あ、そっか」
鈴は襟元から銀の鎖に繋がれた、薄い玻璃の首飾りを取り出す。月光を集めるそれを小箱に翳すと、空気が震えた。しゃーんという澄んだ風が通ると、茅羽夜の手の中にあった箱からカタンと音が聞こえた。
恐る恐る蓋に手を伸ばすと、さっきまで頑丈な岩が乗っているかのようにぴくりともしなかったそれが、いとも簡単に動いた。
「え、開いた⁉︎ わたしまだ何もしてないのに」
「開いたならいいんじゃないか」
「そうだけど……中に入っているの、これって御弾き?」
箱の中に入っていたのは、色取り取りの御弾きや硝子玉、青と菫色の縮緬で作られた御手玉などだった。どう見ても子供の玩具ばかりだ。
「……この箱の持ち主は子供ってこと?」
「だが今の宮にこれで遊ぶくらいの幼子はいないが」
「そうよね。更に謎が深まってしまった……」
御手玉のひとつを手に取って、鈴は唸る。
試しに投げてみたが、なんの変哲もない御手玉だった。
「とりあえず明日六宮様に見てもらうね」
「ああ、彼女は商家の娘だったか」
「うん。だから、箱の感じとか何かわからないかなと思って」
そうか、と茅羽夜は少し難しい顔をして言った。それきり黙り込んでしまったので、何かわかればいいけどなあと思いながらまたひとつ、鈴は御手玉を空へ放った。




