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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
三章 金の星が瞬く朝に
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 東和では一年の内、十の月は神在月と呼ばれ、神祖に連なる神々に一年の豊穣を感謝する祭がある。

 男神と女神から生まれた八百万といわれる東和に棲まう神々は、言わば皇、並びに国長の祖の兄弟神にも当たり、一年に一月だけこの京に集まるのだという。故に帝都では十の月を神在月かみありづき、他の十二国では神無月かんなづきと呼ぶ。

 そしてこの月に、集まるのは何も神々だけではない。

 仁寿殿の外廊を空鷹は早足に歩いていた。彼の後ろには縁寿が同じように足を進めており、空鷹は前から歩いてくる人物に目を留めると、手に持った檜扇を口元に当ててわからないように溜息を吐いた。

「お久し振りで御座いますね、八雲やくも様」

 あちらも空鷹に気付いたのか扇の向こうで目を細めた。その際に右肩から垂らされた赤紐に結えられた橄欖石かんらんせきがきらりと揺れる。

 外廷で見る事は殆ど叶わない、装束の上から小忌衣おみごろもを纏った細面の女性こそ、八国やえのくにの国長である八雲家の当主、八雲佐草(さくさ)だ。

 未だ男の御代において、唯一女性を長として据えているのは、神祇に深く喰い込んでいる八雲家のみだ。

「久し振りやね、九条の坊。相変わらず喰えん顔してはりますなあ」

「はは、これは手厳しい」

 癖のある国長達の中でも、空鷹は彼女が特に苦手だった。恐らく空鷹よりも三十近くも上だろうが、そのしゃんと伸びた姿勢も、白いほっそりとした顔も初めて見た時から寸分変わらない。空鷹が国長に復権する前から国長の座に付いており、歳の割に元気だが順当に年老いている三廻部の赤磐や一守の巌澄と違って、彼女は本当に年齢を感じさせなかった。

 食えない顔はどっちだろう、と思いながら並んで殿舎へ足を踏み入れると、円卓には既に上座の二席以外埋まっていた。その中の一人が空鷹に向かって手をあげる。

「おう、遅いぞ。老人より重役出勤とは、良い身分だな空鷹」

「仕事が片付かなかったんです、兵部のお偉い様がどうも部下に仕事押し付けてふらふらと出歩くもので何故かこちらに嘆願書がきているんですよね。不思議なことに」

「あっはっは!全く誰のことやら」

「ええ、本当に。顔が見たいものです」

 赤磐が豪快に笑うのを空鷹はにこやかに流す。しかし赤磐は既に国長の座を退いている筈なのに、何故ここに居るのか。

 そして空鷹が席に着いてすぐに、衣擦れと鈴の音が聞こえた。

「待たせたな」

 上座に現れた姿を見て、空席となっている十二国の国長、十二村家以外の国長達は首を垂れる。面を上げよという声に空鷹達が顔をあげると、今上帝、奈月彦の隣には珍しい姿があった。

(……おや、珍しい)

 空鷹からすれば然程珍しい顔でもないが、他の者からしたら彼がその席に収まって以来、数年振りに見る姿だった。覆面を垂らした東宮、夕凪宮────茅羽夜が奈月彦の隣に座っていた。()()()だろうとじっとその姿を見て、だがすぐに茅羽夜本人であるとわかった。体の端々から、面倒臭いという声が滲み出ている。

 その姿をみとめた国長たちが一瞬騒めくが、すぐに奈月彦が話し始めたので、それは本当に僅かの間だけだった。

「赤磐、そなた退いたのではなかったか」

「倅はどうも道中たちの悪い風邪をもらったようで、一日二日足止め喰らったんですわ。週明けの議会にはこちらへ着くと思うが、今回は間に合わんでな。代理がこの老いぼれの顔で悪いが堪えてくれ」

「いいや、頼もしい限りだ。余もまだ若輩故、そなたを隠居させてやれんで悪いと思っておる。さて、では早速で悪いが各々報告を頼む」

「はい。うちは今年、稲作の実りが悪かったですね」

 こういう時に真先に手をあげるのは一守家と決まっていた。一守家当主は四十半ば頃だが、彼の父である巌澄の存在が大きすぎて、やや頼りなく映る男だ。

「空梅雨だったもので、日照りで収穫量が落ちてしまって。国庫を開く程ではありませんが、税にやや影響が出始めています」

「うちは逆に水害で田殿に被害が出ている地域がありましたね。こちらも取り返しが付かない程ではないですが」

 そう言って溜息を付いたのは七国、七星家当主、安曇(あづみ)だった。七宮の更衣、葵依の父であり、大蔵省の長である彼は紺に近い髪を緩く編み、とても八人の父とは思えない程若々しく、柔和な印象を得る。

「そういえば七国は、最近妙な占いが流行っているとお聞きしましたが」

「おや、耳が少々遅いですね、二渡様。ええ、確かに夏に入る前にそのようなものも流行りましたが、今は収束しております」

「例の八年前の生き残りではという噂も耳にしておりますが、如何に」

 二渡家の当主、諫早(いさはや)は斎王である真陽瑠の母の兄、つまり叔父にあたる。七星の当主としても、決して他人とは言えない間柄だ。昔の話であるが。

 問われた奈月彦は顔色ひとつ変えずに答える。

「その件については既に現地に調査団を派遣して、収束を確認している。かの宗教団体との関連性は今の段階では明言出来ぬ」

「半年近く調査して、まだわからぬと?」

「我が国で流行ったものも、若娘達を中心に流行ったくらいで、然程手を広げていません。それに流行ったのも一月程で、すぐに廃れましたし」

「やはりあの時根絶やしにしておけば良かったのでは?」

 そらきた、と空鷹は胸中で苦く思う。発言したのは左向こうにいる十市原家、狭霧(さぎり)だった。

 十市原は十二国で起こった内乱の際に、難民が雪崩れ込み、かなりの痛手を負っている。それ故に、奈月彦が教主と国長の首だけで事を収めた事がどうも気に入らないらしかった。

(充分過ぎる補填を貰っておいてよくもまあ、そこまで突けるものだ)

 というのが空鷹の気持ちだが、国長として、彼は彼で民を守る義務がある。十一国とて他領の面倒を見れる程、豊かな国ではない。

「その件に関してはもう充分過ぎる程議論したと思うが、強すぎる押さえつけは新たな反発を呼ぶ。国を立て直すのが急務だった」

「しかし今になってかの残党が見え隠れしているというのも、据わりの悪い話です」

「ああ、そうだろう。ゆえに、こちらも依然調査を進めており、調査にはここにおる夕凪宮に一任しておる。何かあれば、彼に回してくれ」

 ざわ、と困惑が席巻した。空鷹と赤磐は知っているので何も言わないが、実際七国まで赴いたのは茅羽夜だ。その際に松葉を連れて行かせたのは赤磐の判断である。

「東宮殿下が、ですか?」

「左様。何か問題があるか」

「恐れながら、今まで公務に携わらなかった殿下には荷が勝ち過ぎるのでは?」

「そう思うのならご自分の目が節穴であると明言しているようなものですよ、十市原様」

 檜扇を広げて微笑む空鷹に、狭霧は細目をじろりと向けた。

「おや、流石の中務卿も娘婿には弱いご様子」

「ははは。まあ、可愛い愛娘の夫ですからね。しかし恐れながら、殿下は半分私がお育てしたようなものですので、少なくとも貴方よりは知っております。春殿はるどのに引っ込んでいるだけの木偶の坊、という噂を真に受けておられるようでしたら、己の浅慮を晒しているようなものです」

「随分と大きく買っているようですね」

「当然でしょう、言うなれば私の息子ですよ」

「ですが正直に申し上げて此度の殿下の婚姻に関しても、疑念があります」

 それまで黙っていた東宮がぴくりと反応する。空鷹としてはやはり来たかとうんざりとした気持ちだった。今日の議題に、絶対誰か言うと思っていたのだ。

「九条は先代の事もあります。養女とはいえ、東宮妃にまた九条の娘を据えるのは、些か早計過ぎやしませんか?」

「それについての苦情は星の定めになさって下さい」

「私は陛下にお訊ねしている、九条」

 黙っていろという事らしい。空鷹は肩を竦めて、口を閉じた。彼はどうも、一度は左遷させられたくせにのこのこと中央に戻ってきた上に、若年である空鷹が嫌いなようだった。空鷹としてはあの北国を纏め上げて、隣国が戦地になっても死者を最小限に留めた彼の手腕を、高く評価しているのだが。

 薄々、こうなることを予見していたのか、奈月彦の反応は淡々としたものだった。

「これの妃に関しては、そういう約定であった」

「約定?何です、それは」

「九宮はいずれ斎妃となる娘だということだ」

 まさか、と十市原の目が開かれる。彼だけでなく、空鷹と赤磐、そして意外にも佐草以外の国長達も何か言いたげな顔をして奈月彦を見ていた。 

「そんな馬鹿な話があっていいものか!先代と次代の()()()()()九条の娘が斎妃などと」

「せやかてあの斎王が占で見出した娘が、只人であるはずあらへんやろ」

 ずっと黙っていた佐草は扇を揺らしながら優雅に、しかしぴしゃりとした声で彼を叩いた。空鷹には強気な十市原だが、どうも佐草には弱かった。自分より長く国長の座にあるからだろう。彼は年功序列の意識が強いたちだった。

「そもそも、西南に巫術師が多いんは昔からやろ。歴代を見ても、まあ今代は二渡から出とるけど、うちか九国が二強や。刀振り回すだけの脳筋は黙っとり」

「しかし、九条には先代の一件がある」

「なんとかの一つ覚えのようにまーた先代の話かいな。えらい喰い下がりますなあ。余程自分とこの娘との縁談反故にされたんが気に喰わんかったんやね」

「八雲様!」

 かっとしたように狭霧は叫んだ。空鷹も十市原家が娘を東宮に入内させる気でいたという噂は知っていたし、茅羽夜がそれを突っぱねたことも知っている。

 顔を真っ赤にして立ち上がった十市原を「まあまあ」と宥めにかかったのは四月朔日家の当主である志摩(しま)だ。彼は娘である璃桜に実によく似た顔立ちの柔和な男性だった。どれだけ怒り狂った相手でも彼が仲裁に入ると不思議と、落ち着きを取り戻すのだ。治部省は雅楽もだが外国との外交も司るので、人当たりの良さというのは重要であるが、しかしこれでいて彼は中々隙がない。

「おお怖い怖い。せやけどそこまで言うんやったら、九条の姫に、ほんに斎妃たる資格があるか見せて(もろ)たらええねん」

 微笑む佐草はあの赤磐と対して変わらない年齢であるのが信じられない程に美しい。

 東と西は往々にして仲があまり良くないのだが、彼らに影で西の八尾やびだと呼ばれるだけあるなと自分を棚に上げて思う。

「二代続こうが三代続こうが、要は斎妃たる姫やって分かればええんやろ?その件については神祇の領分や、こちらに任せて貰おうか」

「陛下に対して流石に口が過ぎますぞ、八雲様」

「古より我ら八雲は()を頂く一族や。そないな事も忘れたか。耄碌したものよなあ、十市原の小僧」

 王とはつまり斎宮である斎王のことであり、八雲家は祭祀に纏わり、斎宮にのみ膝を折る一族だ。故に古くから天帝である帝には、一線を引いた唯一の家だった。女性が長として立てるのもこういった理由が大きい。

 狐に睨まれた彼はそのまま黙するのみだった。やはり、この女性はどうも苦手だなあと空鷹は再確認する。しかし空鷹の細君である真玲や真陽瑠を見ていたら分かる通り、東和の女性を敵に回して生き残れる者などないのだ。

「佐草。如何様にして、九宮の資格を示すか」

「そんなん実力を見せて貰うしかあらへんやん、なあ、殿下」

 ぱちん、と扇を閉じる音が大きく響いた。いつのまにか騒ついていた空気は一変して佐草に預けられている。

「そなたの対の星、しばし借りるぞ」

「……承知しました」

 茅羽夜の返答に、佐草はこの話は終いとばかりに満足げに頷く。向こうで十一国の国長が空鷹の方を射殺さんばかりに見てることは気付かない振りをして、やれやれと息を吐いたのだった。


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