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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 宮市が始ると、後宮に詰める女官たちは一気に浮き足だった。菫青殿には小鞠と刻葉以外の侍女は居らず、膳司ぜんし殿司でんしの女官が数名いるだけだが、それでも官女たちのわくわくした雰囲気はどことなく感じ取っていた。

 小鞠と刻葉は反物や菫青石の帯飾り、十一国で作られた美しい彫り物のされた玻璃の器、六国に入った外国の洋燈ランプや孔雀の羽筆ペンといった献上品を慌ただしく検分していた。どれも見るからに高級品だ。そして行商人は六国だけでなく東和全土から集まってきているらしく、その他にも色々な特産品が並べられている。

「見て下さい、姫様!これ、七国の染められた反物ですわ。なんて優美なんでしょう……こちらは四国の沈香、桂皮のお香……すごいわ、黒方も!」

「欲しかったらあげるわよ」

 勾欄に凭れかけながら鈴が言うと、小鞠はもう!と怒るが、刻葉は知らん振りをしててきぱきと献上品を片付けていく。既に一戦やり合った後だった。

「そんなに拗ねないで下さいませ、殿下もすぐに顔を出されますよ」

「……」

 茅羽夜が目覚めたという報せがあったのは、六宮から戻ってすぐのことだ。そこでまた刻葉と見舞いに行く行かないで一戦、今朝も朝餉を食べてから一戦して今に至る。

 茅羽夜が目を覚ましてくれたのは嬉しい。とても嬉しいし、昨日はおかげでぐっすり眠れた。今も「怒ってます」という顔をしているが、実際そこまで怒ってもいなかった。見舞いに駆けつけられないことを、若干拗ねてはいるが。

(東宮妃って、不便……)

 目を覚ますまで側にいてやることすらできないのだから、なんて狭苦しいのだろう。ちょっとくらい良いじゃないかとも思うが、これが帝であった場合、妃が全員押し掛けることになるのだから、規律というものは確かに必要なものだった。わかってる、わかっているのだが。

「はあ〜……」

「初菫の方」

「わかってますわかってます凭れ掛かるなはしたないと言いたいんでしょう。でも今日はちょっとくらい」

「六宮様がお見えです」

「えっ」

 刻葉の声に勾欄に倒れ込んでいた体を起こすと、そこには銀糸の織り込まれた桑の実色の唐衣を纏った銀朱が立っていた。後ろには新見も控えており、鈴は慌てて居住まいを正すも、先程のだらけっぷりを既に見られてしまったらしい。「だらしないわね」とつんと言った。

「いや、執筆中の銀朱様程じゃありませんけど」

「ま、まあ〜!言うじゃありませんの!せっかく、先日のお詫びに参りましたのに!」

 詫びに来たという態度ではないが、銀朱は小鞠たちの用意した円座に腰掛ける。鈴も彼女の前に座った。

「改めまして、先日は大変御迷惑をお掛けいたしました。御恥ずかしい所をお見せしてしまって、初菫の御方には会わせる顔も御座いません……」

「いえ、わたくしは何もしておりませんわ」

「それで、こちらはお詫びと言ってはなんですが……」

 深々と頭を下げる新見に、銀朱は彼女に持たせていた箱を差し出す。小鞠が受け取って、鈴の側まで持ってきてくれる。開けてみて、鈴は思わず「わあ!」と顔を輝かせた。

 重箱に入っていたのは季節の花を模った練り切りや色取り取りの団子、落雁の詰められた段の下には更に見たことのない平べったい焼き菓子と、更にその下にはふっくらとした饅頭のような菓子が詰められてあった。お菓子の詰め合わせだ。もしかしてここが天国か。

「甘いものがお好きとお聞きしましたので、外国の珍しいお菓子も取り寄せましたの」

「なんですか、これ……!」

重焼麺包クッキーという外国の焼き菓子ですわ。中に胡桃と干し葡萄や姫苹果を混ぜて焼いたものもあります。そちらのは蓮蓉包れんようほうといって蓮の実の餡を包んで蒸した菓子です」

「はわ……」

 思わず変な声を出してしまった。刻葉がじろりとこちらを睨んだが、涎を垂らさなかっただけ褒められたいくらいだ。

「これ、こんな、全部頂いても……⁉︎」

「勿論ですわ」

「有難う御座います!」

「お礼を言うのはこちらだと思うのですけれど……本当に変わった方ですわね、初菫様って」

 早速小鞠の淹れてくれたお茶と共に蓮蓉包とやらを食むと、ふっくらとした柔らかい皮に包まれた甘い餡が口の中いっぱいに広がる。小豆餡よりも上品な甘さかつ、しっとり滑らかな食感に鈴も思わず顔を緩ませた。いや、見た瞬間から緩みっぱなしではあったが。

「反物より、菓子にして正解でしたわね」

「幸せです……」

「ま、お手頃な幸せですこと」

 口調はつんとしているが、銀朱も鈴が気に入ったことに安堵したのかゆるりと微笑んだ。蓮蓉包を飲み込んで、鈴は新見の方を見る。

「そういえばわたくしにはお二人が何故あそこまで白熱とした舌戦を繰り広げていたのか理解しかねるのですが、ちゃんと和解出来たんですか」

「その件については今後とも協議を重ねる意向です」

「和解出来ていなかった……」

「古きより、根が深い問題なのですわ」

 鈴の後ろで小鞠もうんうんと後ろで頷いている。鈴にはわからない世界だが、彼女たちにとっては死活問題のようだった。

「あのそれで、ええっと、小説の主人公についてお聞きしたいのですけれど」

「では語りましょうか?」

「いえ。性別だけ教えて頂きたく」

「お聞きになりたい?」

 その返答で大体察した鈴は「やっぱり良いです」と首を振った。どうしてそんなことになっているのか、ちっとも理解が出来ないのだけれど、なんとか飲み下すしかない。

「小鞠に借りたやつは普通の男女ものでしたわよね……?」

「ええ、こちらの方を書き始めたのは去年あたりからですの。とある作家の小説を読みまして」

「冬月先生の御本です」

 新見がさらりと言った。小鞠も「ああ、あの本ですね!」と手を叩いて頷いた。どうやら所持してはいないが読書歴にはあるらしい。

「あんなに毛嫌いしてらっしゃったのに読んでるんですか⁉︎」

 しかもしっかりと影響を受けている。

「当たり前ですわ。敵を知らずに批評なんて愚か者のすることです。読んだ上で、心理描写と言葉回しに美しさがないと言っています。ですが状況描写は的確でわかりやすく、時代背景も作り込まれている点は評価しましょう」

「その辺は真面目ですね⁉︎」

 本当に、変なところが生真面目な姫君だった。だが見方を変えると、彼女は自分の中で確固たる芯を持っていて、それをうまく曲げる事が出来ない性格なのだろう。創作に向ける姿勢もだが、こうと思ったら梃子でも動かない人種だ。

 だが一度決めたことは絶対に走りきる気力も、他の意見を理解する柔軟さもあった。受け入れるかどうかはさて置き。

 方向性は違えども銀朱はどこか、根っこの部分が茅羽夜と似ているかもしれないな、と思う。

 そしてそういった人間が、鈴はやはり嫌いではなかった。

 

 

「本当に、お一人で大丈夫ですか?」

「子供じゃないんだから平気よ」

 何度目かの確認に、鈴はやや苦笑いで応えた。小鞠はそれでも心配そうにでも、と言い募るので、鈴は文字通り背中を押した。

「大丈夫だって!そんな何日も留守にするわけじゃないんだから」

「そうですけれど……お茶の場所とかわかります?」

「わかるわかる。厨に行けばわかるわよ、村娘だった時は自分でやってたんだから。年に一度の宮市くらい、ゆっくり羽を伸ばしてきてよ」

 宮市三日目の朝、小鞠は七宮の女嬬である青梅と宮市へ誘われていた。刻葉も朝から休みを出しているので、菫青殿には鈴しか残らないことについさっき気付いた小鞠はこうしてまごまごとしているわけだった。心配性過ぎる。

 結局そのあと二回、本当に大丈夫か確認した後、数冊の小説を鈴の腕に乗せて、小鞠は迎えにきた青梅と共に宮市へ向かった。

 そろそろと頁を捲ってみた所、どれも男女ものの小説だったので、ほっと胸を撫で下ろす。流石に例のあれはまだちょっと読む勇気が持てなかった。

 銀朱達からもらったお菓子の重箱のひとつと小鞠の用意した洋甘菊茶カモミールティーを準備し、中庭に面した廂に腰掛ける。厨を覗くと他にも菊花茶や蓮茶、黒豆茶などの茶葉が用意されていたので、あとで飲もうと思う。

(……しかし暇ね)

 別段寂しいわけではないのだが、こうも静かだと何をしていいのかわからない。元々人が少なくて静かな菫青殿だが、今日は人の気配がない分、より一層静謐さが満ちている。

 本でも読もうか、と小鞠が置いて行ったそれらに手を伸ばしかけた時、ふと人の気配がした。小鞠が忘れ物でもしたのかと振り返って、そこにいた人影に目を丸めた。

「ち……茅羽夜⁉︎」

 柱の影に隠れるように立っていた茅羽夜はびくりと一瞬肩を震わせて、そろりと顔を出す。その様子がまるで叱られた子供のようで、鈴は驚いたのもすぐに忘れて小さく笑った。

「そんなとこに居ないで、こっちいらっしゃいよ」

「……いいのか?」

「いいも何もないでしょ。あ、でもちょっと待っててね」

 厨まで行って茶器をもう一つ持ってきて、まだ柱の影でしょんぼりとした顔で立っている茅羽夜の手を引いて座らせた。花茶を注ぐと、爽やかな香りが広がる。

「はい、どうぞ」

「ありがとう……」

「もう歩き回って平気なの?」

「平気だ」

「なら良かった。心配してたのよ、本当に」

「俺よりも、鈴の方が……」

 そう言ってまだ包帯の取れないままの手首を見る。小鞠たちが大袈裟なだけでもうそこまで痛くはないのだが、傷はまだ治りかけだった。

「ごめん」

 静かに頭を下げる茅羽夜をみて、最近人に謝られてばかりだなあと思った。

「いいよ」

 確かに痛かったけれど、そのことに関しては別段怒っていない。それよりも、説明が欲しかった。

 そう言外に含ませると、茅羽夜は眉根を寄せたまま、海色の瞳は言葉を探すように彷徨っていたが次第にぽつりと話し始めた。

「……あの時は自分でも何がなんだかわからなくて、正直今も言葉にするのは難しい。ただ……前に、俺の龍の血が濃いという話はしたと思うけど、こういった発作的なものは定期的に起こるんだ」

「……それが、夢で苛まれるってやつ?」

「ああ。……前に、鈴が迷い込んだものと同じだ」

 輿入れの際に見た、あれだ。あの夢はただの夢ではなかったのだ。

「本当は鈴に話さなきゃいけない事は、他にもたくさんあるんだ。どうして俺が離宮に閉じ込められていたのか、俺の立場とか、陛下とのことも、全部。でも……」

 茅羽夜は言葉を切って膝の上で組まれた手を見下ろした。僅かな沈黙が降りる。

「……いいよ。今は別に、無理に話さなくても」

 迷っていた瞳が、はっとしたように鈴を見た。鈴はきつく握りしめられているその手を取って、白くなった指をほぐしながら微笑む。

 茅羽夜のことを、知りたくないと言えば嘘になる。けれど別に、無理に聞き出したいわけでもなかった。

「でもいつか、話して欲しい」

 あなたの言葉で。

 そう言うと、茅羽夜は一瞬泣きそうに顔を崩して、それから「わかった」と頷いた。彼が話したいと思った時に受け止められるように、傍にいることしか出来ないけれど。

(今は、それでもいいや)

 鈴に出来ること、出来ないこと。後者の方が今は圧倒的に多い。それでもひとつずつ重ねて、解いていけばいいのかもしれない。銀朱の言うように鈴も茅羽夜も、今はまだいろんなことに戸惑いながら、手探りで。

 ほぐした指に自分の手を乗せて、鈴は少しだけ高い位置にある肩に頭を寄せる。茅羽夜の緩く結われた髪が頰に当たって少しだけ擽ったい。

「でもあれね、妃って不便ね。わたし、お見舞いに行きたくて何度も直談判したんだけど、全部追い返されちゃったのよ」

「ああ、松葉から聞いた」

「何で松兄さん知ってんの……」

「松葉は小鞠から聞いたって。文のやりとりをしているらしい」

「うっそ、あのふたりいつのまに!」

「あと、松葉はうちに配属になったんだ」

「何それ聞いてないわ!縁兄さんも松兄さんも茅羽夜の側にいるってことじゃない、そんなのずるい!」

「ずるいって……」

 縁寿は聞いていたが、松葉は東宮付ではなかったはずだ。一体いつのまに昇進したのか、鈴はきいていない。小鞠は知っていたのだろうか、というか小鞠と文通していることも今初めて知った。いや、いちいち鈴に報告するようなこともないのだけれど、それでも何で教えてくれなかったのかという気持ちがある。

 思わず頭をあげて訴えると、茅羽夜は微かに笑った。

「なら、鈴も来る?」

「へ?」

 どこへ?と間の抜けた返答をすると、茅羽夜は何でもないように「東宮に」と言った。

「いやいや……え?なに?東宮にって?」

「東宮の宮には妃のために作られた殿舎もあるんだ。特に先代は妃が多かったから、一時期、今の一宮も住んでいたことがある」

 一宮、玉椿は今上帝が東宮だった頃に迎えた妃だ。聞けばお二人は幼馴染なのだそうだ。確か彼女は陛下が幼い頃から仕えていた、指南役であった左大臣の孫娘だったはずなので、まあそういうことなのだろう。

「え、え、じゃあなんで今までは……?」

「俺も宮を空けることが多かったから後宮の方が他の妃達もいるし、安心かと思ったんだ。東宮には俺がこうだから、あまり女官も置けないし、元々斎宮の提案でもあったし。でも鈴がそう言うなら、東宮の宮に引っ越せるようにするけれど」

「いいの?」

「うん。今すぐってわけにはいかないけど、多分来月末くらいまでには」

「本当に?嬉しい!」

 鈴が身を乗り出して食い気味に言うと、茅羽夜は先程とは違う意味で目を丸めた。それが出来るならもっと早くに言って欲しかった。

「茅羽夜が寝込んだ時に、何も出来ないのがすごく嫌だったの。だから嬉しい。あ、でも寝込んでほしいわけじゃないからね!」

「わかってる」

「無理してほしいわけでもないから!」

「うん、わかってる」

 本当にわかっているかどうか怪しいが、鈴は今朝までの拗ねた気持ちはどこへいったのかすっかり上機嫌になっていた。鈴が手を握ったままもう一度茅羽夜の肩に頭を乗せると、不意に自分の頭にも僅かな重みがかかる。

「あ、そういえば、こないだ言ってたちあきって人だけど」

「……うん」

「小説の登場人物よ」

「……え、小説?」

「そう、小説。茅羽夜にちょっと似てるの」

 似てるも何も茅羽夜が骨組みになって作られているのだが、そのへんは黙っておいた。頭上に聞こえる茅羽夜の「そうか」という安堵にも似た声にもしかして、ちょっとくらい気にしてくれたのかなと思う。

(そうだといいな)

 掌の温もりを分かちあっているこの瞬間のように、茅羽夜の中にも自分と同じ気持ちがあればいい。

 そうしてこういう些細なひと時をこれからもずっと、二人で重ねていけたらと思いながら共に秋の風に揺れる花々を眺めた。


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