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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
一章・東の龍と西の娘
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 九国の中でも西南端にある里から帝都の宮までは早馬を飛ばしても七日はかかる。衣装の入った唐櫃や籠を抱えての行列がその倍以上かかることになるのは、当然のことだった。

 比較的体力に自信のあった鈴も、慣れない馬上の旅は少々堪えて最初の宿に着いた頃には一人で歩けない程へとへとになっていた。


「大丈夫か?ほら、手を貸せ」

「松葉さん、わたしは先に部屋を整えて参りますね」

「おう、頼んだ小鞠」

「ふたりともありがとう……」

 鈴にとって最大の幸運と言えたのは、元から護衛として来た松葉に加えて、鈴の侍女として小鞠が来てくれたことだった。行列の中に彼女を見つけた時の安心感と言ったらなかった。あの時の鈴は、きっと母を見つけた迷い子のような顔をしていただろう。


「何か食べられる?それとも先に湯浴みに行く?」

 部屋を整えてから普段着──といっても村娘の時に着ていたような麻の着物ではないが──に着替えてやっと息をつけた。幾重にも重ねられた花嫁衣装はなんといっても重いのだ。春先とはいえ何重にも着込んでいたせいで身体中べたべたして気持ちが悪かった。

「湯浴みがいい」

「わかった、すぐに支度するね」

 小鞠は人がいるときは畏った話し方をするものの、二人の時はいつものような砕けた口調でいてくれた。それが、どれ程有難いことか。

 唐櫃を開けて寝衣を一式取り出した所で、戸の向こうから呼びかける声がある。松葉の声だ。

「今日の寝ずの番に当たる者を連れて参りました」

「どうぞ」

「失礼します」

 からりと引き戸を開けると松葉と、もう一人青年が伏礼していた。顔を上げさせて、鈴は「あっ」と声をもらした。その顔に見覚えがあった。

「昨日のひと!」

「昨日?ああ、あれか、迎えに来たって言う」

「そう、この人!」

 彼の髪はあちこち跳ねているのは同じだが、鈴や松葉たちと同じ濡羽色をしていた。長い前髪も同じで、昨日と違うのはその髪の隙間から黒い眼帯が見て取れたことだ。昨夜はなかったのか、髪で隠れていただけなのかは何しろ暗かったので判別がつかない。

 青年はぼんやりとした眼差しで首を傾ける。瞳の色は昨日の人と同じ紺瑠璃だ。

「不思議な事を仰いますね、私は昨日、姫様にお会いしておりませんが」

「嘘、絶対会いました!」

「どこで?」

「え、ええっと、それは……」

 立ち入りが禁じられている山の祠でとは言えない。そんなことを口にしようものなら松葉から長い叱責を喰らうのは目に見えている。松葉とて幼い頃は腕白で利かん坊だったくせに、鈴が山へ立ち入ったり危ない事をすると烈火の如く怒るのだ。男女差別だと思う。

 そもそも、鈴は山へ立ち入る事を禁じられてはいないのだけれど、それは松葉の預かり知らぬ所であったから鈴は口を噤む以外になかった。

 何といえばいいか迷っていると不意に彼の目と合う。じっと深い瞳に見つめられて、鈴はたじろぐ。

「……やっぱり、人違いだったかもしれない」

 考えた末、そう言うことにしておいた。松葉はどこか怪しんでいるようだが、それ以上なにも言わなかった。

「改めて、こいつは茅羽夜(ちはや)。俺と同じ、お前の護衛だ。若いけどすっごい腕は立つから、安心してくれ。今日の寝ずの番は茅羽夜だから隣の部屋に詰めて貰うけど、変な気を起こしたらダメだぞ、鈴」

「待って、起こす方はわたしなの? 普通逆じゃないの? ねぇちょっと」

「それだけ元気なら飯もしっかり食べれるな! 湯浴みに先に行くんだろう、見張りとして茅羽夜を付けるからゆっくりしてこい。ここの温泉は名湯だぞ」

 それだけ言って、ぴしゃんと戸を閉めた。どっと疲れが出たが、湯殿へ向かう足取りはさっきよりも軽いような気がした。こういう時、松葉が側にいてくれるのは有り難かった。朗らかな彼はいつも鈴の疲れを吹き飛ばしてくれる。初夏の風のような人だった。

 茅羽夜と呼ばれた青年は鈴達の後を数歩離れた距離で付き従い、やがて湯殿の前に辿り着くやいなやその場に静かに座り込んだ。ここで待つということだろう。

「小鞠もここで良いよ。あとはひとりで大丈夫だから」

「そうですか?では、わたくしは御膳の支度の手伝いに参ります。……茅羽夜殿言いましたか。呉々も、姫様に大事なき様頼みましたよ」

「承知」

 小さい里とはいえ皆の上に立つ長の娘らしく、小鞠は華麗な足捌きで素早く去っていった。彼女も初めての旅で疲れてるだろうに、全然疲れを感じさせない。松葉のそばに居られるのがそれほど嬉しいのだろうか。恋する乙女は何より強いのだなと彼女の後ろ姿を見送りながら改めて感心した。

 不意にそこでじっと目を閉じた茅羽夜を見下ろす。髪の色以外、顔立ちや背丈の感じはやはり昨日見た彼と同じだ。彼が抱えている剣に下げられた龍の彫りの入った玉も、まるで同じなのに知らないと言う。髪色の違う双子の兄弟でもいるのだろうか。それともやっぱり彼の姿を借りた、山神様だったのだろうか。

「貴方、本当に昨日の方ではないの?」

「……」

「ねえったら」

「……」

 うんともすんとも言わなくなった。元々口数の多い方ではないのだろう。鈴はとうとう話しかけるのを諦めて、湯殿の暖簾を潜ったのだった。


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