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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 行商人が宮市を広げるのは外廷の一番外側の門、瑞華門ずいかもんから入ってすぐの広場だ。

 下界へ通じる瑞華門を潜ってまたさらに幾つかの門を通って、真っ先に見える建物が謁見の間がある白龍殿、その奥にあるのが政を行う仁寿殿、そして左右には八省の官舎があり、奥に行けばまた白壁に隔てられた区画に出る。そこが後宮と内廷だ。

 なので後宮から宮市の様子は見えないかと思いきや、山の斜面に建てられている後宮と内廷は北側がやや高台になっており、少し登れば外廷の一番手前が辛うじて見える。

 北西の紅玉殿からはすでに露店が広がりつつある市の様子が見えるらしく、葵依たちもどこかうきうきとした表情で教えてくれた。が、鈴の表情は一向にこの秋空のように晴れ晴れとせず、沈鬱な顔のままだ。

(茅羽夜が目覚めなくてもう三日……)

 宮市の開催を明日に控えた今日、茅羽夜は未だ目を覚ましていないらしい。

 待つ事が兎にも角にも苦手な鈴は、まず正攻法で真陽瑠に訴えた。

 しかし「じきに目を覚ます」とやんわりと追い返され、この三日で鈴は後宮を何とか抜け出そうとして刻葉に捕まり、一日は菫青殿の西棟に閉じ込められ、一日は刻葉に大量の課題を出されて見張られ、そして三日目には葵依を呼ぶという封じ込めにかかった。

(普通、東宮が三日も目覚めなければ大事になりそうだけど)

 葵依や玉野たちの様子からして、茅羽夜が伏せっている件は公にされていないようだ。玉野はともかく葵依は素直な気性なので、耳に入っていれば確実に、鈴を励まそうとあれこれしてくる気がしたが今は宮市が楽しみで仕方ないといった様子だった。

(そもそも茅羽夜が顔を隠しているのって、多分目の色と肌の一件よね)

 茅羽夜の目は右が深い藍色、左が稲穂の黄金色をしている。さらに普段外へ出る時は眼帯をしている左目の周囲は鱗状になっていた。

 縁寿曰く、武官が眼帯をしていることは、然程珍しくないらしい。前線を経験していれば尚の事だ。なので()()()官吏が眼帯をつけたまま歩き回っていても、誰も気にも留めない。

 しかしこれが東宮ともなると話は別だ。彼は先の覇権争いの際に顔に大きな傷を負って、人前に出るのを嫌がっているというのが世間の認識である。

 世の中には隠されると暴きたくなるという変な性癖を持った人間が意外と多く、東宮の隠された素顔を見ようとする輩は、彼が東宮として復権した際に度々あったらしい。

 そうまでして隠したい理由を考える。

(龍の御子であることは瑞兆ではないのかしら)

 普通なら、神祖の先祖返りとして丁重に扱われても不思議ではない。

 いくら東和が他宗教国家だとはいえ、民の神祖への信仰は根強い。八年前は戦乱時期で暴動も大きくなったが、十二国領内で収まった上に、そのあと今上帝が即位して治世が安定した後はみるみる勢いを落としていったのが良い例だ。結局民とはそういうものである。

 それ以外だと、陛下と殿下の対立をこれ以上大きくしない為というのも考えられた。

 正直、茅羽夜が龍の血の濃さを理由に帝へ担ぎ上げられたとして、ちゃんと治世を築けるか、と問われたら不安がある。何しろ村娘を妃に迎えるため、西の最果てまで自らやってきた男だ。その下につく者たちは大変だろう。

 瑞兆だなんだと変に担ぎ上げられて帝位に据えるより、顔を隠して引き篭もってるように見せかけた方が世のため人の為なのかもしれない。

(でも何かしこりが残るのよね……というかそもそも瑞兆だとして、あんなに苦しむことがある……?)

 茅羽夜には何かあるのかもしれない。上が隠しておきたい程の秘密が。

 だがそれなら、それこそどこかの離宮に閉じ込めておいた方が良いだろうに、茅羽夜としては自由に出歩いている。隠したいのか何なのかいまいちわからない。

(だめだ、難しいこと考えられない。うー、こういう時、縁兄さんの頭が羨ましい……)

 松葉とは頭の作りだけならはっきり言ってどっこいなので羨ましくない。

 鈴がこめかみをぐりぐりと解していた時、庭を眺めていた葵依が不意に表戸の方を見た。何やら騒がしい。

「初菫様!」

 小鞠に連れられて菫青殿に駆け込んできたのは名前まではわからないが、見覚えのある侍女だった。腰紐に真珠を下げているので、葵依もどこの者かわかったらしい。

「六宮様の……」

「どうなさったの?」

 葵依の手前だからか侍女は一瞬困ったような顔をした。それで、鈴は何となく用件の内容を理解した。

「恐れながら、銀朱様がすぐに来て欲しいと」

「あら。では、わたくしはそろそろお暇致しますわね」

「ごめんなさい、葵依様」

「いいえ、お茶ご馳走様でした」

 気の遣える女性、葵依が玉野と共に紅玉殿へ戻っていくのを見送ると、鈴はそのまま真珠殿へ向かった。

 真珠殿の中は普段は客の前まで出てこない下女までが駆り出され、厨子を覗いたり、庭の生垣を掻き分けたり、右往左往していた。鈴が来た事にも気が付かない程だ。

「もしかして、失せ物ですか?」

 そして葵依の前で言いにくい失せ物といえば。

「初菫様!ああどうしましょう」

「落ち着いて下さい、銀朱様。まさかとは思いますが、原稿……失くした、なんてことは……」

 真っ青な顔をした銀朱が鈴の言葉にこくこくと頷いた。先日ようやくいつもの彼女の調子を取り戻したというのに、数日前に逆戻りしている。

「昨日まではあったのよ、もう新見の確認も終えて、紐で綴じて、あとは渡すだけになっていたの」

「紐で綴じてあったなら、風に飛ばされたというわけでもなさそうですね……」

 何しろ人を殴り殺せそうな程の紙束だったのだ。あれを運べる風が真珠殿の中に吹いていたら、流石に原稿の紛失だけでは済まない。

 と、なると誰かが故意に持ち出した以外考えられないのだが、周囲の様子を見る限り、誰も知らないらしい。他の貴金属などは何も無くなっていないのに、原稿だけが、忽然と消えたのだという。

「どうしましょう……」

「心当たりとかないのですか?」

「……心当たり」

 ぼんやりと呟く銀朱の視線がさっと揺れる。

「あるんですか?」

「いえ、関係があるかは、わかりませんけれど」

 そう言って厨子の中から取り出したのは、折り畳まれた数枚の紙を束ねたものだった。一部はくしゃくしゃに丸めたあとに広げたような跡がある。

 銀朱からそれを受け取って、紐を解くと、その中に書いてあったのは。

「……発刊を中止せよ」

 妙に角張った字で大きく紙一面に書かれていた。先程まで憔悴しきった顔をしていた銀朱は憤然と頷く。相変わらず感情の振り幅が大きい。さっきまで泣いていた烏がもう怒っている。

「数日前に届いていたのです。馴染みの業者から届く文に混ざって」

「業者からの文?」

「読者からの感想文ですわ」

 銀朱は本名で出しているわけではなく、筆名を使っている。感想を届けたい場合は奥付にある印刷業者に送るしかない。そういった文は一度銀朱の父である国長に渡って、定期的に銀朱の元に送られてくるらしい。

 そういえば、と鈴は思い出す。先日、確かに銀朱は数通の手紙を確認した後、嫌な顔をしてそれを丸めて屑籠に捨てていた。あれがこの手紙だったのだ。

「どうして黙ってたんです」

「別に、大した事じゃありませんもの。こういう手紙を貰ったのは初めてではありませんし、匿名希望でしか書けないような臆病者の為に、わたくしの本を待つ皆々様をがっかりさせる訳には参りません」

 ふんと鼻息荒く胸を反らして見せる。怒りで段々と調子が戻ってきたのか、さっきまで青い顔をしていた銀朱の頰がうっすらと赤みを帯びてきた。

「それに何より、冬なんとかに負けたと思われるのは癇に障ります!」

言わ(書か)れたことがあるのね……)

 鈴は疎いのでその辺の対立を知らないが、消費者というものは容赦がない。

 好みが千差万別であるのはわかりきっているのに、自分が好まないものを排除しようとする。取捨選択の権利があるのは消費者側なので、好みでないものは読まなければいいだけなのだが、存在が許せないという過激派も一定多数いるのだ。困った事に。

「ですが今回のことに関係ないでしょう。初菫の方には大変申し訳ないのですが、人手はひとりでも多い方がいいのです。どうか手伝ってくださいまし」

「これだけの人数で探して見付からないとなれば、もう宮の外くらいしかなさそうですが……」

 女御の宮に忍び込んで、原稿だけ盗んでいくなんて正気とは思えない。確かに市井で流行りの葉牡丹先生の新作だろうが、それよりも分かり易い価値のあるものはたくさんある。となればと考えて、ふと最近馴染み深い侍女の姿がないことに気が付く。

「……あれ、そう言えば新見はどちらに?」

「彼女は生垣の向こうを探しているはずよ。綴じているとはいえ、紙ですからね」

「成程。失くなった事に気付いたのは、いつ頃です?」

「ほんの半刻前かしら」

「保管していた場所はどちらですか?いつもの執筆部屋です?」

「いいえ、わたくしの寝殿の文机の上よ。明日すぐに渡せるように」

 どうやら予め、馴染みの業者が上がれるように手を回しているらしい。

「連れて行って貰ってよろしいですか?」

「構わないけれど……」

 そこはもうとっくに探したと言いたいのだろう。だが、鈴としてはあちこちを探し回るつもりはなかった。

 鈴は筆と硯をお借りして、寝殿の文机に術を書き付けた紙を置く。銀朱に頼んで髪を数本貰い、それを包むように紙を折る。ひとつ柏手を打ち鳴らすと、紙はひとりでにむずむずと動き出して一塊になり、やがて小さな雀くらいの鳥になった。銀朱の目がこぼれ落ちそうな程まん丸になる中、鈴はその雀を指に乗せる。そして指を振ると、小鳥は羽を広げて飛んで行った。

 失せ物探しは巫術のいろはのロくらいである。

「さあ、着いて行きましょう」

「え、え、ええ!?何ですの、今のは!」

「失せ物探しの術ですよ」

「初菫様、術師でしたの?」

「はい」

 真陽瑠も知っているし、璃桜もどこからか仕入れて和琴について聞いてきたので、てっきり銀朱も聞いているものだと思ったのだが、知らなかったらしい。お渡りの情報は入っていたのに、本当に後宮の情報網は不思議だった。

「今それより、あれを追い掛けましょう!」

 そういって六宮を飛び出したはいいが、小鳥を追いかけることは中々難航を極めた。

 鈴だけなら何とかなっただろうが、後ろをついてきた銀朱は長袴で走る事に慣れていない。いや、やんごとなき姫君としては慣れている方がどうかしているのだが、出来ればその件については突っ込まないで頂きたい。少々障りがあるので。

 それに走ると言っても鈴からしたら早歩きくらいで、そこまで大きく足を動かしているわけでもないが、鈴と銀朱の差はあっという間に広がっていた。小鳥の位置は術者である鈴にはすぐわかるが、銀朱はそうもいかないので鈴は時折、振り返って赤毛の姫が般若のような顔で袴をさばいて進んでくるのを確認せねばならなかった。

 六宮の侍女はどうやら着いてくることを断念したらしく、銀朱の後ろには気遣わしげな小鞠がいるだけである。

「一体、どこま、で、行けば、いいん、ですの」

「鳥が行き着くまでですよ」

「初、菫、さまは、なんで、そん、なに、涼しい、顔をしてらっしゃる、の……!」

 息を切らしながら言う銀朱の前を行く鈴は「これがお姫様の体力か……」と思いながらも子供の頃、体が弱かったと聞いた事を思い出して少し歩調を緩める。

 後宮に上がってから運動量は格段に減ったが、伊達に東和三霊峰に数えられる九頭龍山で育ってきたわけではない。

 それに加えて、刻葉は今でも時々思い出したように一日中鈴を部屋の端から端まで歩かせる。基礎体力も鍛え方も違うのだ。

 道ゆく女官たちは東宮妃と六宮の女御が連れ立って早足に回廊を歩いているのに驚きつつも、さっと道を空けてくれた。銀朱の形相に対して恐れを成したとも言える。彼女達の精神的外傷トラウマになっていないことを祈った。

 そうしている間にも鳥はすいすいと宮の間を跳び潜り、外壁の方へ飛んでいく。

 これには流石に鈴も履き物を用意せねばならず、やや時間を食った。正確に言えば裸足で飛び出して銀朱にこっぴどく叱られ、小鞠が慌てて履物を用意してきたのだが。

 だがこれ以上向こうに行かれると大変に困る、この先はすでに外廷へ通じているのだ。そうなると外の人間に頼まねばならなくなる。探し物の面でも術を使っている点においても、それだけは避けたい。

 しかし鈴の懸念は杞憂に終わり、小鳥は外壁のすぐ側に拵えらえた塵の焼却炉の上空を旋回したかと思うと、小さな「きゃあっ!」という悲鳴が聞こえた。

 声のした方に向かうと、焼却炉の前には一人の女官が立っていた。

「……新見」

 驚いたように振り向いた新見の手には、綴じられた紙束が握られている。まだ灰も被っていない、綺麗な上質な紙のままだ。今し方拾い上げたものではない。

「新見……あなた、どうして」

 銀朱にもこれから彼女がしようとしていたかもしれない行動が読めたらしく、肩で息をしながら一歩踏み出した。

「それをどうするつもりだったの」

「……」

「新見!」

「……申し訳ありません」

 謝罪は肯定だった。銀朱が唇をきゅっと結ぶ。

「あの文も貴女?」

「……」

 沈黙も肯定だった。新見は銀朱付きの侍女だ、届いた手紙の中に自分が書いたものを混ぜることなんて簡単だろう。文の件も原稿を持ち出す件にしても、手段において、新見の立場なら外部から盗みに入るより遥かに楽だ。けれど。

「どうして……?だって貴女もあんなに、発刊を楽しみにしてくれていたじゃない」

「そうです。わたくしは銀朱様の書かれる物語が好きです。愛読者第一号であると、自負しております」

 言い逃れ出来ないと悟ったのか、新見は原稿を胸に抱いたまま、ゆっくりと口を開いた。

「けれど……けれどこれだけは、発刊させるわけにはいかないのです」

 苦痛に満ちた瞳とかち合う。彼女とて、何も銀朱が憎くて原稿を盗んだわけではないだろう。

 新見だったら完成するまで、いくらでも処分する機会はあったはずだ。それに紛失騒ぎがあってから銀朱が鈴を呼んで、術で此処まで辿り着くのに、もう既に一刻が経とうとしている。紙束を燃やして灰にするにはお釣りも出る時間だ。

 それでもまだ、その手には紙束が握られている。燃やすかどうか迷っていたに違いない。

 それなのに何故?

「────……逆なのです」

「え?」

 ぽつりと振り絞るような声が聞こえた。逆?何が?と問おうとした鈴の隣で、銀朱が言葉を失ったよう硬直していた。すぐ後ろの小鞠を見れば、彼女もやはり口元を両手で覆って目を見開いている。言葉の意味がわからず驚いているのは鈴だけらしい。

「ま、まさか……そんな、ねえ冗談でしょう」

「いいえ、銀朱様。わたくし、自分にもう嘘は吐けません」

 完全に鈴を置いてきぼりにして話が進んでいる。

 新見はぎゅっと原稿を握りしめ、そして強い瞳を銀朱に向けた。

「何故、光属性主人公が受ける側なのですか!」

「だって王道でしょう!?人間関係に疲れ果て、闇を抱えた見目麗しい青年が最果ての地で出逢った明るくて真っ直ぐな純朴な()()に心惹かれていくのは!」

 いまとんでもない単語が聞こえたのは気の所為だろうか。気の所為であって欲しい。いやきっと気の所為だろう。ここのところ寝不足であったし。

 銀朱の言葉に新見はすぐに反発した。

「いいえ!心に傷を抱えた青年が癒し支え導く主人公に劣情を抱きながらもこんな自分を見せたくなくて隠し通していたにも関わらず主人公に見つかりそのまま押し倒され、見上げた無邪気天真爛漫の素顔から覗かせる顔に胸の高まりを抑えきれない闇受けこそ至上でしょう!?」

 長い。新見は息継ぎどうしているのだろうかと心配になる程の長文を一気に言った。

 そして早口でうまく聞き取れなかったが、鈴はすぐに聞き取れなくても何ら問題ない言い分であろうと直感的に悟っていた。

(わからない、何一つとしてわからない……わたしは一体何を聞かされているの……?)

 困って側の小鞠に助けを求めるけれど、彼女はどうやら銀朱側の人間らしい。新見の早口長文に分かりやすく首を振って拒否している。長年付き合ってきて食の好みも怒った時の癖も知り尽くした親友だが、初めて彼女のことがわからないと思った。

 慄き後退る鈴など眼中にないようで、ふたりは散々言い合っていたが、最終的に原稿は銀朱の手の中に戻っていた。その間にやり取りされた長文は聞いていなかったのでわからない。

(まあ聞いたとしても多分理解出来なかっただろうけれど……)

 鈴は疲れているのにどこかすっきりとした顔をしているふたりと、そんな二人を見てうんうんと頷き合っている自分の侍女を見ながら高い秋の空を見上げるのだった。



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