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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 待たせていた小鞠を六宮まで連れてくると、彼女はつい二月前まで「なんていけ好かない女なのかしら」を丁寧に求肥と餡で包んだような言葉を投げていた銀朱が愛読していた小説の作者であることを知り、あらゆる感情をごちゃ混ぜにしたような顔をした。複雑という言葉を表すならきっとこんな顔だろう。

「文章と()()は乖離して考えるべきというのは……理解しているつもりでしたわ……ああ、けれど、どうしてあの繊細かつ胃がきりきり痛むような重厚な心理描写を書きながらもそれでいて読了後には初夏の爽やかな風が胸を過ぎるような作風である葉牡丹先生が、よりにもよって浜木綿……!」

「ん?浜木綿がどうかしまして?」

「すみません、彼女の生来の天敵を思い出したらしく。発作のようなものなので置いておいて下さい」

 銀朱に聞こえないぎりぎりの声量でそう言いながらもその愛読書の原稿を決して粗末に扱わない、自分に正直な小鞠だった。銀朱のことを毛嫌いしているのに彼女の作品のことは敬愛しているらしく、くっと唇を噛んで悔しそうな顔をしている。そこまで……。

「ですが、六宮様が執筆なさっているとは意外でしたわ」

「そうかしら。わたくしは消費者側であると?」

「ああ、いえそういうわけでは。気に障ったのでしたら申し訳ありません」

「構いませんことよ。わたくしも、書き始めたのはここ数年ですし」

 ふう、と脇息に凭れ掛かった銀朱はそのまま文机の上に乱雑に置かれた紙の束を見やる。

 今はしっかりと重石が乗せてあるが、どうも先程のはそこからうっかり飛んでしまったらしい。その横にはくしゃくしゃに丸められた紙が乱雑に捨ててあり、銀朱の部屋とは思えない程の荒れっぷりだ。

 ちなみに六宮が現在静まりかえっているのは彼女の執筆を邪魔しないためらしい。いつもはわらわらと出てくる侍女達が予想外の来訪者の対応に誰も出てこないのも、銀朱が言い含めているからだ。徹底している。

「ええと、それで執筆を手伝えとは……」

「実は今、今度の宮市に出す本を一冊執筆しているんですが……」

「えっ凄い」

 宮市というのは先程の茶会でも出ていた話題のひとつだが、今月の半ばに、六国から大規模な商隊がやってくる。今代から始められた秋祭りのひとつで、なんと宮中に三日程、龍田の市場のような露店が並ぶのだそうだ。

 後宮の侍女達が回れるのは三日のうち二日目と三日目のみで、青梅の話を聞くと、簪や小間物は勿論のこと、天然石や甘味、反物、染め物、更には外国の変わった骨董品まで様々なものが売られるらしい。

 妃は残念ながら市自体へ赴くことは叶わないが、一日目は商人が直接、後宮の宮まで上がって献上を許される。

 今上帝は質素倹約を理念として掲げているが、お金の使い所はきちんと把握している男だった。

 銀朱は馴染みの木版印刷の商人も来るという情報を父から聞いていたらしく、そこに、自分の執筆した本を出す予定つもりらしい。彼らに渡せば市井にも卸して貰えるのだとかで、既に父の許可も取っているとのこと。ちなみに小鞠が一番好きな本は昨年の秋祭りの時に出したものらしい。宮市は銀朱の父、六国の国長が協賛スポンサーとなっている祭なのだ。

 しかし。

全く書けない(スランプ)んですの」

「す……?え、今なんと?」

「書けないのです……!構想が!浮かばなくて!どこかで見たようなありきたりな人物像……いざ書き出してみたら纏まりのない構想に起承転結……!同じような言葉回し!」

 本当に今まで見てきた銀朱と同一人物だろうかと疑いたくなる程の悲痛な声に、小鞠がはっと胸を突かれたような顔をする。何か読書好きの琴線に触れるものがあったらしい。残念ながら鈴は彼女の苦しみをわかってあげられないが、銀朱がここまで振り乱しているくらいだ。何かしてやりたいとは思うのだけれど。

「ですがわたくしはあまりお役に立てないかと思いますが……その、読書も然程得意ではありませんし」

「ああ、それは存じております」

 存じられているらしい。そう言われるとちょっと悔しい気持ちが芽生えてしまう。

「初菫様に手伝って頂きたいのは話のネタ出しです」

「申し訳ございません、わたくしにも理解出来る言語でお願いします」

「物語の案ですわ」

「申し訳ございません、わたくしではお役に立てそうにありません!」

「何でもいいのです!こう、何か面白い話とかありませんか?初菫様なら高貴な生まれであるわたくしの知らないようなお話のひとつやふたつ、お持ちでしょう?」

 小鞠が一瞬「うちの主人を何だと思ってやがる」の顔をしたものの、すぐにまた「どうしてこの女が……」という嘆きを浮かべて俯いてしまった。うちの侍女の顔が忙しい。

「あの……ご期待に添えず申し訳ないのですが、わたくしも至って普通の人生を送っておりまして……」

「あら、東宮妃が普通の人生だと仰る?」

 そうだった。なにぶん、茅羽夜がああなので自分が東宮妃であることを一瞬忘れていた。言葉に詰まった鈴に、銀朱は「そうですわ」と手を叩いた。

「東宮殿下とはどのような方ですの?」

「茅……殿下ですか?」

「ええ、あの年始の祭祀にすら姿を表さない殿下が蛍見にまで参加されるくらいですもの。一体どのような経緯があって、あの人嫌いな方を手懐けたのです?」

「てなづけ……」

 どうやら蛍見の際に茅羽夜が現れたのは相当珍しかったらしく、あの後陰陽寮まで、星に天変地異の前触れが出ていないか確認しに来る官吏までいたらしい。

 みんな東宮をなんだと思っているのか。と憤慨したいところであるが、これは正直言って茅羽夜の日頃の行いが悪いと思う。まさか一年の最も大事な慶事である年始の祭祀まで欠席しているとは思わなかった。そんな彼が、陛下主催の宴とはいえただの蛍見に現れたら、それは驚かれるだろう。

 おまけに夜を共に明かすことは滅多にないが、それでも足繁く彼が菫青殿に通っている為、最近は鈴が珍獣を手懐けた調教師扱いされていることも知っている。勿論、仮にも東宮妃に面と向かって言う強者はいなかったが。

 目の前の彼女はその栄えある一人目である。

 だが困ったもので、鈴と茅羽夜は公に話せる出会い方をしていない。

「ええっと……幼い頃に少しだけ会った事がありまして……」

「まあ!そうでしたの、でも確かに東宮殿下は幼い頃九条家に居られましたものね。殿下のお母様は宮様の侍女でしたし、九条の後盾を得るまで、ご苦労なさったとお聞きしますし」

 一を話して十になって返ってきたので鈴は驚いた。真陽瑠の侍女が茅羽夜の母であるのは初耳だった。

「それで?」

「え、えーっと……そこでちょっと、怪我をした殿下をお助けしまして。その時は殿下とは存じ上げなかったのですが、輿入れの際に判明しまして」

「まああ……!運命の再会でしたのね!?それでそれで?」

「いや、その、それでと言われましても、それで終わりです。本人自身も噂程ではありませんけれど、人嫌いなのは違いないですし、無愛想ですし、口数もそんなに多くもないですが、話しかければ応えてくれます。あ、宮にはよく食べ物を持ってきてくれます」

外見ビジュアルは?」

「申し訳ありません、わたくしにも理解る言語で……」

「お顔は?」

「めっちゃ良いですね」

 しまった、と思わず出てしまった素の言葉に口を押さえたがいつの間にか筆と紙を携えていた銀朱は興奮気味に「詳しく!」と前のめりになる。そこでようやく美しいものが好き、という彼女の性質を思い出した。

 鈴は半ばやけになって、茅羽夜の外見特徴を並べる。高身長で見上げると少し首が痛くなることや、肌の白さは真珠のようだとか、どうも見た目に無頓着過ぎていつも寝癖のように髪が跳ねていることなど。目の色が違う事や左目の肌については伏せたが。

 話終わると銀朱は鬼気迫る顔で何かを紙に書き付けており、鈴が話しかけるのを躊躇っていると、ぱっと顔をあげた。

「……素朴ではありますが磨けば確かに光る素材ですわ、それに夜明け前の菫青石の瞳に物怖じしない、しなやかな真っ直ぐな姿勢……」

(今素朴って言われたかしら)

 褒められているのか貶されているのかわからないが、確かに銀朱はぱっちりとした目のくっきりとした顔立ちで、薔薇色の頰と長い睫毛、豊かに波打つ茜色の髪を持つ文句なしの美女だ。彼女と並べば鈴の印象は大輪の薔薇とこじんまりとした菫と言ったところだろう。

 ややしょんぼりしていると、後ろから小鞠が「わたくしは菫の方が可愛らしくて好きですよ」と励ましてくれた。

「寡黙で無愛想な人嫌いな高身長の美少年が幼い頃出会ったのは明るくて素朴な……太陽と月、お前が俺のたったひとりの太陽……」

「ねえ小鞠、銀朱様のご様子が可笑しいのだけれど、誰か呼んできた方がいいかしら」

「大丈夫だと思いますわ。作家というのは総じて気が狂っていなければならない時があるのです」

「それ全然大丈夫じゃないと思うんだけど」

「きましたわ!」

 小鞠と額を突き合わせていたら、銀朱が突然大声を出すので鈴はびっくりして思わず後退って几帳の足にぶつかってしまい、危うく引っくり返すところだった。銀朱はそんなことを気にしている暇はないとばかりに、そのまま文机に向かってしまい、鈴と小鞠は顔を見合わせる。これはどうしたらいいのだろう、帰っていいのだろうか。

「初菫の御方おんかた

 そっと後ろから声をかけられて、鈴が振り向くとそこにいたのは緋袴と腰紐に蘇芳の組紐と真珠を下げている、侍女のひとりだった。年配者の多い六宮だが、恐らく銀朱と同年代だろうと思われた。

「執筆に入られた銀朱様は暫く話し掛けても聞こえないので、どうぞこちらへ。お茶を御用意して御座いますので」

「あの、貴女は?」

「申し遅れました、銀朱様の侍女で、新見にいみと申します」

 丁寧に礼を取る彼女の後に続いて、隣の部屋まで案内される。銀朱が今文机を置いている部屋は衝立で仕切られているものではなく土壁でしっかりと隔てられている部屋だ。執筆の邪魔にならないようにという配慮らしい。本当に徹底している。

 蔀戸を開けられた風通しの良い部屋まで来ると既にお茶と栗羊羹が準備されており、円座に腰を下ろした鈴は新見から茶器と栗羊羹の乗せられた器を出される。

「申し訳ありません、他家の姫君のお手を煩わせてしまって」

「いえ……あの、いつもああなのですか?」

「はい。宮市の前になると」

「ああ……」

 真陽瑠達が大丈夫だろうと言った訳がようやく飲み込めた鈴だった。

 新見は銀朱の侍女達の中では珍しく、物腰の柔らかい女性で彼女達にも「なんて高慢ちきな婆さんたちでしょう」というのを落雁の皮で幾重にも包み込んだ表現で言っていた小鞠も、新見に対しては穏やかな笑顔で接している。その先輩侍女達の姿もないので、新見は小鞠の分も栗羊羹を切ってくれ、益々彼女の株が上がった。

「新見様は側に居て大丈夫なのですか?」

「わたくしは銀朱様の原稿の校正や資料の編纂もしておりまして、編者のようなお役目も頂いておりますので執筆中は大抵お側に居ります」

「凄い……」

 あの浮き沈みの激しい恍惚状態の銀朱の側にいれるだけで尊敬に値する。鈴の感嘆に、新見は少しだけ照れたように頰を赤らめた。

「銀朱様はこの所少し、焦っておいでで……それというのも、最近同じように流行っている作家様をどうも好敵手のように見ているようでして」

「もしかして、冬月先生のことですか?」 

 小鞠がやや興奮気味に身を乗り出す。どうもこちらも愛読者らしい。それに新見は深く頷いた。

「繊細かつ重厚な心理描写で恋愛ものを中心に書かれる葉牡丹先生に対して、冬月先生の書かれる小説はとある妃の侍女が後宮に起こる怪事件を解決していくという謎解きが主体となっているのですがこれがまた、予想外の展開と胸にぐっとくるお話で、お相手の正体を隠した皇子との関係性も焦ったくて……!ああ、姫様が前に読んでおられた本は冬月先生の著作ですわ」

「ああ、あれね……侍女のイロハのイね」

 どちらも葵依の一件の際に拝借した小鞠の蔵書だ。

「……さっきから気になっていたのだけれど、葉牡丹先生って何?」

「筆名ですわ」

「って、なに……?」

「執筆の際に使われる本名以外の名前です。銀朱様は葉牡丹という名前で文芸作品を出しているのです」

 ついていけない鈴のために小鞠がちょいちょい注釈を挟んでくれるのは助かるが、縁寿といい銀朱といい小鞠といい、本当に好きなものを語り出すと止まらない人種ばかりだな、と鈴は思った。

「そう、その冬月先生も大体宮市の際に一冊新作を出していらっしゃるのです。姫様は見た通り負けず嫌いなので……どうも意識していらっしゃるようで、ここのところ、ずっとぴりぴりしておられて」

「大変ですね……」

 心の底からの言葉だったが、新見は首を振って微笑む。

「いいえ、わたくしも、姫様の書かれるお話が好きなのです。姫様は幼い頃お身体が丈夫でなくて、国長様の買ってくる書物ばかりをご友人にお育ちになったのです。わたくしも、随分読み聞かせを強請られたものですわ。ようやく元気になられたと思えば入内のお話が回ってきて、侍女以外と殆ど接することなく、宮入りしたものですから」

 入内直後は慣れるまで苦労していたようだという、璃桜から聞いた話を思い出す。彼女のあの性格は、そういった経緯で作られたのだろう。人との距離感の掴めなさや、やや体当たり気味な対人能力も当然のような気もした。

「……なので、葵依の御方や初菫の御方のような、同じ年頃の姫様と接する事が出来て、どうも嬉しくて仲良くなりたいようなのです。わたくしがこのような事を申し上げるのも烏滸がましいとは存じますが、どうぞ姫様を宜しくお願い致します」

 深々と頭を下げる新見に、鈴は慌てて手を振った。

「いえ、銀朱の方にはいつも茶会に誘って頂いたり、前にも色々な品を頂戴しまして、随分良くして頂きましたもの。どうぞ、顔を上げてくださいませ」

「有難う御座います。それで、その、執筆の方も……何卒、どうか」

 そちらの方は役に立てるかどうか正直自信がないが、どうか、と頼まれると弱い鈴は「出来る限りの事はさせて頂きます」とまた安請け合いして、小鞠にやや呆れられるのだった。




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