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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 その日の夜、煌々と燈台を灯した御帳台の几帳のかたびらを不意に開ける者があった。東宮妃の寝所で、そんなことが出来るのはこの世でただ一人である。

「……何をしているんだ?」

「あら、ちょうどよかった茅羽夜、ちょっと手伝って」

 茅羽夜は寝台の中で鈴が紙を折っているのを見て、目を丸める。鈴の褥の上には紅の艶のある紙で出来た金魚が数匹置かれており、ちょうど同じものをまた一匹折り終えたところだった。

「折り紙……?」

「そう。金魚を折ってるの」

「何故」

「葬送に使うのよ。ただの折り紙じゃないわよ、ちゃんと葬送の為に術が施してあるの」

 裏には鈴の血で術が書かれていることは茅羽夜には黙っておいたが、折り紙を一枚取って眉根を微かに顰めたので、ばれているだろうなと思った。彼は血を使うこの術をあまり良く思っていないらしい。しかし鈴の術というものは大抵が血を契約にして神々に力を借りるものだから、仕方ないのだ。

「そこにあるだけ折らないといけないの、茅羽夜も手伝って」

「手伝うとは?」

「金魚を折ってほしいんだけど」

「……金魚を、折る」

 鈴の横に胡座をかいたまま、難しい顔をして黙り込んだ茅羽夜を見て、首を傾ける。もしかして。

「折り紙したことないの?」

「ない。見たのもこれが初めてだ」

「……」

 そんなばかな話が、と思って、彼は六歳まで離宮に閉じ込められていたと聞いた事を思い出す。

 こういった手遊びすら与えられず、彼は六年も何をしていたのだろう。

 けれどそれを聞いていいものかわからず、鈴は「そうなの」とだけいって、折り紙を一枚ほど茅羽夜に渡して、自分も一枚取る。

「じゃあ、教えてあげる。まず角と角を合わせて三角に折って、もう一回折ってね……」

「こっちを折ればいいのか」

「そう。それで、一回広げて、この真ん中の線に沿うように両側を折って」

 ちらちらと鈴の手元を見ながら何とか茅羽夜が折った金魚は、尾鰭が変に傾いて、顔も歪んでいた。

「……すまない、不格好になってしまった」

「大丈夫よ。初めて折ったにしては、ちゃんと金魚だってわかるもの」

「鈴のと比べたら、魚と名乗るのも烏滸がましい気がするが」

「あら、わたしのは年期が入っているのよ。玄人なんだから、同じようなのを簡単に作られたら困るわ」

「そうか、鈴は手先が器用だな。今にも泳ぎ出しそうだ」

「これくらい里の娘なら普通よ」

 でも褒められて嫌な気はしない。

 鈴がもう一枚渡すと、茅羽夜もまた同じように折り始めた。二匹目はさっきよりも顔立ちは綺麗に折れているが、やっぱり尾鰭が少し曲がっている。仮にも夫婦である男女が褥で黙々と折り紙をしているのも何ともおかしな光景である。

 折り紙を全部金魚に変える頃には、茅羽夜は鈴の手元を見なくても折れるようになっていた。手先はどうもあまり器用な方でないが、彼は思っていた通り、記憶力がずば抜けていいらしい。

「それをどうするんだ?」

「これ?これはね」

 御帳台を出て、鈴は部屋の燈台を全てつけると金魚鉢を両手で抱えた。それを同じように部屋の真ん中に立つ茅羽夜に一旦預ける。

 玻璃の首飾りを唇に挟んで、ひとつ柏手を鳴らす。鈴の両手に泡のように生まれる水はみるみる膨らんでいき、人が一人くらいゆうに入るまでの大きさにまでなった。そして茅羽夜から器を受け取ると。

「こうするの」

 しゃぼん玉のように宙に浮かぶそれに器の口を傾けて水を注ぐ。紅金魚がするりと水に落ちたかと思うと、それは途端に人の形となった。

 十を少し過ぎた頃の少女は白い着物に紅の柔らかい帯を結んでおり、それがふんわりと水に浮かんで、まるで金魚の尾鰭のように揺蕩う。亡くなった頃は十三と聞かされていたが、病気がちだったせいか小柄で、彼女を作る線はまだ幼く丸い。黒々とした目は驚いたように大きく開かれて、鈴と茅羽夜を見ている。 

「貴女が金魚姫ね」

「……」

「わたしは鈴。こっちの無愛想なお兄さんは茅羽夜っていうの。ねえ、貴女の名前は?」

「……ちとせ」

「ちとせちゃん。素敵な名前ね」

 鈴は微笑んだ。ちとせは水泡に両手をついて、鈴たちを見下ろしていたが、やがて手を離して膝を抱える。

「ねえ、ちとせちゃん。貴女は、何が悲しいの?」

「……やくそくしたの」

「約束?誰と?」

「みんなと。あたしが死んだら、あたしのたましいは、みんなにあげるって」

「みんなって、金魚たちに?」

 ちとせは頷いた。だから、彼女の魂は金魚に姿を変えていたのだ。今まで食べてきた金魚たちの命に応えるために。ちとせは膝をぎゅっと抱えて、その膝小僧に額を付けて心を頑なに閉ざしている。

「あいつには、渡したくなかったの」

「あいつって?」

「おとうさまと、おかあさまを騙していた男。カイネっていう、ふたりにひどいことを教えたやつ」

 海真教の呪術師の名前だった。鈴も、隣に立ったまま事の成り行きを見守っていた茅羽夜も僅かに顔色を変えた。

「みんながいうの。あいつは、あたしの命を救うためにやったんじゃない、()()()()()を作るためにしてるって」

(代わりの……器?)

 何の器を作ろうとしていたのか。わからないが、その呪術師が彼女へ金魚を食べさせ続けていたのは、延命などではない事がはっきりした。

 ────儀式だ。恐らく、供物のひとつを作ろうとしていたのだ。でも何の?

「あの男なんかに、あたしのを、みんなの命を渡したくなかったの。だから」

 器が完成する前に全ての金魚を逃したのだ。その先に自分の命がないことを知って。

「大丈夫、もう誰も貴女たちを傷付けたりしないから」

「ほんとう?」

「本当よ。このお兄さんね、実はこう見えてすごく偉い人なの。貴女たちにひどいことをした人は、絶対見つけて罰してもらうわ。だからもう大丈夫よ」

「ほんとうに?」

 ちとせが茅羽夜の方を見て、問い掛ける。まさか自分の方に話が振られるとは思っていなかったのだろう、茅羽夜はやや狼狽えたように鈴を見て、ちとせを見て、硬い表情のまま頷いた。子供が苦手なのかもしれない。少女の顔に、僅かに笑みが浮かぶ。

 鈴が折り紙の金魚たちを水泡に入れてやると、それは水に触れた所から滑らかな曲線を描き、美しい金魚へ姿を変えた。ちとせの周りを優雅に泳ぎ回る金魚たちは少女の指先に、頬に、まるで擦り寄るように体や鰭を寄せる。ちとせの瞳がこれ以上ない程に開かれて、今度こそ嬉しそうに笑って見せた。

 ふっと鈴が玻璃に息を吹きかけると、水泡が割れて少女たちは薄絹のような尾鰭を舞わせた。

「ありがとう。龍のお兄ちゃんとお姉ちゃん」

 そう言って、少女たちの姿はゆっくりと水に溶けるように見えなくなっていく。帯の紅が箒星のような僅かな軌跡の名残を残すけれど、それもすぐにふわりと水の匂いを漂わせて消えていった。

「……逝ったのか?」

「うん。あの金魚たちが月黄泉様の元まで先導してくれると思うよ」

「葬送を見たのは、初めてだった」

「そうなの?」

「ああ。……こうやって、人は黄泉へ還るのだな」

 少女たちが消えていった方を見つめるその眼差しはどこか、寂しそうでもあり、憧憬を含んでいるようにも見えた。

 茅羽夜は肩の力を抜いたように御帳台に座ると、ぼんやりと「龍のお兄ちゃんか」と殆ど独り言のように呟く。

「確かに、茅羽夜は龍の血が入っているものね。どうしてわかったのかしら」

「大海神は一般的には大海亀神だと言われているが、一説には龍神だと伝えられているものもある」

「龍神?ああ、でも神祖様の裔ならそれもあり得るのか……」

 神の子孫の形状についてはよくわからないが龍神の血を引く皇があるなら、龍神から生まれた裔が同じ龍の形をとっていても何らおかしくはない。龍から人が生まれるより、よっぽど想像しやすい。同族なら、確かにその血の匂いを嗅ぎ取ることも出来るだろう。……いや、つまりそれは。

「待って。茅羽夜の龍の力を嗅ぎ取れる程、彼女は大海神に近い存在になっていたってこと……?じゃあ彼女を使って作ろうとしていた器って……」

 鈴の言葉に茅羽夜が力なく首を振る。

「まだわからない。ただ、今になってこれ程彼らの足跡が出てくるのは良い予兆とは言えないな」

「そうね……」

 大きな溜息をついて、鈴は部屋の燈台を消してから、茅羽夜の隣に座る。御帳台の近くに置かれている灯りの向こうには空になった玻璃の器が寂しそうに佇んでいた。

「空っぽになっちゃったわね、あれ」

「寂しいか?」

「少しね」

「そうか。欲しいなら、また持ってこようかと思ったが」

「いやもういいよ……綺麗だったし、好きだけど、龍のお世話はひとりで手一杯だもん」

「金魚は龍ではないと思うが」

「あら、わかんないわよ。百年生きた鯉が龍になったって神話だってあるんだから、金魚も千年生きたら龍になるかもしれないじゃない」

「そうなのか」

「そうよ」

 まあ、知らないけど。鯉が龍になったと言われるのだって神話の中のお話であって、実際鯉だって龍になるには乗り越えねばならない凡ゆる苦難があるだろう。寿命とか。

「……鈴、いま龍の世話はひとりで手一杯と言ったが、それってもしかして」

「もしかしなくともあなたのことですけど」

「…………俺は鈴に世話をされていたのか?」

「あなたが持ち込んだ金魚の面倒みてあげたじゃない」

「まあそうか」

「素直か」

 いいのかそれで。冗談がいまいち通じない男だった。

 そんな緩い会話をしていると、段々と鈴の目蓋が重くなっていく。今回はいつもより術に血を多く使ったからだろう。ふらふらと頭を揺らす鈴を、茅羽夜がひどく優しい声で呼ぶ。

 鈴はその、深い静寂しじまの底に響くような声が好きだと思った。

「鈴、もう眠い?」

「……うん」

「じゃあ、布団に行こう。ほら、抱えて大丈夫?」

「ちはやもいっしょにねよ……」

「え、いや、それはちょっと」

「一緒だとよくねれるって、言ったじゃん……」

「いや言ったけれど……あ、まってくれ鈴、髪引っ張らないで掴んだまま寝ないで」

「うん……」

「うん、じゃなくて……」

 眠いと自覚したらもう駄目だった。茅羽夜の声が水音のように深く染み込み、安堵に揺られるがまま睡魔に引っ張り込まれる。

「……寝てしまった……」

 以前とは全く逆の立場になった茅羽夜は自分の腕の中で完全に夢の世界へ旅立った鈴を見下ろして、息を吐く。そして燈台を吹き消すと、褥の中に鈴を寝かせて、かなり悩んだ末に自分もその中に滑り込んだ。

「……」

 茅羽夜の髪をしっかり掴んだままの手を上から握るとすっぽりと収まってしまった。小さい手だった。自分のとは違う、華奢で、丸い爪と細い指にわけもなく泣きそうになる。悲しいわけではないのに。

(温かい……こんなに小さくて、細いのに、いつも誰かを救ってくれる)

 金魚姫の笑顔を思い浮かべ、そして先日の笛師の彼を思い出す。鈴が助けてきた者たちの顔。そして自分もこの手に助けられてきた者たちのひとりだ。本人はきっと覚えていないだろうけれど。

(いつか、返せる日が来るだろうか)

 貰ったものをこの優しい手にいつか返したいと思う。

 十年前のあの日に差し伸べられてから、茅羽夜は、この小さな手にずっと生かされているのだから。



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